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関係性上書き症候群 ~改変世界でもう一度恋人になってイチャイチャするだけの百合小説~

作者: nullpovendman

 2020年1月2日11時43分、世界は少しだけ改変された。この瞬間、世界中の人がそう実感した。

 一番被害があったのは、正月番組の生放送でお宅訪問中だった芸能人夫婦だろう。いや元夫婦(・・・)か。


「なぜ私は彼とお付き合いもしていないのに、お宅訪問をされているのですか? ドッキリでしょうか」


 訪問先の女優からの突然の発言に、レポーター役の芸人も困惑した。確かに企画段階では誰も指摘しなかったはずだが、なぜこの夫婦でも(・・・・)カップルでもない(・・・・・・・・)芸能人二人をお宅訪問の対象として選んだのか、現場でも放送局でもわかる人間はいなかった。

 放送を続けていいのか判断がつかず、放送事故となってしまい、しばらくの間公共広告のCMが流れ続けたことは記憶に新しい。


 関係性上書き症候群。

 この日、世界中の人々を襲った、世界改変を感じるという精神病(・・・)に対して、そう命名された。

 精神病ではなく、本当に世界が改変されてパラレルワールドになったのだが、一般の人々に確かめる術はなかった。そもそも何かが世界を改変させた、そういう意識は世界中の人々が感じたらしいが、具体的に何が変わったのかはわからなかった。


 2週間くらいして改変前世界の記憶がうろ覚えながら残っている人たちの、わずかばかりの情報を、ネットの有志がまとめた。その話を読む限り、世界中の人が、親しかったはずの2~3人と疎遠になっていたり、親しくなかったはずの2~3人と仲良くなっていたりするらしい。

 おそらく人類が初めて経験した現象である。

 原因など、わかるはずもない。



 世界改変の瞬間、帰省先で(くだん)のテレビ番組を見ていた私がまず思ったのは、彩香(あやか)のことだった。

「世界が改変されたってどういうこと? 彩香に連絡しないと……。えっ、彩香って誰だっけ? 一応の彼氏である直人(なおと)より先に連絡をしようとする女友達なんて私にはいなかったような……?」


 なぜかどうしても気になった私は、テレビを消し、実家にいるのをいいことに、幼稚園から小学校、中学校、高校までの卒業アルバムから、彩香という女の子を探し始めた。

 きっと忘れてはいけない、大切な人だったはずだ。

 そう、思ってはいるが、彼女について覚えていることはほとんどない。


 幼稚園の卒業アルバムで、同じクラスだった斉藤(さいとう)彩香という子を見つけた。

 小学校では、6年生では別のクラスだったようだが、同じ学校に通っていたことは確認できた。何度か廊下で顔を合わせたことが記憶にあるような気がする。

 なぜだか、小学校で友人と遊んだ記憶がほとんど思い出せない。修学旅行であまり仲良くないクラスメートと過ごしたことは覚えているし、日常の何気ないやり取りは思い出せるというのに。

 中学校も同じく、別のクラスだったようだ。ただ、アルバムの最後のページ、友達からのメッセージ欄の右下に、彼女からのメッセージとして、ずっと一緒にいようね、と書かれているのを見つけた。まったく記憶にない。

 中学校は部活動でバレーボールをしていたはず。部活動のことはあまり思い出せない。先輩とか後輩とかとのやりとりはある程度思い出せるのだが、練習も試合も記憶にフタがされているように思う。

 高校は2年生で同じクラスだったらしく、修学旅行で同じグループになっているらしい写真がいくつか見つかった。これも記憶にない。

 高校の修学旅行を覚えていないというのは、さすがにおかしい。


 なんだか目がぼやける。

 視界にノイズが入って、ジジジという音が聞こえた。

 先ほど見かけたはずの写真は、構図は同じだが、彩香が写っていたはずの位置には直人が立っていた。


 そうそう、この頃、直人から告白されて、多分私は男の人を本気で好きになることはないと思うけど、それでも良ければ、という条件で付き合い始めたのだった。


 ……本当にそうだったか?

