第二章 愛しき人の隣に(5)
二年生バンドの練習を終えたレナは、第二音楽準備室の前の廊下に立って待っていた。程なく練習を終えた一年生バンドのメンバーが出てきて、レナに気づいた松本が声を掛けてきた。
「あれ、レナ先輩。どうしたんですか?」
「うん。ミカちゃんと一緒に帰る約束をしているのよ」
「そうなんですか。おーい、村上。レナ先輩が待っているぞ~」
松本は部室の中に向かって大声で言った。
「すみません、レナ先輩」
ミカは、まだ後片付けをしながらレナに詫びたが、レナはニコニコ笑いながら一年生バンドの部室に入り、ミカに話し掛けた。
「練習が盛り上がってたってことでしょ。良いことじゃない」
「初めてのオリジナル曲の曲作りを兼ねて練習をしているので、みんなから色んな意見が出てきて……、あっという間に時間が経ってしまいます」
「そう、楽しみね。ミカちゃん、ゆっくり後始末してもらえば良いからね」
「はい、すみません。あっ、みんな、私が鍵を閉めていくから、先に帰って」
「レナ先輩。お先に失礼します」
「お疲れ様」
ミカの勧めに従って、山崎、松本そして山下が一足先に部室から出て行った。
続いて新垣が部室から出て行こうとして、レナに挨拶をした。
「お先に失礼します」
「あっ、新垣君」
「はい?」
新垣はレナに呼び止められて、部室の出口付近で立ち止まった。
「軽音楽部に入ってみてどう? 音楽って楽しいでしょう?」
「は、はい。そうですね」
「あっ、そうだ。新垣君、これから急いで帰る用事がある?」
「あ、あの、どういう意味でしょうか?」
「せっかく軽音楽部に入ってくれた新垣君に、音楽って、もっと楽しいってことを洗脳してあげようかと思ってね。ミカちゃんと一緒に帰るつもりだけど、新垣君も一緒にどう?」
「あ、あの、すみません。ちょっと寄らなければいけない所もありますので……」
「そう、残念ね。それじゃあ、またの機会にね」
「は、はい。お先に失礼します」
新垣は、そそくさとその場から去って行った。
程なく、ミカの後片付けも終わった。
「すみません、レナ先輩。お待たせしました」
「じゃあ、行こうか」
レナとミカは校舎を出た。
「レナ先輩、どうしますか? 駅に向かいますか?」
「いいえ、ドールよ。ナオちゃんはドールにいるの。もし、彼がナオちゃんにまだつきまとうつもりなら、ドールの近くにいるはずでしょ。もっとも、彼は駅に直行して、もう家に帰ったかも知れないけどね」
レナとミカはドールに向かった。ドールに着くと、その周りを一周して見てみたが、新垣は見つけられなかった。
「どうやら、今日はもう帰ったかな。でも、せっかくここまで来たんだから、私達も入りましょうか?」
レナとミカはドールに入った。
「いらっしゃい」
ドールのマスターがいつもの笑顔で出迎えてくれた。
いつもの席で入り口に向いて座っていたカズホが二人に気づいた。
「あれ、レナと村上じゃないか。どうしたんだ?」
カズホの正面で入り口に背を向けて座っていたナオも振り返り、二人を見た。
「本当だ。どうしたの?」
レナは二人の席に近づいて来た。
「ちょっとミカちゃんと話があってね。二人の邪魔をしちゃ悪いから、私達はこっちの席に座るわ」
そう言って、レナはナオ達が座っている席より一つ入り口に近いテーブル席に座った。
「えっ、レナちゃん。せっかくだからこっちに座れば。それとも秘密の話があるの?」
ナオが後ろを向きながらレナに相席を勧めた。
「別に秘密の話なんて無いわよ。でも良いの?」
「良いよ。水臭いな~」
「カズホも良いの?」
「あ、ああ。変な気を回すなよ」
「分かった。それじゃあ遠慮なく」
と言いつつも、レナはカズホの隣の席には座らず、ナオの隣に座り、自然、ミカがカズホの隣に座ることになった。
マスターがレナとミカの分のお冷やを持ってくると、レナがマスターにミカを紹介した。
「マスター。この子は軽音楽部一年生部員の村上美香ちゃんっていうの。可愛いでしょ。よろしくね」
「あ、あの、よろしくお願いします」
