誰かの、影に
彼がいた経験はないわけではないし、付き合いに関しては学生時代の瞬間的なものから、それなりに長く続いたものまでしてきたけれど、こんな風に成り行きで始まったことは、さすがに初めてで。
しかも、初日から相手の家に泊まるとか(いわゆる、男女の仲にはなっていないけれど)勢い余ったとはいえ何やってんだか、という感じで、自分でも首をひねるしかなくて。
それでも、やはり関わった以上サビ子さんのことは気になるし、あの変な人の私生活に興味が沸いた、というところも、正直に言えばあるのだけれど。
「……っていうか、これ、付き合ってるって感じでは、ないよね?」
私が左右に振る猫じゃらしの先についた、カラフルに染められた羽根飾りをじたばたと忙しなく追い掛けているサビ子さんに、私はごく小さな声で呟きかけた。
だが、もちろん返事など返ってくるはずもなくて、琥珀の瞳を爛々と光らせながら、目にも止まらぬスピードで前足を交互に繰り出しては、幾度も羽根を叩いている。
こうしているのを見ていると、俊敏な動きといい、爪といい牙といい、やはり獣だ。ただ、およそ生後五か月、という幼さもあるせいか、大変に可愛いのだが。
今日は、土曜日。有難いことに休日出勤の必要もない、穏やかな週末。
昼下がりにここに辿り着いてすぐ、コーヒーを淹れてくれる、という平岩さんに甘えて、持って来た手土産もそのまま預けてしまうと、出迎えてくれた彼女とひたすらに遊ばせてもらっているのだけれど、なんというか、見ていて、飽きない。
それに、やっぱりここ、なんだか居心地がいい。
日当たりもいいし、などと考えながら、床に敷かれたかなり広いラグの上に座り込んだまま、私はぐるりと周りを見回した。
サビ子さんと私がいるのは、彼の家のなかなかに広いリビングダイニングだ。ところどころに散った節がパターンのようにも見える無垢材のフローリングの上には、ソファやダイニングテーブルの他に、大きなキャットタワーが窓際に据えられている。
あまり広くはない庭に向いた掃き出し窓から、帯のように差し込む日の光を浴びながら、毛足の長い濃いグレーのその上で、縦横無尽に暴れている彼女を目の端にしつつも、確か先週はなかったよね、と突っ張り式らしいそれを見上げていると、
「あ、それ、いいでしょ。サビ子さんも気に入ってくれてるんだよ」
気付かぬ間にカウンターキッチンから出てきていた平岩さんが、機嫌良さげな声でそう言いながら、手にした木製の丸いトレイをテーブルの上に置いた。
途端に、ふわりと立つ芳しい香りが鼻をくすぐって、誘われるように私は立ち上がると、膝の高さで猫じゃらしを振り回しながら、そちらへと近付いていった。
「ほんと、すっかり猫仕様ですよね。見るたびに何か増えてるし」
白の地にタータンチェックの帯が巡らされたデザインのカップを、揃いのソーサーごと並べている彼にそう返しながら、私はデニムに爪を掛けてよじ登ってくるサビ子さんを見下ろした。針のように細い爪を目一杯に出しているから、厚手のそれに突き刺さってちょっと痛いけれど、まあ、猫なのでこればかりは仕方がない。
その様子に目を細めながら、平岩さんはパウンドケーキを盛った皿も置いてしまうと、身を屈めてテーブル越しに腕を伸ばしてきた。長い指を餌にするように、その先を鈎のように曲げて、サビ子さんに向けて、誘うように動かしてみせる。
「スペースが余ってるから、ついね。それに、昼間は彼女がひとりっきりだから、退屈しないように、っていうのもあるけど」
「これだけおもちゃが揃ってれば、暇になりようがないですよ」
傍の椅子を引いて腰を下ろしながら、呆れたようにそう返すと、私はソファの脇に置かれている籐製のバスケットを見やった。
そこには、トンボ、魚、ネズミなどを模した小さなぬいぐるみや、キラキラした飾りのついたカラフルなボール、糸の先に蝶のついた釣竿形の猫じゃらしなどがはみ出していて、今持っているこれも、そこから適当に引っ張り出して来たものだ。
他にも、吸盤で床に固定して自由に遊べるタイプのものや、触れられると走り出す虫のおもちゃなどが至る所に転がっていて、最早、ちょっとした展示会のようで。