 確かに京都で告白はされたはずだが、その返事をしたのは大学の時ではなかったか? それでもいいと直人が言ったのは、この写真に写っている京都ではなく、東京の天空塔ではなかったか?


 頭がぼんやりする。


 だが、ここで諦めては、何か大切なものを失ってしまう。

 もう一度、中学の卒業アルバムを開いた。アルバムの最後のページ、そこには何も書かれていなかった。

 メッセージ欄右下を指でなぞりながら、記憶のフタと向かい合う。


 思い出せ。思い出せ、私。

 天空塔を見ながらの夕食で告白したのは誰だ、京都を一緒に回ったはずの人物は誰だ、中学のプール授業を二人で見学した時に将来を誓い合うような会話をして二人で赤くなったのは誰だ、小学校の近くの公園で子猫が木に登って降りられなくなったときに一緒に助けたのは誰だ?

 頭が割れそうだ。

 だが、負けてはいけない。失ってしまえば今よりもっと大きな痛みに襲われるのは間違いない。

 普通の記憶とは異なり、強い感情を伴った記憶の方が曖昧に感じる。


 彩香、彩香って誰だ? 仲の良い女友達? いや、きっと違う。くそ、頭が痛い。もっと大切な存在だったはずだ。大学も一緒に通って将来を……。大学? なら、彼女の今の連絡先を知っているか?


 スマートフォンを取り出した。

 強い正の感情を伴う記憶の方がこの現象の影響を受けるようだ。だから、できるだけ何の気持ちを持たないように気を付けながら、彼女の電話番号を紙にメモしておく。これはただの数字の羅列。これはただの数字の羅列。これはただの数字の……


 ――また視界がぼやける。音も聞こえる。ノイズだ。


 スマートフォンには、もう、彼女の連絡先など入っていない。



 視界の片隅にあるメモにはただの数字の書き込みが残っている。誰かの電話番号だろうか。誰のかはわからない。

 ギリギリ間に合ったか? 何が間に合ったのかはわからない。ただ、とにかく間に合った、私の直感がそう言っていた。


 そうだ、この電話番号に電話をしなくては。

 呼び出し音が鳴る。1回。2回。3回。まだ出ない。知らない番号(・・・・・・)からかかってきたら普通はそうだろう。

 4回。5回。

「はい、斉藤です。どちら様ですか」

 出てくれた!


 声を聴いた瞬間、私は彼女と恋人だった記憶を取り戻した。

 うおっ、めっちゃ頭痛い。


「あ、あの、私、真咲(まさき)です。九重(ここのえ)真咲……、です」

「ここのえ……? ん? あっ、小中高と一緒だったっけ? どうしてアタシの番号を知ってい……る……の、ってあれ、真咲? 痛っ。んっ、この記憶は、何? えっ、どうなっているの?」

 彼女も思い出したのだろうか。私のことを変わらず好きでいてくれるだろうか。

 それともこの世界の彼女は女同士で付き合うことを許容できない人だろうか。そうであったら悲しいな。


 彼女も私もしばらく無言だったが、鼻をすするような音が聞こえていたので、きっと電話の向こうでは泣いているのだろう。


「ごめん、あんたのこと、完全に忘れるところだった。仮にも将来を誓い合った仲だってのにね」

「思い出してくれたなら、それで良いよ。多分、今の世界では将来を誓い合ったという事実もなくなっていると思うし」

 なぜかはわからないが、そう確信できる。

 世界が改変されたという強い実感があるし、彼女との思い出も、ほとんど起きなかったことになったという強い実感がある。


 今の世界で、彩香の連絡先がスマートフォンから消えたということは、大学で友達になっていないか、下手をすると同じ大学でもなくなったという可能性がある。

 現状の確認が必要だ。


「それでさ、これからのことなんだけど」

 少し怖いなと思いながら、私は続ける。


「東京に行ったら、会ってもらえないかな。今の世界で、彩香には新しい恋人とかいるのかもしれないけど。私も、一応、彼氏がいるみたいだし」

「それはこっちからお願いしたいくらいだから、いいんだけど。アタシは今、看護学校に通っているんだ。恋人はいない。なんか浮ついた話がでるような環境じゃないんだよね。そっちは大学生? どこ大?」

