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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

悪役令嬢短編

乙女ゲームで国を滅ぼし悲劇をもたらす最強非道の悪役令嬢に転生したので、相棒の邪神様と救われない騎士様を救います




 打ち捨てられた、古い砦の一角。

 目の前で、鎧姿の青年が片膝を突いている。


 甘く端正な顔を凛々しく引き締めて、一分の隙もない完璧な騎士の礼。

 輝かしいその姿。

 それはまさに、おとぎ話の騎士様がそのまま現世にかたちを得たかのよう。


 数多の脅威を斬り伏せるうちにまとった戦塵でさえ、その輝きを曇らせることはできはしない。


「ブランシェ様」


 私の名を呼び、青年はこちらを見つめてくる。


 ドキリとしてしまうほどに、透き通った青い瞳。

 そこに込められた一途な想いを、胸に宿した誓いを知っているから。


 私は。

 私は、彼を――



   ***



 ――自分が将来、すべてを破滅に導く悪女になる運命にあることを思い出したのは10歳のときだった。


 私、ペロー公爵家令嬢ブランシェには、前世の記憶がある。


 その記憶のなかでハマっていた乙女ゲームで、主人公に敵対する人物こそがブランシェ=ペロー。


 私が転生したまさにその人だった。

 王妃になった彼女は握った権力を気ままに振るい、国を滅ぼし数多の悲劇をもたらした。





 そんな彼女に用意された結末はふたつ。


 主人公たちがハッピーエンドに辿り着けば、隣国である帝国の王子に討ち果たされる。

 バッドエンドに陥れば、ことごとく人々を血の海に沈める。


 それがブランシェに転生してしまった私の運命だ。





 だけど、そんな運命は嫌だ。

 殺すのも、殺されるのもまっぴらだ。


 だから、私はこの運命をくつがえすと決めた。





 さいわい、前世でこのゲームをやりこんでいた私は、これからどんな惨劇が起こるのかを知っている。

 前世の倫理観を持つのだから、ゲームのブランシェが幼い日に呑み込まれた残虐性を抑え込むことだってできる。


 悲劇を起こすのが自分の運命であるのなら。

 すべての悲劇を救うことで、きっと最後に待ち受ける死の運命も回避することができるはずだ。


 惨劇は起こさせない。

 絶対に。


 あの日、そう誓ったから。


 今日も自室でそのために考えを巡らせていた私は――天井を見上げると、ぽつりと呟いたのだった。





「やはり暴力……暴力はすべてを解決する」

「あの日の誓いはどこにいった……!?」





 愕然とした声があがり、考え事にふけっていた私はふと我に返った。


「あら? 私、声に出していたかしら」

「思いきりな……」


 頷いたのは、褐色の肌も艶やかな銀髪の美女だった。

 抜群のプロポーションを誇る肢体が、豪華でどこかエキゾチックなドレスに包まれている。


 年齢は20歳に届くか届かないかというところ。


 とはいえ、そんな見た目の年齢にあまり意味はない。

 なにせ彼女は、この世界で神様と崇められる存在のひと柱なのだから。


 実際、重力なんて知らないとばかりに宙に浮かんだ彼女には、捻じれた角とか、ドラゴンみたいな尾が生えている。


 名前はターリア。

 乙女ゲームの悪役令嬢ブランシェ=ペローが信奉し、彼女に祝福を与えた邪悪な女神であり――今は運命をくつがえすための、私の協力者にして相棒(パートナー)でもある。


 そんな彼女が、驚きを隠せない顔をこちらに向けていた。


「お前、己の運命を受け入れぬのではなかったのか」

「え? いきなりなに?」

「それはわらわの言葉だ。今、暴力がどうこうと言っておっただろうが」

「ああ……」


 古風な口調で尋ねてくるターリアの言葉を聞いて、ようやく合点がいった。


「さっきのは、そういう意味ではないわよ」

「だったら、どういう……?」

「良い質問ね、ターリア」


 怪訝そうな顔をするターリアに、私は機嫌よく返した。


「良いことを思いついたのよ」


 なにかを思い付いた瞬間というのは、とても気分がいいものだ。

 これは前世からの私の癖のようなものだった。


 その思い付いたことっていうのが、自分の運命をくつがえすための打開策であれば尚更だった。


「この世界では、人々は神の祝福を受けて力を得る。私がターリアに与えられた祝福は、とんでもない戦闘力と同時に残虐性を与えるものでしょう? まさにラスボスの祝福よね」

「らすぼす……はよくわからんが、その通りだな。わらわは『血と暴虐の女神』であるからにして」


 ゲームでブランシェは、主人公とその攻略対象者の前に立ち塞がる。

 あくまで公爵家の御令嬢……のちに王妃となる彼女は、歴戦の戦士や騎士というわけでもないにもかかわらず、最終段階まで鍛え上げた主人公たちと互角に刃を交わしていたのだ。


 それを可能にしたのが、邪神の祝福が与えた戦闘力だった。


 そして、同時に与えられた残虐性が、国を滅ぼすほどの非道を彼女に行わせた。


 これは、彼女に転生した私にとっても他人事じゃない。


「戦闘力はともかくとして、残虐性については大問題よね。実際、今朝はちょっとまずかったもの」


 今朝、若い侍女のひとりが食後のお茶を持ってきて、うっかりひっくり返してしまうハプニングがあったのだ。


 前世の記憶を取り戻すまでの私はわがままだったから、気の弱そうな彼女は緊張していたんだろう。

 自分のミスで私の服に小さく散った汚れを見て、平伏して謝罪した。


 そして、その怯える顔を見て――私は自分の胸のなかに、とてもイケナイ衝動が生まれるのを感じたのだった。


「危なかったわ。もう少しで、いじめてしまうところだったもの」


 そのときのことを思い出して、私は安堵の吐息をついた。


「さいわい、私の適切な対処により事なきを得たけれど」

「……もしかしてそれは、唐突にテーブルに頭突きかまして上のもの全部引っ繰り返したアレのことを言っているのではなかろうな。わらわが見る限り、全員ドン引きだったが」

「……適切な対処よ?」


 サッと目を逸らす私。

 あのあとちょっとした騒ぎになったので、さすがにやらかした自覚はあるのだ。


「緊急回避だったのだもの。仕方ないわ。実際、あれで意識がリセットされてくれたのだし」

「言いたいことはわかるが。にしても、ちょっと思い切りが良すぎるところがあろうよ」

「そんなことはないのよ? 本当よ?」


 前世でも、たまに似たようなことを言われたけれど。

 思い当たるふしはない。ないったらないのだ。


「それはともかくとして」


 コホンと咳ばらいをして、私は話を戻した。


「この性質についてはどうにかする必要があるわ」

「しかし、それは祝福の効果だ。取り除くことはできないぞ」

「……そうね」


 ターリアの言葉は正しい。


 実際に体験してみれば、否定なんてしようがない。


 端的に言ってしまえば……私は、サディストになってしまったということだ。

 それも、ともすれば国ひとつ滅ぼしてしまうほどに極め付きの。


「残念だけれど、事実は認めないといけないものね」

「……悪いが、わらわにも今更、祝福を取り上げることはできぬからな。どうしようもない」


 そう言うターリアはひどく申し訳なさそうな顔をしていた。


 この世界で神様は運命に従い、子供に祝福を授ける。

 これは神自身の意思とは関係のない、この世界の仕組みだ。


 なので、私にこの祝福を授けたのはターリアが悪いわけではないのだけれど、彼女は責任を感じているふしがあった。


 そういうところも、好ましくは思うのだけれど。

 もっとも、この場合は気にし過ぎと言うべきだろう。


「気にしないで。私は事実を認めるとは言ったけれど、諦めるとは言っていないわ」

「ふむ。というと?」

「どうしようもない、なんてことはないってこと」


 私は不敵に笑ってみせた。


「考えがあるの」



   ***



 そんなやりとりから数日が経った、とある昼下がりのことだ。


「ありがとうございます、お父様。私のわがままを聞いてくれて」

「いいんだよ、ブランシェ」


 私が感謝を伝えると、お父様は優しい微笑みを返してくれた。


 転生した私の――悪役令嬢ブランシェ=ペローのお父様。

 すらりとした長身の、いかにも貴族然とした柔らかい容貌の男性だ。


 顔が母親似できつい印象の私とはあんまり似ていないけれど、栗色の髪は共通している。

 こちらに向けられる優しい微笑みからは、お父様が私のことを深く愛してくれていることが伝わってきた。


 私も、そんなお父様のことが大好きだ。


 前世の記憶を思い出したとはいえ、肉親に対する感情が変わるわけじゃない。


 私の顔を覗き込むようにして、お父様が言った。


「これくらいのお願いに応えるのはなんてことないよ。私はいつだって、ブランシェの味方だからね」

「うん」

「だから、なにか悩みがあるならなんでも言いなさい」

「うん。……うん?」

「それじゃあ、ここで待っていなさい。先生を呼んでくるから」


 そういうと、お父様は行ってしまった。


 そのうしろ姿を見送って、私はため息をついた。


「……どうやらお父様は、最近、私の様子が変わったのにお気付きみたいね。前世の記憶を思い出したことは話してないのに。さすがに家族は敏感よね」

「いや。あれだけの奇行に走れば誰でも心配するのでは……」


 ターリアがぼそりと言った。


 ちなみに、神様である彼女は祝福を与えた私以外には姿が見えないので、いつでも一緒にいてくれている。

 協力者としては、とても心強い。


「しかし、どうしてあのような『願い事』を?」


 ターリアはそう尋ねてくると、私たちが今いる場所……王都にあるペロー公爵家の邸宅、その中庭を見回した。


 当然、こんなところにいるのは、私の『考え』――お父様にした『願い事』と関係があるわけで。


 よくぞ聞いてくれましたと、ニッコリ私はひとさし指を立ててみせた。


「問題は、脳内麻薬だと思うのよね」

「おっと。また令嬢らしからぬ単語が出たな」


 呆れた顔になるターリア。


 まあでも、話を聞いてくれれば納得してくれるはずだ。

 細かいことは気にしないことにして、話を続けることにする。


「邪神の祝福は残虐性を与えるわけでしょう。誰かを虐げたり、傷付けたりすることに快楽を感じるようになる……つまりは、残虐な行いに反応して、脳内麻薬が出るように脳みそをいじっているのではないかと思うのよ。エンドルフィンとか、そのあたりかしら」


