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告げて、はじまり  作者: 冬野ふゆぎり
四年目:
48/62

倣い、続いて・2

 女も三十路の足音が聞こえてくると、周りも婚約だ結納だ結婚だー、という話が急激に増えてくるものだけれど、わたしの同期や友達などは割合両極端だ。大学を出ると同時に式を挙げた子や、果ては在学中に姓の変わる子までいたかと思えば、相手は絶えず途切れないものの結婚する気は皆無な子、婚約直前で合わなくなって別れて婚活してる子、仕事仕事で、未だに彼氏の影すら見えない(可愛いのでいそうな気もするんだけど)子までと、実に多種多様だ。

 だから、係長と代理のあれこれについても、そんな関係もありだよね、って感じではあったんだけれど、やはりその節目に立ち会うというのは、ちょっとばかりそわそわしてしまったりもして。

 「おい、いい加減落ち着けよ。そううろうろしてると花が落ちるぞ」

 「だってー、こんなに時間掛かる、とか思わなかったんだもんー。なんかトラブルでもあったのかなあ」

 月曜日、藤宮市役所正面玄関の周囲を彩る、丸い葉の新緑も鮮やかな、植込みの傍で。

 いつもの如くのスーツ姿に、黒のビジネスバッグを下げたタイテンと並んで、白と青がメインの、爽やかかつ華やかに、と指定して作ってもらった花束を腕に抱えて、わたしは落ち着かなく足を踏み鳴らしていた。

 と、視界の端に白いものがひらめいたかと思うと、足元に飛来した大きなそれが、音もなく舞い落ちる。薄く凹凸のある、グレーの砂岩に覆われた大階段の上に横たわるものに、一拍遅れて気付いたタイテンは、慌ててわたしの方を向いてきた。

 「なんだよ、マジで散ったのか!?大丈夫か、崩れてねえのか!?」

 「もー、そんなわけないでしょー。正体はあれだって、あれ」

 呆れたようにそう言いながら、わたしは植え込みの中に丈高くそびえている、泰山木を指差した。姉妹都市から贈られた記念樹だとかで、幸い土が合ったのか、それはもうずいずいと立派に成長して、今の時期は大きな白い花を枝のそこここに、見事に咲かせている。

 ついでのように、花弁が辿っただろう軌跡を追ってみると、その途中で、枝葉の間から覗いている知った顔に気が付いて、わたしは隣に立つタイテンの脇腹を強めにつついた。

 「うわ!なんだよ」

 そこが弱点なのか、派手にびくりとしてこちらを向いてきた奴に、黙って目を合わせてから、視線をすっと動かす。わずかに眉を上げたタイテンが同じ方を見やるなり、一階の窓硝子の向こうから、同期がゆっくりとした口パクで話しかけてきた。

 な・ん・だ・よ・サ・ボ、まで分かったところで、ち・が・う・し!と眉を寄せながら同じように返すと、わたしよりも濃く染めたブラウンの髪を揺らした支倉は、にやにやとプラムレッドの唇を吊り上げると、再び口パクを始めた。

 「だ・い・り、す・ご・い、え・が・お、し・ば・し・ま・て……って、係長は?」

 思わず、普通のスピードでそう返してしまったけれど、向こうも心得たもので、無言で笑みを大きくしてから、ひらひらと小さく手を振って、窓から離れていった。

 「……明石係長、ある意味大変な目に遭ってそうだな」

 「まあ、予想の範囲内だよねー。二人で窓口に来る時点で何事?って感じだろうしー、周りなんか顔見知りだらけだしー」

 疲れたように小さく息を吐いたタイテンにそう返すと、わたしは支倉が消えた窓の方に顔を戻した。封印された段ボール箱が山と積まれたラテラルがちらりと覗いているそこは、住基担当の倉庫で、おそらく彼女は物品か何かを取りに来たのだろう。

 そして、今は午後、四時五十二分。一時間の時間休を取った明石係長と、平岩代理とが、揃って窓口で、転居届の手続き真っ最中、なわけで。

 「うー、止められたけど見に行きたいー。支倉みたいに、間近で余すところなく経過を眺めてたかったのにー!」

 「あのな、それ持ってたら追い打ち掛けちまうだろうが。お前、さんざん昨日も係長と話し込んでたくせに、まだ足りないのかよ」

 「そういう問題じゃなく、これは全くの別腹ですー。それにー……」

 いつもの調子で応じかけたわたしは、うっかり滑り出しそうになった言葉に気付いて、寸前できゅっと唇を結んだ。我ながらわざとらしく、花に気になるところが、とでもいうように、芳香の中に半ば顔を埋める。