「首都医科大学だよ。そっか。一緒の大学じゃないんだ」

 何となく寂しいと思った。


「ああ、うん。多分、あんたと付き合っていたら同じ大学に行ったと思うんだけど、そうじゃなかったからか、あんまり勉強しなかったんだろうね。それより彼氏? あんた、男と付き合えたんだ」

「高校で神宮司(じんぐうじ)直人っていたじゃない? 好きになれるかはわからないけど、いや、多分恋人っぽくはなれないけど、それでもいいならってことで一応付き合ってみている感じ。いい人なんだけど、男の人と恋人になるってのは、まだできそうになくて、ちょっと申し訳ないけど」

 その他、たわいもない話をして、電話を切った。

 何回か改変の波、みたいなもの、ノイズが来てもなんとか記憶が保持できたし、これからも覚えていられるだろうという確信はある。


 一度、二人とも前の世界の記憶を思い出したことで、量子もつれによる量子テレポーテーションが可能になったのか、私が改変の波によるノイズで記憶を失いかけても、彩香が覚えていれば、すぐに復帰できたし、逆もまた然りだった。近くにいないために二人同時にノイズに飲まれることがなかったことが幸いした。


 それから、一応彼氏ということになっている直人に電話をして、近況を聞いた。なんでも直人は改変の影響からか、10年前から5歳年上の又従姉妹と婚約者になっているようだった。

 若くしてノーベル賞級の発見をしたとされる又従姉妹は、忙しいからか生活力がなく、近々家事を手伝いに行くそうだ。又従姉妹は昔から生活能力がなかったそうで、親族から早めに結婚相手を見つけた方が良いと思われていたようだが、10歳児と婚約する15歳とか、天才とその親族の考えることはよくわからない。


 直人には申し訳ないが、東京に戻ったら大事な話があると伝え、天空塔近くの店でディナーを予約しておくから、そこで話そうということになった。



 帰省も終わり、家に帰ってきた私は、彩香と会う段取りをつけ、直人に別れを切り出すためのディナーの予約をした。


****


 2020年1月3日。

 改変の波が収まったようなので、彩香と緑のSNSやメールアドレスを交換した。

 直人にはディナーの場所を連絡した。


 2020年1月4日。

 彩香とは彼女の近所の遊園地で会うことになった。

 改変の波はもう丸二日来ていない。


 2020年1月6日夜。

 大学の講義の後、天空塔近くの店でディナーを取りながら、直人に別れを切り出す。


「気づいているかはわからないけど、世界は改変されたんだ。この世界の私も何度か説明はしていたけど、男の人に恋愛感情を抱けないんだよね。前の世界の記憶を一部取り戻したおかげで、それがより強くなった。だから、別れてくれないかな」


 直人は、私のちょっと頭がおかしくなったかのような発言を否定することも、茶々を入れることもなく、ただ静かに聞いてくれた。

 これだけ優しいのだから、私よりも彼にふさわしい人はきっといるだろう。

 彼のことは友人としては好きだし、悲しんでほしくはないが、私と彼とでは恋愛の相性が悪かったのだ。


 直人も又従姉妹と婚約している世界になったこともあってか、案外あっさりと恋人関係は終了した。


 ただ、重苦しい雰囲気のせいか食欲がわかず、会話も弾まなかったので、私は20時に家に帰ることにした。2時間のコースを予約しておいて30分で帰るのはお店に迷惑だったかな。