「うん、そうみたい。寝てることも多いけど、うろうろしたりソファの下に隠れたり、何かしら動いてるんだよね……あ、ウェブカメラで記録してる動画あるんだけど、見る?」
「見たいですけど、ただ単に、見せたいんですよね?」
私の膝の上で後足を踏ん張って立ち、テーブルの端から繰り出される指先にじゃれつくサビ子さんから、ようやく目を上げた平岩さんは、あっさりと頷いてきた。
「ほんと、何しても可愛いんだよねえ。いわゆる親馬鹿、って奴だと思うんだけど」
目尻を下げながらそう言うと、三角の耳の間を愛おしげにそっと撫でてから、彼は身を起こすと、すぐ戻るから先に飲んでて、と、リビングの中央に据えられた二階への階段を足取りも軽く上っていった。
「すっかり籠絡しちゃったね、サビ子さん」
金属製の、どこかメカニカルな骨組みを持つそれの緩い傾斜を越えて、スリッパの音が遠ざかっていくのをリビングから見送りつつ、小さな黒と茶色の身体を抱え直す。
まだ遊びたいのか、不服そうにソプラノの声を上げる彼女を再び床に下ろしてしまうと、すぐさまこちらの持つ羽根を狙ってくる。とっさに数歩離れ、挑発するように振り回してみせると、獲物を狙うように低く身を伏せ、お尻と尻尾を小刻みに揺らしたあと、思わぬ鋭さを見せて飛び掛かってきて。
「あ、わっ……」
弾丸のような勢いに驚いて持ち手を離してしまうのと、サビ子さんが羽根を弾き飛ばすのはほぼ同時で、猫じゃらしは滑るようにリビングを飛び出して、玄関へ向かう廊下へと消えていってしまった。
それを追って床を蹴った彼女を、一瞬遅れながらも追いかけていくと、既に獲物は両の前足と口でがっちりと押さえ込まれていて、未だ興奮冷めやらぬ、という風に暴れていて。
ぶん、という擬音でもつきそうなほどに小さな頭が振られたかと思うと、すぐ右手の傍の扉に、まともに咥えたものが当たって。
「え……開いちゃった?」
軽い軋みとともに、わずかに開いた隙間から、部屋の中が垣間見えて、私は息を呑んだ。
……何にも、ない。
入ったことなどもちろんない、その部屋の広さはかなりのもので、おそらく十畳以上はあるだろう。床材は廊下やリビングと同じもので、その上には、本当に何ひとつ置かれていなかった。
左手奥と向かいに二つある窓には厚いカーテンが掛けられていて、それを透かして入る光が、かろうじてがらんとした室内を、微かに照らしていて。
暗さに慣れない瞳が次第に馴染んだのか、奥に何かがあるのを認めて目を凝らす。と、左手の窓際に寄せて、たったひとつだけ、シングルのベッドがぽつん、と置かれていた。
フリルで縁取られたベッドスプレッドが掛けられているそれは、闇の中に白く浮かび上がって、酷く侘しく映る。
触れてはいけない場所に土足で踏み込んでしまった、そんな気がして、私は目をそらすこともできずに、その場に立ち竦んでいた。
「でさあ、結局、あんた平岩さんとどういう関係なの?」
「……それが聞きたいんだろうってことは、分かってたけど。相変わらず遠慮しないね」
金曜日、職場からはそれなりに離れた、行きつけのバルで。
いつものようにワイングラスを手にした私は、丸テーブルのすぐ向かいに掛けた同期を一瞥すると、小さくため息を吐いた。
と、彼女はやや厚めの唇の端を上げると、細長いフルートグラスを軽く揺らしながら、立ち昇る泡を透かすようにして、さらに言ってきた。
「今更ためらう必要がどこにあんの。それに、ここんとこ急に接触増えてるし、帰りはわざわざ仲良く二人で並んで歩いてれば、嫌でも目につくでしょうが?」
わずかに語尾を上げて、すっきりとした奥二重の瞳を細めてみせたのは、小西奈緒だ。左手に光る指輪が示す通りに既婚で、同期の中では一番早く結婚しているが、肩で綺麗に巻いたブラウンの髪といい、黒のパンツに包まれた高く組んだすんなりとした足といい、とても二児の母とは思えないほどだが、それはさておいて。
「そんな、探られるほどの関係じゃないから。仕事以外に、ちょっとした共通の話題が出来ただけだって」
追求の手を緩めるつもりはないらしいのを察して、私はそう言うと、ざっとこれまでの経過を話した。無論、他言無用と釘を刺した上で、だ。
