神殿、そして守護者
三人は神殿の中へ入った。神殿の中は昼であるというのに薄暗い。石造りで窓がなく、壁にかけられた微かな明かりだけが頼りだ。みきたちの目の前には長い渡り廊下があって、そのつきあたりであるらしい場所にうっすらと誰かほっそりとした影が立っているのが見えた。
「く、くくく……」
明かりを頼りに長い渡り廊下を歩いていると、途中で突然エティムが立ち止まり、笑いを吹き出すのを耐えるように小さく肩を震わせた。ジュトとみきが訝し気に、あるいは戸惑いつつも立ち止まる。
エティムは笑いを押し殺しながらジュトに振り返った。
「総領主さまが直々に調査をしてくださったって?」
「ああ言われたら、ああ言い返すしかないだろ」
小さなヒソヒソ声で話されたそれに、ジュトが同じく声を抑えて難しい顔つきで返す。
「おかしかったか」
「いいや、良いアイディアだったと思う。……それよりお前がそういう嘘をつくのが面白くて」
「そうか……?」
少年2名が声を潜めながら話をしているのを傍に聞いて、一番後ろを歩いていたみきは戸惑いがちにあの、と二人に声をかけた。
二人はみきを見る。二人がぼそぼそとした声で喋っているものだから、彼らにきっと合わせるべきなのだろうと、彼女もまた小さな声で話しかけた。
「2人ってその。……えらい人、なの?」
みきがそう問いかけると、彼らはふとそれぞれの顔を見合わせた。それからみきの方を再び見て、エティムはニッといたずらっぽく微笑んで、ジュトは表情は変えず不愛想な顔で小さく頷いた。
「まあちょっとは」と、エティムが。
「……少しは」ジュトは無邪気に言う褐色の少年を一瞬怪訝そうな眼つきで盗み見て、一拍置いて彼に倣うように答えた。
みきの問いかけに答えてから、そこでずっとここで立ち止まっているのは、と、少年たちは歩みを再開した。石で敷かれた廊下に2人分の足音がこだまする。みきはその後ろ姿を唖然として立ち止まってまま見つめて、それからはっと気が付いて慌てて二人の後を追った。みきは内心ひどく興奮していたのだった。すごい人たちについてきちゃったんだ。一人心の中で呟いて足取りが軽くなる。
魔法のある世界に、その国の偉い身分の子どもが2人。そしてそんな2人についていく自分。みきは目を輝かせた。――映画じゃん、これ……!
*
三人が廊下の突き当りまでいくと、少し開けた場所に出た。左には小部屋に続く廊下が、右には階段へ続く廊下が見える。三人が歩いてきた中央の突き当りには長く黒いローブを着た女が待っていたかのように扉を背にしてその場に佇んでいた。
ローブは頭まで深く被っており、その姿は尼僧のように見えた。静謐さを備えた佇まいで、何の刺繍も柄もない地味な黒いローブであるにも関わらず、非常に上品に見えた。
女は微かな光に照らされた三人の姿を見つめると、目を閉じて恭しく頭を下げた。
エティムがそれに手を軽く上げてそれを制し、女が顔をあげる。
「ご案内いたします」
女はそう言うと、身を翻して美しい所作で階段の方へと歩いた。それにエティムたちが続く。
微かな明かりが階段の段差を照らして、それを頼りに慎重に歩く。階段の踊り場を曲がり、再び段差を上がって薄暗い廊下を歩く。それはみきのいた小学校の階段を蜂起させたが、それでもあれよりはここの階段の方がずっと狭かったし、人工的な照明がないために学校よりも暗い。空気には重厚さが満ちていて、みきは少しだけ怖く感じた。
それから廊下を少しだけ歩くと途中で女は止まった。右手側には木製の素朴な扉が1つ。
「こちらでございます」
女はそう言うと再びエティムに向かって一礼をして、それから扉を軽くノックした。部屋の中から低くしわがれた声がした。
「お入りください」
女が扉を開く。きい、と鳴る木製の扉がみきの心に妙な緊張感をもたらした。
三人が扉の先へ進むと、そこには腰の曲がった質の良い白いローブを着こんだ老婆と、近くには椅子が、奧には石で作られた祭壇に、美しく黄金の光を放つ、両手で持つことができるくらいの大きさの丸い珠が置かれていた。
老婆は皺だらけの顔で杖を突いており、厳格そうな顔つきをしていた。赤い瞳は少し白く淀んで、しかしその目からは優しさを湛えているように見えた。老婆はエティムたちの気配を認めるとその重く固そうな体をさらに曲げようと頭を下げた。
「お久しゅうございます。公主様」
「守護者さま」
老婆のその姿に慌ててエティムが傍に駆け寄る。