 コース全部食べてから帰っても良いと伝えたが、私を追って、直人も予約時間よりかなり早く帰宅することになった。


「直人も気づいているんでしょ? 私たちのこの関係が、よくわからない世界改変の影響だってことに」

「……そうだな。……それでも、今日だけは元彼氏として家まで送らせてくれ。それで俺たちの関係は終わりにしよう」

 苦々しい表情をしながら、時折頭痛やめまいがするらしい直人に、それでも最後まで家まで送ってもらい、私たちの関係は終わった。


 家に帰ってから、何となく、恐怖心がわいてきたが、何かはよくわからない。

 時計は22時13分を指している。


 原因のわからないことを考えるのはやめ、シャワーを浴びて、早めに就寝する。


 その夜、私は直人が事故にあって半身不随になる夢を見た。何となく感じた恐怖心は、この悪夢を見る予兆だったのかもしれない。



****


 2020年1月11日土曜日。

 彩香と会ったのは、球団を持っている新聞社の遊園地である。彼女の通う看護学校に近いらしい。

 私の家からは遠いので、お昼の時間より少し早いくらいに待ち合わせだ。


「遊園地なんて久しぶりに来たよ」

 クレープを手にもってゴーカート乗り場の列に並びながら、私は話しかける。

 彩香は何も買っていない。早めにお昼を食べてから来たらしい。


「アタシも。学校の近所にあっても、ほとんど来たことはないよ」

 彩香が私に腕を絡ませながら、返答を返す。


 今の世界での私たちは、良くて友達、という程度の関係だと思うのだが、どう反応すればいいだろうか。前の世界の私たちみたいに恋人同士に戻っていいのだろうか。

 それとも、これは一般的な女友達としての行動なのだろうか。


 彩香は夕焼けのような色合いのリップをよく使っていたと思うのだが、看護学校に通っていて、実習にも行っているからか、改変前よりナチュラルメイク寄りな気がする。


 二人乗りの電動ゴーカートに乗って、前の世界の記憶をすり合わせながら、ゆっくりと一キロほどのコースを周回して、私たちはゴーカートを降りた。

 本来はもっと時間を競ったりするのだろうけど。


 アスレチックのコースに向かう。運動の得意な私たちは、射的やわなげ、ダーツなども比較的うまくこなせた。

 アスレチックコース担当スタッフのお兄さんから、新聞社遊園地のマスコットのあまりかわいくはないストラップをもらった。


 その他、気になったアトラクションをぶらっと回る。焼きそば体験急流下りはなかなか斬新だった。

 アシカショー近くのレストランで、早めの夕食がてらハンバーガーを食べたあとは、大観覧車に乗る。


 観覧車に並んで座った。右に彩香、左が私。


 観覧車の扉が締まり、周回の四分の一ほどまで会話せずに向き合っていた。


「あのね」「あのさ」

 タイミングが完全にかぶった。

 お互いに言いたいことがあって、それが私たちの関係についてだということはお互いわかっている。


「じゃあ、真咲からどうぞ」

 彩香は続きを促す。

「神宮寺直人とは別れてきた。又従姉妹が婚約者になっているらしくて、案外あっさり別れられたよ。彩香がこの現象についてどう思っているかわからないけど、私はまた、彩香と仲良くしたいと思っている」

「うん」

「また、私の恋人になってください」

 この歳になって、こういう切り出し方するの、恥ずかしいな。もっといいセリフはなかったのか。

 思わず下を向いてしまった。

 顔を上げて、彩香の方を恐る恐る見る。


 彩香はケラケラと笑いながら、抱き着いてくる。

「もちろんオッケーだよ。っていうか、それアタシから言おうと思ってたのにー」


 こうして私はまた、彩香と恋人同士になった。

 観覧車から見える夕焼けの色は、彩香の好きなリップの色合いによく似ていた。


 彩香との思い出や出来事が起きなかった世界になってしまったが、これからまた、思い出を一つ一つ作っていけば良い。

 後で気づいたのだが、この世界で恋人になった初デートが某新聞社遊園地ってどうかと思う。夢の国とかにすればよかったのではないかとも思った。夢の国だと土曜は混んでいるから、ゆっくり話すのは難しかったかな。

