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第4章 君の力がないとできない

長い夜が明け、朝日が窓から差し込む頃、フィオナは部屋から出てきた眠そうなレオンを見つめた。


「レオン、君にもう一度確認したいの。」


フィオナの真剣な声にレオンは何事かと顔を上げた。


「騎士になりたい?」


「なりたいです。」


レオンは即答した。起きたばかりのはずなのに、その声には全く迷いがなかった。


フィオナは微笑みながら頷いた。


「分かった。それじゃあ、いっぱい覚えてもらわないといけないことがあるよ。朝の支度が終わったら始めるから。」


彼女は机の上に広げたノートや図表を指差した。



レオンは身支度と鍛錬、朝食を終えて、あらためてテーブルの上でフィオナと大量の資料と向き合った。フィオナが資料を示しながら、ゆっくりと話し始める。


「まず、『発酵』というあなたの異能について詳しく知る必要があった。過去の文献をあたると、発酵とは、おそらく真菌の増殖を促進できる能力と推察できた。真菌って何か分かる?」


レオンは少し考えてから首を横に振った。


「真菌は、肉眼で見えない微生物の一種で、どこにでもいる。人や動物と共生したり、寄生したりしながら生きている。例えば、カビや酵母も真菌。そして、それとは別に『細菌』というもっと小さな生物もいる。」


フィオナはノートに描かれた簡単な図を指差しながら続けた。


「細菌は、人間や真菌に害をなすことがある。細菌が人間に取り付いて増殖すると、高熱を出したり、傷口が腫れて死に至ることもある。騎士の家系なら聞き覚えがあるでしょう。受けた傷に対して治癒魔法が使われたけれど、傷口が腫れて命を落としたというようなこと......。一部の真菌は、その細菌を倒せる、特別な物質を作り出している。」


「……そんなこと、全然知らなかった......。」


レオンが少し驚いたように尋ねた。


「私の力でその物質を「標識」し、あなたの力でその特別な物質を出す真菌を増殖させ、薬として抽出する試みを行う。」


フィオナはレオンの反応をみながらゆっくり言葉を紡いだ。


「これを達成すれば、魔王との戦いにおいて人間の生存率を飛躍的に上げることができる。それが君の『発酵』の力を最大限に活かす道であり、騎士に認められるための大きな功績になるはず。」


レオンはじっとフィオナの説明を聞いていた。彼女の言葉には迷いがなく、目の前に新しい道が広がっていくような感覚がした。


「でも……そんなこと、本当にできるんですか?」


「簡単じゃないよ。真菌の採取、選定、培養、抽出、そして人体に投与できるくらいの量を確保するには、何度も試行錯誤が必要になる。でも、君の力があれば可能だと思う。逆に、君の力がなければ不可能だよ。」


フィオナの灰色の瞳は興奮で煌めいた。


「実際、『地球』でもペニシリンGの発見は戦争を大きく変えた。私は君にアレキサンダー・フレミングになってもらおうと思ってるの。」


「フレミング?」


「あー、忘れて。つまり、あなたの力で薬を作り出し、戦場の命を救うということ。それがこの『騎士作戦』の要。」




フィオナの説明を聞きながら、レオンはノートを取って二、三の的確な質問を挟んだ。その様子を見て、フィオナは彼の頭の回転の速さに感心した。


「つまりは......僕の力で……この細菌を倒す薬を作れるということなんですね……?」


最後の質問を終えた後、レオンの目が一段と輝きを増した。


「僕の叔父さんは、おそらくその細菌による病で腕を切り落としました。僕の力でそういう人を救えるなら……やりたいです。」


机から身を乗り出すレオンの声には、これまでにない力強さが宿っていた。


「直接戦うことができないとしても、僕の力が戦うみんなの役に立てることを証明したい!」


その言葉に、フィオナは満足そうに微笑んだ。


「わかった。一緒にやろう、レオン。」


そうして二人は、世界を変えるかもしれない開発を行うことにしたのだった。




春の花々が次々と咲き乱れ、虫たちが活発に動き出す季節になった。小さな魔女の家で、レオンは新たな目標に向かい、忙しい日々を送っていた。フィオナの指導のもと、生物実験に関する専門書を読み、必要な知識を身につけることに集中している。


夜、ランプの光の下でノートに書き込みを続けるレオンは、ふとペンを走らせるのを止めた。彼の心には温かな感情がじんわりと広がっていた。


(ハズレ魔女......いや、フィオナさんは僕の異能を馬鹿にしなかった。そして、僕が本当はやりたくないと思っていたパン作りや紅茶作りも命じなかった。僕は、そのための道具みたいに扱われるんだと思っていたのに……)


彼女の変わり者ぶりには驚かされることも多いが、彼女が真剣に自分の力を信じ、騎士になる道を一緒に探そうとしてくれることに、レオンは深い感謝を覚えた。


(彼女は……優しい人だ。)


