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「じゃ、また明日なっ」


「ああ、気をつけて帰れよ」


 京介が呑気に手を振る。


 ホームルームが終わるとすぐに、光は教室を飛び出した。まさに飛び出した。


 駆け足で、下駄箱を目指す。


 一に捕まってなるものか。


 急いで帰るんだ。


 下駄箱が見えてくる。と、その側――光専用の下駄箱――の前に長身の人物が立っている。


 もちろん、一だ。


(くそ、遅かったか!)


 光は、内心で舌打ちをした。


 光を認めて、一はきれいな微笑を浮かべた。


「お昼以来だね。逢いたかったよ、光。はい」


 そう言って、スニーカーを差し出してくる。


「勝手に人のモノに触んなやっ」


 スニーカーを一の手からひったくる。


「いつも光がこのスニーカーを履いていると思うと、胸が高鳴るよ」


「変態っ!!」


 光は思わず叫んだ。


「教室まで迎えに行こうと思ったんだけど、入れ違いになっちゃいけないと思って、ここで待つことにしたんだ。よかった逢えて」


「それを人は待ち伏せって言うんやぞ。このストーカーっ!!」


「ひどいなストーカーだなんて。愛ゆえの行動だよ」


「キッショ!! 愛とかほざくなっ!!」


 こんな変態に愛を説かれるなんて耐えられない。愛が可哀想だ。とてつもなく可哀想だ。


 愛ってもっと尊いものなんじゃないのか?


