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「今日も生徒会長に捕まってたんだな」


 休憩時間になったとたん、右隣の席の、友人である高見京介たかみきょうすけがくっくっと笑いをこらえきれないといったように言った。


 それを光は白い目で見た。


 生徒会長とは一のことだ。


 一年生の時に異例の抜擢で生徒会長になり、三年の今もなお続投している。


「笑うとことちゃうからそれ」


 はあ……、と、光は重々しいため息をつく。


「ほんと好かれてんのな、おまえ」


「めっちゃ迷惑やわ」


 げんなりとした顔で光は言った。


「まさか生徒会長――伊集院さんがあんなふうになるなんて思ってもみなかったぜ」


「え?」


「伊集院さんって、おまえがここに来る前は、なんていうかロボットみたいな感じだったんだ」


「ロボット?」


「そう。感情を決して表に出さない。そこにあの完璧な容姿と、頭脳明晰が加わって余計にロボットみたいに周りから思われてたんだ。それがおまえに恋してから、ガラッと崩れた。衝撃的だったよ。あんな公の場で男のおまえに愛の告白するなんてな。すげえよ」


「どこがすごいねんっ。ただの変態やんかっ!!」


「だって、そこまで伊集院さんを変えたのはおまえだぜ?」


「そんなん知らんわっ」


 光は喚いた。盛大に顔をしかめている。


「そんな顔すんなよ。せっかくのかわいい顔が台なしだぜ」


「かわいい言うなっ」


「はいはい。それを言うのは、伊集院さんだけでいいよな」


「アホかっ。アカンに決まってるやろっ」


 即座に光は否定した。


「そんなに伊集院さんが嫌いか?」


「あったり前やろっ。誰があんなキモいストーカー男なんか好きになるかっ!! 今すぐ死んでほしいわ!」


「容赦ねえな」


 ははは、と京介は楽しげに笑った。


「笑うとことちゃうから。俺は本気でそう思ってるから!」


「そこまで毛嫌いしなくても。なんだか伊集院さんが不憫になってくるな」


「あ、おまえもアイツに味方すんのか!!」


「まあ、お得意さまだし?」


 そう言って、京介は光の机を指さした。


 その上には、ピンクの薔薇が置かれている。


 その薔薇は、京介の親が営んでいる花屋から一が毎日欠かさず購入しているものだ。


「このピンクの薔薇がどういった意味を持ってるのか、おまえ知ってるか?」


「そんなん知ってるわけないやん」


 高一の男子が花言葉に精通していたら怖い。いろんな意味で怖い。


「ピンクの薔薇の花言葉は、かわいい人って意味があるんだ」


「……」


「んで、一本の薔薇の意味は、『一目ぼれ』、『あなたしかいない』って意味が込められてる。ほんとおまえ愛されてるな」


「キモッ!! キモすぎるっ!!」


 背中がぞわっとする。


 一が、いちいち花言葉を調べてこの薔薇を買ったかと思うと、気持ち悪くてたまらない。吐き気さえしてくる。


 すぐに教室の窓から放り投げて捨ててやりたくなる。しかし、花にはなんの罪もない。ただただ可憐に咲き誇っている。


「てか、なんでおまえもそんな薔薇の花言葉とかに詳しいんっ!? やっぱりアイツの味方かっ!!」


 この裏切者!と、光が睨みつけてやると、「違う違う」と、京介は否定した。


「俺ん家花屋だろ? 客とかに花を勧めるために、自然と覚えるんだよ」


「ビビった。おまえもアイツと同じ変態やと思ったわ」


「んなわけねーだろ」


「よかったー」


 光はホッと胸をなで下ろした。


 変態は一ひとりだけでいい。いや、よくないけど。ぜんぜんよくない。


どうしたら、一は自分のことをきっぱりすっぱりと諦めてくれるのだろう?


