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婚約破棄ではなく解消、それも伯爵方の有責にて片を付ける流れと並行しつつ淫魔への対処が早急にとなされ屋敷の中はてんやわんやとしていた。
婚約解消は多くの貴族らから必要であれば証言すると申し出があり、また一番大きかったのはやはり宰相自ら手を貸すと息巻いていたことだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに少しでも己の手で彼に致命傷を与えたいらしく寧ろ侯爵よりも与えようとする罰に対し容赦がない。
伯爵も謝罪のための使者を寄越してきた後は宰相を相手に、こちらに構うどころではないような様子が見てとれた。
当然ながら伯爵と公爵家の庶子は謹慎とされ、片や廃嫡の後母方の男爵家を頼り田舎へと引っ込み、片や嫁ぎ要因として期待されていたにも関わらずその利用価値を失ったとして優良な嫁ぎ先は壊滅し、ゲスな趣味を持つと噂される金だけは持て余していた商家の男に縁談を持ち込まれ数日とおかず嫁いでいった。
大人たちはそれでもまだ収まらない後始末に追われている。
ローザリアも親戚中から伝手を頼って掻き集められた精鋭たちに囲まれながら一人一人を必死で覚えていた。
「シーバ家次女、ハルテン・シーバと申します。……人には口にできませんが、昔、飼っていた犬の餌を口にしたことがあります。幼い私はその犬があまりにおいしそうに残飯を食べるのでそんなにおいしいのかと思ってしまい、それで、そんなことを……。うう、恥ずかしい。恥ずかしいですが、これが私の秘密です」
「ラプラ家三女、マルタ・ラプラと申します。私の秘密は殿方同士の報われない恋物語を描いた書を愛読していることです。身分よりも年の差よりも何をしても越えられない大きな壁の前で絶望し、足掻きながら愛し合う恋人たち!ああ、なんて素敵なんでしょう!そしてこれが、私の一番の愛読書、“青き空と薫る紫煙”ですわ!」
「トタルニ家三女、サーシャ・トタルニと申します。私の秘事は……その、殿方の手首の筋を鑑賞することです。トタルニ家は代々医者を多く輩出してきました。私も兄や患者様と触れ合う機会を多く持っていまして、それで、職業病とでも言いますか、どうしても注射をしやすそうな太く逞しい血管を見るとときめいてしまうのです……。お恥ずかしい」
皆女だてらに王族などの高貴な身分の女性を守るために力に長けた者たちとして集められた女性らなのだが、初めて話す秘密ごとはそれはバラエティーに富んでいた。こたびの事情を知っており、他人には隠し続けたことを披露せよとのことでローザリア嬢と一人一人と面談し話しているがマルタ嬢以外は皆恥じている。
合言葉ではなくとも個人のそれらを覚えておけば淫魔もきっと問われた時に混乱しよう。ローザリアはメモ紙に小さく書いたそれを覚えるまで持ち歩き、覚えたと自信をつけると同時に暖炉へ放り込んで隠滅した。
これで己の頭と彼女らの中にしか秘密は残らない。
大公子息から届く品物も少しずつ増えていった。最初は襟巻き。その次に男性物の香水、ハンカチ。
枕元に置き魔除けとして使う前にこっそりと嗅ぐってみると助けられた時に嗅いだあの香を感じこれが淫魔の匂いと言われれば確かにそれらしくも思えるなとローザリアはひっそりと思いながら婚約者もなくなりフリーな女性になったにも関わらず、父親以外の男性の匂いに包まれながら眠るという奇妙な体験をし始めた。
「やあ、ローザリア嬢。あれから体の方はどう?」
夢に落ち、さほど経たぬうちにへらりとした笑みを湛えた大公子息がこちらに手を振り親しげに話しかけてきた。
警戒されることを考えてか、距離は保たれている。
「……あなたは淫魔の力はお使いできないのでは?」
「あの時はああ言ったけど、若干程度ならオレにも使えるんだよ」
のらりくらりと交わす言葉は本当に信用していいものなのだろうか。両手をついギュッと握りしめ後退ろうとすれば青年の目が細められる。
「そう。それでいい。こういう夢は信用したらあっという間に堕落させられるから。でも良かった。ちゃんとオレの贈ったもの置いてくれたんだね。それが目印になってオレはここに来れたんだ。この前は時間もなくてがーっと喋るだけ喋って帰ったから、不安にさせたままだなってすごく気にしてたんだ。……約束、これからも守り続けてくれるとありがたいな。そうしたら、ローザリア嬢が万が一襲われかけてもオレが夢の中に駆けつけて助けに行くこともできるかもしれないから」
「どうして見ず知らずの私にそこまでしてくれるのですか?」
暖かく優しげな表情でただ心配だと、守りたいその思いを口にする彼に思わずこちらも心を晒す。
砕けた口調も年齢らしい所作もここで見る彼の方がより自然に見えるのも何故か引っ掛かりを覚えたのだ。
尋ねた言葉に一瞬きょとんとした顔をした彼は眉を下げて困ったような、それでいて微かに悲しみの滲む顔をして頬を掻く。
「ローザリア嬢に母さんみたくなってほしくないから、かなぁ。ローザリア嬢は悲しいことがあったばかりだから次は良いことが起きて幸せになるべきだし、子どももきっとオレみたいに半端な子が生まれるよりも皆が幸せになれる方が良い。不義の子やら悪魔の子やら、子どもに罪はなくとも皆が悲しむし憎悪も向け続けられるのは結構苦しいからさ。オレが助けられる命があるなら助けてみようと思って」
罪の証を携えた子というだけで、本人が何をしなくとも悪評や噂が広まり周りから煙たがられ距離を置かれる。努力を重ねてもこの国を出るでもしない限り生涯苛まれ続けるのだろう。
母も失い、父はわからず父となるべきその人は……?友はいるのだろうか。誰か彼の孤独を癒せるものはと言うところで彼の姿が白い光に揺らぐ。
「見回りの当番が来たかな?明かりを近付けたせいで君の眠りが浅くなってる。良かった。同性の番もちゃんと用意できたんだね。じゃあオレもそろそろ戻るから、ローザリア嬢もこの後も気をつけながら眠ってね。下手に服や体に触れる男の夢なら股関蹴り飛ばしてやるくらいしても構わないと思うよ、またね」
ひらひらと手を振り、彼の姿は泡沫のように消えて目が覚める。蝋燭の眩しさに顔を顰めながら確認するとサーシャだった。
「お嬢様、大丈夫ですか?少し眠りが深いように思えたので無礼とは思いましたが一応はと確認だけさせて頂いておりました」
「ええ、平気よ。そういえばあなた、刺しやすい手が好きなのよね?」
「……はい。力を込めた時に浮き上がる血管が大好きで」
「本物のサーシャね」
そんなやりとりをした後、サーシャが用意したホットワインを飲みまたローザリアは眠りに就いた。あの寂しげな悲しげな目をしたお人好しの青年を自分も救えはしないだろうかと考えながら。