証拠というほどではないが、スマホに保存しているサビ子さんの画像を見せてみると、奈緒はひょい、と眉を上げて、液晶に指を伸ばしてきた。
何をするのか、と見ていると、指先で画像をスライドさせ、さらにつまむように動かし、広げた一挙動で、さっと一部を拡大してみせる。
そこには、窓の硝子に映り込んだ、私と平岩さんの姿が鮮明に捉えられていて。
「……なんで、こんなとこまで目ざといのよ」
別に見られてまずい状態だった、というわけではもちろん、ない。ただ、私が膝立ちでスマホを構えている横に、身を屈めて立っている彼の表情が、あまりにもご機嫌過ぎて。
……この画像、単に貰っただけだ、って言い張るつもりだったのに。
「ただの勘だって、勘。それにあんた、ほんっと顔に出やすいんだもん」
面白がっているような声音に、私がむっとして顔を上げると、彼女は知らぬふりでまた口を開いた。
「最初はうさんくさいなあって感じだったのが、仕事出来るな、って評価変わった時もいまいち硬い顔で対応してたくせに、最近、たまに笑顔出るようになったでしょ。眉間の皺も薄くなってきたし」
「二年も下についてれば、それくらい変わるよ。マイナスからプラスになることなんて、よくあることだし」
同じフロアとはいえ、隣の担当からどこまで見ているのか、と空恐ろしくなりながら、少しばかり気にしている眉の間に、思わず確かめるように指を走らせていると、
「ま、バツイチだけど子供いないらしいし、妙な噂があったわけでもないみたいだし、色んな意味であんまガツガツしてなさげだし、結構いい物件なんじゃないの?」
「だーかーら、付き合うとかそんなんじゃないって!びっくりするくらい猫可愛いし、遊びに行くのだって、あの人の家なんとなく居心地いいからだし!」
止めのように飛んできたストレートな台詞に、反射的に声高になってしまって、すぐに後悔する。と、器用に片眉を上げた奈緒が、ふいにすっと目を細めると、探るように私をしばらく見つめてから、軽く眉を顰めた。
そのまましばし無言でいるのに、こちらから切り込もうかと迷っていると、
「……平岩さんの前の奥さんってさ、センス良かったらしいよ」
脈絡のない台詞が飛んできて、とっさに口を噤むと、彼女は難しい顔で続けた。
「旦那が言ってたんだけど、あの人結婚前は割とダサめっていうか、あんまり見た目に気を遣うタイプじゃなかったみたい。それが、一気にがらっと変わったらしくて」
彼女のご主人は同じ藤宮市職員で、私たちより二年先輩だ。そして、かつて平岩さんと同じ担当だったことは知っているものの、何を言い出すのかと怪訝な思いでいると、
「服とかのセンスだけじゃなくて、新しい家の内装とかも全部、奥さんの趣味でやった、って話してたから……ひょっとしたら、あんたの感じた居心地の良さって、それかもね」
その言葉の意味が沁み込むとともに、胸の奥にちくりと刺さる、小さな棘を意識して、私は何もかもを避けるように、手元のグラスに目を落とした。
あの人の隣にいた女性のことを、全く考えたことがないわけじゃない。
いつか垣間見た影は、あれから覗くこともないけれど、でも。
「……別に、それは、仕方ないじゃない」
消すとか、上書きするとか、そういうものでもないだろう気がして、それだけを返すと、奈緒はグラスを持ち上げて、わずかな残りを綺麗に飲み干してしまって。
「嫌な勘繰りしちゃって悪いけど、そういう側面がある以上、難しいことも出てくるんじゃないかって、ちょっとばかり心配でさ」
空になった丈高いそれをテーブルに置いてしまうと、脇のスタンドからワインリストを取り上げて、どれにしようかな、と目を走らせながら、さらりと付け加える。
「ついでに言えば、あんたも平岩さんも長いこと浮いた話なかったってのに、いきなりとんでもなく予想外なとこ行ったから、余計にねえ」
それは、まあ、自分でも、若干思いはするけれど。
「いいでしょ、お互いにいいトシなんだし、何がどうなったって困るわけでもないし」
「ま、そういうことにしとくけどさ」
あっさりと流すように短く言ってきた奈緒は、片手を上げて店員を呼びながら、小さく喉を鳴らして笑うと、意味ありげに言ってきた。
「冬眠から覚めたら、春まではほーんと、早いからねえ?」