 ひょっとしたら、ファンタジー的な別の物質があったりするのかもしれないけれど、同じことだ。


 私はトントンと自分の頭を指でつついてみせた。


「そうなると、対処するためには脳みそをこっちでもいじるのが一番てっとり早いわよね」

「怖い怖い怖い」


 自分の体を抱きしめるようにして震えるターリア。

 こんな祝福を与えておいて、邪神である彼女自身はこういったことに耐性はないらしい。


 まあ、嬉々とされても困るけれど。


「……まさかブランシェ。『いじる』つもりではあるまいな」

「ふふ。安心して頂戴。魔法的手段でそうなっているんだとして、私にはどうしようもないもの」


 別に私は、マッドなサイエンティストというわけではないのだ。


 安全ではない手段を使うつもりはなかった。


「自分の頭になにかするつもりはないわ。今のところはね」

「そうか。なら良かった。……待て。今のところはと言ったか?」

「とにかく、現状はできる手段でどうにかするしかないってことよ」


 ターリアはなにか引っかかったような顔をしていたけれど、サクサクと私は話を進める。


 本題はここからだからだ。


「となると、まっとうな手段でこの困った衝動を発散させる必要があるでしょう。そこで、ちょっと考えてみたのよ」

「その結果が『護身術を覚えたい』などと言い出したことに繋がるわけか」


 その通りと、私は大きく頷きを返した。


「暴力っていえば聞こえは悪いけれど、きちんとコントロールさえすれば、それはスポーツとか武術に昇華することができるわ。精神面での修養も期待できるわね」


 今の私は、普段のひらひらしたスカート姿から、汚れてもいいパンツスタイルに着替えている。

 フード付きの上着が可愛いのだ。


「もちろん、対症療法ではあるけれど、今はできることをすべきだと思うから」

「なるほどな」

「これが私の見つけた解決方法よ。どう? スマートでしょう?」

「ああ。そうだな。発想自体は」


 ターリアも賛同してくれた……のはいいのだけれど、その顔はなにか言いたげだった。


「あら? どうかした?」

「……いや。これで最初に『拳闘(ボクシング)を教われるようにお父様に相談してくるわ!』とか言い出さなければ、もっと良かったのにと思ってな」


 ……ああ。

 その件ね。


「悲しい事件だったわ……」

「おい主犯」

「いえ。反省していないわけではないのよ?」


 どうせなら体で直接感じられるモノのほうが効果が高いんじゃないかと思ったのだ。


 けれど、さすがに公爵家御令嬢が殴り合いはまずかったっぽい。


 お父様に頼みに行ったら、一緒にいたお母様が卒倒してしまったものね。

 悪いことをしてしまった。


「いえ。でも、ダンスの要素があるカポエイラあたりならアリなのではないかしら……? 前に、世界大会で優勝した女の子の動画を見たことがあるけれど、ぐるんぐるん縦に回ってアクロバティックな動きがとても格好良かったのよね」

「ブランシェよ。また母御殿が卒倒しそうなことを一生懸命考えているところ悪いが、来たようだぞ」


 そんな言葉に視線をやれば、向こうからお父様が人を連れてきているのが見えた。


 護身術を教えてくれる先生だろう。

 お父様と同じ年頃の男の人……と、あれ?


 子供?


 目を丸くして固まった私のもとに来たお父様が、隣の男性に話しかけた。


「紹介するよ、シルヴァン。娘のブランシェだ」

「はじめまして、ブランシェ様。私はシルヴァン=デュボア。デュボア公爵家の当主をしております」


 お父様が私を紹介すると、金髪碧眼の男性が挨拶をしてきた。


 けれど、私の目はそのうしろについてきた少年に釘付けだった。


 歳は私より少し年上……13か14歳くらいだろうか。


 男性と同じ金髪碧眼。

 凛々しい顔立ちに、すらりとした長身。


 意志の強い眼差しが、こちらを見つめ返している。


「こちらは息子のアルフレッドです。どうか仲良くしてやっていただきたい」


 男性が教えてくれるけれど、それを私はすでに知っていた。





 アルフレッド=デュボア。

 私が転生した乙女ゲームの登場人物にして――攻略対象者のひとり。


「はじめまして、ブランシェ様。アルフレッドと申します。どうかお見知りおきを」


 ゲームでは騎士の中の騎士と謳われていた青年の、まだ少年期の姿がそこにあった。



   ***



「……待って待って待って。ちょっと待って」


 挨拶をつつがなく終えた私は、準備をするお父様たちと少し距離を取ると口もとを押さえた。


「待って無理。これホント無理なんだけど」

「お、おい。どうした突然」


 ターリアが心配して顔を覗き込んでくる。

 なんだかんだで、私の相棒はとても優しいのだ。


 そんな彼女に、私は訴えかけた。


「だって……少年なのよ?」

「は?」


 金色の目を丸くする彼女に、声を抑えつつ興奮のまま言い募る。


「少年なの、あのアルフレッドが。ゲームでは落ち着いた年上の青年で、主人公を支えて揺らぐことのなかった、あの騎士様がよ? ……ダメ。ダメよ。ほら、体なんて見て頂戴。ちゃんと真面目に鍛錬してるから引き締まった体してるのに、体はまだできあがってないから華奢な感じもあって。いえ。10歳の今の私の目からするとそれもたくましく見えちゃうんだけど。ああもう。これは逆にダメなやつでしょう。世界の秩序が乱れているわ」

「ちょっと落ち付け。乱れているのはお前の心だ」


 相棒にツッコミを入れられて、ようやく興奮が収まってくる私。


 しまった、取り乱した。


「ごめんなさい。助かったわ」


 熱くなった頬を両手の掌で冷ましつつ声をかけると、ターリアは胸を撫でおろした様子だった。


「良かった。正気に戻っ……もとい、落ち着いたのだな」

「ええ。もう少しで鼻血が出るところだったわ」

「そんなにか」


 いや、だって。

 ハマってたゲームの騎士様に不意打ちで会うなんて思わなかったから。


「しかし、お前がそこまで取り乱すとはな」

「ううう。面目ないわ」


 恥じ入る私に、ターリアがため息をついた。


「まあ、わらわとしては少しほっとした部分もあるが。年相応のところもあるではないか」

「というと?」


 私が首を傾げると、ターリアは少し優しげな眼差しを向けてきて、


「つまり、惚れた腫れたの話だろう?」

「違うわよ?」


 ターリアはぴたりと動きをとめた。


「……いやいやいや。あれだけ興奮していて、それはなかろう。恥じることはないのだぞ。ああいう男を、恋人にほしいと思うのだろう?」

「いいえ。全然」


 ターリアはますます不可解そうに、まじまじとこちらを見つめてきた。


 やがて私の言葉に嘘がないとわかったのか、今度は理解不能という感じの顔になる。


 これは少し説明が必要だろうか。

 そんなに難しいことじゃないのだけれど。


「私、推しを恋人にほしいとは思わないタイプなのよ。きっと、夢の者の素質がないからね」

「夢の……なに?」

「ああ。これだと伝わらないわね。要するに、第三者視点なのよ」


 推しに笑いかけてほしいのか、推しの笑っているところをみたいのか。

 このへんは人それぞれだし、どう楽しむのも好き好きで素敵というのが私の考えだ。


 私の場合、ゲームをやっているときも、主人公と攻略対象者を傍で見ている感じでドキドキしていた。


「夢の者になるためには素質が必要だと思うの。少なくとも、私にとっては。推しが笑っている隣に、自分がいるところなんて、うまく想像できないもの。むしろその場合、私の存在は不純物と言っていいわ。ただ、推しが笑っているところは見たいの。だからベストポジションは壁ね。もしくは、天井。ああ。なんでラスボスじゃなくて壁に転生できなかったの! ってこの気持ち、わかってもらえるかしら?」

「なにひとつわからない……」


 死んだ目でうめくターリア。


 残念ながら理解は得られなかったらしい。


 もっとも、そんなことを言っている私自身が推しの前に立つことになっているのだから、巡り合わせというのはわからないものだけれど。





「よろしいですか、ブランシェ様」

「あ、はい」


 振り返ると、準備を終えたシルヴァン様がこちらにやってきていた。

 よく見たら父親だけあって、青年期アルフレッドと似ている。


 爽やかな雰囲気で、空気がキラキラしているようでまぶしい。

 そして、その横には少年期アルフレッド。


 ゲームでは出てこなかった麗しの父子の姿だ。

 この光景を見ることができた幸せを享受しつつ……しかし、取り乱すことなく対応しなければ。


「シルヴァン様。準備は終わったのですか?」

「はい。お待たせしました。こちらをどうぞ」


 どうにか心を落ち着かせて尋ねると、剣のかたちを模した細い木の棒を渡された。


細剣(レイピア)ですか?」


 ゲームのキャラクターが使っていたので知っていた。


 両刃だけれど、突きを主体にした剣だったはずだ。

 細身なぶん、普通の剣よりは軽い。これは木剣なのでもっと軽い。


 ゲームだと女性騎士に使用者が多かった印象があるので、ここで出てくるのは納得できた。


「護身のためでしたらこちらがよろしいかと」

「わかりました」


 私は頷きを返し、ふとシルヴァン様を見上げた。


「ブランシェ様? なにかお聞きになりたいことでも?」

「いえ。大したことではないのですが……まさかデュボア家のご当主様に手ほどきいただけるとは思っていなかったもので」


 というのは、この国の貴族家の事情がある。


 乙女ゲームの舞台だったこの国は、正式名を『ラ・フルール王国』といい、最大の貴族として建国時に臣籍降下した王の弟たちが興した三つの大公爵家が知られている。


 私のペルー公爵家と、デュボア公爵家にもうひとつを加えた三家がそれで、揃って『花の御一家』と呼ばれ貴族として別格の扱いを受けている。


 その最たるものが『王家に後継ぎがない場合は養子を出して王家を存続させる権利を持っている』ことだ。


 前世の日本でも似たような話はあって、暴れん坊将軍で有名な吉宗は、将軍家に後継ぎがいなくなったから養子に入って将軍になったと、社会の授業で聞いた記憶がおぼろげにある。

 確か徳川御三家とかいう名前だったはずだ。


 実際、現在のラ・フルール王国は現王を除けば継承権を持った王族がひとりしかおらず、彼になにかあった場合は『花の御一家』筆頭であるペルー家の当主――つまりは、お父様が王位を継ぐことになる。


 デュボア公爵家は『花の御一家』では末席とはいえ、状況によっては国王を継ぐ可能性があるのは同じだ。


 その当主であるシルヴァン様が最大貴族のおひとりであることには違いないわけで、わざわざ小娘ひとりに直接手をかけるというのは不思議だった。


「ブランシェ様は聡明でいらっしゃる」


 疑問の視線を向ける私を見て、シルヴァン様は微笑んだ。


「ただ、私は普段は領地におりますからね。たまに王城に顔を出さなければならない用があるときには、用が済んでしまえば時間があるのですよ」

「そうなのですか」


 頷きつつ、私はお父様がシルヴァン様の言葉を聞いて苦笑しているのを視界の端で確認した。


 これはつまり……用事以外に仕事がないのは本当なのかもしれないけれど、時間があるならあるでやることはある、ということだろうか。


 考えてみれば、普段はいない大貴族の当主が王都に来ているのだから、挨拶に来る貴族なんかはたくさんいるだろうし。

 あるいは、自分から挨拶に行くことも。


 ああ、そう考えると『これ』もその一環なのかもしれないけれど。


 そんなふうに考えていると、お父様が口を添えてきた。


「無論、それだけではなく、シルヴァンの腕は確かだよ」

「光栄です。デュボア公爵家は『王国の守り手』。騎士として一度は王家に仕えるのがならわしですから」


 この国では、戦争になれば軍を率いることになるため、貴族が武術のたぐいを身に着けるのは普通のことだ。

 加えて、魔法の存在するファンタジーなこの世界には、妖魔と呼ばれる危険な魔法生物も生息しているため、それに対抗する必要もある。


 なかでもデュボア公爵家は、長らく隣国である帝国に睨みを利かせてきた『王国の守り手』だというのはゲームでも語られていた。

 聞けば、当主を継いで退団するまでは、シルヴァン様は優れた騎士として知られていたらしい。


「我が国にも女性の騎士はいますが、さすがに高位の貴族の令嬢が武術をたしなむ例は少ない。私もブランシェ様が護身術を学びたがっているという話を聞いたときには驚きました。ただ、その願いを叶えるのでしたら、確かに私が最適でしょう。デュボア家では例外的に、女性も武術を学びますので」


