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告げて、はじまり  作者: 冬野ふゆぎり
九月:
37/62

看病、リベンジ

 口は禍の門、などとも言うが、自らの発言が元でいわゆる因果応報的な事態に陥ったことは、記憶の限りでは思い当たることはない。両親の指摘もあってのことだが、自分の性格が人よりかなりきつい、という自覚は幼い頃からあったし、我ながら嫌な性格だとは思うが、ここを突かれれば弱いという点を見抜くのも得手としていたから、相手を無駄に煽ることになりそうなら、単純に口を噤むことで、あえて面倒事を避けるようにしていたところもあって。

 なのに、ただ一つついた小さな嘘が、こんな形で我が身に返ってくることになろうとは。

 「いいから、君はベッドで寝てて。そっちの方が寝心地もいいんだし」

 「だったら、なおさら私がお借りするわけにはいかないです。胃を壊したのだってもう二度目なのに、もっと具合が悪くなったらどうするんですか」

 足立さんの結婚式も無事に終わった、その翌日、日曜日。

 僕の部屋の、ベッドの横に並べて敷いた布団の横できちんと正座をした里帆が、酷く毅然とした口調で、さらに続けてきた。

 「絶対に、折れませんからね。博史さんがきちんとベッドに戻ってくれるまで、ここにずっと座り込んでますから」

 ことさらに思い知らせるように、きっぱりとそう言い切ってきた彼女は、言葉の通りに綺麗に背を伸ばした姿勢を動かさないまま、潤んだ瞳をじっと僕に据えてきていて。

 その表情は、まさしく不退転、といった様子で、僕はさすがに弱りながらも口を開いた。

 「同じ部屋の中なんだし、どっちで寝ようが、回復の程度に差が出るわけじゃないよ」

 「フローリングの上にじかに寝る方が、冷えますよ。志帆を泊めた時に実感してるので、間違いないです」

 自らの経験に基づく、にわかに反論のしにくい意見を一息にこちらにぶつけてしまうと、里帆は掛け布団の上に投げ出すようにしていた、僕の手をそっと取ってきた。

 喉や胃が炎症を起こしているのが原因だろう、否定しようもなく高い熱を持ったそれを包み込むようにして、両の手で、優しく撫でさするようにしてくれて。

 「お願いですから、こんな時くらい、言うことを聞いてください。でないと、このまま博史さんの横で、私も一緒に寝ちゃいますからね!」


 ……これは、禍福は糾える縄の如し、かな。


 未だ涙目のまま、至って真剣に発せられた言葉に口元が緩みそうになるのをかろうじて抑えながら、内心でそう呟いた僕は、軽く目を細めて彼女の姿を見つめ直した。

 淡いピンクの、何やらふわふわとした柔らかそうな生地の上に、色とりどりのリボンが一面に散らされた、一言で言えばとても愛らしい、プルオーバーのルームウェア姿で。

 全て自分が招いたこととはいえ、硬いフローリングの上に座らせているのは申し訳ないとは思うものの、こうして傍で看られていることは、この上なく嬉しくて。

 きりきりと思い出したように痛む、胃の腑の疼きを抱えながらも、僕はどうすればこの可愛い人を、宥めて望む通りに出来るだろうか、と、ひたすらに考えを巡らせていた。



 こんなことになったのは、昨日に行われた、足立さんの披露宴が発端だった。

 式は身内のみで昼間に行い、披露宴は夕刻から、というスケジュールで行われたそれは、僕たちが参加した余興も含め、盛り上がりを見せつつもつつがなく終了して。

 二次会で定番のビンゴ大会で、何故か僕の手元には普段飲まないバーボンの瓶があったわけなのだが、それを目にした戸川さんに、

 『あ、俺もなんかいいワイン当たったんだけどさー、この際だから朝まで宅飲みやらね?』

 と、強制的に付き合わされた井沢さんと三人で、言葉通りに一晩中飲んでいたのだが、見事に胃をやられてしまって。

 「……こんなことなら、無理やりにでも参加しておけば良かったです」

 上橋端医療ビルを出て、家への道を辿りながら、里帆は沈んだ声でぽつりと零した。

 支えるように繋いでくれている手をそっと握り返しながら、僕は苦笑を刻むと、

 「そういうわけにはいかないよ。ただでさえ君はほろ酔いだったし、そんな状態で彼と一緒に呑ませるなんて、危険な真似をさせられないだろう?」

 「博史さんも井沢さんも、一緒だったじゃないですか」

 「それでも、だめだよ。僕の前でちょっかいを出されるだけでも腹立たしいんだから」

 本当のことの一部を、情けなくも掠れた声で告げてしまうと、里帆はまだ承服し難い、という顔をしていたものの、そのまま俯いて黙り込んでしまった。

 詫びるように、彼女の手の甲を指で撫でるようにしながら、あえて言わずにいたことがふっと胸を過ぎった。

 僕と同様あまり酔えない体質なのか、切れ目なく度数の高い酒をロックなりソーダ割りなりで口にしては、濃い酒気を放つついでのように、腹の中に秘めていたものを吐いて。


 もう、俺、なんも後悔ねえわ。

 忘れねえけど、あだっちゃん先輩に、ぜーんぶ任せたから。


