6
翌日。
「クリスマスは楽しめたか?」
光が席につくなり、にやにやとした顔で京介が尋ねてきた。
「あいつなんかと一緒で楽しめたと思ってんのか?」
「あ、やっぱり?」
「てか、おまえ俺をあいつに売ったな」
静かに怒りをたたえた瞳で、光は京介を睨んだ。
「それは、誤解だって。伊集院さんに遠まわしに脅されて、バイト代を預けるしかなかったんだって」
「ふうん。やっぱり脅しててんなあいつ」
ギリッと光は唇を噛みしめた。
(最低男!)
光が、内心で罵っていると、
「伊集院さんが、こっちがこっぱずかしくなるくらいの愛の告白をおまえにしたのは余裕で想像できる。しかも、クリスマスってシチュエーションじゃん? 俺、もしかしたらおまえ落ちるんじゃないかと思ったぜ」
「んなわけないやろっ」
「ガチで?雰囲気に呑まれそうになったりしなかったか?」
「……もちろん」
「最初の沈黙が怪しいんだけど。さては、呑まれそうになったな」
ははは、と楽しげに京介は笑った。
それを光はギッと鋭くねめつけた。
京介はパッと口を噤んだ。神妙な顔つきになる。
「そういえば、おまえエヴァのフィギュアほしがってたよな。バイト代少しは足しになったか?」
「……」
「ん? ぜんぜん足りないわけ? けっこう弾んだつもりなんだけどな。そのフィギュアそんなに高いのか?」
「……実は、あいつがくれてん」
「え、伊集院さんが?」
「うん」
素直に光は頷いた。
「そっか、よかったじゃん」
「うん、でもなんていうかあいつにもらうのって複雑やわ」
「なら、返せば?」
あっけらかんと京介は言った。
「いや、それは……。めっちゃほしかったヤツやし……」
「なんだよ、調子のいいヤツだな」
呆れ顔で京介は光を見た。
「……ところで、やっぱこっちからもプレゼントあげたほうがええんやろか?」
「そりゃ、もらいっぱなしはよくないんじゃねえの?」
「やっぱあげるべきなんか……」
はあ、と憂鬱そうに光はため息をついた。
「あげたほうがいい理由はもうひとつある」
「なんなん?」
「あげなきゃ、伊集院さんはそれを傘に着て執拗におまえに迫ってくる。ガチで。弱みになるぞ」
一に弱みを握られるなんて最悪だ。
そんなことには絶対にさせてはならない。
これ以上、迫られたら困る。ほんとに困る。
「わかった。あげることにするわ」
「ん。それが最善策だと思うぜ」
「うん」
学校からの帰り。いつものごとく、一に待ち伏せされて、やむなく一緒に帰っている。
「クリスマスプレゼントもらったから、俺からもやるわ。低予算で、ほしいものってなに?」
「光がほしい」
「……そうくると思ったわ。俺以外でほしいものは?」
「光以外はなにもいらない」
「あ、そう。なら、あげへん」
(せっかくなにかあげようと思ったのに。ふざけたこと言いやがって)
「え、くれないの? 悲しいな」
「あんたが無理な要求してくるからやろ!」
「仕方ない。いずれは光は僕のモノになる。ここは我慢だ」
光は、一の言葉を右から左に受け流した。
「それじゃ、これから僕の家に来てくれない?」
「え?」
「それが、光からのクリスマスプレゼントってことで」
「そんなことでええの?」
「うん。来てくれる?」
「そんなことなら、別にええけど」
(変態の住処に行くのはいややけど、金もかからへんし、仕方ないか)
「なら、決まりだ。行こう」
「あ、うん」
そうして、二人は一の家へと向かった。
「ここだよ」
「ここが……」
光は言葉を失った。
閑静な高級住宅街に一の家はあった。
家というよりも、もはや屋敷だ。いや、城だ。
西洋の城をそっくりそのまま持ってきたようだ。
さすが、伊集院家。
ありありとその財力を見せつけられて、光は呆然とした。
「光、行こう」
「う、うん」
瀟洒な鉄門をくぐり、中へと入っていく。
そこから、玄関までの長い道を歩くと、光はすっかり気後れしてしまった。
やはり、一は伊集院グループの跡継ぎなのだ。それを実感した。
「いらっしゃい、光」
爽やかな笑顔を浮かべて、一が玄関へと入ってゆく。光もそれに倣う。
「お帰りなさいませ、坊ちゃま」
「ただいま、幸代さん」
玄関のホールに佇んで、柔和な笑顔を浮かべた女性がいる。その顔には、たくさんの皺が刻まれている。高齢だろう。
「幸代さんは、ずっと伊集院家に仕えてくれてるんだ。幸代さん、こちら光だよ」
「ええ、もちろん存じ上げております。ようこそいらっしゃいました」
「あ、どうも」
光は、違和感を覚えた。幸代とは今日が初対面だ。なのに、光を知っている? どういうことだ?
