色に、出にけり
自身が、世間的にも見て『可愛い』と言われる容姿なのは、幼い頃から理解していた。保育園から大学に至るまで、冗談から本気レベルまで熱の入り方はさまざまだったけれど、言い寄る男だけは絶えなかったから、無駄に鼻が嫌な感じに高かったことも否めない。
また、そんな風だと周りにも似たような子が集まってくるわけで、男受けするメイクや服装、仕草や口調などを小狡く学んで、サークルやコンパで有効活用させて貰ったりして、意識的に得になるように相手を操ったりも、さんざんしていて。
でも、こっちから初めて本気になった奴に対しては、何をどうしても効果が現れなくて、
「おい、ちゃんと冷めないうちに食えよ。無駄にしたら代理に申し訳ないだろ」
……攻め方を変更しようにも、好みのタイプも『わかんねえ』でばっさり済まされて、へこみまくってたっていうのに、この馬鹿は。
時間が経つにつれ、他の席も順当に埋まったのか、近く遠く賑やかな声が響く、残月で。
結局、代理が帰ってしまった後の席に、入れ替わりでタイテンが掛けることになって、向かい合わせなだけに逃れようもなくて、落ち着かないことこの上ない、っていうのに。
平然とした声音に心の底からむかついて、取り皿に落としていた視線をさっと上げると、タイテンは投げてきた言葉通りに、やけに立派な穴子の白焼きを、もくもくと食べていて。
この『温かいものは温かいうちに』を大原則としているのには賛成するし、残すような量は頼まない、出されたものは残さずいただく、という点も、好きだけど。
「デリカシーがないのは分かってたけど、もうちょっとなんか言うこととかないわけ?さっきから湯葉刺し食えとか酒いらないのかとか、食べ物関係の話しかしてないじゃない」
そう激しく切り返しても、こっちにはちらりとも視線をくれないのにイラッとしつつも、こうしているのも空しくなってくる。だから、ことさらにしずしずと箸を取り上げると、純粋に嫌がらせのために、一番美味しそうな真ん中あたりをごっそりと取ってやった。
それから、淡い緑色が綺麗な山葵をひとつまみ乗せて、醤油をほんのりくらいにつけていると、小さく息を吐くのが、聞こえて。
口に運びかけていた手を止めて、また奴の方に顔を向けると、今度は目を合わせてきて、
「お前、とりあえず美味いもの食ったら回復するだろ。それに、そう沈んでられると、俺だって何言っていいかさっぱりわかんねえだろうが」
普段のようにぽんぽんと言ってきながらも、すぐに顔をそらして、どこか照れたように湯呑に口をつけるとか、なんか、もう、見てるだけで胸が締め付けられて。
だって、初めて、恋愛的な意味でうろたえさせることが出来たって、分かるから。
鼻の奥がつん、と痛くなるのを必死で我慢しながら、いい匂いを放っている穴子の身を半ば無理矢理口に押し込むと、予想以上に柔らかくて香ばしくて、とても美味しくて。
こんな時でも味覚は正直だな、とか、代理色々と頼んどいてくれるとか太っ腹ー、とか思いながらもすんなり咀嚼出来て、おかげで揺れ放題の心も、少しだけ落ち着いてきて。
後口のいい脂を、グラスに半分ほど残っていた冷酒で流してしまうと、腹が据わって、わたしはタイテンに向けて、鋭く問いを放った。
「なんで、ここに来れたの?それに、内容は報告してあげる、って言ってたじゃない」
今日実行することについては、あらかじめメールで知らせておいたけれど、場所はまだ決まっていなかったから、分かるはずもない。もしかして係長から、とも思ったけれど、性格から考えてもその線は限りなく薄そうだし、と考えを巡らせていると、
「跡、つけてきた」
実にシンプルな、そして意外な答えが返ってきて、わたしは目を見開いた。絶対にその手のことはやりそうにないと思っていただけに、ただ驚いて。
こちらの反応に、バツの悪そうな表情を作ったタイテンは、手にしていた箸を箸置きに置いてしまうと、すっと背筋を伸ばした。昔から、何か気合いを入れる時にする仕草だ。
「お前が平岩代理に相談持ちかけたあと、あの人、即係長にメールしてただろ」
「そう、かもしれない。別れてすぐ、例のPHS取り出してたから」
奴が言っているのは、今日の昼休みのことだ。代理の行動パターンを一週間ほど読んで、課長と食事から帰ってくるところをホールで待ち伏せて、渾身の演技で深刻な振りをして。
代理は眉を上げて、わたしの紡ぐ嘘を真面目に聞いてくれたあと、じゃあ夜にちょっと時間取るよ、とすぐさま応じてくれて、そこでエレベーターと階段に別れたのだ。
