表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

第2章 意外とうまくいく二人

春も中頃になると、辺境でも凍えるような日は減ってくる。積もった雪が日差しに照らされてキラキラと輝く、そんな日も増えてきた。レオンは、命令通り魔女の監視任務に当たっていた。忙しく実験する彼女の後ろ姿を、そっと見る。どんな無茶な恐ろしい命令をされるのか......と最初怯えていたレオンは、何も言われないまま月日が経つにつれて、理解した。


ハズレ魔女は、僕に関心がなく、そして......生活能力も、全く、ない。


毎日ご飯も食べずに実験に没頭し、ソファで寝落ちするのが彼女の日常。レオンがそう気がついてしまってから、二人の関係は少しずつ変化していった。



「あのっ…お腹、空きませんか?」


ある日の昼下がり、フィオナが分厚いゴーグルをかけ、白衣を着たまま机に向かっていたとき、背後からレオンの控えめな声が聞こえてきた。


「そうだね……。気がついたら昼を大分過ぎてたわ。何かお腹に入れるか......」


フィオナは手を止めて顔を上げた。レオンは既に手際よくハムと卵でライ麦のサンドイッチを作り、皿に並べて両手で彼女の前に差し出していた。


「下の兄弟たちが多かったので、世話は慣れているんです。よかったら......。」


その言葉にフィオナは少し驚いたようにレオンを見て、そしてどこか安堵を覚えた。この少年はただの監視役ではなく、どこか家庭的な温かさを持っているようだった。


「ありがとね。」


短く感謝を伝え、フィオナはゴーグルを外し白衣を脱いだ。手を洗い、差し出されたサンドイッチを手に取って一口かじる。その温かさと柔らかい味に、思わず微笑みが浮かんだ。


レオンは思いがけず目にしたフィオナの微笑みに、思わず皿を取り落としそうになって、慌てて持ち直した。それからは、ソファで寝落ちたフィオナにため息をついて布団をかけたり、寝ぼけたフィオナの代わりに来客に対応するレオンの姿がたびたび見られるようになる。




穏やかな日々の中でも、フィオナは時折レオンの表情に影が差す瞬間を目にしていた。窓際でぼんやりと外の景色を眺めている彼の姿は、どこか苦しげで寂しげだった。


(かわいそうに、まだ若いのに……やっぱり嫌だよね、この任務は。)


彼女はそう思いつつも、無理に理由を尋ねることはなかった。ただ、その沈黙の中に彼が抱えるものがあるのだと理解していた。




ある夜も、レオンが夕食を用意してくれた。街で買ってきたものを中心に、きれいに皿に盛りつけて温められ、テーブルを彩っている。色とりどりの野菜たちのサラダや、湯気の出る美味しそうなスープを見て、席についたフィオナは感嘆した。


「君は小さいのに本当に立派だね......。」


「小さくはありません。15歳ですから。」


向かいに座るレオンから大真面目に返事が返ってきて、フィオナは、その内容に目を丸くした。


「15歳!?本気で言ってる?」


レオンは恥ずかしそうにうなずく。


「はい。異能を判定して、騎士見習いとして任命されたばかりです。」


「なんてこと……私より3つも年下……」


フィオナはため息をつきながらも、その目にはどこか母性的な優しさが宿っていた。この世界では、15歳で全員に異能が覚醒し、一人前として扱われる。だが目の前のレオンは、正直に言って子犬のような存在にしか見えなかった。


(この子犬は、私がお姉さんとしてしっかり守ってあげなきゃいけないのだわ……)


フィオナはそう決意を固めた。




暖かい春の日差しに少しずつ雪が溶け始めた。レオンとフィオナは、連れ立って生活の必要物資を買いに街の市場を訪れることになった。面倒がって家に訪れる悪質な行商で用事を済ませようとするフィオナを、レオンが無理やり連れ出したのだ。フィオナはぶつぶつ言いながらも、大人しくレオンに従った。子犬には逆らえない。


開かれた春の市場は色とりどりの花々で溢れていた。店頭には新鮮な野菜や果物が籠に盛られ、暖かな太陽の光を受けて輝いている。レオンとフィオナは、レオンは主に食料品と生活必需品を、フィオナは実験に使うものを求めて春の市場を巡った。フィオナは古本屋で向こうみずにも大量の本を購入し、それを両手に持ってふらふらと歩き出した。見るに見かねたレオンが、その袋に手を伸ばす。


「僕持ちます。こう見えて力はあるんです。」


「大丈夫、私は魔女ですよ。これくらいの荷物、どうってことないもん。」


「でも、女性にものを持たせるなって父様が……!」


二人の軽い口論は春の暖かな風に乗り、市場にいる人々を和ませた。



二人は夕方までかかって全ての用事を済ませ、魔女の小さな家に帰ろうとしていた。お昼までは晴れ間も出ていたのに、この時期は夕方になるとまだまだ冷え込む。加えて空模様も、怪しくなってきていた。


「フィオナさん、雨が降りそうです。早く帰りましょう。」


そう言って空を見たレオンの声を途中で遮るように、男の大きな声と、ものがぶつかるような大きな音が響いた。


「なんだとゴラァ!」


驚いて二人が音の方向を向けば、別の男が投げ飛ばされ、市場のテントにぶつかって、また大きな物音を立てた。男たちが盛大に喧嘩を始めたようだった。


「やれやれ、またあいつらか。結局最後には仲良く酒盛りするくせに、よくやるよ。」


フィオナは、見慣れた市場の光景にやれやれと首を振りながらレオンに説明するように言った。そのままレオンの方を見ると、レオンはその光景を見たまま緊張したように全身をこわばらせている。フィオナはそれを見て、彼の背を押し、そっとその場を離れるように促した。


