塔への道
三人は南西へと向かった。歩いているうちに草原から平野になり、さらに十分ほど南へ進んでいくと小さな森にぶつかった。そこから上り坂になっているようだ。この森を抜ければ塔に着くのだろう。森の中の道は整備されていた。木陰の中、三人の頭上で緑が揺れる。道中で魔獣に出くわすことはなかった。
そういえば、みきのいた世界ではまだ新緑は芽生えていなかった。少し寒いのは確かだが、みきのいた世界に比べればまだ涼しいくらいだ。草原といい、木々に生えている青々とした葉といい、この世界の季節はもう冬を越しているのかもしれない。下を見れば蟻やダンゴムシのような小さな虫が地面のあちらこちらに這っているのが見えた。
三人は歩きながらいろいろなことを話した。みきのいた世界の話や、ここがどんな場所であるのか。
この世界には二つの国があるらしい。国は西と東で分かれていて、世界の西側の国を『デラ』、東側の国を『エウルブ』という。デラには赤い瞳を持つ住民たちが暮らしていて、逆にエウルブには青い瞳を持つ住民が暮らしている。住民たちはこの二つの国を各々の住民の瞳の色から、それぞれを『赤の国』、『青の国』と呼んだ。
赤の国、青の国を問わず、この世界は四つの魔力で満ちている。一つは水の魔力、二つに地の魔力、三つに火の魔力、そして四つに風の魔力。
それら四つの魔力は昔それぞれの魔力を司る大精霊たちによって供給されていたが、今ではそれに連なる四つの宝珠が大精霊たちの代わりを務めている。宝珠が無事である限り、この世界の自然は脅かされることはないという。
宝珠は赤の国と青の国の離れの島々にそれぞれ二つずつ置かれ、そして守るために塔が建てられた。三人が今いるこの場所はまさにその離れの島の一つ――地の宝珠を祀っている島――であり、赤の国の最南東に位置する小さな島であった。みきが見たあの塔こそがその宝珠を守る塔だったのである。
「なんだかすごいところに来ちゃったなあ」みきがしみじみ感じ入って呟く。
「本当にファンタジーの世界って感じ」
「ファンタジー?」
「おとぎばなしの世界ってことだよ」
不思議そうに聞き返すエティムにみきが返す。
「私のいた世界には魔力とかないからさ」
「こっちからしたら、みきこそおとぎばなしの世界から来た人間なんだが」
エティムが苦笑する。それから、しかし少し同情するような視線をみきに寄こした。
「……強いんだな」
「えっ?……えへへ」
エティムが言ったその言葉の真意をみきははかりかねていた。一人で異世界に来たことは勇気のいることだと言いたいのだろうか。みきは一瞬キョトンと目を丸くさせて、それから軽く笑ってみせた。その笑顔を見て、エティムは少し違和感があるように目を若干細めたが、すぐにまた話を続けた。
「――しかし、最近様子がおかしくてな」
均された坂をしっかりとした足取りで歩いてゆく。
「おかしい?」
「うん。近年、国全体で作物の調子がよくない。地面の質が悪くなったという領地があれば、降水が格段に減った領地もあるという」
「それは大変だね……」
そう同情しつつも、みきにはあまりピンときていなかった。異世界には異世界の事情があるのだなあ、となんとなく少し他人行儀に聞いていた。そうだな、とエティムは少し表情を曇らせる。
「だから宝珠の様子を一度見たかったんだ。宝珠の守り手たちは宝珠に問題はないというけれど、俺たちも確認がしたい」
「なるほど……」
この世界の自然に関する枯渇問題は前にも一度あったようで、そのときはこの世界の聖女なる人物が解決させたという。聖女の名前をアミルと言った。
――聖女と同じことができるとは思わないが、それでもこの状況を何とか良くしたい。――それがこの少年の願いだった。
エティムはもともと社交的な性格のようだった。彼は若干状況を掴みきれていない様子のみきによく話してくれた。ジュトが魔獣からみきを助けて連れ出してくれたときはあまり喋らず、みきが話しかけても一言二言返すだけでそれ以上のことはなかった。
そのジュトはいえば、彼はみきとエティムのほんの少し後ろを歩いていた。左右を見渡して魔獣がいないかと警戒をしているようだ。エティムが時々ジュトに何か言葉をなげかけると、それに対して返事はするが、大体はああとか、そうだな、と愛想なく返事していた。歩いているときはいつもはあんな感じ、エティムがみきに耳打ちする。
「でも、すごく頼りになるんだ。腕もたつし」
そう言って無邪気に笑んでジュトを見るエティムの目からは、彼に対する憧れが表れているのがうかがえた。彼らはどういう関係なのだろう。みきは二人を見ながら内心そう思いつつ相槌をうつ。
「あたしが魔獣に襲われてたとき、彼は剣を使わなかったよ。蹴ってたもん」
「蹴りで?……最初悲鳴が聞こえたときにジュトは急いで走って行ったんだが、それでもよく蹴りで間に合ったな」
「あの魔獣は足を怪我していた。追いつくのは簡単だったさ」後ろからジュトの声がした。
「でも、アレ。あたしと同じくらいの背丈だったんだよ」みきが後ろを振り返る。
「そういえばアレでジュトは子どもって言ってたけど、本当に子どもだったの?」
「大人はアレよりもっと大きい」
「えええ……」
さらりと言ってのけたジュトにみきは呆れて言葉も出なかった。子どもであれぐらいなのならば、大人はどれほどなのだろうか……。
そういえば赤の国の住人は赤い瞳を持つと言っていたが、ジュトの瞳は黒かった。彼はどうなのだろうか。エティムにそれとなく聞いてみるとエティムは少し小首をかしげて、それから納得したようで、ああ、と声を発した。
「赤い瞳といっても人それぞれ色が濃淡があるからな。ジュトは黒が強いが、ちゃんと赤く見えるはずだぞ」
ジュトは少し珍しいタイプだけどな。そう付け加えて、エティムが後ろに向かってなあ、と言葉を投げかけると、ジュトはこちらを向いた。みきはその瞳をまじまじと観察する。
少し切れ長の黒い双眸。しかしよく見れば微かに、本当に点のようだが赤い光が見えたのだった。
三人がそうやって話していると、やがて森の出口が見えはじめた。まばゆい光が差し込む方へ出れば、そこにはみきが見ていたあの巨大な塔の入り口がすぐ近くに見えていた。
「わあ……」
みきはその光景に目を見張った。崖に近づく。
遠くにみきが歩いてきた道が、その奥にはみきが出てきたであろう森が見える。北西の方角には何か集落のようなものが、そしてその近くには海が見えた。日差しがあたって草が輝き、爽やかな風が一面を揺らしていく。ここまで美しい自然の景色をみきは旅行先でしか見たことがなかった。
「きれい……」
みきがその光景に見とれていると、エティムとジュトの足音が後ろに聞こえた。こっちだぞ、とエティムの声。みきが彼らの方を見ると、二人は塔の入り口には入らず、西へ歩いていく。西には白い建物が見えた。その後ろ手には木々があって、坂を上る前に建物が見えなかったのはそれが遮っていたためだったようだ。
「あれ?」みきは不思議に思って声をかけた。
「ねえ、塔はこっちじゃないの?」
「塔はいま無人なんだ」歩きながらエティムが大きな声で答える。
「宝珠はあそこに移ったんだよ」
そう言ってみきに見えるように、白い建物を向かって指し示した。みきは慌てて二人に追い付いて、それからその建物を見た。――四角い形の、塔よりもずっと低い、彫刻が彫られた白く美しい建物。それこそが二人が本来目指していた神殿であった。
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