どこかで起きた、奇妙な芽吹きを察知しているかのような台詞に、私はグラスの中の半分以上残っている赤を見やりながら、澱のようにわだかまる思いを持て余していた。
あの忠告めいた言葉をしばらく考え続けていたものの、そんなところまで尋ねられる間柄には、到底ほど遠い。だいたい、成り行きで泊まったことも含めて、たった四回しかここには来ていないというのに、興味本位で聞くようなことでもなくて。
……とにかく、ここは見なかったことにしよう。
そう思い切ってしまうと、ドアハンドルに手を掛けて、極力音を立てないようにそっと閉じかける。静かに、何事もなかったように、と内心で呟きながら、あと数ミリ、というところまで持って行く。と、
「あれ、明石さん。別に入っちゃってもいいのに」
背後から、完全に不意打ちで掛けられた声に、ぎくりと心臓が跳ね上がる。
反射的にハンドルから手を離し、鋭く振り向くと、その動きと音に驚いたのか、足元で遊んでいたサビ子さんが、飛び上がってリビングへと駆け去っていってしまって。
「あ、ごめん、サビ子さん!」
「ああ、慌てて追い掛けない方がいいよ、余計にびっくりしちゃうし」
やんわりと引き止めるように、肩に手を置いてきた平岩さんは、おそるおそる見上げた私の視線に気が付くと、少し目を見張った。
「どうしたの。何か、気分でも悪い?」
「そういうわけじゃないです。あの、ごめんなさい、わざとじゃなくて……」
どうにか動揺を抑えて、こうなった経過を説明すると、彼はうんうん、と何度も頷いていたけれど、言い終えた私が口を噤むと、しばしじっと見つめてきて。
それから、つい、と視線を扉に向けると、ドアハンドルを掴むなり、内開きのそれを奥へと大きく開け放ってしまった。
途端に、廊下からの光が部屋の中へと帯のように伸びて、それを辿るように平岩さんは足を進めていくと、まず、向かいの窓に掛かったカーテンを、音を立てて開いて。
それからくるりと左に向きを変えると、スリッパを脱ぎ、置かれたベッドの上に乗って、窓の形状に合わせて縦に長いそれを、やけに勢いよく、左右に開き切って。
よいしょ、と掛け声を掛けつつベッドから降りてくると、午後の光に満ちた広い部屋を、首を巡らせて見回してから、困ったように頭を掻いた。
「やっぱり殺風景すぎて微妙だよねえ、ごめん。けど、この部屋無駄に広く作っちゃったから、正直言うと、僕一人じゃ使い切れなくてさ」
「え、あの、謝って頂くようなことではないんですけど……それにここって、メインの寝室なんじゃ」
そう尋ねたのは、客室にしてはあまりにも広すぎる、という点と、明るくなった今では、右手の壁一面に作られている折れ戸が示す通りに、かなり大きなクローゼットがお目見えしているからで。
すると、予想通りに平岩さんはうん、と頷いて、
「僕も別れた妻もね、結構その頃激務だったから、二階に上がるのもだるいだろうし、っていうんで、収納もどーんと作ったんだけど、予想よりずっと暖房効率悪くてさ」
夏もなかなか冷えない、冬も熱が回り切らない、ということになって、それぞれ二階の書斎と六畳の部屋に移り住んでいたそうで。
「ほんとは、もっと家具とかも揃ってたんだけど、何しろ、別れた時に彼女がほとんど根こそぎの勢いで持って行っちゃったから」
他の部屋のものも同様で、ドレッサーや姿見から机、椅子、本棚、ソファやテーブルに至るまで、自ら購入・使っていたものは、軒並み引っ越しトラックとともに去っていき、最終的に残ったのは、
「サイズが新居に合わないからってカーテンは全部置いていって、あとは冷蔵庫くらいだったかな。さすがに僕の書斎だけは彼女のものはなかったから、面倒だしそこで寝ればいいかなって感じで、放置しちゃってたんだよ」
「……なんか、徹底されてたんですね」
離婚に際しては財産分与が行われる、という程度のことしか把握していないが、基本の家電まで持って行かれては、普通に生活をしていくにも不便だったろう、と推測出来て。
そんなことを言ってみると、平岩さんは、いやいや、と肩を竦めて、
「下手に何か残された方が、かえってきつかったと思うよ。六年って、長かったから」
呟くように零すと、久しく差し込んでいなかった光に眩んだかのように、目を細めて。