「行こう。こんなところにいても仕方ないよ。」


「……はい。」


彼女の声に従いながら、レオンはどこか沈んだ表情を浮かべて俯いていた。曇り空からは、その重さに耐えきれないようにポツポツと雫が落ちてきていた。




その日の夕食は、通常よりとても静かなものとなった。あの時から、レオンの口数は明らかに少ない。外のザアザアという雨の音と、食器の音だけが、小さな家の中に響いていた。いつもより少なめの食事を終えたレオンが、覚悟を決めたかように向かいのフィオナを見て静かに切り出した。


「……あなたは聞いてこないけど、伝えなければならないことがあります。」


フィオナは食事の手を止めて、レオンの方を見た。レオンは俯いて、膝を強く握りしめていた。


「僕の異能は……『発酵』です。」


その言葉に、フィオナは一瞬眉をひそめた。


「発酵?それは……どんな異能なの?」


「パンを膨らませたり、お酒を作るのに役に立つ力……らしいです。」


その説明にフィオナは特に興味を示さず、軽く肩をすくめて食事を再開した。


「ふーん。それで?」


だが、レオンの情緒はもう限界だった。目には涙が滲み、声が震える。


「あ、あなたもそうやって僕を馬鹿にするんですか......!僕は、本当は父さんや兄さんたちみたいに、戦うための力が欲しかったんです……。さっきの喧嘩だって、戦う力があれば、僕がなんとかできたかもしれない。僕はそういう人になりたかった、パン屋になりたかったわけでも、酒屋になりたかったわけでもない!どうして神様は僕にこんな能力を寄越したんだ……!」


彼の声が震え、食卓の上に涙が落ちる。その姿を前に、フィオナは初めて彼の本心に触れたような気がした。そしてこの少年もまた、自分と同じように異能で人生を狂わされた一人だったのか......。


レオンは沈んだ目でテーブルの木目を見つめながら、ポツポツと自分の過去を語り始めた。


「......ぼ、僕の生まれたファーウッド家は古くからの騎士の家系なんです。祖父も、父も、兄たちも立派な戦闘向きの異能を授かっていて、騎士として国に仕えている。僕も15歳になったら、きっと戦いに向いた異能を覚醒するって、ずっと信じていたんです。」


フィオナは食器をテーブルに置き、無言で相槌を打ちながら彼の話を聞いた。


「剣術か、槍術か、それとも体力か……どんな異能が来るんだろうって、ずっとワクワクしていた。でも、僕の異能は『発酵』だった。」


レオンはその言葉を吐き出すように言った。


「家族は笑って慰めてくれました。『美味しいパンが焼けるぞ』なんて。でも、それが僕がやりたかったことじゃないのは、みんな分かっていたんです。」


彼の声には悔しさと諦めが入り混じっていた。


「幼い頃から婚約していた相手には、婚約破棄を突きつけられました。『発酵』なんて異能を持つ男との結婚なんて......恥だと言われました。」


フィオナは眉をひそめた。その表情には怒りと憐憫が浮かんでいる。


「戦えない僕を見かねた家族が心配してくれたのは分かります。でも、彼らも本心では僕にどうしていいか分からなかったんだと思う。だから、この『ハズレ魔女』の監視任務が与えられたんです。」


レオンの言葉は次第に苦しげになっていった。


「お父様には、もしこの任務で騎士に相応しい業績を上げられたら、騎士になれる可能性があるって言われました。でも、それがどれだけ現実的でないことか、みんな分かっていたはずです。」


彼の目元から溢れた涙がこぼれ落ちた。


黙って聞いていたフィオナは、彼にそっとしわくちゃのハンカチを差し出した。そして、慎重に言葉を選びながら話し始めた。


「......まだほんの少し一緒に過ごしただけだけど、君は騎士に相応しい心の持ち主だと思うよ。」


レオンは驚いたように涙に濡れた顔を上げた。


「体を鍛える訓練も、武器を扱う訓練も、朝早くから毎日欠かさずやっているの、私はちゃんと知ってる。君はこの状況にやさぐれたりせず、真摯に任務にあたっている。私が困っていたらいつも力になろうとしてくれている。それは異能がどうこうって関係ない、君の持っている財産でしょ。君は騎士に、きっとなれるよ。」


フィオナの言葉に、潤んだレオンの目が少しだけ輝きを取り戻したように見えた。


「でも……一体どうすれば?僕がこの環境で騎士に相応しいと皆に認めさせるには、どうしたらいいんですか?」


その問いを発するレオンの声は震えていた。まるで小さな子犬が怯えながら必死に助けを求めているかのようだ。


フィオナは微笑みながら言った。


「大変だけど……いっぱい勉強して、仮説を立てて、実験して、検証するの。一つずつそれを繰り返すの。そこで得たことが、君の中で確実に力になっていくのよ。」


レオンは少し首を傾げ、フィオナの不思議な言葉を理解しようと考え込む。その姿がまた愛らしく、フィオナは思わず口元に笑みを浮かべた。


(この子犬、なんとしても助けてあげたくなっちゃった。)


フィオナはそう決意したのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