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告げて、はじまり  作者: 冬野ふゆぎり
五年目:
50/62

ひとりと、ふたり

 部署を異動する可能性は、職員として常に意識していなければならない事項だ。ことに技術職員ではなく私たちのような事務職員となると、今までの業務内容とはまるで毛色の異なる担当に移る、ということがほとんどだから、素早い残務整理および引継ぎと新たな担当業務の内容把握など、必要なことをいつでも行えるように心がけておくことが肝要であることは、これまでに既に数度の異動を経た身としては、ひしひしと分かっていたはずなのだけれど。

 よもや、自分だけに留まらず、彼にまで同時に降りかかってくるとは、さすがに予想の外で。

 「あー、癒されるー……」

 切れ目なく続く仕事の波をどうにか乗り越え、ようやく家に帰り着いた、金曜日。

 せめても、このささくれた気分だけでも改善しよう、とゆったりとお風呂を済ませ、お気に入りのルームウェアに着替えた私は、リビングのソファで猫二匹を抱えていた。

 今は、高い背もたれに身体を深く預け、膝には体格の良いかまぼこを、そして胸元から肩にかけてしっかりとしがみついてきているサビ子さんをそれぞれに撫でながら、深々と息を吐く。顎の下に小さな頭を突っ込むようにして、ごろごろと喉を鳴らしてくれているのを漫然と聞いていると、ふっと平岩さんの声が鮮明に蘇ってきた。


 『猫が喉を鳴らすのって機嫌の良い時だけじゃなくて、緊張してる時にもする時があるらしいんだけど、この子たち見てるといつでもご機嫌過ぎて、見る機会もなさそうだねえ』


 実際、私にしても彼にしても、帰ってくる足音がどうやら分かるらしく、道路に面した側に、常に灯りを点けている猫部屋の窓から、レースのカーテンをめくり上げる勢いで、必ずと言っていいほど、並んで顔を覗かせてくるのだ。

 その時の表情ときたら、琥珀とカッパーの瞳が見るからに爛々と輝いていて、分かっているのに、毎回笑ってしまうほどで。

 「……早く、帰ってこないかなあ」

 そうぽつりと口に出してしまってから、すぐに後悔する。囁くような声量でしかないというのに、嫌にはっきりと辺りに響いたそれが、広いこの家にたったひとりでいることを、ことさらに意識させるからだ。

 彼は、今週水曜から三日間に渡る出張に出ている。その中身はいわゆる担当者会議で、今年度に住民課課長に昇格してから初めての、長期出張だ。そして、私は私で、異動先の人事担当に移っておよそ二か月余りが過ぎ、ようやく息がつけるようになってきた頃で。

 普段なら、出迎えるか出迎えられるかして、お風呂、食事、並行して猫たちのお世話や洗濯などの家事を進めて、終わったら全員で安息の時間、そして就寝、というサイクルがこの一年弱ですっかり出来上がっていたから、久し振りに完全にひとりになると、何やら持て余してしまう。とはいえ、初日と昨日は残業と、微妙にリズムのずれる家事とでばたばたとしていて、彼と少し電話で話した後は、疲れてすぐに寝てしまったのだけれど。


 それにしても、こんなにどっとくるとか、弱すぎるなあ……


 研修やディスカッションも含む、全ての日程が終わったのは、今日の夕刻だ。なのに、帰途につこうというまさにそのタイミングで、信号機器のトラブルで、列車が運行止めとなってしまい、帰れなさそうだと連絡があってから、未だ状態は回復していない。

 行く前に、終わったら何をおいても真っ直ぐに帰ってくるから、寂しかったらいつでもいいから連絡するんだよ、と酷く心配そうに私を見下ろしていた彼に、子供じゃないんですから、大丈夫です!などと、ややきついほどに返していたというのに。

 ふと、以前はどうしていたんだっけ、と考えを巡らせてみると、好きな音楽を掛けたりラジオを聞いたりストレッチをしたり、とそれなりに浮かんできたものの、正直何をする気にもなれない。むじろ、やらなければならないことに集中している方が、余程ましで。

