道の駅
夫婦して、ちょうど休みがとれたので、旅行に出かけた。
旅の初日。
ぼくらは、ある宿場町を観光した。
それは、五街道沿いの宿場町で――高地にあって、河岸段丘の段丘面に、ひっそりと寄せ集まるようにして軒が並んでいる――場所なのである。
わざと平日に組み込んだのは正解だった。
人の姿は、ごくまばらだった。
午前9時に到着して、ひととおり史跡だの土産物屋だの、資料館だのを見て回ると、じきに、さて昼食はどうしようかという時間になった。
しかし、よくある話で、こういう観光地で食べるものは、高いわりにうまくない。ましてや、観光地といっても質素な、ものわびしいところである。三、四軒ある食いもの屋をのぞいてみても、これといって、そそられない。まあ、こんなところで無理して食べなくても、というものばかりなのだ。
踏ん切りがつかないでいると、妻が、スマートフォンで近隣検索をはじめた。
それでやってきたのが、この道の駅である。
山間を縫う往時の街道は、いまや充分な幅員のある、二桁国道になっている。乗用車に加え、ダンプや中型トラックなんかもビュンビュン走っている。
あの宿場町から、ほんの2、3分国道を走らせたら、すぐに到着した。
ここはここで、小さくて、主張のとぼしい道の駅だった。
道の駅の敷地には、木造平屋の地元農産物の直売所があって、そのそばに土産物屋と、食堂の入った棟がある。以上、それだけなのだ。駐車場には、ぼくらの車のほかに、軽トラックが2台だけ停まっていた。
「ここ、おそばおいしいらしいよ」
妻が言う。
ぼくらは食堂へ向かった。
食堂の前に券売機があって、そこで食券を買った。
食堂へ入った。
そうだろうと思っていたが、客は、だれもいない。
食堂の従業員に、食券を渡した。はい、番号でお呼びします、と半券を渡される。よくあるシステムである。
ぼくと妻は、テーブルに、向かい合って座った。
やがて、天ぷらそばと、ざるそばの大盛りが運ばれてきた。
食べてみる。
うん。うまい。悪くない。
妻も同じようだ。
ここにして正解だったと思いながらも、旅のくせに、ずいぶんと行き当たりばったりで、いかにもぼくら夫婦らしいと苦笑した。
そのときだった。
「いらっしゃいませ」
従業員の声があがった。
従業員も厨房も、ぼくの背後になっているから、客が来たようだが、どんな客かはわからない。
だが、うまそうにそばを食べていた妻が、箸を止めて、来た客を注視していることには気がついた。
「はあい。番号でお呼びしますねえ。お掛けンなってお待ちくださいねえ」
愛想のいい声がして――客の足音が、ぼくらから離れたテーブルへ進んでいく。
妻は、客を、目で追っている。
「どうした」
あまり二人してじろじろ見るのも気が引けるから、ぼくはまだ、妻と相対している。しかし、あれよ、あれなに、と妻が言うにおよんで、ぼくは、妻の指さすほうへ首を向けた。
――男だ。
席に座っている男は……、上半身、裸なのだ。
椅子に座っているせいかもしれないが、男は、ずいぶん小柄に見える。短髪に、はちまきを締めている。痩せてはいるが、ひきしまった半裸。たまに聞く形容だが、競走馬の肉体のように、筋肉に張りがあり、肌がつやつやして、いかにも健康といった裸体である。その下には、どうも白ふんどしのようなもの締めている。膝には、濃紺の脚絆を巻いていて、足袋を履いている。
つまり、道の駅で食事をするには、いかにも異様な風体なのである。
「なんだ? あの人」
小声で、ぼくはいった。
その男は、あ、と気がついたように、給水器へ水をとりにいき……、また席に座った。そして、コップをぐいぐいやっているのである。
「昔の人?」
妻が首をかしげた。
「昔の人っぽくない? あの恰好」
「まさか」
「じゃあなんなの」
「力仕事してる人かな」
ぼくは答えた。職人などが、暑い盛りに、ねじりハチマキとランニングシャツで頑張っている姿をイメージして言ったのだが――。
だが、もとより、そんなものではないのだ。
あれは、ぼくのとぼしい知識によれば、昔の、飛脚のいでたちではないだろうか。
「お待たせしましたあ」
平然と、従業員は番号を呼んだ。
男は立ち上がった。
「薬味とマスタード、そちらにございますからお好みでお使いくださいねえ」
従業員はにこやかに言う。
あえて男の風体にはふれないで、平生を装っているというようにも見えない。
