気持ちの良い眠り方を知っているかい?
ーー自殺がダメって言うのはね。
残された人が大変だからだよ。
部屋で死ねば事件性の有無のために警察を呼ばなければならないし、建物は事故物件になる。
汚れをいくらキレイに落としても同居してる人は、人が死んでいたと意識せざるえなくなり、少なからずのストレスを抱える事になるだろ?
死亡診断書や証明や火葬許可証の手続き、身の回りの私物があるならその処分。
後は保健やスマホなど、契約しているもろもろの解約。
知人など交流のあった人物に、最低限でも亡くなったことを伝える連絡など。
面倒くさいことこの上ないから、自殺はダメだと人は言う。
生きているより死んだ方が迷惑なんだろう。
生まれる事を選べなければ死ぬ事まで自由に出来ないなんて、人とは不自由極まりないと哀しく思うよ。
もし身元不明だった場合は、身元の特定や遺体の処遇まで考えなくちゃならない。
電車にしろ車にしろ飛び出しての自殺なら、交通障害の他に残された人に賠償やら何やらがあり、誰かはグロテスクに身体が折れ曲がり血の出る死体を見なければいけない。
飛び下りも同様で下に人が居れば巻き込み、水辺であれば濡れて、日が経てばブヨブヨの状態の物に触れなくちゃならない。
首つりも同様に硬直が解けた後のゴム人形みたいになった身体は、ただただ不快でしかないだろう。
練炭や睡眠薬を使わない服毒自殺も、苦しみ藻掻いて口元が歪んで汚れた顔を誰が見たいのだろう?
個人的な見解では男性の九割、女性の七割が不細工だというのに、更に醜い顔面を誰が有り難がって拝むというのか?
その上、死臭を周囲にまき散らしていたら最悪だ。
物が無くなっても死臭は残り、鼻の奥にもこびり付く。
甚だ自殺は迷惑で処理が面倒くさいから、皆は自殺はダメだと言う。
しかし、自殺したいのだから死んだ後のことなんて知ったことか、だ。
生きる意味も持たないなら死んでるのと変わらないだろ? この先幸せの無い人生と分かっているなら、死んでも変わらないはずなのに生きろと言う。
そんな人は今も勝手に救った気になって、命を捨てるのは良くないと説教をくれて、未来も約束してくれない奴が、勝手に人の苦しみを引き延ばさないで欲しいとつくづく思う。
苦しみと不安しか見えない道行きなら、いっそ救いを求めてしまっても仕方ないだろ?
もし自殺を止めたいなら、動く両手脚と噛み切る舌先を切除するか、自殺がダメと言うなら他殺で殺してくれたら良い。
そうやって手を染めたくないし、事後処理が嫌な人が倫理観を持ち出して、自殺はダメだと言うのだと思う。
正しさを振りかざすのは気持ち良いから、説得する自分に酔っているから止めるのだ。
そして響かないとなると叫んだり、最悪話を聞いてるのか、死ぬのはダメなんだと怒りもする。
怒るくらいなら放っておいてくれたら良いのに、自分の正しさを貫くために説得する声を荒らげる。
実に迷惑だ。煩わしい。
心から温度が抜け落ちているからより死が救いで温かく感じるというのに放っておいてくれない。
けれど毎日一番気持ちが良い眠り方が出来るなら、少し考えなくも無い。
生きている内で一番気持ち良い眠りとは、気絶した時ーーふわふわした感覚だけが全部で、何にも聞こえなくて、何にも考えて無い眠りだ。
疲れた寝落ちよりも、授業中の居眠りよりも、母親に抱かれていた頃よりも、ずっと幸せな眠り。
身体も思考も溶けて、全てが優しい感覚ーー人は中々意図して気絶が出来ない。
苦しみながらではダメ。
立ちくらみの様な不意の気絶でなければ。
それでも立ちくらみは意識が残ると最悪だ。
ドラマで観る一人称視点の様に床に倒れ、思考はしないけれどカメラが回り続ける感覚に、身を起こさなければならない倦怠感を伴ってしまう。
それこそ予期せぬ事故で、一瞬にして意識を刈り取られないといけない。無自覚でなければいけない。
痛みを伴って意識を失ったり、麻酔で徐々に落ちていくのもダメ。
スマホの電源や電気のスイッチを切るように、瞬間的に訪れる気絶じゃないと気持ち良くない。
直前の苦しみや感覚は不要。
そして睡眠薬もいただけない。
深い眠りにつきたいのではなく、ふわふわとした感覚を伴わなければ無意味だ。
時間はこの気持ちをどうにかしてはくれない。
「何も変わっていない。白い雲と青い空の下、青い稲が揺れてセロリの香り漂う畑。それから陽射しは強いが空気は冷たく、ブドウ畑から甘い香りがしても、生きる気力が湧くことはなかった……」
考えてみると元より死にたいと願うのだから当然だった。
やはり一番気持ち良い眠りについたまま、意識が溶けるように眠りたい。
自分を呼ぶ声が煩わしいと思う様な……白でも黒でも無い空白の中で微睡むのが一番気持ちが良い。
それを叶えてくれるなら死んではいけないと言う言葉を聞き、ここまで愚痴を口にしてきたが生きる事も考えてあげよう。