 ただ、眠る前までには入ってくるはずの彼からの連絡だけが、ひたすらに待ち遠しくて。

 「……だから、だめだってば」

 自らに言い聞かせるようにそう呟きながら、じっと瞼を伏せると、猫たちを撫でていた手を止めて、また息を吐く。と、サビ子さんの耳がぴくりと震えて、少しくすぐったい。

 それにスイッチを押されたように、気晴らしに奈緒にでも連絡するかな、と思い立って、時間を確認するついでのように、サイドテーブルの上に置いたスマホを取り上げる。

 右の親指でロックを解除すると、すぐに表示された待ち受けの画像を認めて、私は目を見開いた。

 「え、なにこれ。それに、こんなの記憶にない……」

 かまぼことサビ子さんが巴になって眠っているものに設定していたはずなのに、現れたのは、平岩さんが猫二匹を器用に両の腕に抱えて、ご機嫌な笑みを浮かべている、それで。

 すっかり混乱しながらも、画像をよくよく見ると、その背景はどう見てもうちの和室の襖だということに気付いて、さらに困惑が広がる。

 とにかく、誰かが操作して勝手に設定しなければこうはならないし、これを撮ったのは私ではないわけだから、その対象はおのずと限定される。つまり、家に来たことがあり、なおかつ今日、スマホに触れることができた人間、といえば、あの子しかいなくて。

 「それにしたって、早業過ぎるでしょ……何してくれてるの、もう」

 ほんの数時間前の記憶を手繰りながら、呆れと感心がない混ざった心地で、私はひとり頭を抱えていた。



 職場での休憩場所、といえばいくつか思い当たるが、特に良く利用するのは一階ホール、エレベーターの脇に位置する自販機コーナーだ。他には、最上階の喫茶コーナーも地下の売店もあるにはあるのだが、閉庁時間前には当然閉まってしまうから、人を待つ時の時間潰しや、長引く残業などの折には、必然的にここにやってくることになる。

 それに、見知った人と顔を合わせることもよくあるから、気分転換にもぴったりで。

 「えー、平岩課長、本気で帰ってこれそうにないんですかー?」

 「たぶんね。現在復旧の見通しは立っていません、ってメッセージが出てるから」

 多少の残務整理はあったものの、残業というほどのレベルでもなく、早々に引き揚げてきた、閉庁時刻後。

 出張や外部での研修の折によく使っている、路線情報アプリの『運行情報』欄を開いた私は、すぐ隣に立っている立花さんに、そのまま赤のスマホを差し出してみた。

 「うわー、よりによって週末にこれとか、がっかり度ハンパないですよねー……ただでさえ連休ないし、一年で一番切ない月だっていうのに」

 「今からだと、明日まで中途半端に潰れるだろうしな」

 眉を寄せて液晶を覗き込んでいる立花さんの横で、何か泡立つ飲料のカップを手にしていた久保くんが、つと私の方を向いてくると、意味ありげに口の端を上げてみせた。

 「まあ、俺だったらさっさと諦めて、適当にビジホ満喫するところですけど。課長なら、帰ってくる気満々じゃないんですか?」

 「ご推察の通りなんだけど、本気で高速バスでも使って帰ってきかねないから、ただでさえ疲れてるんだからって、必死で止めたところなの」

 こういうところが彼女に影響されてきてるな、と苦笑しながら、飛んできたからかいの矢を受け流していると、立花さんがきっと顔を彼に向けて、憤然として言い募った。

 「なにそれマジで言ってるの!?わたしだったら駅で運行再開全力待機するのに!」

 「あのなあ、遠いんだからそっちの方が現実的だろうが。むしろお前が一人でふらふらする方が危ないんだから、そういう時は一も二もなく泊まって帰ってこいよ」

 たしなめるようにそう言いながら、何気なく空いた腕を伸ばすと、自然な様子で彼女の頭に手を置いた久保くんが、明るいブラウンの髪を優しく撫でる。

 そのさりげない仕草と向けられた視線を受けて、見る間に顔を輝かせた立花さんは、まるで抱きつきたいのを我慢しているようにしばしうずうずと手を動かしていたけれど、彼女が実行に移す前に、彼の方が我に返ったようで。