うーん、と光が頭を悩ませていると、


「松本くーん。三年の宮崎さんがいらしてるわよー」


「うげ」


 光は思わず呻いた。


 そして、逃げ場所を探した。


 しかし、宮崎と呼ばれる男は、教室に入ってきて、慌てふためく光のもとへとまっすぐやってきた。


「やあ、松本くん」


「な、なんやねん」


「一から伝言を預かってきたんだ」


「言わんでええっ」


「『休憩時間も愛しい光に逢いたいけど、雑務で時間がない。だから、昼休憩の時間に逢いにいくから。一緒に昼食を食べよう。待っててね』、だよ」


爽やかな笑みを浮かべて、宮崎勤はそう述べた。


「だから言わんでええって言うたやろ!」


「俺は君にちゃんと伝えたからね?」


「あー聞こえへん聞こえへん」


 光は耳を塞いだ。


「ちゃんと一が来るのを待ってるんだよ?」


 光は無視した。


 そんな光を、仕方ないな、というふうに見て、勤は京介へと視線を移した。


「松本くんにちゃんと言っておいてね」


 にっこりと勤は笑った。しかし、その目は笑っていない。


「は、はい」


 その笑顔の迫力に、京介はたじろいだ。


「それじゃ、よろしく」


 そう言い残すと、勤はさっさと教室を出ていった。


 その背中を見送ると、光は塞いでいた耳から手を離した。


「はーやっと行った」


「毎日毎日あの人もご苦労なことだな」


 感心したように、京介が言った。


「ふん、変態の腰ぎんちゃくめ」


「まあ、そのとおりだけどな」


 宮崎家は、代々伊集院家に仕えてきた。一番の右腕だ。


 勤も一が幼い頃から、幼なじみとして、無二の親友として、腹心として、一緒に育ってきた。一が心から信頼できる唯一の人物だ。二人の間には何物にも代えがたい固い絆がある。


「あんな変態の親友とか、アイツもきっと変態に違いないわ」


「ははは、言うねーおまえも」


「類は友を呼ぶて言うやろ。変態同士で仲良くやっとけばええねん」


 ふんっ、と光は吐き捨てた。






 お昼休憩になった。


「それじゃ、俺は行くからっ」


 光は、すぐさまお弁当を抱えて、教室から飛び出した。いや、逃げ出した。


 まさか、一と一緒に楽しく昼食を食べるはずがない。


 楽しいランチタイムを一によって変態地獄に変えられてたまるか!


 光は走った。ひたすら走った。


 そんな必死な光の姿を周囲の生徒たちは、どこか憐憫の目で見る者、嫉妬丸出しで見る者、我関せずという者、実に様々だ。


(そんなん知ったことか!!)


 好奇の目線に晒されて、光は内心で罵った。


 そんなことに構っていられない。今はひたすら逃げるしかない。


 校舎を出て、中庭へと出る。広大な中庭には、芝生広場や、ちょっとした森、薔薇園等がある。


 光は薔薇園に足を向けた。色とりどりの薔薇が群生しているその中心に、薔薇を模した温室が建っている。その造りは、とても意匠が凝っていて、一目でお金がかかっていることがわかる。