不思議に思っていると、
「どうぞ、お上がりください」
「はい」
スリッパに履き替えて、一のあとに続く。
長い長い廊下を歩き、ようやくある部屋に通された。
室内の様子からいって、どうやらリビングルームのようだ。とても広い。いったい何畳あるのだろう。光には想像もつかないくらいの広さであることは確かだ。
その中央にソファーセットがある。その革張りのソファーに、男性と女性が並んで座っていた。
「お祖父さま、母さん」
一がそう言って、その二人のもとへと向かう。光も慌てて、あとに続く。
「光、こちらが祖父の蔵之介と母の景子だよ」
「松本光です」
ペコっと光はお辞儀をした。
「ああ、あの光くんか。よく来てくれたね」
温厚そうな、しかし、目つきは鋭く、なにもかも見通しているような顔つきをしている。その切れ長の瞳は一とそっくりだ。どっしりとした貫禄がある。
さすが伊集院グループのトップに君臨している人物だ。
「ふふ、やっぱり実物のほうがとてもかわいいわね」
鈴の音のように澄んだ声で、景子は微笑んだ。
子供がいるようには見えないほどにそのかんばせは若々しく、そして美しい。とても上品な顔をしている。
それにしても、蔵之介にしても景子にしても、まるで光を見知っているような口ぶりだ。
なぜだろう? 気にかかる。
「まあ、座りなさい」
「あ、はい」
光と一は隣り合わせで、ソファーに座った。
「一と仲良くしてくれてありがとう」
向かいの席の蔵之介が朗らかに笑って、言った。
「いえ、こちらこそ、いつも伊集院先輩にはお世話になっています」
(悪い意味でやけど)
内心でそう呟く。
ここは社交辞令くらいきちっと言えなくてはいけないだろう。
「一が君を追っかけまわしていることは知っているよ。迷惑じゃないかい?」
「え?」
確かに、追っかけまわされている。迷惑千万だ。
しかし、蔵之介の言葉はなにか含みを持たせせているような気がする。気のせいか?
「その顔は迷惑してるって感じだね。済まないね。一にはまったく悪気はないんだ。ただ初めての恋に夢中になってしまっているんだよ」
「え……?」
今、蔵之介はなんと言った?
光は一瞬耳を疑ってしまった。
「18歳にしてようやく恋を知ったんだ。浮かれてしまうのも仕方ない。なにせこんなにかわいい子に恋したんだからね」
「ほんとになんてかわいらしいのかしら」
景子が感心したようにため息交じりに言った。
え、一が光のことを好きだと知っているのか!?
今の蔵之介の言葉は、はっきりとそれを肯定している。
光は、驚愕した。驚愕せずにはいられなかった。
しかも、なにやら歓迎モードっぽくないか?
光は、冷や汗をかいた。
「あの、でも俺は伊集院先輩と同じ男ですよ?」
パッと見は女の子と間違われやすいが、光はれっきとした男だ。一と同じブレザーを着ているから、光が男であることはちゃんとわかっているはずだ。
「ああ、もちろんわかっているよ。こんなかわいらしい子に恋をした一は見る目がある。目はその人物の内面を如実に表す。君はとてもまっすぐな目をしている。そして、とても素直だ。いい子を選んだな、一」
「ありがとうございます」
よくやったと褒める蔵之介に、一はうれしそうに微笑んだ。
いやいやいや、選ばれてへんからっ!! 断じて選ばれてへんからっ!!