そして、その頃タイテンは当然というか、自分の担当に戻っていたわけで。
「昼休み終わりかけだったから、日高と係長が並んで喋ってたところに、メールが来て……ごめんね、って断り入れてからスマホ見たら、表情が変わって」
心配から落胆、と変化した後に、はっとしたように唇を結んで、真剣な面持ちで返事を送った後、少し目を伏せて微かなため息をついた姿が、とても寂しげ、だったそうで。
……どうでもいいけど、どれだけ細かく見てるのこいつ、とむっとしていると、それに気付いた風でもなく、奴は続けた。
「閉庁時間になって、帰る時は普通にお疲れ様です、ってフロア出て行ったんだけど、階段下りながら段々、俯き加減になっていって……気になって後ろから様子窺ってたら、ホールに出た時に、丁度お前が隅に立ってるのが見えたんだよ」
エレベーター近くで、腕の時計を見ながら待っていたわたしに向けて、北側の階段から代理が降りてきて、さりげなく合流して。
それを目にした途端、係長は困ったような切ないような、いわく言い難い瞳を向けて。
「でも、すぐに背中向けて、裏口の方に向かったから、どうしたもんか迷ったけど……お前と代理の方に行くことにして、離れてついていった」
「どうしてよ。係長のこと、慰めなくて良かったわけ?」
「俺がそんなことしていい立場じゃないだろうが」
嫌味と分かっていながら煽るように言ってやると、タイテンはさすがに鼻に皺を寄せて、即座に切り返してきて、
「口の上手いお前なら、代理から何かしら聞き出すだろう、っていうのもあったけどな。それに……」
言葉を切ると、あからさまに迷いを面に出して、視線をさまよわせるけれど、わたしはあえて何も言わずに、じっと次を待つことにした。幾つか推測できる理由はあったけれど、誘導して吐かせたところで意味がない、と思ったからだ。
と、どういう思考を辿ったのか、奴は困惑した面持ちで、髪を乱暴に掻き回すと、
「……悪い、なんか俺も、綺麗に纏まんねえ」
疲れたように呟くと、椅子の高い背もたれに身体を預けて、軽くうなだれる。その姿に、いささかの罪悪感が沸いて、わたしは考えながら口を開いた。
「ねえ、係長のこと、ほんとに諦めちゃうの?」
そう尋ねたのは、タイテンの言葉にも態度にも、まだまだ明石係長への想いが滲み出ているからだ。目が離せなくて、ずっと追い続けているのはこっちだって同じだから、そう簡単に忘れることなんて、思えるはずもなくて。
すると、タイテンは渋面を作って、さっと顔を上げてくると、
「あれだけ言われて、今更割り込めると思うほど無駄にポジティブじゃねえよ。そりゃ、はっきりするまではやっぱり気を揉んだりするだろうけど、それは俺の勝手だしな」
「……あの人が泣いたりするのは、嫌なわけね」
「当たり前だろ。惚れてたんだから」
言い切ったその台詞の潔さに、対極の想いを映し出された気がして、目を伏せる。
こんな時でも敏感に、過去形になっていることに気付いたのにも、気が滅入って。
それでも、絶対に涙だけは見せないつもりで、ぐっと額に力を入れる。奴の性格なら、例え欠片ほども気がなくたって、泣いた女をそうそう放っておけるわけがない。なのに、
「立花。さっきの、お前、その」
「……何よ」
気恥ずかしいことも隠せずに、明らかにぎこちない言い方で切り出そうとしている姿に、もう、揺らぎそうになるとか、弱すぎて情けなくて。
眉根をきつく寄せたまま、睨み付けるように視線を送ると、タイテンは鏡写しのように、ちょっと、眉を曇らせて。
「……さっき言ってたこと、いつからだ?」
ついに飛んできた短い問いに、一瞬の内に喉が詰まる。
気付かれないようにしかふるまえなかったし、伝えるつもりも覚悟もまだなかったのに、こんなにいきなりとか、滅茶苦茶で。
見つめてくる瞳が、どこか気遣わしげな色に変わるのを見て取って、わたしは強張った唇を、無理矢理に押し開いた。
「ずっと。もっと正確に言えば、まともに初めて喋った時から」
出来るだけ深く刺さればいい、くらいの気持ちを込めて、動かしようもない事実を鋭く投げつけると、わたしは震えをこらえるために、ひたすらに奴を見据えていた。
わたしにとって、家族以外の『男性』というのは、灯りに寄ってくる蛾みたいなもので、でも身を焼かせるような真似はせず、適度に気を引いて適度に期待をさせ、適度に利益を引き出したらそっとフェードアウト、が基本の対応だったし、損害と感じさせない程度を保っていたから、特に恨まれた記憶もない。