半裸の男は、それぞれ、どんぶりとざるの載った大きな盆を二つ、両手に抱えて、席へと戻っていった。
「……ねえ、見た?」
妻は、もう、あまり箸が進んでいない。
「見たよ」
ぼくは返した。
半裸の男が、まげを結っていることに気がついたのである。
半裸の男は、丼飯をがつがつ、むしゃむしゃ、ばくばくと食べ、たちまち空にすると、もう一つの盆の、ざるそばを、ものすごい速さでずるずるかっこんだ。
まるで、なにかに追われているようだ、とぼくは思った。
しかし、あの男がもしも飛脚なのだったら、時間に追われているのだろうし、食事どきだって、悠長に過ごしてはいないのだろう。まあ、飛脚だなんてことは、もちろんないのだが――。
「はい、おまちどおさま」
また、従業員が声をあげた。
半裸の男は、席を立って、また盆を一つもってきた。
あれはなんだ。今度はなんだ。
ぼくら夫婦は、もうすっかり箸を止めて、男を注視している。
うどんだ。
きつねうどんに、たしか野沢菜おにぎりが2つと、お新香がセットになっている定食なのだ。ぼくも、最初、ちょっと気になったので覚えているのだ。
男は、これも猛スピードでたいらげると、しばらく楊枝で歯をせせってから、ぱっと立ち上がり、食堂を出ていった。
ぼくら夫婦は、顔を見合わせたが――それは、お互いに、あの男をどう理解したらよいか頼りあっているのだった。むろん、なにもわかりはしないのだ。
食堂を出て、ぼくは、煙草を吸ってくると言って、喫煙所へ行った。
妻は手洗いに行くというので、終わったらここへ来てくれとぼくは言った。
喫煙所にやってきた妻は、またもや異様な光景を見ることになった。
例の、飛脚の男だ。
それが、男を含め、4人いる。みんな、同じ出で立ちをしている。
喫煙所の壁に、2、3本、本などで見たことのある、飛脚の持つ長い棒、棒の先に小包が結わえられている、あれが立てかけられている。
それに、彼らはキセルを使って、ぷうぷうと煙草を吸っているのだ。
彼らは、さっきから何か話しているが、変な訛りはあるものの、この先の道は険しいからどうのこうの、という話をしているようだった。
ぎょっとしたのだろう、妻は目で、早く行こうと促す。
ぼくはそれに従い、煙草の火を消すと、駐車場へ向かった。
ぼくらは、そこで声をあげた。
駐車場の、自動車の白線の区画に、駕籠だの、人力車だの、大八車だの、馬車だの、やっぱり飛脚だのが、より集まっているのだ。
よく見ると、たしか、戦中に走っていたという木炭自動車まで停車している。
あれは――あれは、いったいなんなのだ?
仮装行列かなにかか?
しかし、その割には、お互いに不愛想なのだ。それに、そんな行列を、あえて、こんな平日にやるものだろうか?
よく日焼けした飛脚。
洋装の、シルクハットを被った紳士。
ほっかむりを被った、百姓然とした、土に汚れた小男。
そして、脇差を帯刀した、ちょんまげ頭の侍も数人たむろしている。
「お客さん、お客さん」
声がした。
食堂から、例の従業員が飛び出してきたのである。
「いいんですよお、お客さん」
前に伸ばした手を振って、ぼくらに訴えかけるようである。
「いいんです。気にしないでください。わたしたちは慣れているんです」
つまり、ここからさっさと離れろと伝えているようだ。
「気にしないでください。ね。最近ね。いろいろパソコンでね、見せ合ったりとかあるみたいですけど、あんまり人には言わないでね。よそへ行ってもね」
口外するなということらしい。
「はあ」
とよくわからない返事をして、ぼくらは、その場を離れた。
二人、ずっと無言のままである。
自動車は、また、往時の街道、現在の二桁国道を、再び走りはじめた。
歴史のある道だから当たり前だが、過去から現在にいたるまで、この道を、いろんな人が通ってきたのだな、とぼくは思った。
拡幅され、舗装されても、道が道であることに、変わりはない。いま走っているぼくの自動車も、その道を通り抜けた影の、集積のひとつになるのだろうと思った。
ぼくは、ふいに現れたあの人々を、べつに恐ろしいとは思わなかった。
だが、せっかくの旅行気分が台無しになってしまった。
妻も、さっきからずっと喋ろうとしないし……。おそろしいというよりは、少しばかり、いらだたしい気持ちになったのは事実だった。
了