少年たち
二人は草原を歩いた。あたたかな日差しに濃淡のある澄み渡った青。雲一つない空。みきが住んでいる地域よりも空気が綺麗で、心地よい。追われていたときには味わえなかった景色だった。
男の子は名前をジュトと言った。おおよそ日本人らしからぬ名前ではあったものの、彼の日本語は極めて流暢に感じられた。
歩きながら、みきはここはいったいどこなんだろうと考える。ここに着いたときは未知の世界の発見に浮かれて深く考えていなかったが、いざ冷静に考えてみると、ガレージの下にこんな広大な大地が広がっているとは到底思えない。夢でも見ているかのようだ。でも夢ではない。
――いや、ひょっとしたらやっぱり夢なのかも。でもこの歩いている感覚は随分とはっきりしているし、リアルすぎる。じゃあファンタジーの世界に来ちゃったとか?いやいや、なら普通日本語なんて喋らないはずだし……。
考えているとある考えが頭をよぎりあっ、と思わず小さく声を出す。
――テレビのドッキリかも。あのコウモリも魔獣もなにか仕掛けで動いていて、ジュトはみきを驚かすためのキャストかもしれない。
そう思考を巡らせていると、二人の歩いている方角から小さな人影が向こうにぽつんと見えた。歩いていくにつれて少しずつ明瞭に見えてきたその人は二人の姿を見つけると、おおいとこちらに向かって大きく手を振った。
「ジュト!」
少年が駆け寄ってくる。茶色の布に、白に金の美しい意匠がこらされた円形の大きなターバンのような、詰め物をした布を円形に整えた被り物を被っていて、その頭頂部からは胸の高さまで布が垂れている。コタルディ――身体にぴったりしている長袖付きの上着――を身にまとい、下半身には足の形にぴったり沿ったタイツを履いている。そして腰にはジュトと同じような細身の剣が差してあった。
衣服のそのどれもがジュトと同じように質の良い布が使われていることがわかるが、しかしやはりみきのいる現代には似つかわしくない衣装であった。
少年はニッカリと歯を見せて安堵の笑みを浮かべてジュトに近づくと、彼の肩に軽くその手を置いた。
「よかった、無事だったんだな」
「突然すまなかった」
「いいや、悲鳴が聞こえたのならすぐに行かないと。」
そう二人は話して、少年はそれからようやくジュトの後ろにいるみきの姿を視界に認めた。ひょいと顔を覗く彼にみきは照れくさそうに柔く微笑み返した。ジュトもみきの方を振り返る。
「彼女がさきほどの悲鳴の……?」
「そうだ」
「こ、こんにちわ」
二人に見られて少しはにかみながらみきは少年に話しかけた。それに彼も笑顔で返す。
「こんにちは」
ジュトと違って、こちらは中東にいそうな外国人の顔つきであった。浅黒い肌。被り物からひょっこり余り出ている金色の髪。ただし瞳の色は明瞭に赤い。明るいルビーのような瞳を持ったその少年は、しかしこちらも同じく滑らかな日本語でジュトと話していた。
「なにがあったんだ?」
「魔獣に追いかけられていた。子どもではあったのだが」
「それは大変だったな……」
頑張ったな、少年は優しくみきに言葉を投げかけた。そしてここにやって来てからいままでにみきが出会ってきた人たちと同じようにみきの服装をじっと眺める。
「しかし面白い服を着ているんだな。……旅の芸人とか?」
それにジュトが首を小さく振る。
「彼女は家の庭からこちらの近くの森へ穴を通じてやって来たんだそうだ」
「家の庭?それに穴って言うのは……」
「ああ。僕は彼女を異郷の人間だと思っている」
「異郷だって?それは……」少年はわずかに驚いた表情をした。それからみきを再び見て、今度は物珍そうな目線を寄こしてくる。
「それは、随分と珍しい……」
二人の会話の中でみきだけは話の意味を理解できずにいた。さきほどからコウモリが言っていたイキョウという言葉。自分の服を見たとき怪訝そうに眉を寄せたジュトに、物珍し気に見つめる少年の顔。いったい自分の何がそんなに珍しいのだろうか。イキョウってなによ。
みきはムムムと眉をひそめて、ねえ、と二人の会話に割って入った。
「イキョウイキョウって言うけれど、イキョウってなによ。私の住んでいるところはイキョウじゃなくて櫻木町だもん」
「サクラギ……?」聞き慣れない単語のように少年が聞き返してくる。
「そうだよ、A市の。ここだってA市なんでしょ?」
さも当然のように尋ねるみきに、少年たちは困ったように顔を見合わせた。彼女は何を言っているのだろう、というような。その顔を見て、みきもようやく本気で疑問を抱き始めた。喋るコウモリ。恐ろしい風貌をした猪。仕掛けにしてはあまりに出来すぎている。そしてそれを魔獣と呼んだ男の子に赤い瞳の少年。
それらはみきにとっては非常識なものであったが、テレビの番組でよくあるような、ドッキリみたいな壮大な仕掛けなのだとほぼ確信したのだ。まさか本当にここが異世界であるとは考えたことがなかった。みきは急に不安が押し寄せてきたのを感じた。
「えっと、一応聞くけどここは日本だよね……?」
みきがおそるおそる尋ねると、それに一瞬ジュトの眉が若干驚いたようにピクリと動いた。
「ニホン」
小さく繰り返した彼を、少年が気にかけてうん?と聞き返す。ジュトはすぐさまそれに対していいや、と短く答えたあと、みきを見つめて
「ここはそのニホンでもなければ、サクラギチョウでもない。……赤の国、南東の島の地の塔だ。」
次話11/25 10時投稿予定