だけど、こういう変化球というか、控え目な態度でとんでもないことを押し付けてくるタイプには、さすがに対処に困るわけで。
「だからねえ、私が言うのもなんだけど、稼ぎもいいし顔もそんなに悪くないと思うし、一度会ってみてもらうだけでも、頼めないかな」
「いえ、わたし、まだ一年目ですし、とても具体的に結婚に繋がるようなことは……」
仕事にもそろそろ慣れてきた、六月。庁舎の三階から二階に降りる階段の、踊り場で。
わたしは言葉を選びに選びつつ、進行方向を塞ぐように位置を取った部長に引きつった笑みを向けながら、柔らかくかつきっぱりと断れる文言を、脳内で必死に検索していた。
……なんか、もう、穏やかそうな外見に騙された感じ。
金縁眼鏡、白髪混じりの七三分け、無地のスーツにネクタイ、という地味のフルセットで、才長けた、というほどではないにせよ、無難に仕事をこなしている印象の上司だが、まさか、こんな展開に巻き込んでくるタイプだったとは、思いも寄らなくて。
こちらの困惑、どころか、明らかに引いているのにもめげることなく、堀部長は広げた両手におさまるくらいのサイズの、グレーのアルバムらしきものを差し出してきた。
「とにかく、見るだけでも見てやってくれないかねえ。もう長男も三十一だし、とてもモテる方だとは言えないし、親としては心配で……ああ、年の差を気にしているんなら、割と年齢よりは若く見える奴だから、釣り合いは取れると思うんだよ」
ちなみに、写真は草食系っぽいとはいえさほど印象は悪くないのだが、眼鏡を掛けると目の前の人に激似、となりそうな気がして、その点も色々と思いを巡らせるわけで。
そういう問題じゃないですから!と心の中で反論しつつ、微妙に息子さんを下げながら薦めてくる部長に、わたしははっきりと断るべく、口を開きかけた。と、
「おい、立花。こんなとこにいたのか」
ふいに背後から掛けられた声に、わたしはびくりとして振り返った。
階段の途中に姿勢よく立つ、その姿を認めるなり目を見開いたのは、声の主がごく薄く記憶にある程度の人物だったことと、そもそもまだ一言も話す機会もなかったはずだ、という理由からで。
とにかく、ここから逃げ出すチャンスが都合よく現れたことに感謝しながら、わたしはわざとらしいほどの明るい声を上げてみせた。
「すみませーん、久保さん!もしかしてわたし集合場所間違えてましたかー?」
そう言いつつ、印象的な濃い眉の下にある、吊り上がった瞳に向けて目配せをしながら、頼むから合わせてください、と必死で念じていると、彼は心得たように頷いて、
「間違えてるどころじゃないぞ。もう皆とっくに先に行ってんだから……あ、堀部長、申し訳ありません、気付きませんで」
いかにも今認識しました、といった風にすまなさげに頭を上げてみせるのに、わたしはナイスフォロー、と拳を握り締めたい気分で振り返ると、満面の笑みを浮かべてみせた。
「ごめんなさい部長、これから飲み会なんですー。慣れないもので勘違いしちゃってー、あの、失礼させていただいてもいいですかー?」
「あ、ああ、それはもちろん、構わないよ。若手が親睦を深めるのは重要だからねえ」
慌てたように手にしたアルバムを懐にしまいつつも、無難な台詞を返してきた部長は、それじゃ、と背を向けると、足早に階段を降りて行ってしまった。
その背中が完全に見えなくなってから、わたしは思わず深々と息をつくと、あらためて久保さんの方を向いて、軽く頭を下げた。
「有難うございますー、助かりましたー……ほんと、疲れたー」
ついでに心底からの叫び(小声だけど)を漏らしてみると、彼はくっと口の端を上げて、いかにもおかしそうに、笑って。
踊り場にまで降りてきながら、面白いものを見るようにわたしを眺めてくると、
「アドリブ上手いな。間髪入れずに返してきたから、俺もつい乗ったけど」
「ありがちなシチュエーション第一位、を引っ張り出しただけですよー。そっちこそ、なんだか慣れてないですか?」
「二度目だからな。堀部長、去年も新採にやって、同じようにドン引かれてたんだよ」
さらっと恐ろしいこと(プラス驚異の遭遇率)を暴露してしまうと、じゃあな、と手を上げて、脇をすり抜けて先に降りていくのを、一瞬、見送りかけて。
後ろ頭が固そうだな、などと、全然関係ないことが頭に浮かぶのも不思議だったけれど、それ以上に妙なのは、足が勝手に、その後を追ってしまった、ということで。