 ま、いいか、これからまだまだ時間はあるはずだ。


****


 2020年1月12日日曜日。


 高校の修学旅行での告白がなかったことになったので、大学の春休みを利用して二人で出かけることを提案した。

 土日に緑のSNSでチャットや通話をしながら詳細を詰めていく。

 二人だけの修学旅行、楽しみである。



 2020年1月17日金曜日。

 大学と看護学校が終わってから、遅めの晩御飯を食べて、今日は彩香の家にお泊りの予定である。


 彩香の家の近くの飲み屋(色気ない晩御飯チョイスに思えるが、このあたりで遅くに営業しているお店は飲み屋以外にほとんどないのだ)のテレビでは、「関係性上書き症候群」の特集が放送されていた。

 生物兵器説や、集団ヒステリー説など、あやふやで憶測だらけの考察を、自称専門家たちがそれぞれ述べている。

 テロだとしても世界中の人に世界改変を意識させるだけの理由はなく、そもそも直接害を与えられたわけではない。いや、一度恋人同士ではなくなった私たちは、もろに被害を受けているとも言えるが。


 田舎の和風スナックっぽい内装に反して、ビシソワーズとテリーヌ、バゲットと鬼のクラフトビールというメニューで、それなりにおしゃれで色気のある晩御飯を食べた私たちは、彩香の家に向かった。


 彩香の家は、看護学校が忙しいのか、結構散らかっていた。まあ、前の世界でも彼女は片付けが得意ではなかったが。一緒に使い終わったコスメの容器などを片付けて、家で飲みなおす。


「この散らかり具合、懐かしいね」

「そういうと思って、散らかしたままにしてあんのよ」


 なんて、軽口を叩ける関係に戻れたことは幸運だと感じた。


 帰り道で、青いコンビニに立ち寄り、奮発して猫のクラフトビールとコンビニスイーツのパフェを買ってある。

 ダイエットは明日からだ。


 恋人になったからと言って、色気のある話に発展することなく、デートで行ってみたい場所を語りながら、この日は眠りについた。

 記憶の上では久しぶりでもないが、この世界では多分初めて一緒の布団で眠ったので、安心すると同時に少し緊張した。

 この世界では多分初めて、前の世界から考えても久しぶりのにおいがする。

 朝方、我慢できなくなって、寝ている彼女の頬に軽くキスをしたのは内緒である。


****


 2020年2月14日金曜日。

 世間はバレンタインデー一色である。

 今日は私の家に彩香が泊まりに来る。一応、新しいかわいい系の下着と灰色のナイトガウンを買っておいたが、気合を入れすぎだろうか。


 最寄り駅で待ち合わせてから、カエルのクラフトビールとおつまみ、あとチョコレート菓子を買って、家に向かう。


 ナイトガウンを見た彩香がケラケラと笑って、

「ちょっとそれ、気合入れすぎじゃない?」

と言ってきたので、失敗だったと思った。


「ソ、ソウデスネ……」

 あからさまにがっくりと肩を落とした私に気遣って彩香はフォローを入れてくれる。


「うそうそ。そういうところがかわいいよ。愛してる!」


 ならいいか。

 私は単純だった。


 その日はチョコレート菓子を食べながらビールを飲んで、旅行の最終チェックをして、二人で狭い狭い言いながらシャワーを浴びて、本命の手作りチョコ(といっても二人ともレンチンして固めただけだが)を交換して寝た。


 手作りチョコを渡す前にナイトガウンを着て、私がプレゼントよ、みたいなこともやってみたが、はいはい、と言われただけで流された。

 ただ、寝る前に思い出したのか、彩香が

「プレゼント受け取り忘れてたわ」

とキスしてくれたので、ならいいか、となった。

 私は単純だった。


 今日もキスまでで終わったが、恋人つなぎしながら寝たので良しとする。


****



 2020年3月18日水曜日。

 彩香と京都旅行初日である。

 実は前の日から彼女の家に泊まっているので、昨日から旅行が始まっているようなものだが。

 たまに双方の家に泊まっているわりには、一応、清い付き合いが続いている。

 二人して乙女かな。

 未遂は何回かあったが、二人とも酒を飲むと眠くなるので、結局何もしていない。あれ、これは酒を飲まなければ良かったのでは?