レオンの心の中に新たな光が灯る。それは、彼のこれまでの暗い日々では失われていたものだった。彼は大きく息を吐くと、再度専門書と格闘し始めた。




フィオナとレオンが市場や街を回って買い集めたものは、どれも一見奇妙なものばかりだった。大量の海藻、ジャガイモ、コーンスターチ、砂糖、温度と湿度を保つ小倉庫、ふたつきの透明な丸い入れ物、密閉空間に高温加圧を与える圧縮機、密封できるガラス瓶、それに大きなバスタブいくつか。その他にも、さまざまな実験器具が揃えられた。


「これ全部、何に使うんですか?」


レオンは不思議そうにフィオナに訪ね、得られた答えを一つ一つノートに書き取った。彼の知らないことばかりだった。レオンはフィオナと協力して実験の準備を進めていった。




用意が全て整う頃、季節は初夏になった。この地方の温暖だが暑過ぎない気温と適度な湿度は、フィオナの考える条件にぴったりだった。フィオナとレオンは、最初にさまざまな食品を保存庫で保存し、カビを生やし始めた。もちろん、地球の史実に従ってメロンのような果物も使う。レオンはその果物が大好物らしく、もの欲しそうに見る彼のために、フィオナはその半分をカビさせる前に彼に切ってやった。


「……冷たくて美味しい!」


弓形に切られた果物を口いっぱい頬張るレオンの笑顔は、本当に子犬のように無邪気で、フィオナは思わず口に手を当てて吹き出した。


「な、なんですか!」


むくれるレオンを見て、フィオナは笑いながら答えた。


「なんでもないよ。」


増えた多種多様なカビを前に、フィオナは異能でペニシリンGを「標識」する作業に取り掛かった。彼女の異能「標識」は、フィオナが名前を知っているものであれば、なんでも標識することができる。つまり、この中に、ペニシリンGが標識されるカビがあれば、それが当たりのカビということだ。


何回目の挑戦で、ついに微量のペニシリンGを産生している株を同定した。それをピックアップして寒天培地でコロニーを作らせた後、ジャガイモから作った培地で大量に培養する。この過程にはレオンの「発酵」の異能が大いに活躍した。



もちろん、この「騎士作戦」、一筋縄でいったわけではない。


「失敗しました……。」


レオンが落ち込んだ表情で肩を起こしてフィオナに報告することも多かった。異能を使いこなせず、試料をダメにしてしまうことや、他の菌が混ざり込んでやり直しを迫られることもあった。


「いいレオン。一個ずつ、勉強して、仮説を立てて、実験して、検証するんだよ。一個ずつだよ。」


フィオナは優しく彼の背中を撫でて励ましながら、次の実験への希望を示した。


レオンとフィオナは一つ一つ問題を解決していき、ついに最適な培養条件を見つけ、より収量の大きい菌株を特定することにも成功した。


培養した青黴からのペニシリンGの抽出精製には、フィオナの異能を使った。フィオナの異能は、さらに標識対象に()()()標識をつけることができるーーーという長所があった。好きな標識ーーーたとえば、金属の微小なビーズを使って標識すれば、磁石を使うだけで簡単に目的の物質を取り出すことができる。これは、地球での生物学研究の技術の応用として、フィオナが昔思いついたことだった。フィオナはこの異能を用いてペニシリンGを磁性金属で「標識」し、そして、清潔な瓶に磁石で吊り上げることに成功した。



そして夏本番が過ぎ、秋が過ぎ......北風一番が辺境の街に吹き始める頃、ついに十分なペニシリンGが完成した。フィオナとレオンは、細菌感染を起こしている動物に投与する実験を行った。耳の傷から発熱していたウサギにペニシリンGを投与し、その発熱が治って元気に回復するのを目にしたレオンは、思わず天に向けてガッツポーズをした。それを微笑ましく思いながら、フィオナはその結果をペンでレポートに記載した。




そしてある晴れた冬の日の朝、フィオナはレオンに完成したペニシリンGの瓶と実験レポートの入ったカバンを手渡して言った。


「これは君の異能なしでは決してできなかったことだよ。おめでとう。そして、一番大事なことだけれど、決して私のことは王都で言及しないでね。」


「はい、承知しています......でも、それはどうしてなのか聞いてもいいですか?フィオナさんは素晴らしい魔女です。これがあなたの業績でもあると、みんなに知られてほしいと僕は思うんですけど......」


レオンが戸惑って下を向きながら尋ねると、フィオナはニヤリとして答えた。


「標識の魔女は、ただのハズレ魔女でいいの。これは君がやったことにしなさい。君が騎士になるための功績なんだから。」


レオンはその言葉に納得できないながらも、こくりと頷きを返した。そして、分厚いコートを着ると、フィオナに見送られながら、王都に向かう馬車へと乗り込んだ。


「行っておいで、レオン。君ならきっと騎士として認められる。」


フィオナは、彼を見送りながら、心の中でそう呟いた。そして家の扉を閉めると、冷えた手を擦り合わせながら、可愛い子犬のための「騎士作戦」ですっからかんになった財布を補充する金策を立て始めた。

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