膝の柔らかさを駆使して、ハイスピードで階段を駆け下りると、彼に追い付いて、その正面にくるりと回り込む。途端に、目を見開いて驚いた様子を見せた久保さんに、つっと身を寄せて、
「久保さん、もし予定ないならお礼に飲みに行きませんか?奢りますよ」
素のままの、媚びを含んだ声ではないことに自分でも気付きながら、ストレートにそう誘うと、彼は苦笑を向けてきて、
「悪い、これから飲み会っていうのはマジなんだ。けど、良かったらお前も行くか?」
先刻助けたことなど大したことでもないかのように、ごくさらりと、誘い返してくれて。
「……はい!行きます!」
行き先も構成メンバーも、そもそも何の飲み会なのかすらも分かっていないというのに、わたしは、我ながら信じられないくらい素直に、そう即答していた。
それから、メンバーは市の職員だけとはいえ、年齢層も職種も所属も見事にバラバラな、謎の飲み会(未だに正式名称が存在しない)に参加させてもらって、なんとなく馴染んで。
そこを手掛かりに人脈も作りつつ、じりじりと奴のことを探り、現在は彼女・気のある相手ともにいないことを確認してから、徐々に近付いていって、友達みたいにタメ口まで利けるようになって。
「なのに、いつまで経っても気の合う後輩止まりだし、むかつくから誘ってくる先輩とデートしようが飲みに行こうが関心ゼロだし、やさぐれて他の誰でもいいから付き合おうかなって思ったけど全然ダメだったし」
堰が完全に切れて、滔々と流れ出す愚痴を片端から吐き出していると、目の前が滲んで。
もう少しだけ、この際だから何もかも全部投げてやる、と唇を噛み締めると、わたしは続けた。
「そろそろ自爆して諦めようかなって思ってたのに、係長のこと好きになっちゃうし、代理のことチクってもまだ悶々としてるし、おまけに恋愛お悩み相談までされちゃうとか、もう親友ポジションでしかないじゃない。だから、嫌われてもいいから、引っ掻き回して終わりにしてやろうって、思ってたのに」
よりによって、あんな本音だだ漏れな、情けない台詞まで聞かれるとか、最悪で。
「好きだけど、もう、いいから。同情とか絶対いらないし、重かったら切ってよ」
最後の言葉に自分の身が切り刻まれるような痛みを覚えながら、それでも言い切ると、タイテンは、しばらくの間、呆然とわたしを見返していて。
ずるずるとへたりこむように、背もたれに身を預けてしまうと、腕を上げて、目を覆うようにして。
「なんだ、それ……お前なあ、なんでそう極端から極端に走るんだよ」
訳分かんねえ、と呆れたように言ってくるのに、また怒りの波が復活しそうになって、口を開きかけた時、遮るように言葉が続いて。
「こそこそついてきてみれば代理に打ちのめされるわ、お前があの人に絡んでんの見て微妙な心地になるわで……それで、挙句にこれとか、どうしろっていうんだよ」
弱り切った声の中に、今までとは違う色を見せる単語が、さりげなく混じっていて。
そのことが、他のどんなことよりも嬉しくて、でも、もう限界で。
「どうしろって、好きになってよ。付き合ってくれればいいじゃないー!!」
気が付いたら、周囲のことなどすっかり忘れて、逆切れ気味に声を上げていて。
めちゃくちゃぎょっとして、身を起こしたタイテンの焦ったような顔とか、次の料理を持って来てくれた店員さんの困惑顔とかも、溢れ出したものに遮られて、見えなくなって。
慌てて駆け寄ってきた奴の、おたおたとしながらも差し出されたハンカチを引っ掴むと、もうファンデべったりつけてやる、くらいの勢いで、わたしは思い切り頬を拭ってやった。
そうして、どうしようもなくぐだぐだになった席を強制的にシャットダウンして、店の方々に騒いだことを平謝りしてから、駅へと向かって。
鬱屈していたものを爆発させたあとの気だるさにふらふらとしながら、タイテンの手をちゃっかりと握り締めつつ、わたしは小さく尋ねてみた。
「ねえ、わたしのこと、ちょっとは好き?」
「聞くな。こっちだってまだ混乱してんだから」
一瞬の間も置かず返ってきた答えに、だよね、とうなだれていると、
「けど、どうしたいかは、真面目に考える。放置はしないから、安心しろ」
宥めるため、とかじゃなくて、言葉通りに真剣な響きの声に、うん、と頷いて。
五年目にして、ようやく触れた手の熱に、先のことはひとまず委ねてしまうつもりで、わたしはそっと、空にぽかりと浮かんだ月を見上げていた。
……これからどうなったとしても、伝えられたから、もう、いいや。