 修学旅行のやり直し、というわりには、伏見稲荷を見た後、スイーツ巡りという、食欲を優先したような計画になっている。

 春先にやるような旅行か?


 伏見稲荷を選んだのは、もともと赤い色が好きだった彩香らしい選択だと思う。


 長い長い鳥居をくぐりながら、私は彩香に話しかける。

「鳥居、すごく赤いね。これを見たかったんだ?」

「いんや? 狛犬っぽいおキツネさんが真咲に似てるから、一緒に来たいなと思っただけ」


 え、ひどくない?

「私そんなにいかつい顔してる?」

「あれ? かわいくない? 真咲もおキツネさんもかわいいよ」


 ならいいか。


 果てしなく続く鳥居を途中で切り上げ、私に似ているというおキツネさんと記念写真を撮り、京都駅付近にもどってスイーツ巡りである。

 抹茶屋では、抹茶系スイーツを全部頼んだところ、二人掛けのテーブルでは載り切らないというハプニングがあった。


「テーブルに載らないようなので、食べ終わったものからお下げして、次をお出ししますね」

「なんかすみません……」

 申し訳ないので、謝りつつ急いでバクバクと食べた。


「真咲が食欲魔人だから、気を使わせちゃったね」

「そういう彩香も同じ量頼んでいるからね」


 ほかの店に行くと春限定桜スイーツをやっていて、気になるので、ちょろちょろと食べ歩く。

 スイーツは別腹、と言いながらも、スイーツしか食べてないので、別腹も何もないな、とは思う。


「はぁ~、食った、食った。夕食は一人前しか食えんな」

 彩香がぼやく。


「普通に食えるのかよ」

 私はちょっと食べすぎたと思う。調子に乗りすぎたか。

 ま、伏見稲荷で階段を上り下りしたし、カロリーはプラマイゼロだろ。


 夕食の湯葉定食を普通に一人前堪能した後、温泉に向かい、露天風呂やサウナを楽しんだ。

 湯葉うめぇ~。


 その後は、明日食べ歩く店の話をしながら、イチャイチャして寝た。

 ちなみにまだ清い。


 2020年3月19日木曜日。

 朝から生八つ橋を食べ歩いた後、昼は後回しにしてアクセサリー店に行った。

 本当はお昼ご飯を探していたのだが、彩香が修学旅行でお互いにアクセサリーを買った店を見つけたのだ。

 もちろん前の世界での話である。


「お、あの店覚えてる?」

「ん? なんだっけ」

「あの店でお互いのイヤリングを買ったよね?」


 そういえばそうだっけ。

 高校生が、しかも修学旅行中に買えるような値段なので、宝石が立派なものではなく、ビーズを生かした和風の安めのものだった。

 多分この世界では買っていない。


「この柄のやつじゃなかったかな」

「そうかも」


 せっかくなので、お互いに送る用のイヤリングを買い、ついでに二人で指輪を買った。

 婚約指輪みたいなものかな。


 二人ともサイズ調整は不要だったので、そのまま早めにホテルに戻り、イヤリングを交換し、買った指輪で指輪結婚式ごっこもした。


「アナタハ、ヤメルトキモ、スコヤカナルトキモ、アヤカサンヲアイスルト、チカイマスカ?」

「なんで片言神父役なんだよ。誓いますぅ」

 彩香に指輪をはめる。


「ワタシハ、ヤメルトキモ、スコヤカナルトキモ、マサキサンヲアイスルト、チカイマス」

「いや、神父はもういいんだよ。っていうか、神父が誓うなよ、彩香が誓えよ」

「うそうそ。愛してるし、一生愛すよ~」


 ならいいか。

 彩香が私に指輪をはめる。


「からの、誓いのキス、ドーン」

 雰囲気ぶち壊しすぎだろ。


 ちゃんとキスはした。



 今日も夕食は湯葉定食だった。湯葉推しすぎじゃない? おいしいけど。