 光はその温室へと足を踏み入れた。


 とたんに、むせ返るような薔薇の香りが一斉に光の胸を満たす。そのかぐわしい香りは、ささくれ立っていた光の神経を穏やかにした。


「ええ香りやな~」


 見目麗しい薔薇たちを眺めて、光はにっこりと微笑んだ。


 温室の奥にはパークベンチが設けられている。


 そのアンティーク調のベンチに光は腰を落ち着けた。


「ここなら見つからへんやろ」


 にんまりと光はほくそ笑んだ。


 そして、いそいそと膝の上にお弁当を広げる。


「いっただきま~す」


 パクンとタコさんウィンナーを口に放り込んだ。


「あーうま」


 ひとりで食べるのは少々寂しいが、だからといって、一と昼食をともにするなどもっての外だ。論外だ。言語道断だ。


 絶対にいやだ。


 一とともに食事をするくらいなら、こうしてひとりでいたほうが断然いい。圧倒的にいい。めちゃくちゃいい。


 今日は、なによりこうして、薔薇を眺めながら優雅な食事ができている。


 色とりどりの薔薇を眺めながら、光は満悦間に浸っていた。


「それにしても、いろんな色の薔薇があるな~」


 白、黄、緑、オレンジ、ピンク、赤、紫、青、黒、と多種に渡っている。


 その中のひとつ、青い薔薇に目が留まった。


「青い薔薇て確か作ることって不可能やったんちゃうかったっけ? 青い色素がどうのこうので」


「そう。もともと薔薇には青い色素が存在していないから、青い薔薇を作ることは不可能とされていたんだ」


「なっ」


 光は声のする方向へとバッと顔を向けた。


 目の前には、一がいた。


「いつの間にっ。てか、なんでここに俺がおるって知ってるねんっ」


「光がここに入っていったのを見た人が親切に教えてくれたんだよ」


「くそっ」


 そうだ。ここは伊集院学園。一の手下どもがわんさかいる。その情報網を侮ってはいけない。


 光にとってはまさに敵地だ。


 どうして、こんなところに転校してきてしまったのだろう。


 ああ、また転校したい。ていうか、大阪に帰りたい。ひたすら帰りたい。


 光は故郷に思いを馳せた。


「光、ちゃんと待っててって言ったのに約束を破ったね」


「約束なんてしてへんやろっ」


「僕がどんなに傷ついたか光にはわからないだろうね」


 はあ……、とわざとらしくため息をついてみせる。


「わかってたまるかっ」


 そんなことわかりたくもない。絶対に。


「今日もお母さんお手製のお弁当だね」


 そう言いながら、一は光の隣に座ってきた。


「隣座んなっ。あっちいけっ」


 しっしっと、光は手で一を追い払おうとした。


 しかし、そんなことは意に介した様子もなく、一は、


「薔薇園で君と昼食をともにするなんて、なんてロマンティックなんだろう」


 うっとりとしたように一は微笑んだ。


「キモッ」


 光は露骨にいやな顔をして、お弁当を包み直してその場を立ち去ろうとした。


「光、どこに逃げようとも僕は君を追いかけるよ。わかってるでしょ? そんなことをくり返していたら、せっかくお弁当を作ってもらったのに、食べる時間がなくなるよ。残してもいいの?」


 確かに、光がいくら逃げても、一は執拗に追いかけてくるだろう。実際、それが毎日繰り返されているのだ。鬼ごっこをくり返して、お弁当を食べきることができずに終わったことも少なくない。


 元気いっぱいの光がお弁当を残していることを、母はとても心配している。まだ学校に馴染めていないのではないかと気にかけてくれる。


 そんな余計な心配をかけたくない。


 学校にはすでに馴染めている。順調だ。……いや、ひとつだけ問題がある。大きな問題が。


 それはもちろん一だ。


 こいつさえいなければ、順風満帆な学園生活を送ることができていただろう。


(こいつのせいで!!)


 光は、恨みのこもった目で一を睨んでやった。


「さあ、光。突っ立ってないで座ったらどうだい。光のためにスウィーツを用意したんだよ」


「スウィーツ?」


 ピクと、光の身体が動く。


 一は、シックな茶色のケーキ箱を掲げてみせる。


「フォンダン・オ・ショコラだよ」


 ピクピクと、光の身体が反応する。


「光は、チョコが好きでしょ。このフォンダン・オ・ショコラは名店中の名店から取り寄せたんだ。フォークを入れて中を開いた瞬間に、とろりとチョコレートが溢れ出してくる。絶妙なスポンジの硬さとなめらかなチョコレートとのハーモニーはたまらない。絶品だよ」


 ごくん、と光の喉が鳴る。


 いや、ダメだ。これは一の罠だ。引っかかってはいけない。


 というか、それ以前に、なぜ光の好物がチョコだと知っている。……問うだけ、愚問か。


(この変態ストーカーっ!!)


