第三章 誰にも負けない愛(2)
「カズホ先輩。すみませんでした」
新垣は、一度、顔を上げてカズホを見た後、謝りながらカズホに頭を下げた。
「謝る相手は俺じゃない」
「……」
「明日から、つきまとうのは止めるんだな」
「はい」
「ナオに直接言いづらいのなら、俺から伝えておくよ」
「はい。お願いします」
新垣がUターンをして歩き出そうとした時、ナオは思わず木の陰から出て行った。
「ナオ!」
カズホも、突然、ナオが現れたことに驚いているようだった。顔を上げてナオを見た新垣はもっと驚いていた。
「新垣君。新垣君は私を困らせようとして私に声を掛けてきた訳ではないでしょう?」
「そ、それはもちろんです。……ナオ先輩の側にいたくて」
ナオは一旦、目線を落とした後、真っ直ぐに新垣を見つめた。
「新垣君。金髪になる前の私を知ってる?」
「いえ、発表会の時に初めて……」
「私は、男の子と話をすることができなかったの。今でも、カズホやマコト君、ハル君以外の男子と話をする時は緊張してしまうの。だから、新垣君がせっかく私に話し掛けてくれても、私はちゃんと話をすることができなかったと思う。……ごめんなさい」
「……ナ、ナオ先輩」
「でも、こんな私でも、ちょっとずつだけど、男の子と話せるようになってきた。それは、カズホがいてくれたからなの」
「……」
「新垣君が私の側にいたいって言ってくれたことは、女の子として本当は喜ばなければいけないことなんだろうけど、私には……カズホがいてくれるから」
「……」
束の間の沈黙の中を微かに風が吹き抜けていった。ナオは、ちょっと微笑みながら話を続けた。
「でもね、……新垣君は偉いと思うよ」
「えっ?」
「だって、私がカズホと付き合っているって知った上で、私に声を掛けてきたんでしょう? そんな勇気を持っているんだもん。その勇気があれば、自分を変えることもできるよ。私は、カズホの助けを借りなければ自分を変えることはできなかったけれど、新垣君は自分で自分を変えることができるよ。絶対に」
「……自分を変える?」
新垣が自問自答するように呟いた。
カズホがナオの隣に移動しながら新垣に声を掛けた。
「新垣。ナオが言ったとおりだ。ナオと俺が付き合っていることを分かった上で、ナオにアタックしようとしたお前は、少なくとも行動に起こそうとしない奴よりはずっと男らしいぜ。しかし、そのやり方は感心できないな。こそこそとしか女の子と接することができないのは、きっと、お前が自分に自信が無いからだろう。新垣慎一郎という男を磨いてみろよ。お前はそれをする力を持っているはずだ」
「……」
「変な方向に自分のエネルギーを使うなよ。何か自分が打ち込めるものを見つけてみろ。それが音楽なら軽音楽部に残れば良い。それ以外のものなら、そのクラブに入れば良い。勉強に打ち込むことだってありだろう。それに打ち込めれば、お前はきっと変われると思うぜ」
「カズホ先輩。ナオ先輩……」
単に非難されるだけだと思っていた新垣は戸惑っていたようだ。新垣の視線は、しばらく虚空を彷徨っていたが、その焦点が合うと、新垣は腰を九十度に折って深くお辞儀をした。
「本当にすみませんでした」
そして頭を上げた新垣は、しっかりとカズホとナオを見ながら言った。
「こんなにちゃんと僕に意見してくれたのは、お二人が初めてかも知れません。親だって勉強しろって言うだけで……。ちょっと、考えたいと思います」
「ああ」
「それでは……失礼します」
新垣は考え事をしているかのように俯き加減ではあったが、しっかりとした足取りで学校の方に歩いて行った。
新垣の姿が見えなくなると、ナオは心配そうな顔をしてカズホを見つめた。
「カズホ。私、新垣君に酷いことを言っちゃったかな?」