 夕食後は、昨日はスルーしていた客室の露天風呂に二人で入る。


「いい眺めだね~。ぶくぶく」

 彩香がお湯に沈みながら言った。沈みにくい体型だけど。

「街中だからか、壁に囲まれていて何にも見えないけどな」

 私は冷静にツッコミを入れる。


「来年からはさ、実習で忙しいから、多分旅行とか来られないんだよ」

「看護実習、忙しいって聞くよね。そうだ、実習先近かったら一緒に住む?」

「近かったらね」

 そういって彩香が寄りかかってくるので、キスしてやった。

 いい眺めだ。外は何にも見えないけど。


 その夜、清い付き合いは終了した。

 指輪も交わしたしね。

 ならいいよね。


 2020年3月20日金曜日。


 朝起きてすぐ、彩香が言った。

「今日は、京都散策やめて、ホテルでいちゃつこうと思います」

「まじか」


 まあいいか。清掃不要のタグをドアにかけて、部屋の露天風呂に入る。

 お風呂を上がって、スーパーに行って京都のクラフトビールの瓶とおつまみ、昼食用のおにぎりを買って戻ってきたら、イチャイチャタイムである。



 気づいたら湯葉定食の時間になっていた。

 まじか。

 あと今日も湯葉定食なんよだな。まじか。

 でも湯葉うめぇ~。

 ビールもうめぇ~。


 さすがに二人とも疲れて早く寝た。


 この日見たのは、2か月ほど前、この世界改変の原因に気づいた時の夢である。


****


 2020年1月25日土曜日。


 関係性上書き症候群発生から3週間ちょっと経過したこの日、関係性上書き症候群の考察まとめサイトを初めて見た。

 ネットのうわさにすぎないが、おそらく、何らかの超科学力を使って、人を一人救うくらいの小さな(・・・)世界改変が行われ、バタフライエフェクトによって、世界中の歯車が少しずつ狂ったのだろうとされている。

 バタフライエフェクトとは、蝶のはばたきほどの小さな誤差が、めぐりめぐって将来的に大きな差を生み出し、例えば、蝶のはばたきがなければ風一つなかったはずの未来に、台風を起きるほどになるという概念だ。


 世界の改変になったであろう、執念深いラブストーリーが掲示板サイトやSNSなんかに何本か投稿されていたが、どれが本人のものかはわからない。どれも本物かもしれないし、偽物かもしれない。


 ただ、140字の投稿サイトでたまたま見かけた、短い投稿だけは、本物だと確信している。

 1月23日に投稿されていたそれは、誰かが触れることもなく、ネットの海に沈んでいった。140字の投稿サイトの設定で、フォローしている人のハイライト投稿を表示する設定がある。先ほど、その機能で浮上したその投稿を、たまたま目にしたのだ。


『俺は何度頑張っても、そのままでは過去の彼を救えなかった。だから、俺と出会った後の未来を変えることにした。影響を受けたみんなには悪いことをしたと思っている。みんなが今幸せであることを祈っている』


 私のフォローしている人だったから、たまたま目に入ったが、ネットに投稿された情熱的な小説群と違って、それほど目立たない、取るに足らない投稿だっただろう。

 直人の友人か知人のアカウントで、かわいい猫の写真をアイコンにしている。直人の実家の猫である。

 私はこれが誰なのか、すぐに思い当たった。

 そうか、彼女(・・)が直人を救うために、関係性上書き症候群を引き起こしたのか。


 過ごさなかった世界の記憶が、頭の中に流れ込んでくる。


 元の世界での2020年1月6日、ディナーを取りながら友人であった直人から3回目の告白をされ、私はすげなく断った。私に振られた後の直人は、帰り道で事故にあって半身不随になったはずだ。