 ゲームでも女性騎士は出てきていたので存在は知っていたのだけれど、公爵家レベルの娘だと武術を習うのは珍しいらしい。

 お父様が願いを聞いてくれたのは、娘の私に甘いからというのが大きいのだろう。


 ……唐突にテーブルに頭を打ち付けたり、拳闘(ボクシング)をやりたいと言い出した娘に気を遣って、というのもちょっぴりあるのかもしれないけれど。うん。ちょっぴりは。


 ともあれ、デュボア家には女性に武術を教えるノウハウがあるということだし、これほど良い教師を見つけてくれたのは嬉しい誤算だ。


「よろしくお願いいたしますね、シルヴァン様」


 こうして私は、デュボア家に護身術の手ほどきを受けることになった。



   ***



 剣術の指南は、シルヴァン様のスケジュールが空いた日に行われた。


 ただ、実際に木剣を手にして相手をしてくれたのはアルフレッドだった。

 彼はまだ14歳で騎士見習いである従士なのだけれど、武術の腕ではすでに正式な騎士の平均をはるかに上回っているらしい。

 さすがはゲームの攻略対象者だ。


「ブランシェ様。前傾になっていますよ。剣の重さに振り回されないように、重心を意識してください」

「はいっ」


 アルフレッドが私の剣を受けとめ、そばで見ているシルヴァン様は適宜指導を入れてくれる。


 ちなみに、ターリアはそんな私たちを眺めて、私にしか聞こえない声で声援を送ってくれていた。

 邪神様の目には、人間の行いというのは意外と目新しく映るものらしい。


「おお! 今のは惜しかったぞ! そこだー!」


 なんだかちょっと、格闘技をテレビ観戦してる子供みたいな感じで微笑ましい。

 楽しんでいるようでなによりだった。





 そうして3ヶ月ほどが経ったところで、シルヴァン様は王城での用事を済ませて領地に戻ることになった。


「先日からお伝えしていた通り、今日からは私アルフレッドがブランシェ様の指導を受け持つことになります。まだ至らぬところはありますがよろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしくお願いします。アルフレッド」


 アルフレッドは、王国騎士として出仕する準備で王都に残るということで、引き続き私の剣の相手をしてくれることになった。

 というより、最初からそのつもりで、シルヴァン様はご子息に私の相手をさせたんだろう。


 なんでもアルフレッドは妹さん――ゲームでも出てきたので私も知っている――の指導もしているとのことで、武術の腕が騎士としてもすでに上位のレベルであることを考えても、十分任せられると判断されたようだった。





 今日は、ふたりで教わる初めての日。


 ……なのだけれど、私は稽古を始める前に話したいことがあった。


「アルフレッド。ひとつ頼みがあるのですが、よろしいでしょうか」


 言いながら、私は普段より一歩距離を詰めた。

 近くにいる家の侍女たちに聞かれたくない内容だったからだ。


 3ヶ月も顔を合わせていれば、さすがに私もリアル推しの存在にも慣れてきて、ふたりきりでも緊張することはなくなっている。


 かといって、アルフレッドへの好感度が落ちたのかといえばそんなことはない。

 実際にこうして接してみても、物腰は丁寧だし、この歳で紳士的だ。


 ゲームでの推しがどうこうは差し引いても、仲良くしたいと素直に思える。


 けれど、私が距離を詰めると、アルフレッドは少し表情を硬くした。


「……なんでしょうか」


 あれ?

 なんだか警戒されてる……?


 え? どうして?

 万事にそつのないあの騎士様が、女性に詰め寄られて緊張することもないだろうし……。





 ……ハッ!?


 まさか。


 私の悪役令嬢顔を近付けたせいで、警戒されてしまったとか……!?


 ありえない、とも言い切れない。

 侍女に怖がられることもあるくらいだし。


 将来の悪女になりえるオーラでも出てるんだろうか。


 ううう。だとすれば落ち込む。





 ……とはいえ、折れるわけにはいかない。

 私にはやらないといけないことがあるんだから。


「ええと。まず訊きたいことがあるのですが」


 気を取り直して、私は口を開く。

 なるべく表情が柔らかくなるように。


 にこやかに尋ねた。


「アルフレッドには、格闘技の技術はありますか?」

「……は?」


 その質問は想定していないものだったのか、隙のある表情を浮かべるアルフレッド。

 そうすると、年相応に幼さもかいま見えた。


「ええ。騎士のたしなみとして習得はしておりますが……」

「あら。それは素敵ですね」


 私は胸の前で両手を叩いた。


 ゲームでの情報から習得はしているだろうと思っていたけれど、期待通りだ。

 これならいける。


 私は侍女たちに聞こえないように、こっそりと続けた。


「でしたら、お願いします。剣の稽古と一緒に、足技など教えていただけませんか?」

「お前まだそれ諦めておらんかったのか!?」


 ターリアがなにやら私にしか聞こえない驚愕の声をあげていた。


 もちろん、諦めたはずがない。

 思い付いたことはやってみる。当然だ。


「あ……足技、ですか?」

「ええ。レイピアで手が埋まっているなら足技を覚えるのが合理的でしょう?」


 アルフレッドは呆気に取られたような顔をしていた。


 やがてこちらが本気だと気付いたらしい。

 不意に、ふっとその表情が緩んだ。


「なるほど。合理的、ですか」

「ええっと。アルフレッド?」


 アルフレッドは口もとに手をやって隠すようにした。

 ただ、その顔は明らかに笑っている。


 無防備な笑顔だった。


 普段から年齢の割に普段大人びた物腰の彼だけに、こんな無防備な笑みは初めて見た。


 なぜだか、その顔は――どこか安心したようにも見えたのだ。


「……失礼。笑うつもりはなかったのですが」

「いえ。気にしておりませんが」


 すぐに笑みを引っ込めたアルフレッドの言葉に、私は首を横に振った。

 隣でターリアが「お前は少し気にしたほうがいいのではないか……」とかなんとか言ってたけど、気にしない。


「そのようなことを女性に言われたのは初めてだったもので」

「あら。護身のために剣を覚えたいという時点で、変わり者だとは知っていらしたでしょう」


 アルフレッドはニコリと笑みだけを返した。


 どう答えても失礼になると判断したのかもしれない。

 さすが騎士様、如才がない。


「確かに剣ばかりに意識がいっていると、足元をすくわれるということはありえます。そちらも、少しばかりの心得はあってもいいかもしれません。ただ、まずは剣をきちんと習得するのが先です」


 確かに言われてみれば、剣自体も初心者なのに中途半端に手を出すとむしろ混乱するかもしれない。


「わかりました」

「それでは、始めましょうか」


 私が素直に頷くと、アルフレッドが木剣を手に促してくる。

 こちらに向けられた微笑みは、以前よりも少し柔らかくなっているように見えた。




   ***




 そうして、さらに半年ほどが経過した。


 アルフレッドとの剣の稽古は続いている。


「あっ」

「ここまでですね」


 カツンと音を立てて私の手から剣が飛んだ。

 集中力が切れて甘くなった踏み込みをとがめる鋭くも流麗な一打だった。


「……」


 この体は妙に動体視力が良いおかげで、相手の動きがつぶさに見て取れる。


 完全に制御された少年の全身運動。

 その美しさに胸を打たれるのは、そこに彼の強い意志と努力がにじんで見えるからだ。


 いったい、どれだけの努力を積み重ねてきたんだろう。

 幼いころからの厳しい訓練によって洗練された動きは、剣先に至るまで神経が通った芸術品のようだ。


 打ち込んでからこちらに笑みを向けて踵を返し、飛んでいってしまった私の木剣を拾い上げるしぐさまでが映画のワンシーンのようで……。


 あー、もう!

 これが正面から見れるのはヤバ過ぎる!


 あの騎士様とお友達になって、こうして剣を習うことができるなんて!


 ブランシェに転生してよかったと思える、数少ない瞬間だ。


 現実の世界にスクリーンショットボタンがほしい。

 早く主人公と並べたい。


 なんてことを考えているうちに、アルフレッドが拾った木剣を持って戻ってきた。


「それでは、今日はこれくらいにしましょうか」

「はい。ありがとうございました」


 夢中になっていて気付かなかったけれど、木剣を交えて小一時間ほどが経っていたようだ。

 アルフレッドの言葉に、私は大きく息をついた。


「お嬢様、こちらを」

「ありがとう、メメ」


 専属侍女のメメから受け取った布で汗を拭いつつ、私はちらりとアルフレッドの様子を見る。


 私は肩で息をしているのに、彼は息ひとつ乱していない。


 ちなみに、こちらからは一発もアルフレッドの体に打ち込めていないし、向こうからはほとんどが寸止め。軽く打ち込むにしても、防具の厚いところだけだ。


 レベル差がすごい。

 どう打ちこんでも届かないのは、なんだか魔法みたいで面白いけれど、ちょっぴり悔しくもある。





「ねえ、アルフレッド。差し支えなければ、着替えたあとでお茶はいかがかしら。今日はお父様が良い茶葉を仕入れてくださったの」

「喜んでお招きに預かります」


 アルフレッドに特別な用事がない限り、稽古のあとは彼とお茶の時間を過ごすようになっていた。


「そういえば、今度、ペロー家で養子を取ると聞きました。ブランシェ様からは義理の弟君になるのですよね」

「ええ。とても楽しみにしているの。昔から兄弟に憧れていたから。アルフレッドも仲良くしてくれると嬉しいわ。きっと男同士にしか相談できないようなこともあるでしょうし」

