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クリスマス当日。
この日、光は臨時のバイトに精を出していた。
そのバイトとは、京介の実家の花屋での花の配達だ。
クリスマスとなれば、恋人に花を贈るキザな客からの注文が絶えない。ここらから年末にかけて、花屋は一番の書き入れ時だ。
「これで最後の配達か」
朝からてんやわんやの忙しさで、まともにお昼ごはんも摂れていない。グーとお腹が鳴った。
「よし、これが終わったらすぐ家に帰ろう」
智恵が張りきって料理に腕を振るっているだろう。
光は、ホテルの一室のドアをノックした。
そのホテルは、外資系の一流ホテルで、光は尋常じゃなく緊張していた。
こんなホテルで、恋人に花を贈るのはいったいどんな人物なんだろう。興味が湧いた。
しかも、注文されたのは、100本の赤い薔薇だ。
京介曰く、赤の薔薇の花言葉は、「あなたを愛してます」。そして、100本の意味は、「100%の愛」だそうだ。
なんてキザなんだろう。
絶対にプロポーズに違いない。
光はそう思った。
と、ドアがゆっくりと開かれた。
現れた人物に、ハイドは驚愕に目を見開いた。
「なっ、なんであんたが」
そこにはガクトがいた。
とろけるような微笑みを浮かべて。
「待ってたよ、ハイド」
「え? でも確かこの花束注文したんは、木村って人のはず……」
「その木村が僕。ハイドに僕が花を注文したってことがバレたら来てくれなかったでしょ」
「なっ、手の込んだことしやがって!!」
ハイドは怒鳴った。
そんなハイドへと、ガクトは、
「どうぞ、中に入って」
「……わかった……」
一応ちゃんと花を届けなくてはいけない。だが、いやな予感がしてならない。頭が警鐘を鳴らしている。
おずおずとハイドは中に入った。
そこはスイートルームだった。
「花束どこに置けばええの?」
「そこのテーブルの上に」
言われたとおりに、ソファーセットのガラスの天板がついたテーブルの上に花束をそっと置く。
「それじゃ」
用事が済んだとばかりに、光は踵を返そうとした。
「待って」
それを一が呼び止める。
「なに?」
「はい」
そう言って、今置いたばかりの花束を手に抱えると光へと差し出してきた。
「メリークリスマス。愛しい光へ愛を込めて」
とろけるような笑顔で、一は言った。
やっぱりそうだったのか。いやな予感は見事に的中した。
「どうか受け取ってほしい。僕の愛をすべて込めてるんだ」
「……いらん」
そんなことを言われれば、なおさら受け取ることができるわけがない。
「それじゃ、捨てるしかないね」
「ちょっ、こんなに多い薔薇をいとも簡単に捨てるつもりか!?」
信じられない。100本ともなると値段もとびきり張る。
(京介ん家えらい儲かったやろな……)
そんなことをふと思った。
「だって、光のための薔薇なんだ。君以外に捧げるつもりはない。君が受け取ってくれないと言うならば、残念だけど捨てるしかない」
ひどく悲しそうに一は言った。
光は、はあ、と歎息を吐き出した。
「わかった。わかったから。もらうわ」
「ほんとに?」
「そんなに咲き誇ってんのに捨てるとか可哀想やろ。やから、もらう」
「やっぱり光は心が優しいね」
「別に」
結局、いつもの展開になってしまった。
だが、仕方ない。こんなにきれいな薔薇が光のせいで捨てられるのは心が痛む。
「はい」
そう言って、もう一度薔薇の花束を光へと差し出してくる。
それを光は仕方なく受け取った。
「おもっ」
100本の薔薇となればけっこうの重量になる。
これを抱えて、家まで帰る様を想像する。
(絶対にじろじろ見られるやん……)