「お待ち申し上げておりました……」
「楽にしてください。その姿で無理をされてはいけない」
エティムは老婆の体に手を回して支えると、老婆のすぐ近くにあった椅子に座るようすすめた。老婆は公主様の前にそのようなことは、と首を振るが、エティムはそうしてくれないとこちらが困る、と懇願して座るように頼んだ。
みきもエティムも手伝おうと足を進めて――、というところでジュトに止められた。ジュトはみきを咎めるように小さく首を振って、
「僕たちはここにいたほうが良い」
と言って、入り口の近くに立ったまま動かなかった。みきは少しシュンと落ち込んで、しかしジュトに倣ってその場を動かないようにした。二人で老婆とエティムの動きを見守る。
「総領主様のご子息様にそのような無礼なことは……」
「気にしないでほしい。公式の訪問ではないのだし。こちらから見せてほしいと頼んだのだから」
さあ、とエティムが促して、ついに老婆は彼に折れたようだった。老婆は恐れ多いと俯いていたが、ありがたきお言葉にございますと椅子に座った。エティムは椅子に座る老婆に合わせるようにして膝を折る。
「すっかりご立派になられて」
老婆は優しい眼差しでエティムの顔がある方――こう書いたのは、老婆にはあまり目が見えていないようだったからだ――を向いた。それにエティムが困ったように微笑み返す。少し気まずそうに目が泳ぎ、それから視線はふと宝珠の方へと向いた。
「あの宝珠も懐かしいな」
部屋の壁際にある白い石の台座。意匠の凝った荘厳な彫刻が彫られたその上には珠を支える柔らかな綿入りの布。そしてそれに被さって黄金の輝きが宝珠から放たれている。両手で持っても溢れそうな大きさの球体。
みきもエティムと同じようにその宝珠を見つめていた。あんなに美しい、自発的に輝く水晶玉は見たことがない。見つめながら、無意識にきれいと、言葉が漏れていた。ジュトもまたその輝きを静かに見つめている。
「前にいらしたときはまだお小さくていらっしゃいましたね」
「ああ、そうだった……。たしかに一見異常はなさそうだが」
「ええ、私どもの方でも確認はいたしましたが……」
エティムは宝珠をじっと見据えた。懐かしい輝き。ただ、あの頃と比べて何かが違うと彼は直感的に感じていた。――何か、足りないような気がする。
エティムは立ち上がった。老婆に宝珠へ近づいてもよいか伝えると老婆は優しく頷いて許し、少年は台座の近くへ寄った。宝珠をじっと見据えて、やはり何事かおかしい気配を確認すると、老婆の方へ振り返った。
「守護者さま、触ってもいいだろうか」
「公主様」
エティムの声にジュトが諫める。宝珠は国だけではない。この世界の宝だ。それを公主とはいえ気軽に触るというのは……。
しかしそうしたジュトの言葉に対して老婆は好意的で、かまいませんよと微笑んで答えた。
「気になることがあるのでございましょう。どうぞ触れて確かめてくださいませ」
こう言われてはジュトも口を噤むしかなかった。ありがとう、エティムは老婆に会釈して、それから老婆には見えない角度でジュトに対してウィンクをした。呆れたようにジュトが肩をすくめる。
エティムは眼前に溢れるばかりの金の光に対峙した。一見何も問題のないように見える珠。しかし世界は明らかにおかしくなりつつある。これまでも不作はあった。しかしそれはほんの一時のものであって、すぐにまた収穫の量は復活したのだ。それが近頃はじわじわと収穫量が減ってきている。作物やそれに連なる副産物は少しずつではあるが値が上がり続け……それがもう数年続いている。さきほど感じた違和感といい、宝珠に問題なくしてどこに問題があるというのか。少年は慎重な手つきで宝珠に手を近づけた。
エティムが宝珠に触れたその次の瞬間。エティムは金の光に腕を強く掴まれた気配があった。息つく間もなく、そのまま彼の精神は宝珠の中へ抵抗できない力へ引かれる。
――引きずり込まれる!
「公主様!」
「エティム!」
後ろから二人の驚愕に包まれた悲鳴が聞こえてくる。それにエティムは返してやることもできず中へ引きこまれた。
エティムの体は宝珠の金色の光にくるまれて、その次の瞬間には姿ごと光の中へ消えてしまった。後には宝珠だけがなにごともなかったかのように光を湛えていたのだった。
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