 光は心のうちで、盛大に罵倒した。


「どうぞ」


 一が光へとケーキ箱を差し出してくる。


「いらんっ」


 プイッと光は顔を背けた。見てしまえば、つい手を伸ばしてしまいそうだ。


「遠慮しなくていいんだよ?」


 誘惑するように、一が言う。


「いらんてば」


 自制するように、光は答えた。


「とってもおいしいよ?」


「やから、いらんて言うてるやろ」


「ほっぺたが落ちるほどおいしいよ?」


「しつこいな!」


 ぴしゃりと光は言い放つ。


「わかった。それじゃ、捨てよう」


「ちょっ、なに罰当たること言うてんねん!」


「だって、君はいらないんだろ? なら、必要ない」


「あんたが食べればええやろっ」


「僕は甘いモノが苦手なんだ」


「じゃ、さっきいかにも食べたような言い方したのはうそやったんか!」


「いや、味見だけはしたんだよ。なにせ光に贈るモノだからね。すべて把握しておく必要がある。当たり前でしょ」


 当然のごとく一は言いきった。


「うわ、キモッ」


 光はドン引いた。


 キモい。キモすぎる。


 こんなに凄絶にキモい人物と遭遇したことなど、これまで生きてきた中で一度たりともない。


 東京ではこんな変態が生息しているのは当たり前なのか?


 もしかして、日常茶飯事? もう慣れきっちゃってる?


 だとしたら、怖すぎる。恐るべし、東京。


 いや、さすがと言うべきか。さすが、日本の首都。拍手を送りたくなる。……送らないけど。


 それにしても、日本の未来を担う重要人物がこんな変態だなんて。日本もとうとう終わりだ。


(ガチで日本ヤバない?)


「ん? どうしたの?」


 光が日本の未来を憂いているというのに、当の変態はなに食わぬ顔をしている。


 その頭の中がどうなっているのか、一の頭をかち割って一度見てみたい。いや、ダメだ。変態がうつる。


「そんなに見つめられると、我慢が利かなくなるよ」


「はあっ!?」


 なにを勘違いしているのか、一はにやついた顔をして言った。


「君のそのつぶらな瞳に見つめられると、僕は我を忘れてしまいそうになる。いつも頭の中は君のことばかり考えてる。今君はなにをしているだろう、なにを見ているだろう、なにを聞いているだろう、なにを食べているだろう、なにを考えているだろう。僕のことを想ってくれているだろうか。君のことを想うだけで、この胸は愛しさと恋しさと切なさに押しつぶされそうになる」