恥ずかしい。超絶恥ずかしい。
でも、智恵は花が好きだから持って帰ったら喜んでもらえるだろう。
それを心の支えにして、光は覚悟を決めた。
「一応、お礼は言っとく。ありがとう」
「愛する人にプレゼントを贈るのは当然のことだよ」
「それじゃ、帰るわ」
今度こそすべての用は済んだ。あとはただ家路を目指すのみ。
「待って」
「なんやねん」
「バイトはもうこれで終わりでしょ」
「そうやけど、って、なんで知ってんねん」
「高見くんに聞いたんだ」
「余計はこと教えやがって、京介のヤツ」
ちっ、と光は内心で舌打ちした。
「バイトが終わったなら、一緒に過ごそう」
「俺は、家に帰るから」
「お母さんとお父さんなら、家にはいないよ」
「え?」
光は目をパチクリさせた。
「二人はデートに出かけてる」
「え、どういうこと?」
「僕が、二人をディナークルーズに招待したんだ。この前のお礼にね。きっと今頃楽しんくれてるはずだよ」
「なっ、いつの間にっ」
「僕は光と一緒にクリスマスを過ごしますって言ったら、『私たちも恋人だった時のように過ごすわ』ってすごく喜んでたよ。だから、家に帰っても光はひとりきりだよ。だから、僕と一緒にクリスマスを過ごそうよ」
「誰が、あんたなんかと過ごすかっ」
「バイトが忙しくて、昼食もまともに摂れてないでしょ。特別なクリスマスディナーを用意したよ。お腹空いたでしょ」
「お腹なんて空いて」
ないっ!!、と言おうとしたところで、グーと盛大にお腹が鳴った。
どうしてこんな時に鳴るんだ!!
タイミングが悪すぎる!!
光は我が身を呪った。
羞恥で頬が熱くなる。
「ほら、やっぱりお腹空いてるんだね。こっちに来て」
「俺はっ」
「スウィーツには光の大好きなチョコをたっぷりと使ったブッシュ・ド・ノエルを用意してあるよ」
光の身体がピクっと動く。
うう、食べたい。でも、一とクリスマスを過ごすなんていやだ。
でも、家に帰ってもひとりだし。京介は花屋の手伝いで忙しい。侘しいクリスマスを過ごすことになる。
いや、だからといって、一と一緒に過ごすなんてもっての外だ。
よし、帰ろう。
そう決意して、踵を返そうとした時。
「光は、まだ高見くんから今日のバイト代をもらってないでしょ?」
「あ、うん。でも忙しいだろうから、それは明日に」
「高見くんからそのバイト代を預かってる」
「はあっ!? なんであんたがっ!!」
「ぜひ、光に渡してくださいって頼まれたんだ」
「うそやっ!! 絶対うそやっ!!」
こいつが脅したに違いない。
そうとしか考えられない。
「本当だよ。というわけで、僕と一緒にクリスマスを過ごしてくれなきゃ、バイト代は渡さない」
「なっ、なんて卑怯なっ!! そんな横暴が通ると思ってんのかっ!!」
「一緒に、クリスマスを過ごしてくれるね?」
「あんた、それでも伊集院グループの跡継ぎかっ!! 見損なったわっ!!」
「なんとでも。僕は、ほしいと思ったものは必ずに手に入れる。僕がほしいのは、光、君だ」
射貫くような、まっすぐな瞳には強い意志が込められていた。
その瞳を見て、光はたじろいだ。
ガチだ。一は本気で言っている。
本気で光を手に入れようとしている。
これまで、どこか一は軽かった。光へと捧げる愛の言葉は冗談ぽかった。本気を感じられなかった。
だが、どうだろう。眼前にいる一は一切軽薄な雰囲気を出していない。
真面目そのものだ。
「さあ、光。一緒にディナーを食べよう」
先ほどの真面目さから一転、にっこりと笑みを浮かべて一は言った。
その微笑みに、フッと光の身体から力が抜けた。
どうやら無意識のうちに、緊張していたようだ。
「こっちだよ」