 「ちょ、待て、場所考えろ!ていうかめちゃくちゃ人前だろうが!」

 「明石係長だけだし、係長口固いもん!それにタイテンから手出ししてきたくせにー!」

 「……その発言は対外的にも色々とまずいから、せめて声抑えて」

 市民の方はもういらっしゃらない時間ではあるけれど、万が一ということもあるから、ずばりとそう告げてしまうと、二人ともが同時にぴたりと動きを止めた。

 それから、頬を少し赤くした彼はふいと顔を逸らして、彼女はといえば悪びれた様子もなく、満面の笑みをこちらに向けてくると、

 「ねー、付き合い立てからするとタイテン成長しましたよね?去年の今頃とかでもまだかーなーりーぎこちなかったのにー」

 「お前が『ちょっとは平岩課長を見習え』って始終うるさいからだろ……絶対あの域にまでは到達できねえからなって言ってんのに」

 「……久保くんにとって、彼ってどう見えてるの、いったい」

 少しばかりでなく頭の痛くなるような発言を聞いて、反射的に突っ込んでしまった時、手にしたままのスマホが光を放った。短い着信音とともに表示された名前は彼のもので、すぐさま指を動かすとメールを開く。

 と、すかさず立花さんが間近にまで寄ってきて、当然のように覗き込んできた。もう、こうされてもあまり気にならなくなってしまったのは、ある意味彼女の人徳の成せるわざかもしれない。

 「今の、課長ですよね?ひょっとして復旧したとか」

 「ううん、残念ながら、無事にホテル確保出来たよ、って」

 ホテルのフロントだろうか、それを背景に、彼の手に握られたカードキーが映っている画像と、あのひとの口調そのままの文面が目に飛び込んできた。



 差出人:平岩良充

 宛先:明石美冬

 部屋が取れたよ。


 同じような目的の人が多いかと思ったけど、意外と

 あっさりいけたよ。スピード勝負、っていう忠告を

 聞いておいて、良かったみたい。

 もう簡単に食事は済ませたから、安心して。

 ついでに駅周辺をぶらぶらしてたら、ちょっとした

 おもちゃを買っちゃったから、これから暇つぶしに

 遊んでみるよ。仕事的にも役に立ちそうだし。


 美冬さんも今週は特に疲れただろうから、きちんと

 ご飯食べるんだよ。猫たちを甘やかしてもいいけど、

 足が痺れるまで座らせたりしなくていいからね。

 それでなくてもかまぼこの奴、僕より君の膝を長く

 占拠しがちなんだからさ。

 とにかく、サビ子さんもあいつも元気そうだったし、

 家事も適当でいいからね。帰ったら何でもするから、

 ゆっくりお風呂に入って休むんだよ。


 そうそう、明日はどうあっても始発で帰るから。

 また寝る少し前に電話するから、待ってて。

 美冬さん、今日も好きだよ。


 

