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告げて、はじまり  作者: 冬野ふゆぎり
九月:
35/62

寿ぎ、満ちて・6

明史:

 俺が、いわゆる技術職の道に進もうと考え始めたのは、まず父親のことがあった。

 勤める先も職種もやや異なるが、実際の土木建築に携わる姿を見て興味を持ったというのがきっかけではあったのだが、さらに後押しをされたのが、兄のことだった。

 幼い頃から傍で見ていて思うのは、何をするにせよ戸惑いを見せたことがなく、さして苦労することなく大抵のことはやってのけるタイプで、俺も何くれとなく学校や勉強のことなど尋ねることも多かったが、的外れな回答が返ってきた試しがない。

 そして自らを省みれば、とてもオールラウンダーとは言えず、多種多様な業務を短期で点々とする事務職には向かない。となれば、取れる免許は取得し、自己の知識なり技術を長く生かせる職種に絞った方がよほど性に合っている、と結論付けて、今に至るわけで。

 そういう、至極単純な帰結だから、こうしてじっと聞き入られるほどの話では、ないと思うのだが。

 「志帆、それ、周りだいぶ溶けてきてるぞ」

 「えっ?あ、ほんとだ!」

 俺の大したこともない話を、酷く真剣な様子で聞いていた志帆は、慌てて手にしていたコーンを持ち上げると、とろりと流れ落ちる寸前のクリームをすかさず舐め取った。

 緑と白と、あとはやけに派手な色の粒が混じりあったそれを見ながら、美味いのかな、と眺めている間に、見る限りはすっかり綺麗にしてしまうと、小さく息を吐く。

 「良かったー、結構ギリギリだったー……」

 「まだ、まあまあ暑いからな。どっか移動するか?」

 そう言いながら、俺は顔を上げて、繁る枝葉を透かして見える、よく晴れた空を仰いだ。

 藤宮の市役所にもほど近い、都市公園。九月も下旬に入った今は、まだ季節ではないが、それなりの広さを持つ薔薇園が併設されているので、開花時期には来園者も多いらしい。

 そういった人々を迎えるためか、深々と腰を下ろせる座り心地の良いベンチのひとつに、俺はコーヒー、志帆はアイスを手に、誘われるままに並んで座っていたのだが、

 「ううん、風も気持ちいいし、いい感じに陰もあるから、いいよ。あ、でも明史くんが暑いんだったら」

 「いや。お前がいいんなら、それでいい」

 焦った様子で立とうとするのをやんわり押し止めると、志帆は途端にほっとした表情を見せて、浅く椅子に掛け直すと、まだ丸い形を保っているアイスに白い歯を立てた。

 その勢いのまま、スピードを上げて一生懸命食べ進めているのが、照葉樹の下、という状況もあるのか、木の実を抱えたリスめいていて、妙におかしくて。

 「別に、時間あるし、ゆっくり食ってていいぞ。気に入ったんだろ」

 「うん、好き。でも、せっかく買ってくれたから、美味しいうちに食べないとだめだし」

 「……ほんとに義理堅いな、お前」

 即座にきっぱりとした口調で返してきた志帆の台詞に、俺は思わずそう漏らしていた。

 今回だけのことでなく、前に俺とケーキを食った時のこともそうだが、小さなことでも必ずありがとう、は欠かさないし、それが自然と身についているのが見て取れる。

 それに、藤宮に出るから一緒に行くか、と誘った時も、ぱっと明るい顔になった後に、甘えてもいいのか、とえらく心配そうに確かめてきて。

 こういうところも、なんとなく早瀬さんと似てるのかもな、とあらためて思っていると、志帆は、ちょっと驚いたように目を見張った。

 「え、だって、良くしてもらってるし、それに、今だって凄く詳しく話してくれたし」

 「それだけ真面目な態度なら、こっちだってそうなるだろ」

 思ったままのことをそう返してみると、志帆はそうかな、とどこか照れたように呟いて、手の中のアイスに目を落とした。

 何事かを考え込んでいるようなその横顔を見ながら、俺はふと、少し前から抱えていた疑問を解けるような気がして、それを口に出してみた。


 「けど、お前、まだ高一だろ。就職のことまで考えるのは、えらく早くないか?」


 そんなことを思ったのは、俺がその年の頃には新しい環境に慣れるのが先で、次々と手元にやってくるものをこなす他には部活に集中していて、数年後の卒業後のことすら、欠片ほども考えてはいなかったからだ。