 言い終えるとともに、憑き物が落ちた、というのか、酷くさっぱりとした表情を見せた戸川さんに、隣で顔を赤くしていた井沢さんが、その背中をぽんぽん、と叩いてやって。

 淀みに新たな水が入り、緩やかに流れを変えていくようなさまを、部外者ながら静かに眺めていた、というのに。

 ……そんな直後に、あれだからな。

 僕がつまみを追加しようとキッチンに立った隙に、いつの間にか持ち込んでいたらしいウォッカを、グラスに仕込まれてしまって。

 他の酒と混じっていたとはいえ、生のままをひと垂らし(あくまで彼の申告に過ぎないから、信用はしていないが)したものが喉を滑れば、飲み付けないものに荒れもする、というもので。

 まあ、さすがにまずいと気付いて、井沢さんが里帆を呼んでくれたのは有難かったが、そんじゃよろしくー、と軽く告げて、始発とともに爽やかに去っていった戸川さんには、どうしようもなく苛立ちが募るのは、致し方のないことで。

 そんな、いつもより鈍い思考をぼんやりと巡らせているうちに、マンションに辿り着く。低層ゆえにエレベーターなどはないので、先を行く彼女に手を引かれて、階段を上って。

 目に見えぬ何かに下に引かれるようなだるさに耐えながら、扉を開け、並んで部屋に入る。と、途端に手を解いた里帆が、きっと僕を見上げてきて、

 「私、博史さんの身体が良くなるまで、ずっと傍で看病しますからね!さあ、早く横になってください!」

 「……ちょっと待って、里帆、何を」

 妙にきっぱりと宣言してしまうと、すかさずこちらの背後に回り、両手で背中を押してくる。渾身の力を込めているらしいそれによろめきながらも、されるままにベッドの傍へ運ばれてしまったのは、やはり普段通りの体調とはいかないからで。

 昨日、起きた時と寸分変わらない状態のベッドの上に、抵抗も出来ずに座らされると、目の前を塞ぐように立ち、屈み込んできた里帆に、両の肩をしっかりと押さえられて。

 「着替えて、すぐに寝ててください。あとは何もかも全部、私がやりますから」


 今にも泣き出してしまいそうな、震える声で発せられた言葉に、既視感が走る。

 確か、これと同じような台詞を、僕は、彼女に。


 間違いなく、あの時の心情と寸分違わないものを抱えているらしい様子に、叱られそうだな、と思いながらも、抑えきれずに口元が緩んで。

 「そんなに、重症ってわけでもないのに。甘やかすような真似、していいの?」

 「青白い顔して吐いてた人が、何言ってるんですか。今だって、まだ顔色良くないのに」

 案の定、厳しい口調で返してきた彼女は、身を離すと、何かを探すように首を巡らせた。

 すぐに目的のものが目に入ったようで、数歩足を進めると、枕の横に畳んで置いてあったチェックのパジャマを取り上げて、

 「……あんなに具合が悪そうなところ、初めて見たから。凄く、怖くなって」

 身代わりのように、両腕できつく抱き締めるようにして、小さな背中を丸めて。

 腕を上げて、しきりと目の辺りをこすっているらしい姿を認めて、僕はゆっくりと立ち上がると、彼女に近付いて。

 気配を察したのか、振り向こうとするその細い身体ごと、腕の中に包み込んでしまった。

 「ちゃんと、休んでください。心配、してるんですから」

 「うん、分かってる。ごめん」

 僕の胸に顔を押し付けても、隠しきれない涙声が紡ぐ優しい言葉に、痛みすら和らぐ。

 惜しむことなく与えられる、ひたむきなまでの心を感じながら、しばらくそうしていて。

 やがて、ようやく落ち着いたのか、おずおずと見上げてきたその無防備なまでの姿に、ふっと、悪戯心が沸いて。

 「なんでも君の言う通りにするから、僕からも、ひとつお願いをしてもいい?」

 「え、はい、私に出来ることなら……」

 すぐさまそう応じてきた語尾が、掻き消えるように小さくなっていったのは、おそらく、僕の刻んだ微かな笑みに、何かを感じ取ったようで。

 とはいえ、前言を翻させる気などさらさらないので、彼女が口を開く前に、はっきりと望みを告げてしまった。

 「今日一日、僕の傍で、一緒に寝てくれる?」


 ことさらに強調するように、切り離して放った言葉は、狙った通りに効果を発揮して。

 その意味が、まるで肌にまで沁みたかのように、見る間に色までも変えて。


 「そんな、あの、だって、む、無理です!」

 覿面なほどに真っ赤に頬を染め上げた里帆の、混乱気味の様子をしばし楽しんでから、僕はさらに次の矢を放った。

 「傍で、って言っただろう?だから、隣に布団を敷けばいいことだと思うんだけど」

 「そういうことなら最初から言ってください!絶対ミスリード狙ってたでしょう!?」

 「それはまあ、否定はしないけど。君だって昨夜遅かったのに、あんな早朝に叩き起こされたんだから、眠いだろう?」

 「た、確かにそうですけど、コーヒーとかを飲めばなんとか……だめです、実力行使は腕力的に卑怯ですー!!」

 じたばたと抵抗している彼女を、腕にしたパジャマごと抱え上げてしまいながら、僕は冗談が冗談で済んでいるうちに、この手を解いてしまうべきか、と、にわかに込み上げる邪な思いをどうにも拭い切れないでいた。