 白は平岩代理が、青は明石係長が好きな色、ということで纏めたそれは、香りにも結構こだわってもらった。ふんわりと柔らかめな落ち着きのあるイメージ、というオーダーに、フラワーショップの担当さんも、随分張り切って作ってくれて。

 自分が先に落ち着いちゃうのもなんだかなあ、と思いながらもそうしていると、独り言めいたタイテンの声が、ふいに耳に届いた。

 「……別に、今、籍入れちまっても、何の問題もなさそうなんだけどなあ」

 疑問を含んだ奴の言葉に、わたしはちらりとその横顔を見やった。まだ二人が出てくる様子もない、隙間なく閉じている自動ドアを眺めている表情は、どうにも腑に落ちない、という感じで。

 「過去が過去だもん、慎重になるのも当然だと思うよ。わたしだって、一緒に暮らしてみないと、ほんとにこの人と一生過ごしていけるのかなんて分かんない、って思うし」

 一息に吐き出してから、向けられるだろう奴の視線を避けるように、また顔を俯ける。ほんのりと、サムシングブルーも意識してみた花々を見つめながら、わたしは乱れ気味の心を鎮めるように、深々とその香りを胸に吸い込んだ。



 実のところ、タイテンが抱いている疑問は、かねてからこちらも考えていたところだ。代理の意思はもう明確に聞いているから、ならば係長の方は、となってしまうのも当然で。

 だから、切り出し方を幾度もシミュレートして、じりじりと機会が到来するのを待っていたわけだけれど、

 「はー、満足したー……ほんと、これぞ理想のクローゼットですよー!」

 いよいよ迎えた、明石係長の平岩邸への引っ越し、二日目、日曜日。

 床板の色目に合わせた、明るめのナチュラルカラーで統一された部屋の中を見回して、わたしはしみじみと頷いていた。

 と、少し離れて、こちらがしきりに中を動き回るのを眺めていた明石係長が、ふわりと口元を緩めた。普段のきりっとしたスーツではもちろんなく、アイボリーの地に、胸元に濃いグレーでざっくりと眼鏡のイラストが描かれたシャツに、カーキのアンクルパンツ、というラフな格好で、ちょっとゆるっとした可愛い雰囲気だ。

 「そこまで気に入ってくれると、やっぱり嬉しいな。使い勝手が良くなるようにって、彼と二人で結構頭を捻ったから」

 「おっと、さりげに惚気入りましたー。それにしても、ここといい係長のお部屋改造といい、すっごく尽くされてますねー」

 からかい気味にそう言ってしまうと、わたしは手にしたスマホを操作して、これまでに撮り溜めた画像をざっと展開してみた。昨日はほぼ猫ばかりを撮っていたけれど、今日は主に二階の明石係長の部屋と、今いるウォークインクローゼットに集中している。

 なにしろ、これまで新築の家に招かれたことは何度かあるものの、リフォーム後の家にお邪魔するのは初めてだし、改装前後の図面を見るだけでもわくわくしてしまうのだ。

 加えて右手手前から順番に、ドレッサー、姿見、ハンガーラックにチェスト、左手には背の高いオープンラックが複数並べられていて、しかも全部キャスター付きで移動できるようになっているとくれば、どこかショップっぽい感じで、それも面白くて。

 わたしが欲しいなー、と思う機能をこれでもかと詰め込んだ部屋だから、つい浮かれてしまいつつ、ついでに画像にタグ付けなどしていると、ふとそのうちの一枚に目が止まる。

 その構図に思わずにやりとしながら、すぐさま全画面に拡大すると、戸口の傍に立っている係長ににじり寄って、目の前に差し出してみた。

 「ほら、これなんか特に、高いところは僕にお任せ、って感じでいいですよねー」

 少し前のことだけれど、代理が係長にプラスドライバーの在り処を尋ねに来たところを、わたしが何気なく撮ってみたものだった。

 ラックの上に置かれた、金属製の道具箱を取ろうとする係長をやんわりと制した代理が、長い腕を伸ばして、そこそこ重そうなそれを、こともなげに右手一本で降ろしてきて。

 ここだと危ないねえ、下に置いとくことにしようか、とか言いながら、さらっと係長の髪を撫でて、またその表情ときたら、煮詰めた砂糖レベルの甘さで。

 「……こう客観的に見せられると、言い訳しようもないよね」

 連写で撮った(今思えば動画にしておけば良かった)それを見つめて、係長が頬を薄く染めるのに、纏めて二人に送信すべく指を動かしながら、わたしは口を開いた。

 「係長、わたし前にノリで同棲とかって言っちゃいましたけど、もう入籍しちゃっても全然いいんじゃないですか?」

 ぼかす気などさらさらなく、直球でそう尋ねてしまうと同時に、メール送信を終える。

 代理も係長も、元々の住所が藤宮市内だから、明日以降十四日以内に転居届を提出、という流れになってくる。そして、無論のこと住民票は同じ世帯にするけれど、あくまでも『同居人』として届け出を出す、と聞いた時に、この先壊れるとかありえないと思うのに、などと考えてしまって。

