第三章 初めての喧嘩(2)
第一音楽準備室。
ナオが体調不良で練習を休むと伝えたカズホは、レナとマコトから少し離れたところで、一人、ベースの練習をしていた。
昼間にナオが元気そうだった姿を見ているレナは、ナオの性格的には少々無理をしてでも練習に出て来るはずなので、よほど急激に体調が悪くなったとしか考えられなかったが、カズホの態度から、何か釈然としない気持ちであった。
マコトも、いつもと違う様子のカズホに、言葉を掛けることが躊躇われるようで、珍しい生き物を見るような視線で遠巻きに見ていた。
「遅くなってごめん」
そこに掃除当番だったハルが、遅れて部室に入って来た。
「おう! お疲れ!」
「うん。……あれっ、……やっぱり」
ハルが、一人たたずむカズホを見て小声で呟いたのを、マコト達は聞き逃さなかった。
「ハル。ちょっと来い」
マコトが手招きをして、ハルを呼ぶと、その肩を抱いて、顔を近づけて、小声で訊いた。
「何が、やっぱりなんだよ?」
レナも二人の側に近寄った。
「実は……」
ハルは、ちょっと心配そうにカズホの後ろ姿を見て、言い淀んだ。
「ハル君。これは告げ口なんかじゃないから気にしないで。ナオちゃんが体調不良だって言うけど、何か、おかしいなって感じているの。メンバーのことは、同じ軽音楽部員としては知っておかなければいけないことでしょ」
「う、うん。実は、教室の掃除をしている時に、現場を見たって言う友達から聞いたんだけど、渡り廊下の所で、カズホとナオさんが大喧嘩をしていたらしいんだよ」
「えっ! ナオちゃんとカズホが喧嘩?」
「マジか? カズホはまだしも、ナオっちが喧嘩するなんて考えられないな」
「僕も冗談かと思ったんだけど、他にも何人か見ているみたいなんだ」
「どうして喧嘩をしていたんだ?」
「そこまでは分からないけど、ナオさんは、そのまま教室の方に戻ったみたいなんだよ」
お互いを見渡しながら、想定外の事態に考え込んでしまった三人だった。
「おい。そろそろ練習しようぜ」
カズホが三人の方に振り返って言った言葉には、いつものカズホらしい、颯爽とした雰囲気が微塵も感じられなかったレナ達だった。
一方、教室に戻ったナオの少し落ち込んでいるような表情を見て、ミエコとハルカも心配になったようだ。
「ナオちゃん。佐々木君は許してくれたの?」
「えっ、……う、うん。もちろんだよ。……さ、さあ、頑張って今日中に予定の個数を済まそう!」
ミエコとハルカも、嘘だとすぐに分かったようだが、それ以上、何も言わなかった。
教室に残っていた男子と女子併せて十名ほどが作業に取り掛かった。
夜七時を回る頃には、その日予定していた個数の景品を作り上げることができた。
「みなさん、どうもありがとうございました!」
ミエコが作業をしてくれた生徒達に深々とお辞儀をすると、自然に拍手が湧き上がった。
ナオは、自分が採った行動が間違っていなかったと、自分に言い聞かせることができた。
ミエコとハルカと一緒に校門を出たナオは、二人と別れて、一人、真っ直ぐ駅に向かって歩いた。
カズホとの言い争いのシーンが何度も頭の中で再生された。
(もう、何よ! カズホの馬鹿!)
そう心の中で呟きながらも、カズホに会って、ちゃんと話をしたいと思っていた。
ナオは、いつの間にかドールの前に立っていた。駅に直接向かうつもりだったのに、考え事をしながら歩いていると、知らず知らずのうちに足がドールに向かったようだ。
しかし、今の時間だと、カズホは既にバイトに出ているはずで、ドールにはいないはずだった。
ナオは、再び、駅に向かって歩き出した。
カズホは、バイト中で電話に出ることはできないはずなので、メールを入れておこうかとも思った。実際に携帯を取り出して、「ごめんなさい」と打ち込もうとしたが、ふと、イメチェン前、男の子に対して、すぐに謝る癖があったナオに、カズホは、「自分が悪いことをしていないのなら謝る必要はないだろ?」と言ってくれたことを思い出した。
(うん。私は間違ったことをしていない。カズホに謝らなければいけないようなことはしていない)
――そうすると、謝るべきはカズホなのだろうか?
(カズホは、自分の気持ちを正直に私にぶつけただけだ。だから、カズホだって謝る必要はないし、私は、カズホに謝ってほしいなんて思っていない)
――それでは、どうすれば良いのだろうか?
ナオは、その答えを見い出すこともできないまま、家に帰り着いた。