「もちろんです。しかし、ふふ。姉に剣術の先生だと紹介されれば、弟君はさぞ驚くでしょうね」

「あら。意地の悪いことを言うのね。でも、変わり者であるのも悪いことではないのよ。だって、アルフレッドともこうしてお友達になれたのだもの」

「ええ。おかげで私もひとり友人を得ました。そこは、私もブランシェ様の破天荒さに感謝しなければなりませんね」


 くすくすと軽口を飛ばし合う。


 ゲームでは剣を交えて命を奪い合う間柄になる私たちだけれど、さいわい、今のところは良好な関係が築けていた。


 どうやらお互いの親はこれを狙ったふしがある。


 将来的に、ペロー家の長女である私は王族と結婚する可能性が高い――少なくとも、周囲はそのように考えている。

 そして、当主を継ぐまでアルフレッドは王国騎士として王族に仕えることになり、いずれは責任ある立場になるだろう。


 そうでなくとも、ふたりとも国を支える三大公爵家の子女だ。

 そんなふたりが親しい間柄であることは、様々な場面で良い効果を及ぼす。


 と、大人たちの思惑はさておいて、友人が増えたことは純粋に嬉しい。


 最初の頃は大変だったドキドキも、そこそこ慣れてきた。

 将来的に彼が恋愛感情を抱く相手を知っているだけに、純粋に友人として見られることも大きいのだろう。


 そうして話をしている間に、話題は今日の稽古についてのことに移り変わった。


「それにしても、今日のブランシェ様は調子が良かったですね」

「本当に? ひょっとして、義弟のことで調子が上がっていたのかしら」

「はは。それもあるかもしれませんが。ブランシェ様は、やはり筋がいいと思います。いずれは王国騎士に匹敵する腕になるかもしれません」

「ありがとう。あなたにそう言ってもらえると嬉しいわ」


 前世ではあまり運動は得意ではなかったのだけれど、この体はとても運動神経が良い。


 発育も良いようで、手足も伸びてきた。

 これくらいの歳の、特に女の子は成長の個人差が著しい。

 私の場合、2,3歳ほど上に見られることも多かった。


 そうして体が出来あがりつつあるのに合わせて、剣を振るのも様になってきたように思う。


 なんであれ、上達するというのは楽しいものだ。

 今はもう当初の目的よりも、むしろこの時間を楽しんでいる自分がいた。


「アルフレッドこそ、すごいわね。まったく剣が届く気がしないもの」


 これは、割と大事なところだ。


 健全な方法で邪神の祝福による衝動を発散するという考えはどうやら当たりだったらしく、日常生活を送るだけなら、多少のことでは衝動を感じることはなくなった。


 けれど、この方法にはひとつ穴がある。

 稽古の最中に相手を傷つけてしまった場合、私の困った性質が発動してしまう可能性があることだ。


 その点、アルフレッドは安心だ。

 なにせ私が全力で剣を振るってもまったく届かない彼は――まだまるで本気を出していないのだから。


「本来のアルフレッドの武器は斧槍(ハルバード)なのよね」


 ゲームでアルフレッドが使用していた斧槍(ハルバード)は、戦斧と槍を合わせた長柄武器だ。

 その形状から、斬る、突く、払うといった様々な攻撃が可能な、騎士の花形武器とされている。


 ただし、当然、そのポテンシャルを発揮するには熟練の技術を必要とされる。


 デュボア公爵家の家紋は『斧』であり、これは『国の守り』である彼らの象徴であり、代々受け継いでいる斧槍(ハルバード)のことを表してもいる。

 生真面目な表情で、アルフレッドは頷いた。


「護国の象徴、宝槍ブリューナク。我が家が誇りとして受け継いできたものです。今は父の手にありますが、いずれ継承者となりたいと考えています」

「アルフレッドならきっとなれるわよ」


 だって、私は知っている。


 ゲームでのアルフレッドは、彼のルートでこの武器を初めて使い、歴代の誰よりも見事に使いこなしてみせるのだ。


 ……まあ、振るわれる対象はブランシェなのだけれど。

 そうならないように気を付けないと。





「……」


 私はカップを傾けつつ、自分の師でもある少年を観察する。


 前世の記憶を取り戻したあの日、この世界に用意された悲劇の運命をくつがえすと私は決めた。


 彼はゲームの攻略対象者――つまりは、私が救うべき悲劇の運命の重要なピースのひとつだ。

 よく見ておかないといけない。


 とはいえ、今のところはまだ大丈夫だけれど。


 彼の悲劇は初陣で起こるとゲーム内では語られていた。


 お父様に聞いたところ、この国で正式な騎士になるための最低年齢は慣例で16歳ということだ。

 今度15歳になるアルフレッドが騎士になり、初陣を飾るまでにはまだ時間がある。


 こうして仲良くもなれたことだし、それまで問題の根を探り、準備を整える機会は十分にあるだろう。





「あなたが継承者となるそのときを楽しみにしているわ」


 カップを置いた私は笑顔で言って――ふと気付いた。


 私が言ったその瞬間、アルフレッドの顔に影が落ちたのだ。

 珍しいことだった。


「アルフレッド?」

「……ああ、いえ。なんでもありません」


 とはいうものの、アルフレッドの表情は明らかに冴えないもので……。


 ……あれ?

 なんだか嫌な予感がする。


 運命をくつがえすっていう、私の目的が揺らぐような……。


 いや。そうでなくても、友人がこんな顔をしていたら放ってなんておけない。


 私は手にしていたカップをテーブルに戻した。


「ねえ。アルフレッド。なにか心配事でもあるのかしら」

「いえ。そのようなことは……」


 まあ、そうよね。

 あなたなら、そう言うでしょう。


「……アルフレッド」


 これは少し、強く踏み込まないと駄目だ。


 そう直感できたのは、ゲームでの知識があったからかもしれない。





 騎士のなかの騎士と呼ばれた彼。

 まだ15歳にもなっていないのに、騎士として十分すぎるほどの技術を鍛え上げた才能と努力の人。


 だけど、私はこの人が完璧な人間なんかじゃないことを知っている。


 ゲームのなかで。

 そのとき、彼の隣にいたのはブランシェ(わたし)ではなかったけれど。


 だけど、知っているからには『彼女』が現れるまでの間の不出来な代役くらいにはなれるはずだ。





「さっきも言った通り、私はあなたのことを友人だと思っているわ。話すだけで楽になることもある。あなたの力にならせてはもらえないかしら」

「ブランシェ様……」


 私が踏み込んだことにアルフレッドは少し驚いた様子だった。


 ただ、こちらの目を見て本気だと気付いたのだろう。

 力なくだけれど笑みを浮かべた彼は、口を開いてくれた。


「先程もお話をした通り、いずれ私は我が家の宝槍を継承することになります。よって、あれをまだ扱えない自分はもっと成長しなければいけないし、扱えるよう努力したいと思っています」

「素敵なことだと思うわ。なにがいったい、問題なの?」

「……最近、どうも伸び悩んでおりまして」

「……そうだったの」


 それで、さっき継承者の話をしたところで表情を曇らせたわけだ。


 なんだか意外な事実だった。

 私にとってアルフレッドは、武術に関していえば自分よりはるか高みにいる存在だったからだ。


 もっとも、考えてみれば階段の上のほうにいようが下のほうにいようが、一段を昇るのに苦労があるのは同じだろう。

 私には理解できないレベルの悩みがあってもおかしくない。


 そう一度は納得したものの、私は首を傾けた。


「けれど、そんなに焦ることもないでしょう。アルフレッドはまだ騎士になるまで時間があるのだから」


 家宝をまだ扱えないという事実は、確かに未熟さを突きつけてくるように感じられることもあるのかもしれない。

 けれど、あれはそもそも、アルフレッドの年齢で扱えるような武器じゃない。


 タイムリミットまではまだ時間があるのだ。

 焦るようなことじゃ……。


「いえ。ブランシェ様。実は、私はそろそろ王国騎士団に入団することが内定しております」

「……え?」


 私は凍り付いた。


「……騎士になれるのは16歳からではなかったかしら?」

「慣例ではそうなっておりますが、規則として明記されているわけではありません。私はその、それなりに武術を嗜みますので、騎士団のほうから打診がありました」

「な……っ」


 なんですって!?


 と、叫び出しそうになったのを、私は危うく呑み込んだ。


 それでは計算が狂ってしまう!


 私がまだ大丈夫だと考えていたのは、入団が一年以上先だという前提があったからなのだから。


 いえ、待って。

 そうすると、まさか……。


「今度、妖魔討伐の少し大きな計画が立っているのです。そこに間に合うように、騎士団のほうでも調整してくださったようで。そこが私の初陣となるでしょう」

「それは……期待されているということね。遅くなってしまったけれど、おめでとう。アルフレッド」


 言いながら、冷や汗がとまらなかった。


 まずい。まずい。まずい。

 私は知っているのだ。





 アルフレッドの悲劇は初陣で起こる。


 そこで、人里を脅かす妖魔の群れを捜索する部隊に回された彼は、目的の妖魔を見付ける。

 だが、それが運悪く妖魔の大氾濫(スタンピード)を招いてしまうのだ。


 不幸な事故だ。

 しかし、アルフレッドは自分を責めた。


 実際、飛びぬけて優秀な彼が本領を十全に発揮できれば、ミスをフォローすることもできたのかもしれないけれど。


 ゲームで過去を語るシーンでは『自分の未熟』『功を焦った』とだけ言っていた。


 ……その理由がこれだ。





 慣例を無視させるほどの才能と、それに従って高まった周囲の期待。

 にもかかわらず受け継ぐべき神器を使いこなせないことによる焦りと、それを処理するにはあまりに若すぎる年齢。


 ……正直、どちらかといえば悪いのは周囲の判断のように思える。

 あるいは、そのような判断をしてしまうくらいに、アルフレッドの素質が飛び抜けていたのもあるのかもしれないけれど。





 だけど、どうしよう。


 状況はわかっても、それをとめることができない。

 家の身分は高いとはいえ、現時点での私はただの令嬢だ。


 なんの権限もない自分では、騎士団の計画に待ったをかけることも、アルフレッドの入団をとめることもできない。


 だったら、せめてアルフレッドに焦らないように助言するのはどうだろうか?