 一が垂れ流す愛の言葉の数々がとてもうすっぺらく感じる。胡散臭い。非常に胡散臭い。


 まあ変態の言うことだから、当たり前か。


 ひとり納得して、光はスニーカーに履き替えた。


「さあ、行こうか」


 一がその手を伸ばしてくる。


 もちろん、光は無視する。と、そこであるモノが目に留まった。


「それって、ラブレター?」


「ん? これ?」


 一が片手を掲げて見せる。


 その手にはたくさんの封筒を持っている。


「うん」


「そうだよ」


「ふーん。やっぱあんたってモテるねんな」


 こんな変態でも好きなヤツがいるのだろう。


 変態を除けば、確かに一はモテる要素が満載だ。


 まさにスパダリだ。


 女子なんて、いや男子もか、その目をハートにしている。


「いやいや、違うよ。これは光へのラブレターだよ」


「え?」


 光は目をパチクリとさせた。


「俺へのラブレターをなんであんたが持ってんの?」


「そりゃ、捨てるためだよ」


「は?」


「光に卑しい感情を持つヤツらを放っておけないからね。光に近づくことは許さない」


「どの口がそれを言うねんっ!! その言葉まるっと返すわっ!!」


 光は一喝した。


 そして、一の手からラブレターを取り返す。


 もしかして、香菜からのラブレターが入っているかもしれない。


 かすかな期待をいだいて、ひとつひとつ確認する。


 しかし、最後の一通となっても、香菜のラブレターは見つからなかった。


 それどころか、すべての差出人は男だった。女子はひとりもいなかった。


「ここには変態しかおらんのかっ!!」


 腹の底から叫んだ。叫ばずにはおれなかった。


「光の底知れぬ魅力は男女関係なく虜にさせる。ほんと罪作りだよ、君は」


 困ったよ、と肩を大げさに竦める。


 そんな西洋人ばりの一を冷たい目で見やって、光ははたと気づく。


「もしかして、いや、しなくてもこれまでずっとラブレター捨ててたんか?」


「あたり前でしょ」


 さもありなんと、にっこりと笑顔を添えて、一は言い切った。


「なっ、この最低最悪変態ストーカー野郎っ!!」


 怒りが腹の底から突き上げてくる。


「なんでそんなことすんねんっ!! プライバシーの侵害やってわかってんのかっ!!」


「いずれは伊集院家に嫁ぐんだから、光の身辺を把握しておくのは当然でしょ」


「誰が嫁ぐかっ!! 誰がっ!!」


「こちらは準備万端だよ。あとは光が嫁いでくるだけさ。このまま僕の家に来る?」


「行くかっ!!」


 光は大声を張り上げた。


 その声に、周囲の視線が集まる。


 なんだなんだといった視線、いつものことかと呆れる視線、そんな好奇の視線に晒されて、光は気まずくなった。


 ふいっと一から顔を背けて、そのまま光は足早に校舎を出た。


 そのすぐうしろを一がついてくる。


「ついてくんなっ!!」


 何度言っても、一は金魚のフンのようについてくる。


 電車の中も、家路にも。


 ぴったりとついてくる。


 たまらなくなって、光は勢いよく走り出した。


 一気に家を目指す。


 しかし、一が肩を並べたかと思うと、呆気なく光を追い抜いた。


 そして、一は一直線に走ると光の家の前でピタリと止まった。


 さすがストーカー。光の家をしっかりと把握している。


 はあっ、はあっ、と肩で息をしながら、光は一をねめつけた。


「帰れっ、ストーカー!!」


「光の家にお邪魔したいな」


「んなこと許すわけないやろっ!!」


「ちょっとの間だけでいいんだ。光の部屋を見たい」


「誰があんたみたいな変態ストーカーに見せるかっ!!」


「見たい」


「いややっ!!」


「見たいんだ」


「しつこいなっ!! てか、どけっ!!」


 一は、光の家の鉄門の前に突っ立って動こうとしない。


「光がいいって言ってくれるまでどかない」


 通せんぼのごとく、その長い両手を広げる。


「はあっ!? あんたは小学生かっ!!」


 イラッとくる。めちゃくちゃムカつく。


 なんて幼稚なんだ。伊集院グループの跡取りが聞いて呆れる。


「ええから、どけっ!!」


「いいんだね? 光の部屋を見ても」


「ええわけないやろっ!!」


「じゃあ、どかない」


「ああっ、もうっ」


 光は、その場で地団駄を踏んだ。


 このままでは埒が明かない。


 家は目前なのに、家人が入れないとはどういう嫌がらせだ。嫌がらせとしか思えない。


 ――嫌がらせ?


