第一章 合宿(1)
七月の朝。
夏の日差しが、並んで学校に向かうナオとカズホのプラチナゴールドの髪をキラキラと輝かせていた。
「もう、そろそろ夏休みだな」
「待ちに待った……ねっ?」
「そうだな。ナオは、夏休みは家族でどこかに行くのか?」
「うん。まだ、はっきりとは決めてないけど、お母さんの田舎に行く予定があるの。今まで、家族一緒に帰省することは、何だか苦痛に感じていたんだけど、今年はすごく楽しみなの。これもカズホのお陰だよ」
「そんなことないって」
「後は、妹とプールに行く約束もしているし」
「ナオが妹さんとプールに……。妹さんに泳ぎを教えてもらうのか?」
「な、何を言っているんですか~。妹だって、まだ十メートルしか泳げないって言っているんですよぉ!」
「それじゃあ、ナオは?」
「……五メートル」
「プールに何をしに行くんだ?」
「プールに行ったら、絶対、泳がないといけないって訳じゃないでしょ! 水に浸かっていると気持ち良いし」
「それなら健康ランドの方が良いんじゃないか?」
「プールサイドで食べる焼きそばも美味しいじゃないですか!」
「結局、食い気か」
「良いんです! 泳げなくても!」
「……それじゃあ、俺が水泳を教えてやるよ」
「えっ、……本当?」
「一緒にプールに行こうか?」
「行きたい。行こう!」
「分かったよ」
「約束だよ、カズホ!」
「ああ」
「やった~」
ナオは思わず万歳をしてしまった。
「あっ、でも、夏休み中って、軽音楽部の活動はどうするの?」
「これから、みんなと相談することになるだろうけど、去年は週四日くらいは夏休み中も登校して練習していたんだ」
「そうだよね。やっぱり練習しないと禁断症状が出ちゃうから」
「はははは。そうだな」
ナオは、キーボードを弾けない日があると、何となく宿題を忘れているような気持ちになってしまっていた。
「それから、去年は軽音楽部で合宿もしたんだけど、今年もやろうかって、昨日の夜、マコトと携帯で話したんだよ」
「合宿?」
「ああ、たぶん、今日の打合せで、みんなの意見を訊いて、特に反対意見が出なければ、今年も行くことになるだろうな」
「そうなんだ」
「去年は、外房のキャンプ施設に泊まって、近くの貸しホールでみっちり練習をしたんだけど、今年も同じような感じになると思うよ」
「行く!」
「だから、今年も行くって」
「外房ってことは海が近いんだよね。せっかく海の近くに行くのに練習ばっかりなの?」
「いや、練習半分、海水浴半分って感じかな」
「絶対、行く!」
「だから、今年も行くって」
「食事はどうするの? キャンプ施設というと自炊するの?」
「昼は買い出しの弁当とかだけど、夜は自炊するようにしているんだ。去年は、初日がバーベキューで、二日目はカレーだったな」
「死んでも行く!」
「いや、死んだら行けないから」
その日の放課後。
一年生部員も第一音楽準備室に集まって、軽音楽部の全体会議が開催されていた。議題は夏休みの練習体制及び合宿のことだった。
二年生バンドのメンバーは、ミーティング用テーブルのいつもの席に座り、一年生バンドのメンバーは、二年生達の後ろにパイプ椅子を並べて、マコトの方を向いて座っていた。
部長のマコトの司会で、去年と同じように、夏休み中も月曜から木曜までの週四日は午前中に部室に集まって練習をすることが確認された。
続いて、マコトが合宿について説明を始めた。
「去年も実施したんだが、今年も、夏の合宿を実施しようと思っている。もっとも去年は男ばかりだったから、反対もなく、すんなり実施できたが、今年は女子部員も三名いるから、ちゃんと意向を確認しようと思ってる。男と外でお泊まりすることは嫌だって思うかもしれないしな」
「マコトの言い方は、何か、いやらしいのよ」
いつもの癖で右手で頬杖をついたレナが、ジト目で突っ込む。
「何、言っているんだよ。ちゃんと女子に気をつかって訊いているのに」
「だから『男と外でお泊まり』なんて言うから、変な下心があるんじゃないかって勘ぐってしまうのよ」
「じゃあ、何て言えば良いんだよ?」
「普通に『宿泊を伴う合宿だけどどうする?』で良いじゃない。それに、顧問の先生も一緒に来てくれるんでしょう?」
「えっ、顧問の先生って、誰ですか?」
今まで練習中に教諭が来たことがなかったから、ナオは軽音楽部に顧問がいるとは思ってもいなかった。
「ナオ。今頃、何を言っているんだよ」
カズホもさすがに呆れた顔でナオを見た。
「だ、だって、今まで練習中に先生が来たこと無いですよね。レナちゃんは顧問の先生って知っているの?」
「もちろん」
「えっ、みんなは?」
ナオは後ろに座っていた一年生達の方を振り向いて訊いたが、全員が頷いた。
「入部の時に、マコト先輩から教えてもらいましたよ」
一年生バンドの実質的リーダーであるミカが答えた。
「……そ、そうか。私は途中入部だから聞いてないんですね」
「僕もちゃんと聞いているよ」
同じ途中入部のハルも知っているようだった。
「……知らないの私だけですか?」
「確か、ナオっちにも言った気がするけどなあ」
マコトにとどめを刺されたナオであった。
「…………あの、顧問の先生って、誰なんですか?」
「古文の榊原先生だよ」
榊原は、もう定年が近い年齢にもかかわらず、管理職にもなっていない、風体の上がらない教諭で、しかも担当科目である古文は受験科目でもなく、その抑揚の無い講義口調から、クラスのほとんどが眠りについており、「ミスター催眠術師」という異名を持っていた。
「榊原先生って、何か楽器されるんですか?」
ナオは、榊原が何か楽器をしている姿が想像できなかった。一年生達も同じ疑問を持っていたようで、ミカがマコトに尋ねた。
「確かに、私達もずっと不思議に思っていたんですよね。どうして榊原先生が軽音楽部の顧問なんだろうって」
「実は、もう三十年以上前から、榊原先生が軽音楽部の顧問になっているんだよ。榊原先生が顧問になってから、美郷高校の軽音楽部はすごく盛んに活動しているって言われ始めたんだよな」
「そうなんですか。それじゃあ、ショーコちゃんなんかも榊原先生のことを知っているはずですよね」
ナオの中では、ショーコの言動と、榊原の持っている雰囲気がまったくマッチしなかった。
「そりゃあそうだろう。……まあ、合宿が終わる頃には、みんな納得してるって」
去年も合宿に参加しているマコトとカズホは、目線を合わせて含み笑いをしただけで、それ以上、榊原の話はしなかった。




