ガレージ
玄関ドアが大きな音をたててしまった。外はまだ少し肌寒い。近所の庭先から大きな桜の大木の枝先に、花開く前の蕾をたくさんつけて、暖かくなる時期を今か今かと待ちわびているのが見えた。そこでうぐいすの鳴く声が聞こえた。
春がやってくるのはあともう少しなのだろう。みきはほっと両手に息を吐いて、手をすり合わせた。
みきと両親がこの町に引っ越してきてから、もう4年経つ。アパート暮らしであった両親の念願だったという一戸建て。父親の転勤がきっかけとなって、せっかくならば買ってしまおうかと二人は話していたらしい。それは一般的な一軒家であったけれど、初めて車内から見えた二階建ての屋根を見たとき、みきは思わず目を輝かせてすごいすごいと父親の肩を叩いて興奮したものであった。父は笑っていた。引っ越してきた時期もちょうどこのような天気だった。
「早いなあ……」
引っ越してきた当初を思い返して庭を歩く。
みきは来年小学校を卒業する。彼女は引っ越す前も引っ越した後も学校が好きだった。学校に行けば友だちに会える。好きな先生もいる。勉強も楽しい。20分の休み時間は毎回のように校庭を走りまわり、家に帰っても自転車を漕いで友人の家に遊びに行き、帰って夕飯を食べたあとは倒れるように寝た。苦手な子も先生もいるにはいるが、それが特別彼女の悩みの種になることはなかった。
小学校が楽しいだけに、来年の卒業はみきに大きな不安を生んだ。みきが卒業後に入学することになる中学校には彼女の親しい友人たちがいないことがわかったからだ。
休み時間に友人たちと進学先について話していた際にそれを知り、みきは驚いて声をあげた。
『えーっ、行かないの』
『うん、私の家からは遠いから』
『あたしも、親が進学校に行けって……』
それからどんな友人に聞いても結局みきと同じ学校に行くと言ったクラスメイトは見つからなかった。
「卒業するの、ヤだな」
俯いたままぽつんとそう呟いて、みきは家のガレージに着いた。中には赤い普通車が停まっている。父が仕事に行くのに使う愛車であった。ヘッドライトの枠がきりりとしていて、外装を見るたびにみきには目の鋭い意地悪そうな顔だと思っていた。その奥には父の愛用している工具箱などが置かれている。
(そういえば引っ越して最初にじっくり見たのがこのガレージだった)
みきは8歳だった当時の自分が父親に肩車をされてガレージの棚を見ている姿を錯覚した。背の低かった自分を、父親は肩に乗せて上まで見せてくれたのだった。
(懐かしい)
ノスタルジーに駆り立てられて、みきはガレージの中に入った。日の光の入っていない薄暗くて、少しだけ埃っぽい。大きなスパナに小さな錆が見えた。近頃の父はあまり工具を使っておらず、パソコンにむかっている日が多い。
みきが壁に掛かったプラスドライバーを取ろうとして……、それが指に当たって地面落ちて、拾い上げようと身を屈めたとき、隅に黒い大きな円を見た。
「なにあれ?」
落ちたドライバーを急いで取って壁に掛けて、みきは改めてじっとその円に近寄って身を屈めて見た。ちょうどみきくらいの子どもが一人入れるくらいの大きな穴。あのころこんな円形なんてあっただろうか。
円は黒くまるで穴でも開いているかのようだった。試しにみきが手を円に近づけて触ってみると、なんと円の中に入った。本当に穴なんだ、みきは少しどきどきして浅く穴に入れた手をぶらぶらと振ってみた。………何かに触れた感触はない。
(この穴の底はどうなっているんだろう)
みきがそう疑問に感じて、穴の中を覗こうと頭を近づけた。みきは穴について深そうとは思ったものの、そこまで深くないだろうとも思っていた。薄暗い中で穴があいているのだから中が暗いのだろうし、底はせいぜい家の床下収納くらいだろう…。
みきが底に手をつこうと深く手を入れた。その瞬間、みきは穴の深さが自分の肩まで入れてもたどり着かないことを悟った。
(あ、まずい)
そう思って反対の手で地面をつこうとあげたのも束の間、前屈していたみきの体はずるりと体勢を崩して、綺麗に穴の中に入っていってしまった。
「あっ……!!」
かすかな悲鳴を残して、少女の体は一瞬のうちに穴に飲み込まれた。
そして不思議なことに、みきが穴の中に入った瞬間にその穴自身もまるで最初からそこになかったように消えてしまったのである。
2022/11/14 17時頃 次話投稿予定