 光はハッとなった。


「わかった。全部嫌がらせやったんやな」


「え?」


「どおりでおかしいと思ってたんや。男の俺を好きやとか愛してるとか、結婚申し込むとか嫌がらせとしか思われへん。なんやねん、俺になんの恨みがあんねんっ!!」


 キッと光は嫌悪に満ちた目で一を睨みつけた。


「光、違うよ。僕は本当に君のことが好きなんだ。心から愛してる。けして、嫌がらせをしてるわけじゃない」


「そんなん信じられるかっ!!」


 こんなふざけた男のどこを信用しろというのか。


 そんなの無理ってものだ。絶対に無理。


「光、話をちゃんと聞いて」


「あー無理無理。聞く気あらへんから。さっさと帰れ」


「光、僕は」


 一がいやに真剣は顔つきで、なにかを言いかけた。ちょうどその時。


「あら、なにしてるの?」


 その声に光はバッと後ろを振り向いた。


 そこには、不思議そうに光と一を交互に見やる母――智恵の姿があった。


「おかん!」


 助け舟だ。まさに僥倖だ。光は、心の底からホッと安堵した。これで、一を厄介払いできる。


「光のお友達?」


「はい。伊集院一と申します」


 礼儀正しく一は一礼した。そしてとびきりの笑顔を添える。


「ちゃうっ、友達なんかとちゃうからっ!!」


 慌てて光は言った。


「伊集院って、あの伊集院グループの伊集院さん?」


「はい」


「一くん……もしかして、会長のお孫さん?」


「はい、祖父は蔵之介です」


 如才なく、一は答える。


「まあ、やっぱり。もう光、こんな人が友達だなんてどうして黙ってたの?」


 咎める目で見られて、光は慌てて否定する。


「やから、友達とちゃうからっ!!」


 しかし、智恵は、気に留めた様子もなく、


「家まで来てくれるなんてすごく仲がいいのね。よかった。すごく心配してたのよ。学校にうまく馴染めているかって」


 智恵は安堵したように笑った。


「ちゃうって!! こいつはただのストーカーやねんっ!!」


 光は必死に言い募った。


 しかし、智恵は、


「なに言ってるの?」


 きょとんとした顔をした。


「やから、こいつは俺のことずっとストーカーしてるねんっ!! 変態やねんっ!!」


 光は、わかってくれと、ただただ訴える。


 そんな光を、


「光、いくら仲のいい友達だからって、人をストーカー、変態呼ばわりするのはダメでしょ」


 なんてこと言うの、と叱りつけるように言った。


「やから、友達なんかとちゃうねんってば!!」


「ごめんなさいね、一くん」


 智恵が申し訳なさげに頭を下げる。


「いいえ、気にしていません」


 一もまた殊勝に頭を下げる。


 その様は別人だ。ひどく真面目な顔をしている。まさに、伊集院グループの跡継ぎといった風情だ。


 こんな顔をすることもできるのか。


 光は、驚かずにはいられなかった。


 光の前では、いつも一はヘラヘラとして、滔々と愛の言葉を垂れ流す。


 その様はひどくふざけているようにしか見えない。


 それがどうだろう。目の前の一を見て、あの変態と同一人物だとは思えなかった。


(この二重人格!!)


 変態、ストーカーに、新たに二重人格というアビリティが加わった。


 最強だ。いや、光にとって最凶だ。


 最悪だ。最低最悪としか言いようがない。


 頭痛がしてきた。


 この先が思いやられる。


(俺、この先無事でおれるやろか……)


 光が途方に暮れていると、


「せっかくいらしてくれたんだから、どうぞ上がっていって」


「ありがとうございます」


「なっ」


 にこにこと智恵はとんでもないことを言った。


 対する一も、誰もを魅了せずにはいられない微笑みを浮かべた。


「ちょっ、アカンってっ!! 危険やって!!」


 光は、すかさず制止の声を上げた。


 だが、二人はそんな光をまるっきり無視して、家に上がり込んでいく。


「待て待てっ。上がるなっ!!」


 光も即座に家へと上がる。


「どうぞ、座って」


「はい」


 リビングルームのソファーに一は優雅に腰かけた。


「座るなっ!!」


 光は怒鳴った。


「こら、光。さっきから失礼でしょ」


「だって、ほんまこいつヤバいねんってば!!」


 智恵には一のヤバさがわかっていない。


 ぜんぜんわかっていない。


「今、コーヒーを淹れてくるわね」


「どうぞお気遣いなく」


 智恵はキッチンへと姿を消した。


「今すぐ帰れっ!!」


「どうして?」


 しれっとした表情で一は抜かした。


「どうしてもくそもあらへんわっ!! あんたみたいな変態を家に入れてられるかっ!!」


「まあまあ、落ち着いて。座りなよ」


まるで自分がこの家の主のように、一の隣の席を指さす。


「座るかっ!!」


 光は声を張り上げた。


「光は、こんなところに住んでいるんだね」


 そう言って、一はじっくりと部屋を見渡した。


「じろじろ見んなっ」


 まるで自分を眺められているような気持に陥る。一の視線が気持ち悪い。


「なんてアットホームな部屋なんだろう。この家に住んでいる人の性格がよく表れてる。とても落ち着くね。素敵だ」


 感心したように、一は言った。


「あ」


 と、一が席を立って、正面の壁際へと向かった。


 そこには、壁一面にテレビ台を含めた収納棚が設置されている。数か所が四角に区切られている。


 その一つに、あるモノが飾られていた。


 それを一は手に取った。


 それは、写真だった。


「なんてかわいいんだ……」


 赤ちゃんの頃の光がとても愛らしい笑顔で映っている。


 その他にも、幼稚園、小学校、中学校と、並べられている。


 そのひとつひとつを手に取って見ては、一は感嘆のため息を零す。


「たまらない。たまらないよ」


 なにかをこらえるように、一は大仰に頭を左右に振った。


「ちょっ、勝手に見るなっ。触るなっ」


 光は、一の手から写真を奪い返すともとの位置に戻す。


「光、一枚この写真をくれない?」


 赤ちゃんの写真を指さして、真剣な顔をしてねだってくる。


「あげるわけないやろっ」


「代わりに僕の写真をあげるから」


「そんなもんいるかっ!!」


 誰が変態の写真などほしいと思うものか!


