第二章 愛しき人の隣に(1)
次の日の朝。
ナオがいつも通学で利用している私鉄の駅には、今日も多くの利用客が集まっていた。しかし、その多くは都心に向かうために電車に乗り込む通勤客が大半で、この駅で降りるのは美郷高校や近くにある私立大学の学生がほとんどだった。
ナオが駅の改札を出て、学校の方向に向かうと、後ろから呼び掛けられた。
「ナオ先輩」
ナオが振り向くと、新垣が立っていた。
「え~と、新垣君だっけ……」
「はい。おはようございます」
「お、おはようございます」
新垣は、昨日、挨拶に来ていた時と違い、何か嬉しいことがあるのか、ニコニコしながらナオに近づいてきた。
「奇遇ですね。先輩も電車通学なんですか?」
「え、ええ。新垣君も?」
「はい。一駅だけですけど」
「そうですか……。あ、あの、それじゃ、放課後に部室でね」
ナオは、二年生バンドのメンバー以外の男子と話すことには、まだ慣れていなかった。
ナオは新垣に小さく手を振ると、一人で歩き出したが、新垣が追って来て、ナオと並んで歩き出した。
「ナオ先輩。ナオ先輩はキーボードを始めて、もう長いんですか?」
「えっ、ええ」
「そうですか。僕は、本当はギターよりもキーボードをやってみたいんですけど、今まで経験が無くても大丈夫でしょうか?」
「そ、それは、ほ、本人の努力次第じゃないかな」
「そうですよね。ナオ先輩。僕がキーボードに転向したら、指導していただけますか?」
「え、ええ。でも、私も人に教えるようなことまでは、まだ……」
「そんなことはないですよ。発表会の時のナオ先輩の演奏はすごかったですよ」
「あ、ありがとう」
ナオは、必要以上に新垣が自分の側に寄って来ているような気がして、上半身を新垣と反対側に少し反らしながら歩いた。
しばらくすると、カズホとの待ち合わせの場所に着いた。
「あ、あの、新垣君。私、ここで人を待つ約束にしているから……。それじゃあね」
「カズホ先輩ですか?」
「え、ええ」
「分かりました。それじゃ失礼します」
新垣はちょっと暗い表情になって、学校の方向に歩いて行った。
ナオは、突然の新垣との出会いに戸惑っていたが、よく考えると、軽音楽部の後輩として、先輩のナオに声を掛けてきたことは、何ら不自然なことではなく、むしろ先輩に出会って挨拶すらしないことの方が変だと考えた。
(やっぱり、私はまだ、男の子と二人きりで話をすることに慣れていないから緊張しちゃうんだ。そんなことは、カズホに相談してどうにかなる問題じゃなくて、私自身が乗り越えなくちゃいけない問題なんだ)
ナオは、いつまでもカズホに助けられてばかりの自分が情けなく感じる時があった。レナのように強くなりたいと、いつも思っていた。しかし、三つ編みにしていた七年間に、ナオの体にこびり付いてしまったものをすべて取り除くには、まだ時間が掛かりそうだった。そして、それはナオ自身がしなければならないことであり、それを自分で成し遂げることが、本当の自分を取り戻してくれたカズホへの恩返しになると、ナオは信じていた。
ナオがそんなことを考えているうちに、カズホがやって来た。
「おはよう」
いつものようにカズホが笑顔で挨拶をしてくれた。
「お、おはよう」
「んっ? ナオ、何か元気が無いみたいだけど……」
ちょっとした変化もお互いにすぐに気が付く二人であった。
「う、ううん、そんなことはないよ。……朝ご飯を食べ過ぎたからかな」
「やっぱり、お前は食い意地が張っているなあ」
「ほっといてください」
(カズホに余計な心配は掛けたくない。カズホの前では、元気な私でいるようにしよう)
そう考えたナオは、いつもどおりの笑顔でカズホに話し掛けた。
「そういうカズホは、ちゃんと朝ご飯を食べているの?」
「ああ、朝はちゃんとお袋が朝飯を作ってくれるからな」
「今朝のおかずは何だった?」
「俺はナオと違ってちゃんと憶えているぜ」
「同じネタを何日も引っ張らないでください!」
「はははは。今朝は、卵焼きと塩鮭の焼いたやつ、それに味噌汁だな。定番だろ」
「へえ~、美味しそう」
「もう、腹減らしているのか?」
「ち、違いますよ。私もカズホに朝ご飯を作ってあげたいなあって思っただけ」
「それって、一緒に朝を迎えるってことか?」
「えっ! ……べ、別に朝食を作って届けることだってできるじゃないですか。デリバリーサービスって言うんだっけ?」
ナオは自分の発言に照れてしまった。
「何だ、それ。……でも、ナオの手料理も一度、食べてみたいな。福岡の時は、いつも料理していたんだろう?」
「う、うん。今も時々、お母さんの手伝いをするようにしているんだけど……。で、でも、カズホに、美味しいって食べてもらえるかどうか、まだ自信は無いなあ。……もっと修行して、自信が付いたら、お弁当作ってくるね」
「ああ、楽しみにしているよ」
「う、うん」