 データの容量が大きめだから、代理の方送っても大丈夫だったかなーとか思いつつ顔を向けると、至って落ち着いた様子の係長は、微かに苦笑を浮かべてみせた。

 「そのことも、全く考えなかったわけじゃないの。誰の反対があるでもないし、今までだって週末婚みたいな過ごし方だったから、揺らぐ時もあったんだけど」

 「やっぱり、代理のことがあって、ですか?」

 以前に、残月で聞いたことを思い返しながらそう言うと、係長は小さく頷いた。

 「それと、自分自身のことも。我ながら、のめり込みやすいっていう自覚はあるから、きちんと自制できるか、試してみないといけないなって」

 「えー、わたしならともかく、係長なら大丈夫ですよー。代理タイテンと違って包容力あるしー、その他の条件だってぜーんぜん文句ないしー……」

 ごく軽い調子で言い募った、その声が次第にしぼんでいったのは、不安げに眉を下げた、彼女の、酷く弱った表情があったからで。

 じっと見つめるこちらの顔にも、思い切り心配が表れていたのだろう。係長はため息をつくと、しばし言いにくそうに口ごもっていたけれど、

 「……以前にね、あなたとコリーヌで呑んだ後、お互いに迎えに来てくれた時があったでしょう?」

 「え、そうでした、ね……」

 微妙に思い出したくない話題を振られて、わたしは語尾を濁してしまった。

 あの日は割と調子に乗って、ワインを一本二人で空けてしまったんだけど、さほど強くないわたしは、それはもうみっともないくらいに、へろへろに酔っ払って。

 なにか奴のことについて、愚痴も惚気も嫌いなとこも、好きなとこも大好きなとこも、包み隠さず喋りまくったような記憶が、うっすらとあったりもして。

 後からタイテンに聞いたら、お前けたけた笑って代理と係長冷やかしまくってたぞ、と知らされて、翌日メールと電話で謝り倒したのだけれど、それはともかくとして。

 「私、酔ってないつもりだったんだけど、結構回ってたみたいで……その、車の中で、あいつに昔言われたこと、凄く愚痴っちゃったらしくて」

 「らしいって、もしかして記憶ないんですか?」

 人のことなど言えた立場じゃないというのに、反射的にそう突っ込みながら、あの時の彼女の俯いた姿が脳裏に過ぎる。でも、傷の深さを覗かせていた影は、今は見えなくて。

 わたしの問いに、ためらいつつも頷いた係長は、何かおさまりがつかないように右手を上げて、黒い髪を指先に絡めて。

 「次の日の朝、あのひとがご飯作ってくれてる匂いで目が覚めたんだけど、リビングに入るなり、駆け寄ってきて……いつもより構い方が激しいから、なんか変だなって思って、慌てて問い詰めたの」