そう口に出して突っ込みたかったが、光は懸命に口を閉ざした。
変態の親もやはり変態だった。蛙の子は蛙ということか。
光が呆然としていると、
「光くん」
「はい」
蔵之介が真剣味を帯びた目で光を見た。
その視線に、思わず光はドキリとした。
無意識に身構えてしまう。
「一の父が早逝してから、私は一を伊集院グループの後継者に相応しくあるために、徹底的に厳しく育て上げた。だが、今はそれを後悔している。なぜだかわかるかい?」
「いいえ……」
「一は決して、感情を面に出さなくなった。まるで機械のようになってしまった。人間ではなくなってしまったんだよ」
「……」
「それが、君に恋をして変貌した。恋に身を焦がらせ、喜怒哀楽を取り戻した。つまりは、人間に戻ったんだよ。私は、それをとてもうれしく思っている。なにもかも君のおかげだ。一を人間にしてくれて、ありがとう」
「……そんな、俺はなにもしていません」
本当に光はなにもしていない。
一が勝手に光を好きになっただけだ。ただそれだけだ。
だから、蔵之介にそんなことを言われて、心苦しくなった。まるで、悪いことをしているような、後ろめたい気持ちになった。
自分はなにも悪くないのに、どうしてそんな気持ちになるのだろう。
不思議でたまらなかった。
「本当にありがとう、光くん。一は毎日が充実してるの。側で見ていて、とても幸せなんだって伝わってくるわ。それが、とてもうれしいの。一の幸せが私たちの幸せなの。どうか、一をよろしくね」
景子が深くこうべを垂れた。
ますます光は心苦しくなった。居たたまれない。
だから、光はなにも言わなかった。いや、言えなかった。
なにか言葉に出してしまったら、取り返しがつかないことになってしまいそうで怖かった。とても怖かった。
そんな光の様子を見て取って、
「なにやら、親バカなところを見せてしまったね。変に光くんにプレッシャーを与えてしまったかもしれない。済まないね」
「いえ……」
光はそう答えることで精いっぱいだった。
「さて、光くんは遊びに来たんだろう。一の部屋に行くといい」
「はい。それでは、失礼します」
行こう、と一に促され、光は席を立った。ぺこりとお辞儀をする。そして、部屋をあとにした。
「なんだか、祖父と母が言いたいことを言って、光を困らせたね」
「ううん……」
「でも、祖父の言ったことはすべて本当のことなんだ。君に恋をしてから、僕は生まれ変わった。すべてが様変わりした。君は、僕の世界を大きく揺るがしたんだ」
「……」
「今の自分が好きだ。君を想って、うれしくなったり、楽しくなったり、悲しくなったり、苦しくなったり、寂しくなったり、恋しくなったり、そんな人間らしい感情を取り戻すことができた。ありがとう、光」
「俺は、なにもしてへん……」
「君が存在するだけで、僕は僕らしくあれる」
「……」
光は言葉に詰まった。
そこまで自分が一に影響を与えているなんて思いもしなかった。
ふいに、沈黙が落ちる。
「ここが僕の部屋だよ」
そう言って、中に招き入れられる。
目に飛び込んできた光景に、光は息を呑んだ。
壁一面に、光の写真が隙間なく貼られてある。
光は、正面の壁に近寄って、よくよく写真を見た。
弾けるような笑顔を浮かべている自分。楽しそうな自分。眠そうな自分。不機嫌そうな自分。様々な表情の自分が貼ってある。
そのアングルから見て、ありありと盗撮しているのがわかる。
まさに変態のやりそうなことだ。
こうして、自分の写真が一の部屋に貼られていることに、怒り、気持ち悪さが瞬間的に湧いてきたが、それを通り越して、もはや呆れた。呆れ返ってしまう。
ここまで徹底されていると、感心すらしてしまう。
なぜ、蔵之介や景子、そして幸代に至るまで、光のことを知っていたのか、この光景を見て納得がいった。
「どう? こうして、写真を眺めていると、いつも光が側にいてくれるような気がするんだ」
幸せそうに一は写真たちを眺める。
「いかにあんたが変態なのか痛感したわ」
「そう? 僕がどれほど君を愛しているのかわかってくれたようだね」
うれしいよ、と一はにっこりと微笑んだ。
その顔があまりにもうれしそうだったので、光は嘆息を吐き出さずにはいられなかった。
そこへ、ドアがノックされた。
「どうぞ」
入ってきたのは幸代だった。手に、コーヒーとお茶菓子が乗っているトレイを持っている。
「光、座って」
「あ、うん」
光の部屋がまるまる五個は入りそうなバカ広い部屋の中央に、ソファーセットがある。
そのソファーに光は腰かけた。
一は、いきなり光の隣に座ってきた。
「ちょっ、向かい側に座れやっ!!」
「光の側にいたいんだ」
「こっち寄ってくんなっ!!」
「いいでしょ」
ずいずいと一は身体を寄せてくる。光は、ソファーの隅っこまで逃げた。
そんな二人のやりとりを微笑ましく見守りながら、
「仲がよろしいことで」
幸代がそんなことを言う。
(どこがっ!? どう解釈したらそんなふうに思えるねんっ!!)