「お願いだよ」


「い・や・や!」


「どうしてもほしいんだ。君のモノを手にすることで、いつでも君が一緒にいてくれると感じたい」


「キッショ!!」


 そんなことを考えているなら、ますます写真を変態に渡すことなどできるわけがない。


 ああ、キモい。ひたすらキモい。なんでこんなにキモいんだ。


 変態の考えることはとうてい理解できない。変態の思考回路など、知りたくもない。


 光が、内心で深く嘆息をついていると、


「なにか、一くんの興味を引くものでもあった?」


 智恵が戻ってきた。


ソファーテーブルにコーヒーを置く。


「はい、とても興味深いものが」


「なにかしら?」


 一は例の写真を手に取って、智恵に見せる。


「とてもかわいらしいですね」


「ああ、これね。そうでしょ、とってもかわいいでしょ」


「まるで天使みたいです」


「そうなのよ、私も親ばかながら天使みたいだなと思ったのよ。だから、何枚も写真を撮りまくってたのよ」


「でもこれだけかわいければ、写真を撮らずにはいられませんよね」


「でしょ!」


 ふふ、とうれしげに智恵は笑った。


 二人はすっかり意気投合している。光は蚊帳の外に置かれている。


「お母さま」


「え、なに?」


 一にお母さまと呼ばれて、ドキリとしたように、智恵が真顔になる。


「折り入って、お願いがあります」


「なにかしら?」


「この写真をいただけませんか?」


「え?」


「光くんとは、学年も違って、なかなか親睦を深められません。でも、この写真があれば、いつも光くんが側にいてくれる気がするんです」


「なに言うてんねんっ!!」


 光の親の前で、そんなことを抜かすとは。さすが変態。恐れ入る。


 さすがに、そんなことを言われて気持ち悪くなったに違いない。母はきっと一に引いたはずだ。だから、もちろん写真をあげるはずがないだろう。


(ざまあみろ)


 ふふん、と光は内心でせせら笑う。


 しかし、母の言った言葉に衝撃を受けた。


 母は、いたく感動した顔で言った。


「なんて友達思いなの! こんな素敵な人が光の友達だなんて! ありがとう、光の友達になってくれて。もちろんあげるわ」


「ちょっ、おかんなに言うてんねんっ!!」


 光は、喚かずにはいられなかった。


 どうしてそうなるんだ!


