第一章 見えない視線(1)
どんよりとした雲がたれ込めた六月の空。
梅雨入りが近いようで、やや蒸し暑い朝だった。
ナオは、駅から学校に向けて二つ目の交差点の角にある、まだシャッターが降りている銀行の前に立ち、カズホを待っていた。この交差点は、駅から学校に向かうナオと、家から歩いて来ているカズホの通学ルートが最初に交わる所だった。ナオがイメチェン後、二人はここで待ち合わせをして一緒に登校するようになっていた。
ナオがこの場所に毎朝立つようになって一か月足らずだが、ナオの前を通り過ぎる男子学生やサラリーマンは、最初こそ、そのプラチナゴールドに輝くセミロングのストレートヘアを見て驚くが、すぐにナオの美少女ぶりに気が付くのか、必ずナオを見つめながら通り過ぎて行った。その視線を感じるたび、ナオは恥ずかしくなってきて、俯いたまま、カズホがやって来るのをじっと待った。
色白な肌に、長い睫毛に縁取られた大きな瞳、やや小さめの口とその周りのピンクの唇は、ノーメイクであるにもかかわらず、金髪に負けない艶やかさとともに、その小柄な体格と相まって、外国人の少女のような可愛さを醸し出していた。
胸ポケットに小さなエンブレムの刺繍が付いた白い半袖シャツに赤色を基調にしたレジメンタルタイをきっちりと締めて、その下にはミニにしたタッタソールチェック柄のスカートを履き、足元は紺のソックスに茶色のローファー。背中には手提げとリュックのどちらにもなる鞄を背負っていた。この鞄は、小柄なナオをからかって、カズホからは「ランドセル」と呼ばれていた。
銀行に背を向けて立っていたナオの右手の方向から、お揃いのプラチナゴールドの髪を湿気を含んだ風になびかせながら、カズホが歩いてやって来ているのが見えた。カズホは、胸ポケットにエンブレムの刺繍が付いた半袖シャツにレジメンタルタイを緩めに締めて、そのシャツの裾をタッタソールチェック柄のズボンから出して着ており、足元には茶色のローファーを履いて、左肩にはスポーツタイプのスクールバックを引っ掛けていた。
「おはよう」
カズホがナオの側までやって来て、笑顔でナオに挨拶をすると、カズホの肩くらいまでしか身長のないナオは、カズホを見上げるようにしながら笑顔で挨拶を返した。
「おはよう。……あれ、ベースは?」
ナオは、カズホがいつも右肩に背負っているベースギターを今日は背負っていないことに気がついた。
「昨日、練習が終わった後、雨が降っていたから部室に置いてきたよ。……って、昨日も一緒に帰ったじゃないか。憶えてないのか?」
「そ、そうだっけ。へへへ」
「いつもボケかましているから、本当にボケてきたのかな」
「わ、私はまだ十六歳ですよ! どれだけ若年性なんですか~」
「前から思っていたけど、いよいよ末期症状かな」
「ど、どんな症状が出ているというんですか? こんなに冴えわたっているのに!」
「どこがだよ。それじゃあ、……昨日の晩飯は何を食べたんだ?」
「昨日の晩ご飯は、え~と、ご飯と……ご飯と……ご飯と……」
「ご飯しか食べていないのか?」
「今、おかずを思い出しているんです!」
「………………で、思い出せたのか?」
「………………」
「ナオ。今日、一緒に病院に行ってやるよ」
「……ふにゃ~」
二人の会話は、ナオのボケにカズホが突っ込んで、ナオを弄くるというパターンのままであった。しかし、以前は、ドールでしか話ができなかったが、今は、通学路でも教室でも同じように話ができるようになっていた。
また、男の子に対しては「ですます」調で話していたナオも、カズホに対しては、少しずつではあるが、女の子の友人と話す時のように、タメ口で話すことができるようになっていた。