 相変わらず、心配に溢れた文面に苦笑しつつも、最後の一言はいつも通りに添えられていて、取り急ぎほっとしていると、うーん、と隣で声が上がって、

 「レベル高いですねー。さらっと定例の挨拶っぽく愛の言葉囁いて締めるとか、確かにこの境地までは至ってないというかー」

 「いや、単純に性格の差だと思うけど……だいたい、久保くんが彼みたいに猫可愛がりスイッチが入るところとか想像し難いし、メール入力時点で悶絶してそうじゃない?」

 「そこを無理にでもさせるのがいいんですよ!照れまくってじたばたしてるとこ見るとなんだか得も言われぬ優越感で満たされるというか!」

 「堂々と微妙な嗜好暴露してんなよ!ああ、もう、係長も」

 苛立ち混じりの声に、さすがに悪かったかな、と思って顔を向けると、久保くんは私と目を合わせるなり、わずかに眉を寄せた。

 「……コーヒー奢りますから、好きなの選んでください」

 「え、いいって、悪いし。それに、このあと予定あるんでしょう?」

 唐突な申し出に、やや戸惑いつつもそう断ると、脇から立花さんが口を添えてきた。

 「まだ開始まで時間ありますから。同期ばっかだから全然融通利きますしー、それに」

 言葉を切って、ちらりと久保くんと視線を交わし合ったかと思うと、小さく微笑んで、

 「気付いてないかもしれないですけど、係長、しょんぼりすると眉下がるんですよね。ほら、こんな感じで」


 両の人差し指で示してみる仕草は、あのひとにも指摘された時と、どこか似ていて。

 穏やかな声も、触れる指先も今は傍にないことを、切なく思い起こさせて。


 「……それなら、甘えちゃおうかな。でも、主賓が遅刻しちゃだめだからね」

 「そこは心得ております!はい、タイテン自販機前までエスコート!その間にわたしは運行情報再度チェックしておきますから!」

 「数分で状況変わるとは思えないけどな。ていうかお前、そのアプリ落としてねえだろ」

 「うん、だいたいサイト見るだけで済ましてたから……この際だから入れちゃおうかな。係長、ちょっとだけスマホ貸してもらってもいいですか?」

 「どうぞ。アイコンこれだから、起動してもらっても構わないし」

 その申し出に、他のアプリを全部閉じてしまってから一覧を表示して手渡すと、彼女は左手に私の、右手に淡いピンクのスマホを持って、掲げるように両の腕を上げてみせた。

 「有難うございますー!このご恩は、数倍にして、お返しますからね!」



 奇妙に大仰な言い方も、返してくれた時のにんまりとした笑顔も、言うなればいつものことだから、あの時は普通に流してしまっていて。

 そのことに若干後悔しつつも、他にも何かが仕掛けられていないか、ざっとチェックをしてみたけれど、その結果は、

 「……画像の追加と、スライドショーの設定だけ、か」

 実に簡単な、しかし普段は使っていなかった元からある機能を活用されただけで済んだようで、私はぐったりとソファに倒れ込んだ。悪意のあることはしないと分かっていても、面白いことはむしろ率先してやってしまいかねない子だから、正直消耗してしまって。

 とにかく、反応を楽しみにしているだろうことは間違いないから、お礼と多少の小言を送ってしまうつもりで、のろのろと身を起こそうとした時、高く澄んだ音が響いた。

 途端に、我ながら現金すぎるほどに素早く姿勢を立て直すと、サビ子さんをずり落としそうになって、慌てて細い身体を左手で抱えて、宥めながらも脇に降ろす。

 こんな状態でも身じろぎひとつしないかまぼこはもう放っておいて、右の親指を滑らせてから、赤のスマホを耳元に構える。

 浅く息を吸い込んで、まさに言葉を発しようとした瞬間、聞き慣れた声が響いて。

 『あ、美冬さん?僕だけど』


 いつか、雨の中で聞いたそれとは、少し異なるけれど。

 間髪入れずに飛び込んできた気遣わしげな声は、変わってはいなくて。


 「はい。もう、そちらも落ち着かれましたか?」

 にわかに波立つ心を悟られないように、可能な限り平静な声でそう応じると、うん、と短い返事が返ってきて、

 『久しぶりにユニットバス使ったから、狭さに苦労したくらいかなあ。それにしても、随分慌ててたみたいだけど、何かあったの?』

 「え、いえ、ちょっと立花さんと、その……」

 職場で外線に出るくらいの気合いで臨んだはずなのに、間髪入れずに指摘されて思わずうろたえる。動揺が出てたのかなあ、とどうフォローしようか考えていると、ふいに低い笑い声が耳を叩いてきた。