 信じられない。


 呆然としている光の前で、きゃっきゃっと智恵ははしゃいでいる。


「この一枚だけでいい?他にもほしければ遠慮なく言ってね」


「それでは、これとこれも」


「待て待てっ。少しは遠慮しろっ! てかもらうなっ!!」


「いいでしょ、これくらい。まだまだたくさんあるんだから、ケチなことは言わないの。ああ、そっか。恥ずかしいのね」


「いや、恥ずいとかそういう問題とちゃうねんって!! こんな変態が俺の写真持ってるとかキショすぎるし、ヤバすぎるっ!!」


「だから、光。友達のことをそんなふうに言っちゃダメって言ったでしょ」


「やから、友達ちゃうねんってば!!」


「恥ずかしいからってそんなこと言って、もう光は本当に照れ屋なんだから」


「ちっがーう!!」


 我が母親なのに、なぜ話が通じないんだ。


 光は愕然とした。


 そうこうしているうちに、一はちゃっかり写真をゲットした。


 いたくその表情は満足そうだ。


「さあ、冷めないうちにコーヒーを飲んで」


「ありがとうございます」


 再び、一は悠然とした所作でソファーへと座った。


 そして、コーヒーに口をつける。


「とてもおいしいです」


 にっこりと微笑んで言う。


 それを、ふふ、と智恵がうれしそうに微笑み返す。


「光も突っ立ってないで座りなさい」


「えっ、いややっ!」


 智恵は一人がけのソファーに座っている。一は三人がゆったり座れる大型のソファーに座っている。


 光が座るとなれば、必然的にそこに座らなければならないことになる。


 変態の隣になんて座れるかっ!!


「なに子供みたいな駄々こねてるの?」


 呆れたように、智恵が言う。


「座りなよ、光」


 一が隣の席をぽんぽんと叩く。


「誰が変態の隣に座るかっ」


 すかさず光は拒絶する。


「なんだか、ごめんなさいね。いつもはこんな感じじゃないんだけど。とても素直なのよ。どうしてこんなにつんけんしてるのかしら」


 困ったように、智恵は一に謝った。


「いいえ、大丈夫です。光くんがとても素直で心の優しい人だということは知っています」


 心得ているといった態で、一はそう返す。


「それにしても、お母さまはとてもおきれいですね」


「え?」


「光くんと並んでいると、姉と弟にしか見えません」


「あら、そう?」


 智恵は、両頬に手を添えた。


「さぞや、おモテになることでしょう」


「そんなことないのよ」


 そう言いながらも、智恵はまんざらでもなさそうだ。頬を染めている。まるで少女のようだ。


「なにおかんの機嫌とってんねん!! あ、さては取り入ろうとしてるなっ!!」


「そんなこと思ってないよ。ただ真実をありのまま述べているだけだよ」


「うそつけっ!!」


「本当だよ」


 一は真剣な顔つきで言った。


 そんな顔に騙されるもんかと、光は一を睨みつけた。


 その瞳を一は余裕のごとく受け止めている。


「一くん」


「はい」


「うちで夕飯食べていかない?」


「もちろんです」


「なっ、なに言うてんねんっ!!」


 突然の展開に、光はその大きな瞳をさらに見開いた。


「なにか嫌いなモノはある?」


「いいえ、特にはありません」


「わかったわ。それじゃ、出来上がるまで光の部屋で遊んでて」


「はい」


「んなことさせるかっ!!」


 光は叫んだ。叫ばずにいられなかった。


「いい加減にしなさい、光」


 智恵が、静かに怒りをたたえた目で光を見る。


「だって……」


 光は怯んだ。


 智恵は怒ったらとてつもなく怖い。


「なにをさっきからグチグチ言ってるの? こうして友達が遊びに来てくれたんだから、部屋で遊ぶのは当然でしょ」


「でも、こいつは……」


 光が言いよどんでいると、智恵は、


「もういいわ。一くん、どうぞ光の部屋に行っていて」


「いいんですか?」


「ええ、もちろんよ」


「ありがとうございます」


 うれしげに一は微笑んだ。


「二階の一番手前の部屋だから」


「はい」


 頷いて、一は腰を浮かした。


「アカンってば!!」


 光は、慌てて一の進路に立ちふさがった。


「光!!」


 叱りつける口調で、智恵が言う。


 光はビクッと身体を竦ませた。


 そして、おずおずと一の前からどく。


「……わかった」


 覇気のない声で光は言った。


「そう、それでいいのよ。二人仲良くしなきゃダメでしょ」


 満足したように、智恵はひとつ頷いた。


「それじゃ、夕飯ができたら呼びに行くから」


「……うん」


 悄然として、光は小さく返事をした。


 そして不承不承いった様子で、二階へと上がった。もちろんそのあとに一が続く。


 部屋のドアの前に立って、光は重ーいため息を吐きだした。


(なんでこんなことになってもうたんやろ……)