 そこからの交渉の結果はといえば、うろたえる里帆を僕が押して、どうにか了承を得て。

 彼女が一泊分の用意と買い物をしに帰る間に、ざっとシャワーを浴びて着替えを済ませ、少しパーティションを移動して、布団を出して、としているうちに、あることに気付いて。

 そのささいな点が、今の事態を招いていることなど、心底分かってはいるのだが。

 真正面から据えた視線を、頑として外そうとしない里帆を見やって、僕は息を吐くと、諦めてのろのろと身を起こした。

 手を貸してくれようというのか、はっとしたように立ち上がった彼女が、慌てたようにすぐ傍まで寄ってきてくれた途端、何かが弾けて。


 衝動のままに動いた腕が、ほんの数瞬のうちに、彼女を捉えて。

 あまりの軽さに驚きながらも、壊れ物のようにそっと、横たえてしまって。


 「……博史、さん」

 呆然とした響きの声が、僕の名を呼ぶのに応じて、無言のままにベッドに上る。

 乗せた重みに、ぎしりと軋む音を耳にしながら、華奢なその身を覆うように腕を立てて、逃れられないようにしてしまって。

 射すくめられたように動けないでいる彼女の瞳に、怯えの色が揺らめくのを見取って、やりすぎたか、と僕は息を吐いた。元より、こんなつもりではなかったのだ。

 そうすることで気力が尽きたのか、思いも寄らず身体が傾ぐ。かろうじて、彼女を押し潰さないように身をひねり、その傍らにどさりと倒れ込んでしまうと、もう動けなくて。

 「ひ、博史さん!大丈夫ですか、しっかりしてください!」

 焦りを帯びた声にも答えられず、肩に、腕に触れてくる細い指先を、どうにか掴んで。

 戸惑ったように彼女が動きを止めたのを感じながら、僕は瞼を伏せたまま、口を開いた。


 「……頼むから、そっちでは寝ないで。他の男が使ったものを、君に使わせるなんて、正直、耐えられないから」


 それが、例え身内であろうとも、誰であれ、絶対に。

 愚かとしか言えないことを、こらえきれずに零してしまうと、しばし、沈黙が満ちて。

 何もかもを熱のせいにしてしまいたい、と後悔の念に苛まれていると、ふいに、頬を優しく撫でられて。

 ごく小さな、硬い音が聞こえたかと思うと、柔らかな熱がそっと寄り添ってきた。

 さすがに驚いて目を見開くと、眼鏡を外した里帆の瞳が、照れたように見つめていて、どうしようもなくうろたえが走る。と、

 「あの、お布団使ったのって、明史くんだけですよね?」

 「……そうだけど。それでも、嫌なものは嫌なんだ」

 そろそろと確かめるように尋ねてくるのに、僕は半ばやけになって言い返すと、彼女は幾度も瞬きを繰り返して、やがて、納得したように頷くと、


 「それなら、今日は、ずっとこうしていますから。安心して、眠ってください」


 するり、と僕の背に腕を回して、あやすように抱き締めてくれながら、そう囁いて。

 騒がしいほどに響く、常よりも遥かに早い鼓動が、自分のものか彼女のものかも判然としないままに、僕はとろりとした眠りへと、緩やかに沈んでいった。



 それから、オレンジの光が部屋を淡く照らす頃まで、目を覚ますことはなくて。

 ようやく、ぼやけたまどろみから抜け出した後も、じっと約束の通りにしてくれている里帆に、僕はふと尋ねてみた。

 「どうして、さっき、僕の勝手な言い分に納得できたの?」

 ただの我儘、としか取られないような、感情のままに放った台詞だというのに、彼女が酷く腑に落ちた表情だったのが、不思議に思えて。

 すると、里帆はさっと頬を染めて、しばらく迷うように視線をさまよわせていたけれど、


 「……その、逆の立場だったら、私も、だめって思っちゃうかなって。だから」


 恥じらいながら告げられた、例えようもなく可愛らしい言葉に、眩暈すら覚えて。

 感覚という感覚が、あらゆる意味で刺激されるのを感じながら、体調が思わしくなくて良かったのか悪かったのか、と、僕は一頻り考えさせられる羽目になってしまった。

 ……いつまでも堪えられるものではないと、この際、彼女に警告しておくべきだろうか。

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