まるで、彼にしか見えないものを、その中に追っているようで。
彼の心に穿たれている想いがふと顔を覗かせたような気がして、ざわりとする胸の内に戸惑っていると、平岩さんはふっと息を吐いて。
「まあ、でも、さすがに使い道を考えるかなあ。ほこりもかなりなもんだし」
そう言われて、あらためて見回してみれば、明るめの床材の色で分かりにくいものの、彼の歩いた軌跡通りにぼんやりと足跡が浮かび上がっている。綿ぼこりも、ふわふわだ。
だけど、一番大きな窓は綺麗な出窓で、何か可愛いものを飾ってもいいような素敵さで。
そう考えた途端、ある光景がふと浮かんで、私は口を開いた。
「あの、いっそのことここ、サビ子さんのお部屋にしちゃったらどうですか?」
唐突な提案に、え、と声を上げて振り向いてきた平岩さんと目を合わせて、私は内心で焦りつつも、思いつくままを話し始めた。
「これだけ広いと暴れ放題だし、片付けてケージとか置いておけばお互いに具合の悪い時も安心だし、それに、あのベッドとか窓辺とかにふかふかのクッション置いて、彼女が寝そべったり、ちょこんって座ったりすると凄く可愛いと思うんですけど!」
どことなく寂しい空間を、この人が好きなもので埋めてしまえば、影も薄れる気がして。
ほぼ一息で言い切ってしまうと、まじまじとこちらを見つめている彼の視線に気付いて、急速に気恥ずかしさが沸き上がる。……ほんと、人の家なのに、何勝手言ってんだか。
だけど、平岩さんは軽く吹き出すと、そのまま大きく破顔して。
「いいねえ、それ。いっそのこと、壁にキャットウォークとか作っちゃおうかなあ……実は、猫用ハンモックとか猫ダンボールハウスとかも買おうかなって思ってたんだよね」
ここなら全部置けるよね、などと言いつつ嬉しそうに部屋の中を歩き回り始めるのを、私は慌てて止めにかかった。
「ちょっと動かないで、ほこりが舞いますから!ああもう、スリッパまでもうふわふわじゃないですかー!!」
鼻がむずがゆくなる現場から、半ば無理矢理腕を掴んで引っ張り出すと、纏わりついたほこりを中でとりあえず落としてしまってから、おもむろに扉を閉める。
取り急ぎ、リビングへと足を進めながら、私は後ろについてきている彼に声を掛けた。
「コーヒー飲んで落ち着いたら、さっさと掃除しちゃいましょう。雑巾とか洗剤とか、あと、マスクもありますか?」
「在庫は少ないけど、一応あるよ。でも、いいの?」
「提案した以上、そのくらいやりますよ。ちょっと、楽しそうだし」
あのちょこまかと動く可愛い彼女が、自由自在に遊び回るさまを、見てみたくて。
それに、多分、その様子を機嫌良く見ている、この人のことも。
そんなことを考えながら、口元が緩むのを感じていると、後ろから笑い声が聞こえて。
何か変なこと言ったっけ、と振り向いてみると、平岩さんはちょっと、眉を上げて。
「サビ子さんの部屋だけじゃなくてさ、明石さんの部屋も、うちに作らない?」
それはもう、先程の比ではないくらいに、やけに嬉しげで。
妙に邪気のない様子に、頭の中はひたすらに、真っ白で。
衝撃のあまりその場に固まっている私に、平岩さんは脇を通り過ぎざま、ぽん、と肩を叩いてきて、
「可愛いものって、傍に置いておきたくなるもんだからさ。ま、前向きに考えといてね」
さらに一撃を加えてくると、憎たらしいくらいに上手な鼻歌をまたも繰り出しながら、うきうきとした足取りで、キャットタワーに陣取っているサビ子さんの元へと、向かって。
……なんか、嬉しいとかそういうのよりも、悔しい。
向こうの意図した通りに、ともすればそれ以上に効果的かもしれない戦略に、まんまと引っ掛かってしまった、そんな気がして。
頬に帯びた熱と、今更ながら高鳴る鼓動を振り飛ばしたくて、つい先刻のサビ子さんのように、私は大きくかぶりを振った。
その日は、宣言通りに、寝室改造計画第一弾(大掃除)を、なんとか二人で敢行して。
何やらやけにノリノリで、ノートパソコンのキーボードを叩いては、計画(案)を作成している彼の後ろから、厳しく指摘を繰り出しているうちに、一日が終わってしまった。
……だから、私の部屋とかはいいんだってば。まだ。