 なにが楽しくて、この変態に部屋を見せねばならぬのか。


 はあ、いやだ。いやでたまらない。


 光が、心底から嘆いていると、


「光、入らないの?」


 なんとも無神経な声が光の耳に入る。


 光は、勢いよくうしろを振り返って、ギッと一を睨みつけた。


「部屋に入っても、目を閉じてろ」


「それじゃ、光の部屋がどんな感じなのかわからないよ」


「それでええんや」


「無理だね。僕は光の部屋をこの目で見たいんだ。そして感じたい、触りたい、匂いたい」


「ああっ、キッモ! ガチキモッ!!」


 光は、今すぐにこの場から逃げ出したい思いに駆られた。


 いや、ここで逃げ出したら、こいつが勝手に部屋に入ってしまう。勝手に光のモノを触りだすだろう。


 そんなことさせてたまるか!


 しっかりと見張っていなければ!!


「光入ろうよ」


「ああっ、わかった!」


 光は、覚悟を決めた。


 光はドアノブに手をかけて、ゆっくり回した。


 そして、室内へと足を踏み入れる。


「ここが光の部屋なんだね」


 感動したように、一が言った。


 じろじろと光の部屋を食い入るように眺めている。


「見んなっ、目を閉じろっ!!」


「このベッドで光は毎日寝起きしているんだね」


 そう言って、光のベッドにスッと近づくと、そっと掛け布団に手を触れる。愛しそうに撫でる。


「触んなっ」


 光の怒声を無視して、一は掛け布団を捲り、枕を手にした。そして、顔をうずめる。


「ああ、光の匂いがする」


「変態っ!!」


 すぐさま光は一から枕を取り上げた。


 すると今度は、一は光の机へと足を向けた。


「ここで、光は勉強をしているんだね」


 机を撫でる。そしていきなり、椅子に座った。


「座んなやっ」


「光の温もりを感じられそうでね、つい」


「キショいからやめろっ!!」


 光は怒鳴った。


 椅子から立ち上がると、今度は、クローゼットの前に立った。


 間髪入れず、ドアを開く。そして、吊り下げられている服を触った。


「これが、いつも光の身体を覆っている服なんだね」


「変態っ、触んなっ!!」


 しかし、そんな光の言葉を意に介した様子もなく、その下の引き出しを開けた。


「ちょっ!!」


 光は焦った。そこには、下着類が収められている。


「これが光の大事なアレを収めているんだね」


 下着の一枚を手に取って頬ずりした。


 光は、ドン引きした。


 変態! ド変態!!