「いいや。逆に踏ん切りがついたんじゃないか」
「そうだと良いけど」
「でも、ナオがあそこまで新垣に言えるとは思ってなかったなあ」
「新垣君に、ちゃんと考えて貰いたかったっていうか、……何か可哀想になってきて」
「それじゃあ、俺が新垣を虐めていたみたいじゃないか」
「そ、そんなんじゃないよ……。う~ん、カズホ~」
「はははは、分かってるって」
「もう~」
ナオはちょっと頬を膨らませて、カズホを睨んだ。
カズホは、ベンチに置いていた鞄とベースギターを持ちながらナオに尋ねてきた。
「でも、ナオ。どうしてここにいるんだ?」
「駅を出たら、カズホが新垣君と一緒に歩いているところを見て、思わず後をつけて来ちゃった」
「……そうか」
カズホはベースギターと鞄を背負って、両手をポケットに入れながら学校の方に歩き出すと、ナオもカズホの左側を並んで歩き出した。
「カズホ。……ありがとう」
「あ、ああ」
「カズホが新垣君に言ったこと、全部、聞いてたよ」
「そうか」
「……もう一回、聞きたいな~。カズホが新垣君に言ったこと」
ナオはちょっと頬を染めながらカズホを見た。
「何を?」
「『俺は、お前以上に』の後に言ったこと」
「何だったかな。『俺は、お前以上に、……ナオのボケに耐えることができるから、俺が身代わりになってやる』だったかな」
「違~う! 全然、違います!」
「ははは。もう忘れた」
「もう! やっぱり、カズホも健忘症なんじゃないの?」
そう言ったナオは立ち止まって、カズホのシャツの背中を右手で摘んだ。カズホも立ち止まり、ナオの方に振り向いた。
「どうした?」
「カズホ。……左手、出して」
カズホがズボンのポケットに入れていた左手を出すと、ナオが右手を繋いだ。
「えへへ」
顔を赤くしながらもナオは嬉しそうに微笑んだ。
「どうしたんだよ、今日は?」
「公園を出るまで、……良い?」
「そこから先は?」
「通学路は、……やっぱり恥ずかしいから駄目」
数日後の放課後。
軽音楽部の二年生バンドのメンバーは、いつもどおり、部室で練習前のミーティングをしていた。
「この前、入部した一年生の新垣って奴、もう辞めたらしいんだよ。まったく最近の若い奴は根性がねえな」
マコトが嘆くように言うと、いつもの癖でテーブルに頬杖をついたレナがマコトの顔を見ながら言った。
「ミカちゃんに聞いたところによると、陸上部に入って、自分を鍛え直すんだって言ってたらしいわよ」
「何だそれ? 軽音楽部でも自分を鍛えることはできるじゃんかよ」
「まあ、マコトの横暴に耐える忍耐力は鍛えられることができるかもな」
「どういう意味だよ。カズホ」
「はははは」
「ふふふふ」
みんなが笑っている時に、カズホはナオに小さな声で言った。
「意外と骨のある奴だったみたいだな」
「う、うん。でもカズホ、新垣君がマッチョマンになって、私がフラフラと新垣君のところに行っちゃったらどうする?」
「喜んで身を引くよ。あいつにはそう約束したからな」
「え~、そうなの」
「でも、そんなことにはならないだろう? 絶対にね」
「……うん。絶対ならない」
「なんだよ。内緒話なら二人きりの時にしてくれよな」
マコトがヒソヒソ話をしているカズホとナオに突っ込んできた。
「ああ、悪い悪い。マコトなら陸上部でもエースで活躍できるだろうなと、二人で賞賛をしていたんだよ」
「嘘つけ!」
「マコトがうちの陸上部のエースでとどまっている訳ないじゃない。マコトならオリンピックで日の丸を掲げてくれるわよ」
「レナ。お前の皮肉も金メダル級だよな」
「ありがとう。素直に嬉しいわ」
ナオは、レナの本当に嬉しそうな笑顔を見ながら、いつか、カズホだけでなく、レナにも恩返しをしたいと心に決めたのだった。