 ……いや。駄目だ。


「ブランシェ様の言う通り、焦ってはいけないとはわかっているのですが、難しいものですね。精進が足りないようです。騎士団に入るまでに準備を整えていなければいけませんね」


 そう言って微笑むアルフレッドは、ちゃんとわかっている。

 わかっていても、心なんてものは完璧に制御できるものじゃないのだ。


 ここにいるのは機械じゃなければ、悟りを開いた老人でもない。

 まだ14歳の少年なのだから。


 焦らないように助言する、なんて不確かな手段じゃ駄目だ。


 かといって、妖魔の大氾濫(スタンピード)について話してしまうのも無理がある。

 証拠があるわけじゃないし、頭のおかしい子扱いされなければまだマシくらいのものだろう。


 だけど、このままじゃアルフレッドは……。





「ブランシェ様」


 呼び掛けられて、私はハッと我に返った。


 いけない。

 考え事をし過ぎてしまった。


「え? ええ、なにかしら……」


 私はどうにか取り繕いつつ、そう問いかけて――。


 そこに、こちらを見つめる青い瞳があったのだ。


「お心遣いありがとうございます。ですが、あまり気に病まないでください。確かに負担になっているところもありますが、私は嬉しくもあるのです。私の目標であり、夢であったものに早く近づくことができたのですから」


 少年のなかにある真実を語っているとわかる、とても真摯な口調だった。


「私は、国の守護を担うデュボア公爵家の一員として胸を張りたい。この手で国を、そこに住む人々を守りたいのです」


 確かめるように、アルフレッドは拳を握った。


 そして、まっすぐにこちらを見つめてくる。


「もちろん、ブランシェ様も。この身をかけてお守りいたします」

「アルフレッド……」


 思わず、息をのんでしまう。


 それくらいに、夢を語るアルフレッドの表情は真摯だった。

 それだけでなく、キラキラときらめいていた。


 たとえ未熟であったとしても、守ると口にした誓いは本物だった。


 ……だからこそ、胸が痛む。

 だって、近いうちに彼は――。





「――いえ。そうはさせるものですか」


 口のなかだけで、私はつぶやいた。


 そのような運命をこそくつがえしてみせると、前世の記憶を取り戻したあの日に私は決めたのだ。


 そして、今の私にはそれ以上の理由があった。


 だって、私は彼に助けてもらっている。

 護身術として剣を教えてもらっているだけじゃない。

 邪神の祝福のせいで植え付けられた衝動を安全に処理できているのは、彼のおかげだ。


 ……そして、もうひとつ。


 ここで今、彼は言ってくれた。


 私を守ると。

 血に塗れ、国を滅ぼし、人々を絶望に陥れ、最期は殺される運命にある私を。


 守ると言ってくれたのだ。


 だから、覚悟は決まったのだ。


「ブランシェ様?」


 私の独り言が聞き取れなかったのか、アルフレッドが首を傾げる。

 そんな彼に、私はにっこりと笑みを返してみせた。


「なんでもないわ」


 そう。こんなのなんでもない。

 当たり前のこと。




 あなたが私を守ってくれるというのなら。

 私もあなたの大事なものを守りましょう。



   ***



 私、アルフレッド=デュボアは、国の守護を司るデュボア公爵家の長男として生まれ、その理想を体現すべく育てられた。


 そうであることに異論はなかった。

 さいわい、その生き方は自分の誇りとなりえたからだ。


 そうして、ついに私は騎士となった。

 その初陣は、妖魔の群れの大規模な討伐作戦。

 100名ほどの騎士のひとりとして、私は王宮騎士団から派遣された。





 妖魔は世界を満たす魔力によって生み出され、人々に害を為す存在だ。

 その討伐は騎士の務めである。


 今回の妖魔討伐の目的は、数十年に一度と言われる大災害である妖魔の大氾濫(スタンピード)を防ぐためのものだ。


 基本的に妖魔の大氾濫(スタンピード)は、妖魔の数が一定数を超えることが引き金になると言われている。

 そうならないように、数年に一度、ある程度の大規模な討伐――間引きがされるということだ。


 逆に言えば、この時点では妖魔の大氾濫(スタンピード)が起こるほどの数の妖魔はいない。


 そのはずだった。





 騎士たちのうち半数が森の浅いところに残り、残りの半数が少数の班に分かれて探索を行うことになった。


 私は探索班に割り振られていた。


「あまり気負うな、アルフレッド」

「はい。ありがとうございます」


 班をまとめる先輩騎士がかけてくれる気遣いの言葉はありがたかったけれど、言葉は耳を滑りがちだった。


 デュボア公爵家の一員として、手柄を立てなければいけない。

 そんなプレッシャーを自覚していた。


「……」


 そうして森を歩いていると、ふと、この心のなかを吐露することになった少女のことを思い出した。


 あんなふうに誰かに自分の不安を口にするのは初めてだった。




 ブランシェ=ペロー様。

 不思議な方だと思う。


 同じ王国の三大公爵家とはいえ、筆頭であるペロー公爵家は別格だ。


 それぞれ知と武を司り国を守る他の二家に対して、ペロー公爵家は王家のバックアップとしての性格が強い。

 準王家とでもいえば、ニュアンスが伝わるかもしれない。

 常に王家に寄り添い続け、摂政として国を仕切っていたことも多くある。


 国の守護役を自認するデュボア家にとっては、王家と同じく敬愛と忠誠を捧げるべき対象だ。


 そんなペロー家の長女であるブランシェ様と接するにあたって、私には一抹の不安があった。





 ……実のところ、私は他の貴族の令嬢を苦手としている。


 もちろん、決して嫌っているわけではない。

 ただ、これまで何度となく、社交界などで自分がその場にいることで、令嬢同士の空気がおかしくなることがあったからだ。


 それに、好意を向けられることは光栄だけれど、今の自分は騎士となるために自分を高めることで精いっぱいだ。

 困るというのが本音だった。


 そんな経緯もあって、最初はブランシェ様にも少し警戒しているところはあった。

 けれど、すぐにそれは杞憂だとわかった。


 剣術の稽古を求めるような、公爵家令嬢として型破りな彼女の性質は私にとって好ましいもので、親しくなるまでに時間はかからなかった。


 忠誠を捧げるべき対象が親愛を抱ける方であるのは、幸運なことだと思う。


 だからこそ、彼女を守るにふさわしい自分にならなければならないとも。


 実際、幼少時から鍛え上げてきた自分の武力は、騎士団のなかでも最上位の実力者である隊長格にも負けていない。

 とはいえ、その力も手柄を立てなければ、宝の持ち腐れだ。


 だからこそ、その気配に気付いたときには、珍しく気持ちが浮き立つのを感じた。


「班長。近くに妖魔がいます」

「なに、本当か」

「気配がしますので。数はそう多くありません。3体ほどでしょう」


 そう言って、私は班を先導した。


 ほどなくして、妖魔の姿が見えた。


 人間よりも大きな狼の群れだ。

 ただし、二足歩行をしているうえに、強い魔力を感じる。


 班長が目を細めた。


「……思っていたより遭遇するのが早かったな。しかし、この数なら連絡のために一度戻って、巣に戻られるよりは、この場で倒して少しでも数を減らしたほうがよさそうだ」

「はい」


 頷きを返すと、班長は肩を叩いてきた。


「さすがだな。戦闘も期待しているぞ」

「……はい!」


 期待には応えなければ。

 そう思い、私は目の前の戦闘に集中するべく意識を切り替えた。


 ……だからこそ、ふとした違和感を流してしまった。





 この場面、班長の判断はまったく間違ったものではなかった。

 事前に騎士団で定めていた行動指針に沿った、模範的な判断だったと言える。


 しかし、状況をもう少し精査すれば別の結論も出たかもしれない。

 思っていたより遭遇するのが早かった――と、班長が口にした言葉は、私自身も感じていたことだったのだから。





「行くぞ!」


 班長の指示に従い、私たちは妖魔に強襲をかけた。


「右は任せてください!」


 私は率先して一体を請け負い、地面を蹴る。


「速……っ!?」


 同僚の騎士の驚きの声を置き去りにして、迎撃に振り下ろされた妖魔の爪をかいくぐる。

 ふところに深く入ってしまえば、こちらのものだ。


 家宝のそれには及ばないものの、十分に業物と言える斧槍(ハルバード)を振り払い、重量と腕力で妖魔の首を一撃で吹き飛ばす。


 調子は万全。

 いや、わずかに力み過ぎているところはあるか。


 だけど、このぶんなら十分だ。


 このまま即座に他の騎士たちの援護に回る。

 そう考えたところで、気付いた。





 ――ゾッと背筋に走る、嫌な感覚。





「……これは」


 周囲にさらに妖魔の気配を感じたのだ。


 ただ、怖気を覚えたのは妖魔を恐れたからではなかった。


 そもそも、戦いの喧騒を聞きつけて、別の妖魔がやってくるというのはありえない話ではない。

 だからこそ、速攻で終わらせようとしていたのだ。


 そこまで折り込み済みだったにもかかわらず、気付かれてしまったことが問題だった。


 ……早過ぎるのだ。


 偶然ならばいい。

 だけど、これがもしも想定していたよりも妖魔の密度が高いのだとしたら……。


 そもそも、思っていたより早く妖魔を発見したのもそのせいだとすれば……。


 この状況は最悪の事態に繋がりうる。


「班長、これは……!」


 警戒を呼び掛けようとした。

 けれど、遅かった。



   ***



「――ッ!?」


 瞬間、全員が背筋を凍らせる。

 周辺から、狼の、熊の、怪物たちの雄叫びがあがったからだ。


 雄叫びは波紋のように広がっていく。


 明らかな前兆に、誰もが悟った。


「これはまさか……妖魔の大氾濫(スタンピード)の?」


 その場の誰かが口にした言葉は、自分が予想した最悪の可能性を肯定するものだった。


 恐らくは局地的なもので、数十年に一度起こるという、本来のものよりは小規模なのだろうけれど。

 それでも十分過ぎるほどに恐ろしい事態だった。


「そんな……」


 私は茫然としてしまった。


 自分が見付けた妖魔との戦いが、切っ掛けになってしまった。


 もちろん、このような状態の森に騎士団が立ち入った以上、妖魔の大氾濫(スタンピード)を起こしてしまうのは時間の問題だっただろう。

 自分たちの班がやらなくても、他の誰かが引き金を引いてしまったに違いない。


 けれど、最初に気付けた自分であれば――ぎりぎりのところで避けられたかもしれない。


「私のせいで……」

「おい。おい! アルフレッド!」


 強く肩を叩かれて、私は我に返った。


「班長……?」

「気に病みすぎるな。班長は俺で、ここには他に大人がいくらでもいた。責任を負うべきはお前じゃない」

「……ですが、私は」


 多分、彼の言うことは正しいのだろう。


 だけど、自分はどうしてもそうは思えなかった。




 ――誰よりも早く危険に気づき。

 ――誰よりも早く状況を把握し。

 ――誰よりも早く決断を下すことができれば。




 このようなことにはならなかったはずだ。

 デュボア公爵家の嫡子であれば、そうできなければならなかったのに。


 歯を噛み締めたそのとき、軍馬にまたがる騎士がひとり駆けてきた。


「撤退! 撤退だ! 本隊まで撤退しろ!」

「ッ! 伝令か!」


 班長が表情を硬くした。


「しかし、撤退……? 探索班が揃って本隊まで戻れば、大量の妖魔を引き連れていくことになるぞ。上はなにを考えて……」

「……いえ。むしろ、わざとそうするつもりなのでしょう」


 すぐに上の意図に気付けた私は、むしろ血の気がひく思いでいた。


「最悪の事態は、この小規模な妖魔の大氾濫(スタンピード)が森を出て集落へと向かってしまうことです。村や町がいくつ潰されることかわかりません。ですが、本隊に誘き寄せれば、少なくともそれだけは避けられます」