「押しつぶされてそのまま死ね」


「もう君を知る前の自分には戻れない。いや、戻りたくない。君と出逢って、僕は新しい自分へと生まれ変わったんだ!」


 興奮を露わに一は天を仰いだ。


 その目はイっている。完全にイっちゃってる。


 ぞぞーっと、悪寒が光の背中を走り抜けていった。


 思わず、ブルッと身体が震えた。


 そんな光を目ざとく見やって、


「どうしたの? やっぱり風邪をひいたんじゃない? 今すぐ温めてあげる」


 一が勢いよくベンチから腰を浮かした。


「こっち来んなっ。誰のせいでこうなってると思ってるねんっ!!」


「え、僕?」


 一がきょとんとした顔で自分自身を指さす。


「あったり前やろっ。他に誰がおるねんっ!!」


「そうか、僕のせいか。なら、なおさら僕が責任を持って君を温めるよ。おいで」


 ささ、と優雅に両腕を広げる。


「行くわけないやろっ」


「照れなくてもいいんだよ?」


「照れてへんしっ」


「ならおいで」


「行くかっ!!」


「恥ずかしがり屋なんだから光は。でもそんなところもたまらなくかわいいよ」


「かわいいって言うなって言うたやろっ。学習能力皆無やなっ。その頭の中はどうなってんねんっ!!」


「そりゃ、光のことでいっぱいだよ。あたり前でしょ。僕の頭がどれだけ光で占められているのか見せてあげたいよ」


「そんなん見たないわっ」


 うげっ、と、光は舌を出した。


「ああ、そんな仕草も可憐だ。なんて愛らしいんだ」


 陶然とした表情で、一は光を見つめた。


「キモッ。こっち見んなっ」


「それは無理だよ。この目が閉じていても、いつだって心の目は君だけを見つめてるんだから」


「意味わからんっ」


 変態の言うことなど所詮凡人には理解不能だ。むしろ、理解したくない。


 ていうか、このままでは変態のペースに巻き込まれてしまう。いや、もうすでに巻き込まれている。


 このままではいけない。


 光は冷静になるべく、深呼吸をした。


(落ち着け)


 一呼吸置くと、だいぶ気が落ち着いた。


 まず、自分がしないといけないことは、一を相手にしないこと。その次に、母が丹精込めて作ってくれたお弁当を残さず食べること。


 その二つだ。


 早速実行に移す。


 光は回れ右をして、温室の入口へと足早に向かった。


「光、どこ行くの?」


 すかさず、一は反応してあとについてくる。


 しかし、光は頓着せず、歩を進める。


 中庭を戻って、教室へと帰る。


「お、戻って」


 光を見やって、京介は口を開きかけたが、そのすぐうしろから姿を現した一を見て即行閉じた。


 それは教室全体にも言えることで、一瞬にしてその場が静まり返った。


 そんな痛いくらいの静寂の中、自分の席に戻った光は、お弁当を机の上に広げた。


 そして、食べ始める。


 間を置かず、一は光の前の席に座って身体をこちらに向けてくる。光の机に自身のお弁当とケーキ箱を置いて食べ始めた。


「光、ハンバーグいる?」


「……」


「それじゃ、玉子焼きは?」


「……」


「ポテトサラダはどう?」


「……」


 光は一貫として無視を続けている。


 黙々とお弁当を食べている。その顔は無表情だ。


 もともとがかわいらしい顔をしているため、無表情になると一気に近づきがたい雰囲気を醸し出す。


 しかし、一は臆することなく、光へと話しかけてくる。


「いつ見ても、光のお弁当はおいしそうだね。栄養バランスに富んでる。きっとお母さんは料理がうまいんだろうね」


「……」


「お母さんと言えば、光はお母さん似だよね。笑顔がとてもそっくりだ」


 ピクッと光の眉が動く。


(こいつ、どこまで俺のこと調べてんねんっ!!)