そう言って、一が歩き出す。
「ちょっ、バイト代!!」
「だから、一緒にクリスマスを過ごしてくれたら渡すよ」
「今渡せっ!!」
「さあ、おいで」
「話を聞けっ!!」
言い合いしているうちに、ダイニングルームへと着いた。
そのテーブルの上には、すでにディナーが用意されてある。テーブルの真ん中には、ブッシュ・ド・ノエルが存在感も露わに鎮座していた。
グーと再び、お腹が鳴った。
光はお腹を押さえた。
そんな光を見やって、
「さあ、座って」
光は突っ立ったままだ。
「バイト代いらないの?」
したり顔で一が言う。
「くそっ」
一日中、汗水垂らして働いたのだ。バイト代は絶対にほしい。
エヴァのフィギュアを買うための軍資金にしたい。
ならば、ここは大人しく一と過ごすしかない。
ただ、飯を一緒に食うだけだ。それなら、いつも学校でくり返しているではないか。
ただ、今日がクリスマスというだけで。
一にとっては大事な日なのだろうが、光にとってはなんてことはない日だ。
そうだよ、たかだか一と飯を食うだけで、なにを惑っているんだ。確かに、いやだ。いやでたまらない。でも、バイト代のためを思えば我慢できる。我慢するしかない。
ディナーを食べ終わったら、即行で帰ればいい。
光は、腹を括った。
テーブルにつく。
それを一は満足そうに見ている。
「さあ、食べて」
「いただきます」
礼儀正しく、手を合わせて、早速食べ始める。
ああ、おいしい。
空腹のせいもあって、食べ始めたら手が止まらなくなった。
ぱくぱくと次から次へと料理を口に運ぶ。
「おいしい?」
「うん」
「よかった」
あまりにもうれしそうに微笑むので、光は目のやり所に困って、料理を食べることに集中する。
瞬く間に、皿がきれいに空っぽになった。
「それじゃ、ノエルを食べよう」
一が、ノエルを一切れ切り分けて、光の席へと置く。
「あんたは、あ、甘いモノ苦手やったな」
「覚えてくれてたんだ。うれしいよ」
感激したように、上擦った声で一は言った。
「別に、覚えたくて覚えたわけちゃうし」
とてもバツの悪い気持ちになって、光はごまかすようにノエルのを口に入れた。
口に入れたとたんに、蕩けた。舌の上で、濃厚なチョコレートの味が残った。
光は、その余韻に浸った。
おいしい。おいしすぎる。ヤバい。ヤバすぎる。
しきりに感動していると、
「おいしい?」
にこにことした顔で光を見つめてくる。
「めっちゃおいしい。ヤバすぎる」
光は、素直に感想を言った。
「よかった。喜んでもらえて。知り合いのショコラティエに頼んで作ってもらったんだ」
「ふーん」
高校生で、知り合いにショコラティエがいるなんて、なかなかいない。
やっぱり一ともなれば、いろんな人脈があるのだろう。それをしみじみと思った。
「光」
「ん?」
「はい」
そう言って、一はきれに包装が施された厚みのある長方形の箱を光に差し出してきた。
「なにこれ」
「開けてみて」
なんだろう?
包装を解いてみると、中には、光が欲してやまなかったエヴァのフィギュアがあった。
「これ……」
「光へのクリスマスプレゼントだよ」
「てか、さっき薔薇くれたやん」
「それは、僕の真心を表してる。心から君を愛してる。君は僕のすべてだ。この世に存在するどんなモノよりも君の存在は尊い。気高い。神々しい。君のためなら、この命を捧げても構わない。むしろ、捧げたい。この先一生を君の隣で生きていきたい」
滔々と述べらる熱烈な愛の言葉。一の瞳には真摯さと熱がこもっていた。
その瞳を一心に向けられて、光は言葉が出なかった。
いつもなら、即座に切って捨ててやったはずなのに。
どうも調子が狂う。なんで?