ミカはちょこんとマスターに頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。ご注文は?」
「私は紅茶を。ミカちゃんは?」
「あ、あの、コーヒーをお願いします」
「ブレンドで良いですか?」
「はい」
マスターはニコニコしながらカウンターに引っ込んで行った。
「そうか。ミカちゃんはドールに初めて来たんだ?」
ナオは仲間が増えたような気がして嬉しくなった。
「はい。ここが噂に聞くドールなんですね」
「ええ。軽音楽部部員は代々、ここに来ているみたいよ」
ナオが答えると、ミカは隣に座っているカズホの方に向いた。
「カズホ先輩は、やっぱり先輩から勧められて、ここに来始めたんですか?」
「そうだよ。ここにドールがあることは前から知っていたけど、ドールに来るようになったのは、やっぱり軽音楽部に入ってからだよ」
「ナオ先輩は?」
「私は従兄弟に連れられて来たの。私が入部する前に、ショーコさんってOGが指導に来たと思うけど、彼女が私の従兄弟なの」
「そうなんですか。それでカズホ先輩とナオ先輩がここで運命的な出会いをされた訳ですね」
ミカの目には夢見る乙女のように星が輝いていた。
「そんな……。ミカちゃん、大袈裟だよ」
ナオは、恥ずかしげにミカに言った。
「へへへ。でも、変身前のナオ先輩を知っている私としては、絶対、運命的な出会いだったんだろうなって思っているんですよ」
「私もそう思うよ。ナオちゃんが福岡から転校してきて、カズホの後ろの席になった時点で、もう運命的なものを感じるでしょう?」
「そうですよね」
ミカの話にレナが乗っかってきて、ナオとカズホを冷やかすような雰囲気になったからか、カズホがレナに話を振った。
「それを言うなら、マコトとレナは小学校からずっと一緒だったんだから、これ以上無いくらいに運命的なものがあるんじゃないのか?」
「運命的というか、何かの呪いね。おそらく前世での私が猛犬を殺めた報いとして、その化身が私に憑いて回っているのよ」
「マコトの前世は猛犬かよ。まあ、遠くはないと思うけどな」
マコトがいない所でしか、こんな話をしないのであれば良い気分はしないが、レナは、マコトに面と向かっても同じような毒舌家であった。そのことが分かっているナオは、特に気にならなかったが、ミカはちょっと気になったのか、話題を元に戻そうとした。
「あの、マコト先輩もレナ先輩も、ここには来たことがあるんですよね?」
「もちろん。マコトも私も高校に入るずっと前から、ここには出入りしていたわよ。ねっ、マスター」
レナはカウンターの中にいたマスターに話を振った。
「はははは。立花楽器店さんは隣の商店街だし、武田内科クリニックさんもそんなに遠くないからね」
「そうか。レナちゃんはドールのご近所さんだったんだ。それは初めて聞いたなあ」
よく考えれば、近所であることはすぐに分かることだったが、そのことに思い至らなかったナオだった。
「そういうことは、レナちゃんはいつ頃からドールに来始めたの?」
「一人で来始めたのは、中学生の時だったかな。それ以前も両親と一緒にたまに来ていたからね」
「えっ、それじゃあ、マスターは小さな頃のレナちゃんも知っているんですね?」
カウンターの中にいたマスターはナオの問い掛けに笑顔で答えた。
「もちろん。レナちゃんは小さい頃から可愛いくて、この辺りの商店街ではアイドルだったからね」
「そうなんですか?」
ミカはレナに訊いたが、レナはそれには答えず、ちょっと顔を赤くしながらマスターに言った。
「マスター、話を大きくしすぎ」
「はははは。でも、あながち間違いじゃないでしょう? 商店街がやるイベントなんかじゃ、引っ張りだこだったものね」
「さあね。そうだとしても過去の栄光だよ」
「そんなことないですよ。一年生にだってレナ先輩のファンは一杯いるんですよ。それに男の子だけじゃなくって女の子にも」
「そうか。それじゃ、一年生達には、私の本性がばれないように、もうちょっと猫をかぶっていようかな」
「はははは。相変わらずだね。レナちゃんは」
レナは笑顔をマスターに返しただけだった。マスターも笑いながら飲み物を作る作業に戻った。