「要するに、自分たちを餌にすることで、妖魔を集めようという作戦か。だが、それは……」


 班長が言葉にしなかったことは理解できた。


 ここに派遣された騎士たちは妖魔の大氾濫(スタンピード)に対応できるほどの規模も準備も整えていない。

 このまま正面から戦えば、恐らく相殺するようなかたちになる。


 自分をはじめとした最上位の実力者は、妖魔を複数体でも相手取れる。

 正面からの乱戦でも生き延びられる可能性は高い。


 けれど、大半の騎士は数人で一体の妖魔を倒すのが限界だ。

 多くの騎士が死んでしまうだろう。


 そこまでわかっているのに……その状況を、私にはどうしようもないのだった。





「……私には、なにもできないのか」





 ――パキリ、と。

 その瞬間、なにかが砕けるような音が聞こえた気がした。


 それはきっと、抱き続けた夢の砕ける音だ。


 みんなを守る騎士になりたかった。


 そのために研鑽を続けてきた。

 だけど、実際に出た戦場でできるのは、避けようのない大きな被害のなかで抗うことだけ。


 だとすれば、自分は――自分の目指していたものは。


「……いや。そんなことを考えている場合ではない」


 そこで、私は思考を打ち切った。


 打ちひしがれている時間はなかったからだ。


「行かなければ」


 こんな自分でも、騎士としての義務感だけは残っていた。


 ひどく重く感じられる足で、私は駆け出した。


 斧槍(ハルバード)を握りしめて、地獄となるだろう戦場へと。

 死にゆく敵味方のなかで最後まで戦い抜くために。


 そこで自分は、抱き続けた夢が朽ち果てるさまを目の当たりにするのだろう。


 そのはず、だったから――。





「――見付けた!」





 その少女の声は、まるで悲劇を切り開く剣のきらめきにさえ思えたのだ。



   ***



 馬に跨がって駆け抜けた森のなかで、ようやく私は目的の人物を見付けた。


「アルフレッド!」

「……ブランシェ、様?」


 アルフレッドは茫然と私のことを見上げていた。


「どうして、ここに……?」


 ひどい顔をしていた。


 ゲームで見たあの騎士様とは思えないような。

 現実に傷ついた、少年の顔。


 ……当たり前だ。

 彼はまだ15歳になったばかりなのだから。


「アルフレッド……」


 みんなを守れる騎士になりたいと願って。

 目指し続けた夢は砕けてしまって。


 それでも、けなげに自分のすべきことを為すために武器を握っている。


 そうとわかったから、どうしてと尋ねる彼に私は答えたのだ。





「あなたに、守られにきたわ!」





「……は?」


 ぽかんとするアルフレッド。

 しまった、唐突過ぎたかしら?


 わけがわからないという顔をしている。


 いえ。それでも、さっきみたいに悲惨な顔をしてるより、よっぽどいい。


「さあ、早く乗りなさい!」


 時間もないし、説明は移動しながらだ。


 あえて強く命令すると、アルフレッドは戸惑いながらも手を取って、私のうしろに飛び乗った。


「え、ええと。ブランシェ様? どうしてここに?」

「休暇で近くの街に遊びにきていたのよ」


 答えながら、すぐに馬を走らせる。


「そうしたら、ちょっと気になる話を耳に挟んでね。侍女のメメに調べさせてみたら、どうやら妖魔の数が聞いていたよりも多いみたいじゃない。これはいけないと馬を走らせたのよ」

「さ、さすがはペロー公爵家の侍女ですね」

「メメはとても優秀だから」


 今の私が動かせる、数少ない人員のひとりだ。

 とてもお世話になっている。


 まあ、実際には情報収集をしたのではなくて、ゲームで知っていたことを、まるで情報収集で得たもののようにでっち上げてもらったのだけれど。


「ですが、それでどうしてブランシェ様がここに……?」

「誰かに知らせている時間がなかったのだもの。私だって、こんな無茶したくなかったわ」

「……失礼ですが、このような無茶をしてなんの意味が? 聡明なブランシェ様とも思えません」


 実際、小娘ひとり駆け付けたところで、なんの意味もないだろう。


 そんなこと私にだってわかっている。


 だから。


「あら。無茶をするのはこれからよ」

「……え?」


 目を丸くするアルフレッドに、私は腰に下げていた小瓶を手に取ってみせた。


 これが私の秘策。

 アルフレッドの初陣のことを知ってから今日まで、時間のないなか必死で準備してきたものだった。


「以前に偶然、街に遊びに出ていたときに興味深い書物を手に入れたのよ。妖魔を操る霊薬について記された書物だったわ」

「……なんですって?」


 唐突な話にいぶかしげな顔をするアルフレッドに、私はもっともらしく続けてみせる。


「もちろん、書物は処分したわ。思いっきりご禁制の品だもの。これは褒められてもいいと思うの」

「ええ。まあ、それはそう、ですが……」

「ただ、知識を得たら試してみたくなるのが人情というものでしょう?」

「……ブランシェ様。まさか」

「作ってみた霊薬がここにちょっとだけ残っているのよ」


 実際はゲームでの知識で作ったものなので、これは嘘だけれど。


 私の性格的に、本当にそのようなことがあれば同じことをしただろうから、私のことを知っているアルフレッドにとってリアリティのある話ではあるだろう。

 うん。日頃の行いって大事ね。


「……言いたいことはありますが、ここでは言いません」


 アルフレッドも軽く頭を抱えていたけれど、この状況で霊薬が持つ意味については理解できたらしかった。


「妖魔を操ることができるのであれば、妖魔の大氾濫(スタンピード)をとめることもできる。それで、ご禁制の品を使っているのを見られないように、本隊とは全然別のほうに駆けているわけですね」


 納得するアルフレッド。


 そんな彼の言葉に、手に持った瓶のふたを親指で飛ばした私は笑顔で返したのだった。


「全然違うわ」

「……え?」


 虚を突かれた顔をするアルフレッド。


 かまわず私は、瓶の中身を自分の頭の上で引っ繰り返した。


 霊薬は体を濡らすことなく、不吉に輝くと消えていく。

 これで準備は完了だ。


 口を開く。


「だいたい、私が妖魔を自由に操れるなら、こうしてアルフレッドに接触する必要自体ないでしょう。人知れず妖魔を追い返してしまえばいいだけだわ」

「そ、それはそうですが。でしたら、その霊薬は……?」

「すぐにわかるわ」


 言いながら、私はアルフレッドに気付かれないように、この場にもついてきてくれている相棒へと目をやる。


 そこには――頭を抱えるターリアの姿があったのだ。


「……なんてことを頼むのだ」


 うめく彼女の姿に、申し訳ないなと思う。

 ずっと彼女は反対していたから。


 とはいえ、相棒の私が願えば、彼女は応えてくれる。


「……ここまで来てしまえば致し方なしか」


 ため息をついたターリアは、小瓶の中身を浴びた私に手をかざすと呪文を口ずさんだ。




「――狼の尾に口づけを。棘の門は開かれた」




 そして、ターリアは黄金の瞳で私を見る。


「死ぬなよ、ブランシェ」


 もちろん。

 私は、すべての悲劇の運命をくつがえすんだから。



   ***



 その瞬間。

 森が雄叫びをあげた。



   ***



「な……っ」


 私は息をのんだ。

 デュボア公爵家の嫡子として、騎士となるべく鍛え上げた感覚が全力で警告をあげていた。


「……ブランシェ様。今、なにをなさいましたか」


 目の前に座る自分より小さな背中を見下ろす。


「森が、森がざわめいています。これは、大量の妖魔の気配が近づいて……?」

「この霊薬、妖魔を自由に操れるものではないといったでしょう?」


 落ち着き払った声が返ってくる。

 幼子にでもわかる不穏な気配に気付いていないわけでもないだろうに。


 彼女は平然と言ったのだ。


「これは『妖魔を引き寄せる』ものなのよ」

「なん……っ!?」


 絶句した。


 妖魔を引き寄せる霊薬。


 それを、さっき彼女はどうしたのか。


「ブ、ブランシェ様!? なんてことを!?」


 頭からかぶったのだ。

 それが本当なら、今から彼女のもとには、小規模とはいえ妖魔の大氾濫(スタンピード)を起こすほどの妖魔が押し寄せることになる。


「死ぬおつもりですか!?」


 思わず私は大声で言い募って。


「まさか」


 返ってきたのは、静かな声だった。


 なのに、それ以上、私に言葉を紡がせないほどの強さが込められていた。


「それだけはない。私は死にたくないし、死なせたくない。そのために、そのためだけに、私は尽くしているのだから」

「ブランシェ様……?」

「考えたのよ」


 あくまでも静かに。

 けれど、計り知れないほどの覚悟を込めた声でブランシェ様は語った。


「小規模とはいえ妖魔の大氾濫(スタンピード)と正面から準備なくぶつかれば、王宮騎士団は大きな被害を出してしまう。逆にいえば、それは『準備さえしてあれば正面からもやりあえる』ということ。そして、それは大多数の平均的な騎士たちの場合でさえそうなのよ。ここに、騎士団には『正面から複数相手であろうと妖魔と有利に戦える本物の実力者がいる』という事実を考えると、ひとつの可能性が見えてくる」


 前を見据える彼女の向こうで、深い森が途切れる。


 視界が開けて――。


「つまりは『最上位の実力者に準備万端待ち構えさせてしまえば、小規模な妖魔の大氾濫(スタンピード)なら切り抜けられる可能性はある』ってこと」


 そこに私は、巨大な建造物を見たのだった。



   ***



「遺跡……いや、砦?」

「古い時代に放棄されたものね」


 大きな岩を積み上げて造り上げられた砦だった。

 長い年月、風雨に晒された壁面の岩は、切り出した角が取れて丸みを帯びている。


 ブランシェ様はそのまま馬で砦の入り口に繋がる石橋まで駆けつけると、そこで下馬した。


「いい子ね。お行きなさい。先に街に帰っているのよ」


 馬の首を撫でて行かせると、ブランシェ様は改めて私に向き直った。


「この砦の出入り口はこのひとつだけ。橋を落とせば籠城もできるけど、時間をかければ壁面を破壊されてしまうでしょうから、入り口で迎え撃つのがいいと思うわ。道さえあれば知恵なき妖魔はそこに流れ込むでしょう。ちなみに、足留めのための魔法的な仕掛けはいくつか生きているのを確認済みよ」

「ブランシェ様はどうしてこのような場所を……」

「未来であなたに、ここで殺されたから」


 不穏な言葉にギョッとする。


 そんな私を見て、ブランシェ様はクスクス笑った。


「冗談。冗談よ。でも、少しは気が紛れたでしょう? それで、どうかしら? できる限りの舞台を整えたつもりなのだけれど」


 その問い掛けは、不穏な冗談と同じくらいに馬鹿馬鹿しいものだった。

 答えるまでもないという意味で。




 もともと、私を含めた騎士でも最上位の実力者は、一度に複数の妖魔を相手取って倒すだけの力はあった。

 理論上、それを何度も繰り返せば、妖魔を殺し尽くすことは決して不可能ではない。


 ただ、森のような場所で何十体という数に同時に襲われてしまえばさすがにどうしようもないし、なにより自分ひとりでは森を飛び出そうとする妖魔を集中させることなんてできなかった。