「光は、ボクサーパンツ派なんだね」


 なるほど、と大きく頷く。


「返せっ!!」


 光はすぐさま一の手から下着をひったくった。


 そしてもとの場所に直すと、乱暴に引き出しを閉めた。クローゼットのドアも勢いよく閉じる。


「いい加減にしろっ、この変態がっ!!」


「好きな相手の部屋に来たらいろいろ触って感じたくなるのは当然でしょ」


「そんなこと普通せーへんわっ」


「僕が普通じゃないとでも?」


「あたり前やろっ。自分がまともな人間やと思ってたんか!!」


「いたって平凡な人間だと思うんだけど。ああ、でも光への愛は誰よりも負けない自信があるよ」


 フッと、自信たっぷりな笑顔を浮かべる。


「そんな自信いらんからっ。今すぐ自信喪失しろっ!!」


「それは無理だよ。君という存在がこの世にある限り、僕は君を愛さずにはいられないんだから」


 うっとりと愛の詩をそらんじるように、一は言った。


「ああっ、キモッ。今すぐ消滅しろっ!!」


「ほんと光は照れ屋なんだから」


「ぜんぜん照れてへんしっ。てか、そこに座ってジッとしてろっ」


 ビシッと部屋の中央にあるテーブルを光は指さした。


「わかったよ。座っていても光の部屋を堪能できるしね」


 キモい言葉とは裏腹の爽やかな笑みを浮かべ、一はテーブルに座った。


「光も座って」


 光は、警戒しながら一の向かい側に腰を落とす。


「やっぱり部屋はその人の性格を表すね。光の部屋はとても穏やかだ。すごく落ち着くよ。ほんと素敵だ」


 そう言って、再び顔を巡らせて部屋を見渡す。


「じろじろ見んなっ」


「それじゃ、光を見つめることにするよ」


 そう言って、まっすぐに光を見つめてくる。


「こっち見んなっ」


「それじゃ僕はどこを見たらいいの?」


「目を閉じたらええやろっ」


「いやだ。光を見つめていたい、ずっと」


 ジッと見つめてくる。


「あーウザッ」


 相手にしていられないと、光は近くに置いてあった少年雑誌を手に取った。


「ねえ、光」


 無視だ。無視。


 光は、雑誌を読むことに集中する。


「さっき、君は僕が嫌がらせをしていると言っていたね。僕は、決して嫌がらせで君を好きだと、愛していると言ってるわけじゃない。心から、真に、君を愛してる。人をこうして愛するのは初めてなんだ。君が僕に愛とはどういうものかを教えてくれた。ありがとう、光」


応えない光に構うことなく一は続ける。


「毎日がとても楽しい。君を見るだけで心が弾む。話をすれば胸が高鳴る。もし、君に触れれば僕はどうにかなってしまうかもしれない」


 そう言って、一はその手を光へと伸ばしてきた。


「触んなっ」


 光はその手を打ち払う。



「どうして? 愛していれば、触れたいと思うのは当然だろ? 光に触れたい、抱きしめたいんだ」


「そんなん俺が許すと思うか?」


「いつか君も僕のことを好きになってくれる、愛してくれると信じてる」


「思い込み激しすぎ。そんなことには絶対ならへんから、きっぱり諦めろや」


「諦めない。君は僕を好きなる。やがて愛するようになる。そうさせてみせる」


 ひどく真剣な顔で一は宣言した。


 そのただならぬ雰囲気に、光は思わず怯んだ。


「そ、そんなん無理やからっ。絶対に!!」


「この世に絶対というものは存在しないよ。例外はあるけれど、この世の事象は常に変化してゆく。ならば、人の心だって変化する。僕と出逢って、君の世界にも変化が現れたはずだ。違う?」