 キモッ!!と、内心で叫ぶ。


 だが、面には出さない。


 ちょっとでも反応してしまえば、光の負けだ。負けてたまるか。


 光は、無視と食事を続行した。


 だから、一方的に一がしゃべり続ける形となった。


「今度光の家にお邪魔してもいいかな?」


「……」


「光が実際に生活している空間をじかに見たい、触れたい、感じたい」


「……」


「もし、差し支えがあると言うならば、僕の家でもいいよ。君に僕がどんなところで生活をしているのか、ぜひとも知ってほしい。どうかな?」


「ごちそうさま」


 光は手を合わせた。


「あ、もう食べ終わったの? それじゃ、食後のスウィーツも食べて」


 そう言って、ケーキ箱をスッと光のほうへと寄せる。


 お弁当も食べ終わったことだし、少しなら口をきいてもいいか。お腹が満たされて、気持ちが緩んだ。


「いらん」


「そう。なら、やっぱり捨てよう」


 そう言い捨てて、一はケーキ箱に手をかける。光はその手をとっさに押さえた。


「待った! ……食べる」


「食べる?」


「……うん。だって、もったいないやんか。それに、心を込めて作ってくれた人たちに申し訳ないと思わへんのか?」


「光ならそう言うと思ったよ。本当に君は優しい人だね」


 満足がいったように、一は微笑んだ。


 その顔を見て、光は、しまった、と思った。だが、もう遅い。


 バツの悪さに、光は顔をしかめずにいられなかった。


「どうぞ、食べて」


 満面の笑みで一が言う。


 食べると言ってしまったものは仕方ない。


 光は渋々、ケーキ箱を開いて、件のブツを取り出した。


 手の平にちょうど収まる上品なサイズ。マフィンの形をしている。甘い匂いがする。


 付属のフォークを手に取って、光はフォンダン・オ・ショコラに切れ目を入れた。


 切れ目から、とろりとチョコレートが溢れ出す。


 光はおそるおそる一口口に入れた。


 とたんに、口がとろけた。まさにとろけた。


 なに、これ。ヤバい。ヤバすぎる。


 放心状態の光を見やって、


「どう、おいしいでしょ?」


「めっちゃおいしい……。こんなん初めて食べた」


「よかった。気に入ってもらえたようで。光のお気に入りリストに追加しとくね」


「は? お気に入りリスト?」


「光自身の言動、周囲の言動、それを総合して作ってるんだ。精度は高いよ。例えば、君は白米でなく玄米を好んで食べてるね。それは健康志向のためだね。そんな若い時から、将来のことを見据えているなんて、敬服するよ。僕も見習わないとね」


「いや、単においしいから食べてるだけやねんけど。……で、どこが精度高いって?」


「おかしいな。玄米までは合ってるのにな……。再リサーチが必要だな。そうか、光はその味に魅了されているんだね」


 なるほど、と一はひとつ頷いて、ブレザーの内ポケットから手帳を取り出してなにやら書き留めている。


 いやな予感がして、光はおそるおそる問いかけた。


「その手帳ってなんなん?」


「それはもちろん、光に関するいろいろなデータを書き留めているんだよ」


 にっこりと一は微笑んだ。


「なっ」


 光は頭にきて、一から手帳をひったくった。


 そして、中身を確認する。


 そこには、


 松本光。16歳。10月4日生まれ。О型。天秤座。身長161cm。体重46kg。スリーサイズ――


「この変態っ!!」


 光は、怒りに任せて手帳をビリビリと破った。


「破っても無駄だよ。スペアはまだまだある」


 余裕の笑みで、一は言った。


「ちくしょうっ」


 悔しそうに光は舌打ちした。手帳を床に叩きつける。


「愛しい光のことはどんな些細なことでも把握しておきたいからね。当然でしょ」


「ああ、キッモ!! ガチキモッ!! 今すぐ死ね!!」


「ははは、ほんと光は照れ屋なんだから」


「どこをどう見たらそんな勘違いができるねんっ!!」


 息巻いて、怒鳴る。


 ほんとこいつには話が通じない。頭はとびきりいいはずなのになぜだ。ああ、バカと天才は紙一重っていうしな。こいつは一周回ってバカになったクチか。そうか、バカか。納得。


「いや、納得したらアカンやろ」


「ん、なにが?」


「あんたがバカか天才なのか考えてた」


「僕がバカだとして、僕らの愛になにか問題でもある?」


「大ありやわ。バカなら話が通じへんのは納得がいく。けど、実際あんたはめっちゃ頭がええ。やのに、なんで俺の言ってることわからへんの? てか、僕らの愛とか抜かすなっ」


「人を愛すれば誰もがバカになる。愛の奴隷になる。愛に平伏す。それが愛するということさ」


 うっとりと詩を奏でるように、一は語った。


「バカってことは認めるんやな」


 呆れたように、光はジト目で一を見た。


「僕がバカだといや? でもしょうがないよ。君の前では、どうしようもなくなるんだ。胸が高鳴って、ふわふわとした浮遊感に陥る。頭の中が君でいっぱいになる。君のことしか考えられなくなる。君に触れたい、抱きしめたい、キスし」