 言葉を切ると、あからさまに視線をそらして、さんざん瞳に迷いを見せて。

 ここまで来て寸止めとかご勘弁ください、という気持ちを込めてじっと見据えていると、やがて観念したように、唇が動いて。

 「そしたら、あの、『美冬さんは何しても可愛いから、安心して甘えてくれればいいよ、言われたこと何もかも全部、まるきり反転させてあげるから』って」


 消え入りそうな声で再生されたそれは、いや、もう、無理、としか言いようがなくて。

 ここまで来ると羨ましいより先に、どこまで言ってくれるのか限界が知りたいほどで。


 それにしても元カレどんだけ酷いこと言ったんだろ、とか、代理に突っ込んだところで飄々と認めちゃうんだろうなーとか、諸々浮かんでくることは、一旦脇に置いておいて。

 「なら、もう不安も何もないじゃないですかー。どーんとよっかかっちゃえばー」

 「だから、それがだめなんだって……これだけ弱音零しちゃったのも情けないんだけど、こんなのじゃ、あのひとが傍にいないと、何にも出来なくなっちゃいそうで」

 細く続いた弱い言葉に、わたしの中で何かピースがはまった心地を、ふいに覚えて。


 「いいんじゃないですか、彼限定なら。それで、自分もそうなっちゃえば解決ですよ」


 考える間もなくすらりと出てきた台詞は、そのまま自身が求めているものだと分かって、厚い雲が切れたような感覚に、ふっと気が抜けて。

 貰いたいなら、貰えるだけの自分になるしかないんだし、と、自ら結論付けたところで、自然に口元が緩む。

 それにつられたように、驚いたように目を見開いていた係長も、小さく口の端を上げて、

 「一応、長くても一年以内には結論を出す、ってことだけは決めてあるの。その間に」

 纏っていた戸惑いが消えるとともに、すっと、その背筋が伸びて。

 わたしよりもかなり背が低いはずなのに、瞬く瞳の光は、ぐんと彼女を大きく見せて。


 「彼がしてくれるみたいに、心を委ねて貰えるような自分になれるよう、頑張るから」


 どこまでも強く、目指すところを見据えた視線には、揺らぐ気配など欠片も見えない。

 こういうギャップが代理にヒットしたんだろうなー、と納得しながらも、わたしは唇を三日月めいて吊り上げてみせる。と、

 「宣言来ましたねー?じゃあ、何もかも手続きが終わったらでいいですから、さっそくアプローチ第一弾企画しましょうよー。手始めに、そうだなあ、物理的なやつで!」

 「……だいたい読めた気がするけど。それ、私だけにさせるつもり?」

 両手を腰に当てて、少し警戒するように眉を寄せた係長に、わたしはさらに続けた。

 「いえいえ、もちろん逃げも隠れもしないですけど。ただ、達成報告は必須ですよね?」

 


 それで、具体的な達成基準と報告期限を設定してしまうと、リアルに指切りをして。

 そんなお楽しみを、半ば無理矢理後に控えさせているというのに、こんなタイミングで何くすぶってんだろ、としみじみ我に返っていると、

 「……やっぱ、その、どうしても同棲したいのか?」

 そろそろと掛けられた声に、どうしようもなく苛立ちを掻き立てられて、わたしは顔を上げないまま、切りつけるように声を放った。

 「だから、ずっとそう言ってるじゃない。何度も言わせないでよ」

 お互いの親に紹介、まではどうにか達成しても、お試しで暮らしたい、という提案は何故か頑なに却下されて、そのくせ理由は変に濁しまくっていて。

 なのに、係長のことにはやけに積極的で、何でもしますくらいの勢いだから、なんだか無性に悲しくなって、ぎくしゃくしちゃったっていうのに。

 「……じゃ、だめなのかよ」

 ぼそぼそとした、頼りない声がまた聞こえて、眉を跳ね上げつつも奴に目を向ける。

 と、視界に入ったタイテンの頬は、傍目にも分かるほど赤く、染まっていて。

 珍しい光景に、え、まだ夕日どころじゃないよね、と目を丸くしていると、奴はさっと周囲を見回してから、一歩ずい、と近付いてきて。


 「だから、結婚、じゃだめなのかよ、って言ってんだ」


 緊張している時の癖と知っている、わずかに掠れた声が、するりと耳に入ってきて。

 その効果は強力過ぎて、初めてフリーズする、という事態にさらされてしまって。


 「……なんで、花とか持ってないのよ。指輪とセットで出してくれるのが基本でしょ」

 「お前、サプライズ嫌いだろうが。好みうるさいのも知ってるし、一生もんなんだから、一緒に決めた方がいいに決まってんだろ。それに」

 硬直が解けて、やっと口にしたひねくれた台詞に、タイテンは淀みなく返してくると、一拍、置いて。

 皺が寄るほどに寄せていた眉を緩めると、腕を伸ばして、ぽん、と髪に手を乗せてきて。

 「半泣きになってるくせに、無理すんな。答えなんか、ゆっくり出せばいいんだから」

 いつになく優しい声音と、奇妙にあの二人を思い起こさせるような言葉に、瞳の水位が急激に上昇するのを感じながら、わたしは頷きも返せずに、必死で涙をこらえていた。



 その後、一部職員に冷やかされつつも、ようやく出てきた代理と係長に、凄い顔なのを見て取られて、花束贈呈がとてつもなくぐだぐだになってしまって。

 決壊はなんとかまぬがれたものの、支倉に嬉々として顛末を広められて、タイテン共々、翌日から大変なことになってしまった。

 ……こうなったら、あいつに無理矢理彼氏作らせてやるんだから、全力で。

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