ああ、この場の雰囲気に呑まれそうになってるのか。
きっと、女の子なら、こんなシチュエーションに弱いだろう。そこに、愛の告白なんてされたら一発で落ちるだろう。
でも、光は男だ。一も男だ。
間違っても落ちてはならない。
光の沈黙をどう受け取ったのか、一は悲しげな顔をした。
「やっぱり僕のことが嫌い?」
そんな顔をするのは卑怯だ。傷つけることなんてできやしないじゃないか。
「光がどんなに僕を嫌いでも僕は君のことが好きだよ。好きで好きでたまらないんだ。こんなことは初めてなんだ。人を好きなったことなんてなかった。君を好きになって初めて、恋がどんなものかを知った。君を思えば、この胸は熱くときめく。でも、ひどく切なく苦しくもなる。恋とはただ甘いものだと思ってた。でも実際は全然違う。こんなに人を狂おしく想うなんて想像すらしなかった。君が好きだ。君を愛してる」
一のひたむきな想いをひしひしと感じる。
光は、ただ圧倒されるしかなかった。
どうして光なんだ。光よりもかわいい女の子も男の子もたくさんいるというのに。どうして光なんだ。
「……なんで俺なん? 他にもっとかわいい女の子や男の子がおるやろ?」
「僕は君に一目ぼれしたんだ。そして、君を知れば知るほど恋に落ちていった。君以外なんて考えられない」
「あんな跡取りやろ? それやったら、それに見合う相応しい人と結婚せなアカンのとちゃうん? それにあんたの跡継ぎだって絶対必要やし」
「そんなことが心配だったの? 相応しい相応しくないで言ったら、君以上に相応しい人物はいない。それに、跡継ぎのことなら問題ない。伊集院家の傍系には優秀な人物がたくさんいる。いずれは、その人物にあとを任せるつもりだよ」
「……そこまで考えてたん?」
「もちろん。君との未来図を描くのは当然だろう?」
光は言葉に詰まった。
光との未来図まで描いているなんて思いもしなかった。
そういえば、前に一は言っていた。
『頭で想像可能なイメージは実現できる。不可能はない。僕は、君が僕を愛してくれるとイメージができる。だから、それは実現可能だということだ』
きっと色鮮やかにイメージができているのだろう。
いったいどんな未来図を想像しているのだろう。それはきっと、いや絶対に、光が一のことを好きになって、愛することだろう。
そんなこと、不可能なのに。
それでも、一は諦めず光を想い続けるのだろうか。
それって、なんて切ないんだろう。
ふいに、光は悲しくなった。
自分なら、きっぱりと諦めると思う。だって、そうじゃないと辛くなるのは自分だ。
「光、愛してる」
「……悪いけど、俺はあんたの気持ちに応えるつもりはないから。これを機に、きっぱり俺のことは諦めてや。んで、他の人を好きになればええ。それが、あんたのためや」
「僕のためを考えてくれるというのなら、僕のことを好きになってよ。それが本当に僕のためになる」
「やから、それは無理やってば。現実をちゃんと見ろや」
「もちろん。現実を見てるよ。君は僕のことを好きになってくれる。いずれ愛してくれる。それが現実のものになるよ」
宣言するがごとく、一は言い放つ。
そのあまりの自信に、光はふと、不安になった。
一の言葉が現実のものとなったらどうしよう。
(なに、不安になってんねん。しっかりしろ!)
光は、自身を叱咤した。
「とにかく、俺はあんたを好きになることも、愛することもないから。絶対に」
「光、前に言ったよね。絶対はないって。心は常に移り変わる。今日は僕を好きじゃなくても、明日は僕を愛しているかもしれない」
「そんなことにならへんわっ!!」
光は、勢い込んで言った。
これ以上、一と話していても平行線だ。埒が明かない。
「もう十分あんたと一緒に過ごしたろ。やから、バイト代渡せ」
「もっと光と過ごしたいんだけどな」
「調子乗るな」
光は低い声で、威嚇するように言った。
そんな光の態度を見て、一はひとつため息をついた。
そして、
「わかった」
と言って、白い封筒を光に差し出した。
光は、それをいささか乱暴に受け取ると、即座に席を立った。
部屋の入口に向かおうとしたところで、
「光、薔薇を忘れないで」
そう言われて、薔薇の存在を思い出す。
薔薇を取りに行って、入口に向かう。
「今日はとても楽しい時間を過ごせた。ありがとう」
「それじゃ」
光はそっけなく答える。
「また学校でね」
そうして、光は今度こそ家路に就いた。