「死ねっ!!」


 最後まで言わせるもんかと、光は即行罵倒した。


「どうして? 愛していたらそう思うのは当然だろ?」


「キショいから。ああっ、鳥肌立つっ」


「君への愛は尽きることがない。こんこんと湧き出る泉のように。清涼で、澄み渡っている。一秒ごとに、君への愛は深さを、大きさを増してゆく。どれほど君を愛しているのか、この胸を開いて見せてあげたいよ。そうすれば、わかってもらえるのに」


「そんなん見たないわっ」


 光が声を張り上げた時、チャイムが鳴りだした。


「さっさと帰れっ」


 これ幸いと、光はビシッと教室のドアを指さした。


「ああ、また光と別れなくちゃいけないなんて辛いよ。辛すぎるよ」


 その言葉のとおり、辛そうに顔を歪めて一は言った。


「また放課後迎えに来るからね。待っててね。それまで寂しいだろうけど我慢してね」


「誰が待つかっ。あんたがいなくなってせいせいするわっ! ええから早く帰れっ!!」


「それじゃ、しばしの別れのハグを」


「するかっ!!」


「つれないね」


「あたり前やろっ」


 ふんっと、光は思いきり顔を背けた。


 そんな光の顔を寂しそうな顔で見つめながら、一は深いため息をついた。そして、自身のお弁当箱を片づけた。


「それじゃ、またあとでね」


 応えない光を名残惜しそうに見やりながら、一は教室を出ていった。


「はーやっと出ていった」


 ふう、と光はため息をついた。


「今日も相変わらずぶっ飛んでるな伊集院さん」


 右隣の席から、京介が感心したようにしみじみと言った。


「なんてったって変態やからな」


「伊集院さんレベルになるとやっぱり一味も二味も違うな。ガチですげえわ」


「いや、そこ感心するとことちゃうから! ドン引きするところやから!!」


「ドン引き通り越して、さすが伊集院さんってなるんだよな、これが」


「なんでやねんっ!!」


 光は突っ込まずにはいられなかった。


 どうしてそうなるんだ。なぜに? なにゆえに?


 一が伊集院グループの跡取りだから?


 いやいや、ただの変態だぞ?


 ただ容姿がよくて、頭がよくて、家はお金持ちの変態だぞ? ……いや、待てよ。なかなかこの条件が整っている変態は少ないかもしれない。


 もしかして、めちゃくちゃ貴重な変態?


 絶滅危惧種並みの変態?


 おまけに、変態の中の変態?


 THE・変態?


 にやりと笑う一の顔が頭に思い浮かんで、光は総毛立った。


「キモッ!! キモすぎるっ!!」


 そんな大変態に目を付けられるなんて最悪だ。


 東京に引っ越ししてきてからというもの、運が悪運へとその姿を変えたような気がしてならない。


もちろん悪運の元凶は一他ならない。


(俺の人生詰んだかも…)


 はあ……、と重々しいため息をつかずにはいられない。


「これから先もずっとあの変態に付きまとわれると思うとぞっとするわ」


「まあ、でもあと三ヶ月弱の辛抱じゃん。そしたら伊集院さん卒業するし」


「変態が三年でよかったわ。同学年やったらもっと悲惨な目に遭ってたわ。てか、今すぐ卒業してまえ」


「伊集院さんが卒業したら、おまえらの漫才が見られなくなるんだよなー。寂しくなるな」


「漫才っ!? どこがっ!?」


「伊集院さんがボケで、おまえがツッコミ。見てて、すげーウケるんだけど」


「はあっ!?」


 光は、なにを言っているんだこいつ、という蔑視の目で京介を見た。


 京介は、気にしたふうもなく、


「周りもおまえらのやりとり好きなヤツが結構多いと思うぜ」


「んなわけな」


 光が全力で否定しようとしたところへ、


「私も、伊集院先輩と松本くんのやりとり好きだな」


「へ?」


 光は声のする左の席へと顔を向けた。


 そこには、今井香菜いまいかながにっこりしたかわいい笑顔で光を見ていた。


 ドクンと光の胸が高鳴る。


(今井さん……)