 正月に久々に会っただけの又従姉妹の准教授が、後の彼の世話を買って出たと聞いた。病院で一度だけ会ったことがある。

 吸い込まれるような黒髪を肩まで伸ばした、真面目そうな直人の又従姉妹。5歳上だけど、一人称が自分の名前で、かわいらしいと思ったと同時に、変わり者だと思った。


 直人が事故にすら遭わなかったということは、彼が世界改変の原因であるということになる。あの日、悪夢を見た時から、うすうす気が付いてはいた。


 私に振られる時間をずらし、そして帰宅する時間がずれるよう、私に振られた彼がすぐに新しい恋人をみつけられる、そのために世界は少しだけ改変された。

 私が直人を振るという結果は、多分どの世界でも変わらなかったのだろう。その中で事故にあわない時間に帰るという、その世界を選択するのには、直人に婚約者がいる必要があった。

 直人は優しいから、名義上でも婚約者がいれば、振られればあっさり折れる。

 とってつけたような、暴挙に思えるような婚約は多分そういう理由だった。


 神宮司(じんぐうじ)有紗(ありさ)は直人の又従姉妹である。飛び級で大学を卒業後、23歳で准教授となり、翌年にはノーベル賞級の発見をしたとされる理論物理学の天才だった。詳しいことはわからないが、テレパシーの実現可能性みたいな理論を発見したのだったか。まさか過去や別の世界にまで届くようなテレパシーを実現させるとは思っていなかったが。


 親族にうまく働きかけ、直人と婚約する世界をつかみ取ったようだ。それに影響を受けてなのか、私が高校時代から直人と一応付き合っている、という関係になったのは天才には予想の範囲内だっただろうか。


 世界改変の原因たる直人に近いがゆえに、私の記憶は他の人よりも残っていて、また彩香に出会うことができた。

 だから、有紗さんのとった行動に文句はない。私も同じ立場なら、どうにかして想い人を救おうと頑張るだろう。



 変わった世界で、彩香ともう一度思い出を作れると思って、ポジティブに生きていく。

 それだけが今の私の、私たちのできること。


 とりあえずは、京都旅行を楽しもうかな。


****


 2020年3月22日日曜日。

 昨日は普通に京都散策を再開し、イチャイチャも多分抑えたはず。抑えたか? 抑えただろう。一昨日よりは。

 今日は京都旅行最終日、ホテルを出たらそのまま東京に戻る予定である。


 新幹線に乗った。

 左手を恋人つなぎにしたまま、新幹線で爆睡する彩香の顔を見ながら、車内販売の死ぬほど硬いアイスバニラ味を食べる。

 さすがに片手で食べるには硬いな。解けるのを待つか。


 関係性上書き症候群が起こったときはどうなるかと思ったけど、愛する彼女を失わなくてよかった。

 思い出をこうやって一つ一つ作っていけるなら、変わった世界でも、変わらない関係を維持できるし、前よりもっと幸せになれそうだ。


 この世界では彩香との両親との面識が少なく、すぐ認めてもらえるとは思えないが、恋人として、パートナーとして認めてもらえるように努力していこう。

 大丈夫、前の世界ではできていたしね。


 なかなか柔らかくならないアイスを放置して、眠る彩香の髪をなでながら、そう思った。


 了

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[良い点] 読み応えありました。 面白かったです!
[良い点] 自分が周囲からどんどん忘れられていく、という昔のPCゲームを思い出しました。 どんどん自分の記憶から大切な人が消えていく中、彩香の電話番号をメモしたシーンが印象に残りました。 アクションと…
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