第一章 見えない視線(3)
その日の昼休み。二年一組の教室。
「じゃあな」
カズホがナオにそう言って席を立つと、後の席のナオは、微笑みながら胸の前で小さく手を振って、カズホを見送った。
そこに丁度、弁当箱を持ったミエコがやって来て、カズホに声を掛けた。
「佐々木君。今日も席を借りるね」
「ああ」
昼休みのカズホの席は、ミエコの指定席になっていた。ナオは、これまでと同じように、ミエコとハルカと一緒に、ナオの席で向かい合ってお弁当を食べていた。転校して来て、初めて話し掛けてくれたミエコとハルカは、イメチェン後も変わらず、ナオの親友であった。
ミエコが教室から出て行くカズホを目で追いながら、ナオに訊いた。
「ナオちゃん。佐々木君って、やっぱり部室で食べているの?」
「うん。売店で買ったパンを、部室でマコト君と一緒に食べているみたい。最近は、ハル君もお弁当を持って来て、一緒に食べているみたいだよ」
「そうなんだ。でも、ナオちゃんも本当は佐々木君と一緒に食べたいんじゃないの?」
「そ、そんなことはないよ。だって、ミエコちゃんやハルカちゃんと、こうやっておしゃべりしながらお弁当を食べるのも、すごく楽しいんだもん」
「嬉しいことを言ってくれるなあ~。泣けてくるよ~」
「ミエコ。芝居が臭すぎ」
目頭を押さえていたミエコに、すかさずハルカが突っ込む。
「ははは、やっぱり? 女優への道は険しいな」
「ミエコちゃん、女優を目指しているの?」
ナオがミエコに訊くと、ミエコは真面目な顔をして答えた。
「それなら演劇部に入っているって。私が目指しているのは、人生で一度きり、お金持ちの男の人の前で可愛く化けて、玉の輿に乗ることだね」
「まあ、せいぜい頑張って」
ハルカが呆れた様子で言ったが、ミエコは相変わらず真剣な表情でハルカに言った。
「まあ、私が社長夫人になった暁には、ハルカもメイド長くらいにはしてあげるわ。ほーほーほほほ」
「はいはい。期待しないで待っているわよ」
「ふふふふ」
中学生時代はずっと同級生で、言いたい放題の間柄だったミエコとハルカは、高校一年生の時にはクラスが別れてしまっていたが、二年生でまた同じクラスになり、名コンビが復活していた。ナオも二人の掛け合いにいつも腹を抱えていた。
しばらく他愛の無いおしゃべりをしながらお弁当を食べていたナオ達であったが、突然、ミエコが教室の後ろの入り口の方を見ながら声を上げた。
「あれっ」
「どうしたの、ミエコ?」
「うん。……実は、教室の後ろの入り口から、こっちを見ていた男子がいたんだけど、私と目が合ったら、びっくりしたみたいに行っちゃった。あいつ、確か、昨日もいたような気がするんだけどな」
「ミエコちゃんに見取れていたってこと?」
ナオの発言をハルカが即座に否定した。
「そんな訳ないでしょ。ミエコに見取れる男子がいるはずがないわよ」
「何言っているのよ! ……って言いたいところだけど、自分でもそう思う。たぶん、あいつ、ナオちゃんを見てたんだよ」
「えっ、私を……」
「ナオちゃんならあり得るかもね。でも、そいつは一人でいたの?」
「そうなのよ。ナオちゃんの見物ツアーは普通、団体で来るんだけど、あいつは一人で来ていたみたいなんだよね」
「何、その見物ツアーって?」
ナオが訊くまでもなく、イメチェン後、噂を聞きつけた男子生徒がナオを見るために、数多く二年一組の教室を覗きに来ていることは事実だった。
「今朝も一杯来てたじゃない。拝観料を取ったら大儲けだよ」
「拝観料って、……私は滅多に公開されない仏像じゃないよ」
「良いねえ~。そのキャッチフレーズ、いただき! 『ナオ観音、今だけ特別大公開中! 拝観料は服部まで』な~んて看板を立てとこうかな」
「あのね~」
「はははは」
ミエコの馬鹿話に笑っていたナオだったが、自分のことをじっと見ていたかも知れないという男のことが、朝のこともあり、ちょっと気になってきた。
「でも、ミエコちゃん、さっき、こっちを見ていた人って、どんな人だったの?」
「顔はしっかりとは見てないんだけど、雰囲気的に何か陰気臭い感じがしたな。柱の陰からじっと見ているみたいな」
「それって本当に人間だったの? ミエコにだけ見えている悪霊じゃなかったの?」
ハルカが声を低めてミエコを怖がらせにかかったが、怖がったのはナオだった。
「ハルカちゃん、止めて。お化けとか幽霊とかの話は苦手だから……」
「大丈夫だよ、ナオちゃん。お化けだとしても、お昼休みにしか出てこない奴は単に腹ぺこで、人がお弁当を食べているのを『羨ましや~』って出て来ているだけだから、呪うようなことはしないって」
ミエコはナオを勇気付けようと、いかにも変な理屈を述べたが、まともに受け取る真面目なナオだった。
「そ、それってお化けさん本人に確認したの?」
「一般常識だよ」
「そ、そうなの。知らなかった」
「ナオちゃんって、本当に平和な人だよね~」
ミエコのネタとしてのボケに真っ向勝負できるほどのナオの天然ボケに、ハルカが感心するのも無理はなかった。
ナオは、ミエコとのボケ合戦で、ある程度は気が紛れたが、誰かに見張られているのではないかということが現実味を帯びてきたことに不安を感じ始めていた。