 けれど、今は違う。


 砦の通路を利用すれば、一度に襲いかかってこれる妖魔の数は数体だけ。

 妖魔を引き寄せるためには、どうしても騎士団という『人間の集団』が必要だったわけだが、それも必要なくなっている。


 おまけに、砦の機能は一部生きているのだという。


 もちろん、過酷な戦いになることは間違いないが、たとえ一割の勝率だったとしても、可能性がゼロだったことを考えれば十分過ぎる。


 完璧だ。


 ……そこに、本来であれば存在しなかった危険がひとつ加わってしまっていることを除けば。


「そのために、ブランシェ様は妖魔をおびき寄せる餌になったというのですか? わざわざ危険な場所に飛び込んできて?」


 彼女は本来この場にいなかった。

 命を危険にさらさなければいけないような理由はひとつもないのだ。


「私が負けてしまえば、あなたは殺されてしまうというのに!」


 そこだけが、どうしても自分にはわからなくて。


 けれど、あくまで彼女は落ち着いていた。

 こんなのなんでもないとでも言わんばかりに。


 訴えかける私に、迫りくる危険なんて知らないように笑い、こう言ったのだ。





「だって、あなたは守ってくれると言ったでしょう?」





 それだけで十分で、それだけがすべてだとでも言うように。


「だったら、なんの心配もないわ」

「……あ」


 その瞬間、自分の口にした言葉を思い出した。





 ――この身をかけてお守りいたします。





 そう誓ったのは自分だ。

 自分なのだ。


 確かにその誓いが守られる限り、心配することはなにもない。


 ……理屈では、そうだ。


 とはいえ、理屈は理屈だ。

 だからといって、こんなふうに死地に飛び込んでこられるものではない。


 そんな私の疑問の視線に応えるように、ブランシェ様は続けたのだ。


「他ならないあなたが、守ると言ってくれたから」

「私が……?」

「ええ、そうよ」


 頷き、疑いのかけらもなく断言する。


「私はあなたの努力を知っている。強い想いを知っている。だからこそ、守ると言ってくれた誓いの価値を知っている。だから、信じることができたのよ」

「……ブランシェ様」


 信じているから。


 それはとてもシンプルで、だからこそ胸を打つ答えだった。


 そして、もうひとつ私には自然と思い出される言葉があった。





 ――あなたに、守られにきたわ!





 駆け付けてきた彼女が口にしたあの言葉。

 今ならわかる。

 あの言葉こそが「あなたを信じている」という告白だったのだと。


 だとすれば、自分がすべきことは決まっていた。


「私の考え、どこか間違っているかしら?」

「……いいえ」


 間違いなど、どこにもない。


 自分は誓いを守ればいい。

 それだけでいい。


 彼女を守り抜けばいいのだ。

 そうすることで、みんなを守ることができる。


 自分の夢は失われない。

 そういう舞台を、彼女が準備してくれたから。


「ブランシェ様」


 感謝と敬意を込めて名を呼び、私は膝を突いた。

 もう一度、きちんとお伝えしておくべきだと思ったから。


 騎士の礼を捧げて、万感を込めた誓いを告げたのだ。


「この身をかけてお守りいたします――」



   ***



 ――ここで、アルフレッド=デュボアという人物に触れておかなければならない。


 ブランシェ=ペローの登場する乙女ゲーム『フェアリー テイル ラヴァーズ』第一作は、童話『赤ずきん』をモチーフにしている。


 たとえば、悪役令嬢ブランシェ=ペローは『赤ずきん』その人をモチーフにしており、常にビスクドールがかぶっているような婦人用帽子(ボンネット)で身を飾り、残虐非道な行いにより返り血でその身を染めることから『血まみれ赤ずきん』と呼ばれていた。


 また、隣国である帝国の国旗は『狼』を紋章化したものであり、ブランシェを討ち果たす隣国の第一王子は『銀色狼』の異名で知られていた。


 それでは、攻略対象者であるアルフレッドはなにをモチーフにしたキャラクターなのか。





 童話『赤ずきん』では、おばあさんの家に行く途中だった赤ずきんは、森のなかで狼にそそのかされて道草をしてしまい、その間に狼はおばあさんの家に先回りをする。

 結果、赤ずきんはおばあさんの家で、狼に食べられてしまうのだが……。


 ひとつ、重要なのはこの過程だ。

 言葉巧みに赤ずきんをそそのかした狼は――逆に言えば、最初に赤ずきんに森で出会った時点では、彼女に手を出していない。


 その場で食べてしまえばいいのに。


 実際、子供向けの絵本などではその理由までは触れられないことも多い。

 だが、元の童話ではきちんと理由がある。


 森のなかで狼は赤ずきんに手を出さなかったのではない。

 手を出すことができなかったのだ。


 なぜなら――森には、(きこり)がいたからだ。





 もちろん、簡略化された絵本では省略されてしまうこともある(きこり)そのものはモブでしかない。


 しかし、そもそも、彼らがいなければ赤ずきんは物語が始まる前に、狼と出会い頭に食べられてしまってもおかしくないことを思えば、彼らの存在なしにはこの物語は成立しないとも言える。


 書物としては最も古いペロー版の『赤ずきん』のことを考えると、その存在はより興味深い。


 というのも、ペロー版の『赤ずきん』には、彼の童話を読む宮廷の年若い娘たちのために「年端のいかない娘は寝室にまで入ってくる若い男(おおかみ)に気を付けること」という教訓が書かれている。


 童話に登場する赤ずきんが、年若い娘の寓意であるのは言うまでもないことだろう。

 とすれば、危険な森で赤ずきんを見守っている樵という存在は、若い娘たちを悪意から守る周囲の『善意』や『正義』の擬人化と見ることもできる。





 その存在ある限り、狼の牙から少女の身を守る正義の具現。

 この概念は『赤ずきん』をモチーフとした物語のなかで『斧』のシンボルに込められた。


 すなわち、護国の象徴である『斧の家紋』を持つデュボア家の嫡子であり、斧槍(ハルバード)を操るひとりの騎士に。


 アルフレッド=デュボア。

 彼こそが少女を守る最強の守りである。


 その刃は、あるべき場所でますますその輝きを増す。


 ゆえに、死闘はあるべき結末へとたどり着いたのだ。



   ***



「……まさか、これほどとは」


 声が聞こえてきて、私は意識を取り戻した。


 手に斧槍(ハルバード)を握ったままであることに、まず安堵する。

 どうやら立ったまま、一瞬、気を失っていたようだ。


 ――妖魔を斬って、斬って、斬った。


 100を超えたあたりからは数えていない。


 気付けば周囲に妖魔の気配はなく、その屍が無数に転がる通路の向こうに騎士たちの姿があった。

 見知った先輩の王宮騎士だった。


「……なぜ、皆さんがここに?」

「妖魔が突然、進路を変えたからだ。俺たちは妖魔を追撃してここにきたんだ」


 それで、納得した。


「なるほど。妖魔がいないのはそれが理由ですか」


 図らずも挟撃のかたちになっていたらしい。


「助かりました」

「……いや。あれだけの妖魔の半分以上をひとりでやったお前がそう言うかよ」


 なにやら呆れるような口調で言われてしまったけれど、まだ疲労で頭がぼうっとしていてうまく呑み込めない。


 そんなこちらの様子に気付いたのか、近付いてきて肩を叩かれた。


「疲れただろう。城内に入った妖魔の残党は俺たちに任せてお前はもう休め」

「はい。ありがとうございま――」


 ――城内に?


 途端、意識が覚醒した。


 思わず、肩を叩いた手を掴んでいた。


「城内に!? 妖魔が入り込んだのですか!?」

「うえっ!? あ、ああ……」


 面食らった様子の先輩騎士は、それでもこちらの問いに答えてくれた。


「一部城壁が崩れていたみたいで、そんな痕跡があった。だけど、気にすることはない。入ったとしてもせいぜい数匹だ。あとは俺たちが簡単に……って、どこに行く!?」


 無意識のうちに、私は飛び出していた。


「ブランシェ様……!」


 砦の通路を駆け抜けていく。


 妖魔が城内に入った。

 やつらが狙っているのは、霊薬をかぶったブランシェ様だ。

 守ると誓った彼女なのだ。


「どこに……どこにいらっしゃるのですか!?」


 最悪の想像が心臓に早鐘を打たせる。

 後先考えない全力疾走で、城内を駆け抜ける。


 そして、私はその光景を目にした。




   ***




「……」


 辿り着いた、城の一角。


 吹き抜けになった中庭で、少女は立っていた。


 最悪の想像の通り、真っ赤に染まった姿で。

 ただ、想像しなかったのは――それが、すべて『返り血』であることだった。




「……あら?」




 気配に気付いた彼女が、こちらに視線をやる。


 その左手には、返り血に染まった細剣が握り締められていた。

 逆の手が無造作に、斬り落としたらしい巨大な蟷螂(かまきり)の妖魔の前肢を投げ捨てた。


 大鎌のように見える前肢が、転がる数体の獣の妖魔の死骸にぶつかって地面に落ちた。


「ブランシェ様……?」


 こちらを眺める眼差しがひどく蠱惑的に見えたのは、血に濡れたその姿があまりにしっくりきたからだろう。


 奇妙なことに、年端のいかない少女の姿に、その凄惨な赤色はしつらえたようによく似合った。

 まるでこうなることを定められていたかのように。


 けれど……そんなわけがない。


 そんなことが定められているなんてありえない。

 少なくとも、彼女を知る私はそう言い切れる。


 その確信を肯定するかのように、彼女は笑うのだった。


「終わったのね、アルフレッド」


 まるで花開くかのように。

 さっきまで戦場だった場所にそぐわない、だからこそ彼女らしい快活で意志の強い笑み。


 親しみを込めたその表情は、自分のよく知っている少女のもので。


 それでようやく、私は安心できたのだ。


「はい。ブランシェ様。終わらせてまいりました」

「良かった。あなたが無事で嬉しいわ」


 笑顔のまま、彼女はそう言って喜ぶ。


 そして――パタンと、うしろに倒れ込んだ。


「……って、ブランシェ様!?」


 あまりに唐突過ぎて、一瞬、反応が遅れてしまった。


 倒れた彼女のもとに慌てて私は駆け寄って、軽いその体を抱きあげる。


 さいわい、大きな怪我はないようだが……。


 顔を覗き込んでみれば、彼女は目を回していた。


「さ、さすがに疲れたわ……」

「……当たり前です。妖魔を相手にするなんて、無茶をなさり過ぎです」


 妖魔にも強さに違いがあるので、恐らく、幸運にも城内に侵入したのは強いものではなかったのだろうけれど。


 だとしても、貴族の御令嬢が遭遇して生き残れるような相手ではない。

 それどころか、精鋭の王宮騎士ならともかく、そこらの貴族に仕えるような普通の騎士なら死ぬ可能性が高いくらいだ。


 公爵家令嬢でありながら剣術を熱心に習い、筋の良い彼女だからこそ、このような無茶ができたのだ。

 ただ守られているばかりではいないあたりが、本当に彼女らしかった。


「そうね。さすがに少し無茶をしたわ」


 そのあたりは自覚があるらしい。

 苦笑したブランシェ様が、私の目を見つめてきた。


「だけど、私は生きている」

「……はい」

「騎士団も壊滅しなかった。もちろん、人里に被害が出ることも」


 彼女が口にすることで、現実が確かな輪郭を持って感じられた。


「あなたのおかげよ。約束、守ってくれてありがとう」


 守りたかったすべてがここにあった。


 騎士の誓い。

 少女の存在。

 みんなの命。


 自分はすべてを守り抜くことができた。


 けれど、私の夢を守ってくれたのはブランシェ様だ。

 彼女のおかげで、私は自分の理想とした騎士の姿を失わずに済んだ。


 そう思えば、腕の中にある華奢な体がとても大切なものに感じられてならない。


 だから、その言葉は自然と口をついて出たのだった。


「これからもお守りいたします、ブランシェ様」

「ええ。きっと、私を守ってね」


 この誓いは永遠に。

 手にした刃の輝きは、彼女を守り抜くためにある。


 私たちは、ふたり微笑み合ったのだった。



   ***



 そうして、時は流れる――……。


 今でも、あのときのことを思い出す。


 何物よりも大切な記憶。

 騎士として向かうべき先が決まった日のことを。


 あれからずいぶんと時間が経った。


 けれど、進む先は変わっていない。



   ***



「それでは、私は行ってまいります。父上」


 声をかけると、王都にある邸宅に珍しく滞在していた父は面白がるように笑った。


「少し早いんじゃないのか。ブランシェ様の晴れ舞台に、心がはやるのは理解できるが」

「……私は落ち着いております。ただ、晴れ舞台であればこそ、余裕を持って何事にも対処できるように早めに動いておくべきでしょう。ブランシェ様は后として王とともにこの国を導かれる方なのですから、その晴れ舞台となれば国の一大事と言ってもいい」