光は、内心で盛大に突っ込んだ。
「それでは、ごゆっくり」
コーヒーとお茶菓子をソファーテーブルに置くと、、幸代は部屋を出いった。
「離れろっ!!」
「いやだよ。せっかく光が僕の部屋に来てくれたっていうのに、どうして離れなくちゃいけないの?」
「屁理屈言うなっ!!」
そう怒鳴りつけると、光は急いでソファーから立ち上がって、距離をとった。
「逃げないでよ、光」
「逃げないでいられるかっ」
「なにもしないよ?」
「んな言葉信じられるかっ!!」
変態の言うことなど信じてはいけない。
信じたら負けだ。即刻負けだ。
「ただ僕は、光の側にいたいだけなんだ。それは過ぎた願いなのかな」
そう言って、悲しげな顔をする。
「っつ」
くそ。またそうやって、悲しげな顔をしてこちらの気を引こうとする。卑怯だ。卑怯すぎる。
そんな顔をされると、次の言葉が出てこなくなるじゃないか。
光は唇を噛みしめた。
「光」
そう呼びかけるその声は切なげだ。
光は、俯いた。一の顔を見てはダメだ。
「光、好きだよ」
染み入るような優しい声で、一は告げた。
光はギュッと目を閉じた。
そんな声で名前を呼ばないでほしい。
「光、顔を上げて」
ダメだ。顔を上げて一を見てはいけない。
見てしまったら、どうにかなってしまいそうだ。
「光」
一の声が近づいてくる。
光は、居たたまれなくなって、その場から逃げだした。
「光っ」
必死で逃げた。あとからは当然のごとく一が追ってくる。
逃げろ。捕まったらとんでもないことになる。
頭の中で、赤いサイレンがけたたましく鳴り響く。
逃げろ。逃げるんだ。
それしか頭になかった。
広大な敷地を懸命に走り抜けて車道に出る。一心不乱に走る。ただ走る。
だから、自分が赤信号を無視していたことに気づかなかった。
「光っ!!」
そう悲鳴のような声がしたと思ったら、身体が前へと突き飛ばされた。
勢いよく道路に身体を打ちつけた。
「っく!」
なにが起こったのかわからなかった。
身体を起こそうとして、自分の上に誰かが覆いかぶさっていることに気づく。
その人物はすぐに身体を起こした。
一だ。
「光っ」
強く抱きしめられた。
まるで光の存在を確かめるようにギュッと抱すくめられる。
「くるしい」
ようやく出たのはそんな言葉だった。
「光、光、光」
ますます腕の力は増してゆく。
息が詰まる。くらりと眩暈がした。
「光、よかった……」
ブルブルと一の身体が震えている。
身体越しにリアルに伝わってくる。
「無事でよかった……。君になにかあったら、僕は生きていけない」
今にも泣いてしまいそうな、いや、泣いているのかもしれない、震える声で一は言った。
その声を聞いた瞬間、光の胸は震えた。
「ごめん」
そう言った自分の声も震えて、涙が滲んでいた。
「光……」
何度も何度も、一は光の名をくり返す。
そして、光をキツく抱きしめ放さない。
しかし、光は拒絶しなかった。
その腕の中でずっと大人しくしていた。
ただ一の腕の感触、声を感じていた。