「本当に伊集院先輩は松本くんのことが好きなんだって伝わってくるわ。見ていてとても微笑ましくなる」


「そんな、あいつはただ変態なだけで……」


「松本くんと出逢って、伊集院先輩は変わった。本当に人間臭くなった。それって、松本くんがそこまで伊集院先輩を変えたってことでしょ。すごいわ」


 尊敬をたたえたまなざしで見られて、光は狼狽してしまう。


「そんな俺なにもしてへんし。ただあいつが勝手に付きまとって変なこと言うてくるだけで。俺にはちゃんと好きな子がおるし」


 チラと、香菜を見る。


 そう。光が心ひそかに想っている相手は香菜だ。


 クラス委員長で、引っ越ししたての光の世話をなにかと焼いてくれた。そんな優しい香菜に光は惚れたのだった。


「そっか。他に好きな子がいるんだね。でも、伊集院先輩はそのこと知ってるんでしょ?」


「あ、うん……」


「きっと、すごい自信があるんだわ。松本くんが伊集院先輩を好きになってくれるって」


「それは絶対にない!! あんな変態を好きになるなんてありえへんからっ!!」


「でも、毎日毎日松本くんへと熱烈な愛の告白してるじゃない。そのうち落ちちゃうかもしれないよ?」


「え……」


 香菜ににっこりと言われて、光は言葉を失った。


 自分が一を好きになる? 一に恋愛感情を持つ?


 ――いやいやいや、それはない。絶対にない。ありえない。


 自信を持って言える。


 あんな変態と相思相愛になるなんて言語道断だ。


 それになにより、変態の仲間に入るつもりは毛頭ない。入ってたまるか。


(俺はまっとうに生きるんだっ!!)


 一のような変態になってたまるか。


 光が、心新たに決意を固めているところへ、


「ふん、ちょっと伊集院先輩から相手にされてるからって調子乗んなよ」


 そうつっけんどんな口調で言ってきたのは、京介の前の席の谷原悠里たにはらゆうりだった。


「伊集院先輩がおまえを相手にしてるのは、おまえがそのコテコテの大阪弁でしゃべってるからだ。ただ物珍しいからだ。おまえ自体に興味があるわけじゃない」


「だからなんやねん」


 ムッとした顔で、光は答えた。


「いずれは飽きられるってことさ」


 ふん、と小馬鹿にするように悠里は笑う。


「そんなん願ったりやわ。今すぐ飽きてほしいわ」


「捨てられて泣くことになればいいんだ」


「誰が泣くかっ。ああ、うれし泣きならするかもしれへんな」


「ほんとこんな口うるさいヤツのことなんてさっさと飽きて捨てればいいのに」


 険を含んだ口調で悠里は言った。


「なんやとっ」


「伊集院先輩にはもっと相応しい人がいる。たとえば、この僕とかね」


 ふふん、と優越感丸出しの表情で悠里が笑う。


 光は、そんな悠里に引いた。


(こいつも変態か!!)


 あっちにもこっちにも変態がいる。いったいどうなってるんだ伊集院学園は。変態の巣窟か。


 とんでもないところに転校してきてしまった。


 はあ……、と疲労が多分に滲んたため息を光は吐き出した。


「おまえと僕なら断然僕のほうが勝ってる。外見も、頭も、家柄だって」


「はいはい。そうやな」


 相手にしてられなくて、適当に返事を返す。


「ふふ、悔しいだろ。うらやましいだろ」


「そうですねー」


(勝手に言ってろ)


 内心であっかんべえをしてやる。


 と、そこへ教師がやってきた。


 光は、やれやれと教科書へと目を落とした。

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