「ふむ。しかし、あの方が后になるかどうかはまだわからないだろう。彼女はまだ婚約者の身分だ」

「……父上はブランシェ様が后にふさわしくないとおっしゃるのですか」


 敬愛する女性であり、友人でもある彼女のことだけに、ムッとしてしまう。


 確かに父の言う通り、ブランシェ様が王の婚約者になったのは形式が先行したものだ。

 いろいろと事情があったのだ。


 そういう経緯だからブランシェ様当人も、后にはもっとふさわしい人がいると常々言っている。


 しかし、私には彼女以上に后にふさわしい方などいないように思えるし、たとえ父親でもそこに疑問を持たれるのは面白くなかった。


 そんな私の不満を抑えるように、父はこちらに手を向けてきた。


「いや。私もブランシェ様がふさわしくないと思っているわけではないさ」

「それでは……?」

「あの方にも選ぶ権利はあるということだ。王はあの方を大事にされているし、その意思を尊重なさるだろう。だとすれば、后になることが必ずしも彼女の望む幸せとは限らないのではないか?」

「それは……確かに、そうかもしれませんが」


 私としても、彼女の幸せが一番だという意見に否はない。


 口をつぐんだところで、父は身内だけに見せるからかいの笑みを向けてきた。


「たとえば、あの方が私の娘になるようなこともあるかもしれないだろう?」

「――」


 なにを言われたのか、一拍、本気で理解ができなくて。


「末席とはいえ我らデュボア家も『花の御三家』。婿入りすることは決して不可能ではないさ」

「ち、父上――ッ!? なにをおっしゃっているのですか!?」


 あわてふためく声に、父の笑い声が重なった。



   ***



 そんな朝のやりとりはさておいて。

 登城した私は、とある部屋の前で控えていた。


 周りにいるのは騎士団でも隊長格の騎士たちばかりだ。

 かくいう私自身も現在は隊を預かる立場にある。


 そんな面々の前で扉が開き、私たちは片膝を突いて頭を下げた。




「――ブランシェ様、(あけ)(いばら)騎士団、準備はできております」




「ご苦労様」


 そう私たちをねぎらう言葉を口にしながら姿を現したのは、美しく成長なされたブランシェ様だ。


 女性にしては高い身長。

 抜群のプロポーションを華やかなドレスに包み、トレードマークである朱色の婦人用帽子(ボンネット)で飾った姿は、等身大の人形と見まがうほどに美しい。


 とはいえ、その表情は人形ではありえない。

 溌溂として生気に溢れた、出会った頃のままの彼女だ。


「ただ、別にそこまで気を張らなくてもいいのよ。なにも戦争をするわけではないのだから」

「いいえ。そうはまいりません」


 気安い口調で言う彼女に、私は仕事用の堅い口調で返す。


 今でも親しい友人同士ではあるけれど、公私の区別はつけるべきだ。

 少なくとも、こちらからそれを崩すようなことはあってはならない。


 それは、自分が彼女にどのような感情を抱いているとしてもだ。


「あら?」


 他愛のないやりとりを重ねたあとで、歩き出そうとしたブランシェ様がふと声をあげた。


「アルフレッド。あなた、少し顔が赤いわ。どうかしたかしら?」


 そう言うと、無防備に顔を覗き込んでくる。

 他人のことをよく見ているのは彼女の美徳だが、タイミングが悪かった。


「……っ、いえ。なにも」


 心配そうに、一歩近づく距離に心臓が跳ねる。


 登城する前の父との会話を思い出したせいだ、などと言えるわけもない。


 一呼吸でどうにか立て直して答えた。


「……お気になさらず。本当に、なんでもありませんので」

「そう? 無理はしないでね」


 言いつくろうことに成功したようで、内心でホッとする。

 さりげなく頬をこすると、まだ熱が残っている感じがした。


 まったく、これでは他の者に示しがつかない。

 普段はこんなふうに慌てふためくようなことはないのだが。


 ……いや。

 ブランシェ様がからむと、そうでもないかもしれないが。


 本当に困ったのは、理想の騎士らしからぬそんな自分が決して嫌ではないことかもしれない。



   ***



 実際のところ。

 自分がブランシェ様に惹かれていることに気付かないほど、私は朴念仁ではない。


 きっかけはきっと、あの打ち捨てられた砦での戦いで。

 あれから何度も、心惹かれる瞬間があった。


 彼女と一緒になることができれば、どれほど幸福だろうと思う。


 ……けれど、少なくとも今はこの想いを告げるつもりはない。


 予感があったからだ。


 かつて捧げた誓いの真価を試される日が、いずれくるのだと。

 そして、その日は決して遠い未来のことではない。


「行きましょうか」

「はい。お供いたします」


 そう応えながらも、私はブランシェ様の様子をさりげなく観察する。


 体調は悪くなさそうだが……少しだけ、表情が硬い。

 近しい人間だけが気付ける程度に。


 今日は彼女にとっての『晴れ舞台』なので、緊張をしているのだろうか。

 それとも……。


 歩き出した彼女に私は随伴する。


 その先に、青年が待っていた。




「初めまして、ブランシェ様。私の名前はフェンリ=フォン=ブリッツブルク。このたび、貴国と同盟を結ぶことになった、帝国の第一王子です」

「これはご丁寧に。私はブランシェ=ペローと申します。『銀色狼』と称えられる殿下のお噂はお聞きしています」




 隣の帝国からの使節団。

 何度となく戦火を交え、現在に至るまで敵国として存在し続けた帝国との同盟の証として彼らはやってきた。


 この同盟は、王の臣下としてペロー公爵家を代表してブランシェ様が精力的に進めていたものだ。


 使節団の受け入れまで持ってこられたのはその成果だ。

 とはいえ、まさか帝国の名高き『銀色狼』が直接やってくるとは思いもしなかったが。


 初めて見た隣国のフェンリ王子は、剥き身の剣のような青年だった。

 冷たい容貌ではあるものの、眼差しの鋭利さが内面の猛々しさを感じさせる。


 立ち姿には隙がまるで見当たらず、王族としての振る舞いも立派なものだ。

 評判に間違いはないらしい。


 ただ、私が彼に注目していたのは青年の高名さだけが理由ではなかった。





 フェンリ王子を相手に、朗らかに笑っているブランシェ様――。

 以前から彼女がこの青年の話になるときに、ふと見せる表情が気になっていた。


 ――それは、なにかを憂えるような。

 ――怯えるような。

 ――それでも、挑むと決めたような顔。


 守ると決めた女性のことだ。

 気付かないはずがない。


 長らく敵国であった隣国の王子、というだけではどうにもない気がする。


 なにかあるのだ。

 押し寄せる妖魔の群れを前に笑みを失わなかった彼女に、あのような顔をさせるようなものが。


 それがなんなのかは、わからないが……。


 ……いや。たとえなんであっても、そんなのはどうでもいいことだ。




 そのとき、青年の怜悧な眼差しが、不意にこちらに向けられた。


「おや。そちらはひょっとすると……」

「ええ。彼はアルフレッド=デュボア。私の最も信頼する騎士よ」

「やはりそうでしたか。王国にその人ありと謳われる勇名は我が国にも届いていました」


 言いながら、こちらにやってくるフェンリ王子。


 彼がなんであったとしても、私のやることは変わらない。


「お初にお目にかかります、フェンリ王子」


 狼にたとえられる隣国の王子と挨拶を交わしつつ、私は改めて胸中で誓う。




 たとえ敵がなんであれば、私はブランシェ様をお守りする。

 彼女の愛するすべてを守る。


 すなわち、この国のすべてを守るのだ。


 目に映る脅威はことごとく、手にした刃で打ち砕いてみせよう。

 この身はそのためにあるのだから。





――アルフレッド=デュボア。

乙女ゲーム『フェアリー テール ラヴァーズ』第一作の攻略対象であり、すべてのルートで主人公に力を貸してくれる誠実な騎士。

狂いつつある国に生きる人々の将来を憂いており、およそ普通にゲームをプレイしていれば味方についてくれる彼には、ひとつ隠し要素が存在する。


細心の注意を払い、あえて『彼が味方にならないように』選択肢を選んでいくと、それ以外をどう進めてもブランシェを討つことができずにバッドエンドが確定するのである。

これは『その存在ある限り、狼は赤ずきんを食べられない』という彼のモチーフを示す隠し要素として設定されている。


ただし、現実になったこの世界で未来がどうなるのかはわからない。

運命はくつがえすとは、そういうことなのだから――。



   ***



ということで、読了ありがとうございました。楽しんでいただけましたらさいわいです。

面白いと思っていただけましたら、ぜひ下にある評価☆☆☆☆☆、ブックマークを押していただけますと嬉しいです。参考にさせていただきます。


こちらは単体でも楽しめる短編として構成しましたが、同じ登場人物の短編が他にもあります。上の『悪役令嬢短編』のリンクからご覧いただけますので、ぜひそちらもお読みいただければ嬉しいです。この話とどちらから先に読んでも大丈夫です。



今回は攻略対象のひとり、騎士様のお話でした。

主人公と騎士様の今後や他の攻略対象者についても考えてはあるので、お読みいただける方が多いようでしたらまた書きたいと思います。

ご感想もお待ちしておりますので、コメントいただけましたらさいわいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 夢中になってこちらも読ませて頂きました! 前作と同じでいよいよ『銀色狼』が現れたところでぇぇぇぇぇっ!!! 次回は『銀色狼』のターンですよね!ね!?! 待っています!!! そろそろ♡LOV…
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