第二章 二人だけの夜(3)
カズホの携帯が鳴った。ナオも思わず振り返ると、カズホがズボンのポケットから携帯を取り出し、発信者を確認していた。
「マコトからだ」
カズホは、腰を後ろに引きずるようにしてナオから少し離れて胡座をかくと、携帯を耳に当てた。
「マコト、どうした?」
ナオもカズホの方に向かって座り直り、カズホを見ていると、しばらくしてから笑顔になったカズホが携帯に向かって言った。
「分かった。そっちも無理するなよ」
そう言って、カズホは携帯を切った。
「カズホ。マコト君は、何て言っているの?」
「ああ、やっぱり、さっきの土砂崩れでここに来る道が埋まっているらしいんだが、裏から回り込める道があるから、後、五分くらいで来られそうだって」
「良かった~」
「そうだな。もう大丈夫だろう」
カズホは立ち上がって、窓の近くまで行くと、窓の外を見た。
暗い窓の外は相変わらず強い雨と風が吹き荒れていた。
ナオも窓の前でカズホと並んで立った。
「ナオ。後、五分、何も起こらないことをお祈りしておくか」
「大丈夫だよ、絶対。だってカズホが側にいてくれるんだもん」
「おいおい。俺は神様じゃないぞ」
「私にとっては神様だよ。だって、カズホは、閉じこもっていた殻から私を救い出してくれた救世主なんだから」
二人は微笑み合いながら目を合わせた。
「そうだ。その神様のカズホ様にお祈りをしよう」
ナオはカズホの方を向いて、手を合わせて、少し頭を下げた。
「おいおい。それじゃ、まるで俺がもう死んでいるみたいじゃないか」
「えっ!」
びっくりして顔を上げたナオだったが、カズホは楽しそうに笑っていた。
「もうっ! ……でも、そうだね。拝んでいると、そう見えちゃうね」
ナオも思わず笑顔になった。
「それじゃあ、……拝むんじゃなくて、カズホに呪文を掛ける」
「えっ、呪文?」
「うん。カズホは私の呪文を解いてくれたけど、今度は、私がカズホに呪文を掛けたいの」
「……分かった」
ナオは、胸の前で両手を組んで祈るような格好をした。そして、カズホを見つめながら呪文を掛けた。
「カズホが、……ずっと私の側にいてくれますように」
カズホは優しい笑顔を見せてナオを見つめていた。
「それじゃあ、俺もナオに呪文を掛けよう」
「私にも?」
「ああ」
カズホはナオの両肩を両手で抱いて、ナオを見つめながら呪文を掛けた。
「ナオが、……ずっと俺に笑顔を見せてくれますように」
また、ナオの目から涙が溢れてきた。
「あれっ、呪文を間違ったかな?」
「ううん。ま、間違ってないよ。こ、これ、笑っているんだよ」
「変わった笑い方だな」
「き、器用でしょ」
ナオの泣き笑いの顔を見て、カズホが我慢できなかったように、ナオを近くに引き寄せ、強く抱きしめた。
突然の抱擁だったが、ナオもそれを拒否する気持ちは湧き上がらず、仰け反るようにして、カズホの顔を見つめた。
「ナオ」
「……カズホ」
引き寄せられるように、二人は顔を近づけ、しばらく見つめ合った。
カズホが優しく囁いた。
「今の呪文が、……二度と解けないように」
カズホの顔が更に近づいてきて、ナオは自然に目を閉じた。
二人の唇が、まるで戻るべき場所に戻ったかのように一つに合わさった。
すぐに唇は離れたが、しばらく二人はお互いの顔をすぐ近くで見つめ合った。
「ナオ」
「はい」
「……鼻水が出てるぞ」
「……! ひ、酷いです!」
ナオは、顔を赤くしながらカズホから離れ、後ろを向いた。
「ほい」
カズホは後からハンカチを持った手を伸ばした。
「もうっ! ……カズホなんて大嫌い!」
ちょっと振り向いてハンカチを受け取ったナオは、また後ろを向いて、しっかりカズホのハンカチで鼻をかんでいた。
そんなナオの背中に向けて、カズホが決まりが悪そうに言った。
「……ナオがあんまり可愛いから、このまま押し倒しちゃえって、声が聞こえてきたんだよ」
「えっ! そ、それじゃ……」
ナオが、再びカズホの方に向くと、カズホはちょっと照れているように後髪を掻いていた。カズホがナオをからかったのは、いきなり湧き上がってきた自らの欲望を抑えつけるためだったようだ。
「カズホ。……私、もっともっと、カズホに可愛いって言ってもらえる女の子になるから。絶対、なるから!」
「……ああ、分かった。俺もナオをずっと笑顔にできる男になるよ」
「……カズホ」
二人がまた抱き合おうとした時、車の運転音が聞こえて、玄関側の窓が車のライトに照らされた。車のドアが開閉される音が聞こえたかと思うとマコトの声が聞こえてきた。
「カズホー! ナオっちー!」
マコトは、やはり部長として、友人として、二人のことが心配だったのだろう。避難先で色々としなきゃならないとして先発隊に入ったはずなのに、結局、二人を迎えに来たようだ。
「良いところに来やがるな」
「ふふふふ」
「はははは」
二人は笑いながら玄関に向かった。
避難所となった公民館の入り口には、軽音楽部全員が立って待っていた。やはり、レナも相当、心配していたようで、車から降りて来たナオとカズホの姿を見ると、飛んで来た。
「ナオちゃん、大丈夫だった?」
「うん、このとおり」
「良かった~」
本当にほっとした表情をみせたレナだったが、すぐに、いつものレナに戻ったようだ。
「それで、何もなかったの?」
「何もなかったよ」
「本当に?」
「えっ……。な、何もなかったよ~」
レナの質問の意味がやっと分かったナオは、顔を赤くしながら答えた。
「そうなんだ。残念」
「レナちゃん、何を期待していたの~」
台風はあっという間に過ぎ去って、翌朝には、台風一過の青空が広がっていた。
軽音楽部のメンバーは、朝になって駆けつけて来た宿泊施設の職員の車に分乗して、宿泊施設に戻った。
昨日起きた土砂崩れは、実はそれほど大規模なものではなく、道路の法面が崩れ落ちていただけだった。