 『もう、美冬さん、可愛いなあ。そんなに赤くなるようなことされたの?』

 「大したことはされてないですよ!結構驚かされはしました、けど……」

 からかうような声音に、即座に否定の言葉を返しながら、違和感を覚えて口を噤む。

 先程からの彼の台詞は、どう考えても、こちらの現況を把握しているとしか思えなくて。

 と、揺らぎ乱れる思考が、ようやくある答えに辿り着いて、私は急き込んで尋ねた。

 「あの、もしかして平岩さん、パソコン持って行かれましたか?」

 ノートであるが故に、メインは彼の書斎、たまにリビング、という使用状況だったから、それがないことにすら、今の今まで気付かなかった、のだけれど。

 『うん、持って来てるよ。昨日までのホテルもそうだけど、ここ有線も無線も使い放題だからさ』

 実に楽しげな声に、疑惑が確信に変わるのを感じて、私は一瞬、きつく瞼を閉じた。

 それから、心を鎮めるために三秒ほども数えて、結局こらえきれずに頭を振ると、身を捻って、救いを求めるようにサビ子さんを、抱き締めて。

 『あ、いいなあサビ子さん。美冬さん、気付いたんならこっち向いて欲しいのに』

 「毎日毎晩見てるじゃないですか。それに、どうせ三日ともウェブカメラ、使ってたんでしょ」

 その存在すら忘れ切っていたものの名前を口にしながら、私は自身の迂闊さに打ちのめされて、ふてくされたように言い返していた。

 言い訳をすれば、過去の主寝室が猫部屋に変わった際に、平岩さんがもう一台のカメラを設置して、昼間は猫たちをそちらに入れておくことになったから、リビングにあるそれは全く見ることが無くなってしまったのだ。

 だから、猫部屋と同様に終日稼働していることすら、既に意識していなくて。

 『ごめん。この様子だと忘れてるのかも、とは思ったんだけど……君と猫たちが元気に動き回ってるの見て、安心したくて。でも、ずっと眺めてたわけじゃないから』

 「……別に、まずいことしてたわけじゃないから、いいですけど」

 ただ、今日のような情けない姿を、彼につぶさに見られていたかもしれないことだけがひたすらに恥ずかしくて、やりきれなくて。

 大人しく抱かれてくれている細い身体を撫でながら、私は愚痴のように零してしまった。

 「……なんか、ずるい。そっちだけ、こっちのこと見てるなんて」


 眠る前に、空のベッドを眺めて、言いようのない恋しさにかられて。

 ひとり、暗闇に目を閉じることさえ難しいことに、嫌というほど気付かされていたのに。


 口にしないだけで、きっと悟られているだろう弱さを抑えたくて、ぎゅっと唇を結んでいると、ふっと、軽いため息が耳をくすぐって。


 『声だけより、きついよ。君がそんな風に沈んでるのに、触れも出来ないんだから』


 優しいだけでなく苦さも含んだ、掠れた声音に、目の前が滲んで。

 身の震えに気付いたのか、そろりと顔を寄せてきたサビ子さんが、黒い鼻をちょん、と頬に、触れさせてきて。

 「……帰ってきて。待ってる、から」

 他にはない望みを、すがりつくような酷い甘えに乗せて告げてしまうと、目を伏せる。

 剥き出しにした我儘さを投げつけるだけ投げておいて、逃げるように無言でいると、

 『うん。必ず帰るから、待っててね』

 痛いほどに耳に押し当てたそれから、単純な、それでいて十分な答えが、返ってきて。

 喉を塞ぐような胸の疼きに、一言も続けられずに頷いた私の傍に、いつしか寄り添ってきた二匹の猫は、身代わりのようにそれぞれが、高く声を上げていた。



 それから、前言通りに始発とタクシーを駆使して、驚くほどの速さで帰ってきた彼は、一頻り私を抱き締めたあと、いそいそと『おもちゃ』を取り出してきて。

 「タブレットって初めて触ったんだけど、なかなかいいもんだねえ。猫たちも可愛いし、なんといっても美冬さんフォルダが凄く綺麗に見れるんだよ、ほら」

 「……お願いですから、それ、絶対にカバーつけてくださいね」

 名産品からご当地ストラップまでの、数々のお土産に半ば埋もれながら、新たな脅威が最新のスペックを伴ってやってきたことを、私は諦めとともに受け入れるしかなかった。

 ……もう、こっちだって対抗して、『良充さんフォルダ』作ってやるんだから。

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