「あんたと出会ってからというもの、ろくでもないことしか起こってへん。これもみんなあんたのせいやから。この疫病神!! 死ねっ!!」


「ひどいな。そこまで言われると傷つくよ」


 ひどく悲しそうな顔をする。


「勝手に傷ついてろっ!!」


 あいにく、同情を引く手には乗るつもりはない。


 ふん、と雑誌に目を落とす。


 沈黙が流れる。


 最初は気にしていなかった光だが、いつも饒舌な一が黙っていることが気にかかった。


 少し言葉が過ぎたかもしれない。さすがに一も傷ついているかもしれない。


 チラ、と一を窺う。


 案の定、一は沈んだ顔をしている。悲壮感を漂わせている。


 一がいつもの変態のノリじゃないと、なんだか変な感じがする。


 いやいや、大人しくなってくれたほうがいいじゃないか。


 長々とわけのわからない愛の言葉を垂れ流されるよりはずっとマシだ。


 光はそう思い直して、視線を一から雑誌に戻した。


 沈黙は続いた。雑誌のページを捲る音がいやに大きく響く。それくらいしんとしている。


 それは、智恵が夕飯ができたと呼びに来るまで続いた。


 席に着く。四人がけのテーブルに、左側に光、向かいに智恵、光の隣に一、その向かいに父の優吾が座っている。


「一くん、どうしたの? なんだか浮かない顔してるわ」


「いえ、なんでもありません」


「本当に? また光にいやなことでも言われたんじゃない?」


 智恵は咎める目で、光を見つめてくる。


「俺はっ、なんも……」


してへん、と言う言葉が続かなかった。


 言葉に詰まった光を見て、


「やっぱりそうなのね」


 智恵は怒りをたたえた瞳で光を見た。


「ちゃう、俺はっ」


「本当になんでもありません。すみません、場を悪くしてしまって」


一が光の言葉を遮るように被せてきた。


「本当に?」


 気遣うまなざしで智恵が一を見る。


「はい、光くんには非はまったくありません」


「そう。ならいいんだけど。さあ、たくさん食べてね」


「はい、いただきます」


 そう言って、一はクリームシチューを口にした。


「とてもおいしいです」


「よかったお口にあって」


 うれしげに、智恵は微笑んだ。


「ところで、一くんはあの天下の伊集院グループの跡継ぎやねんてな。すごいな」


 優吾が感心したように口を開いた。


「跡継ぎともなると、いろいろと大変なこともあるやろ?」


「そうですね。まだまだ僕は若輩者ですから、学ぶことが、学ばなくてはならないことが山ほどあります。日々、いかに自分が未熟者かを痛感しています。けれど、いずれは伊集院グループを背負う身です。これまで伊集院グループを支えてくれた方々にはいくら感謝しても足りません。そして、これからも支え続けてくれる方々が安心して働ける環境を保ち続けなければなりません。それは非常に大きな責任です。失敗はできません。僕には、みなさんの笑顔を守らなくてはいけない義務があります。それを実現している祖父には心底敬服しています。いつか自分も祖父のような立派な人物になれるよう、これからも邁進してゆく所存です」


 まるでカンペがあるかのように、流暢に、一息に語った。その顔は毅然としている。


「やっぱり人の上に立とうとしている人の言葉は違うな」


 感じ入ったように、優吾は深く頷いている。


 光は、驚いていた。


 まさか一がこんなことを考えているとは思わなった。


 まがりなりにも、伊集院グループの後継者ということか。


 確か、京介が言っていた。


 一は、光に出逢うまではロボットのようだったと。感情を面に出さないと。


 今の一の言葉、表情でなんとなくそれがわかったような気がした。


「光にも、一くんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいわ」


「ほんとにね」


 優吾と智恵が朗らかに笑う。


 一もまた微笑んでいる。


 なんか、和気あいあいとしている。まさに家族団らんを絵に描いたような感じだ。


 変態の順応性恐るべし。


 きっと、こうして猫を被って家族にうまく取り入るつもりだ。


(俺は、騙されへんからなっ!!)


 一の本性は変態そのものだ。


 それを決して忘れてはいけない。


 光は、モグッとクリームシチューを頬張った。


 終始和やかなムードで夕食は終わった。


「いつでも遊びにきてね」


「はい、ありがとうございます」


 一は深くお辞儀をした。


「ほら、とっとと帰れ」


 光はせっついた。


「お邪魔しました」


「光、ちゃんとお見送りして」


 玄関口までいやいや見送ると、


「今日は、最高に楽しかった。光の部屋を見ることもできたし、光の写真もゲットできたし、お母さん、お父さんとも話ができた。大収穫だよ」


 とても満足したように、一はにっこりと微笑んだ。


「金輪際、うちには来んなや」


「近々、また遊びにくるよ」


「来んなっ」


「今度は、ぜひ僕の家に遊びにきてよ」


「誰が行くかっ!!」


 冗談じゃない。誰が好き好んで変態の根城に行くものか。


「それじゃ、また明日ね」


「さっさと帰れ」


「光、愛してるよ」


 たっぷりと愛情を込めてそう言うと、一はようやく、本当にようやく、光の家から出ていった。


「キモッ。凄絶にキモすぎる!!」


 うげっと、光は舌を出した。


 今日は朝から最悪だった。


 本当に最悪の一言に尽きる。


 明日もこれがくり返されていくのかと思うと、どっと疲労が押し寄せてくる。


「はあ、風呂でも入ってすっきりするか」


 そうして、風呂に入り、早めにベッドに入る。


 やはり疲れていたのだろう。すぐに睡魔がやってきた。


 光は深い眠りに落ちていった。

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