 まあ、俺と同じように考えるのが、そもそも間違いだ、という気はするが。

 そう問いを投げると、志帆は思いがけず鋭く、こちらに顔を向けてきたが、

 「……うん。そうかもしれないんだけど、ちょっと……」

 俺と目を合わせるなり、じきに困ったように口ごもると、そのまま俯いてしまった。

 なんか、変なとこをつついたかな、と若干後悔しながら、俺は手にしていたカップを持ち上げると、間を持たせるようにその中身を啜った。



 公務員の採用試験の合否は、民間もそうだが、合格即内定、というわけでは無論なく、合格者は採用候補者名簿と呼ばれるリストに、ひとまず氏名が掲載されることになる。

 そもそも就活において、学生が受ける先をひとつに絞る、などということはないから、辞退者が出た場合に備えて採用予定数を越える合格者を出し、本人の意向を確認してから内定を出す、という流れだ。

 すなわち、合格者の中でも成績が下位ならば、振り落とされることもままあることで。

 『だからね、お姉ちゃんにそう聞いたこと思い出して、連絡来るまでずっと待ってたの。ほんとに、おめでとう』

 「そうか。わざわざ、有難うな」

 九月の中旬、藤宮市の職員採用試験の合格者が発表されて、数日後の夜。

 郵送で、合格及び内定通知書がようやく手元に届いたので、身内や友人に纏めて連絡を終えてから、それとは別に、俺は志帆にメールを送った。

 お祝い贈るから、と前もって言われていたのもあるが、えらく気を揉んでくれているらしい、と兄を通じて様子を知らされていたからだ。

 そう聞いていた通りに、即座に返事が返ってきて、こうして電話をしているわけだが、

 『それで、あの、お祝いのことで……もう、用意は出来てるんだけど』

 一頻り賑やかに祝いの言葉をくれてから、急におずおずとした調子になって響いた声に、俺はしばし次の言葉を待っていたが、えっと、その、となかなか言い出せない様子で。

 何か戸惑うようなことがあったか、とは考えたものの、思い当たることもなかったので、ふとひらめいた提案を、こちらから投げてみることにした。

 「来週の週末、お前、なんか予定あるか?」

 『え?ええと、特にないけど』

 「なら、兄貴のとこに泊まりに行く予定があるから、その時に会えるか?」

 そう尋ねたのは、つい先程、戸川さんから連絡があったからだ。兄も早瀬さんも一緒に、内定祝いに飲みに連れていくからなー、と既に確定したものとして決められてしまって、兄からも返事が飛んできた結果、瞬く間にそうすることに纏まったわけで。

 「上橋端ならお前も来やすいだろうし、早瀬さんにも話は通しとかないとならないけど。だめそうなら、また考えるけどな」

 『あっ、だ、だめじゃない、と思う!あの、あとでお姉ちゃんに聞いてみるから!』

 急き込むようにそう言ってきた志帆の声から、さっきの迷いめいたものは消えていて、内心で少し安堵しながら、こっちの予定をあらかた伝えて。

 細かいことは折り返し連絡をする、ということになったところで、そろそろ切り上げた方がいいか、と、壁の時計に目をやっていると、耳元で声が響いた。

 『あの、明史くん、ちょっとだけ、聞いてもいいかな』

 「……どんなことだ?」

 妙に深刻な様子で切り出されたのに、一瞬、反応が遅れる。

 先程からの、どことなくいつもとは違う雰囲気も引っ掛かってはいるものの、取り急ぎ静かに続きを待っていると、

 『あのね、その、明史くんが』

 そこまで聞いたところで、志帆の声を断ち切るように、俺のスマホが着信音を鳴らした。

 とっさに耳から離して液晶を見てみると、通話アプリの着信を示すポップアップが表示されていて、またも戸川さんからだった。

 無音にしとけば良かったな、と思いながら耳を戻すと、謝ろうと口を開く前に、志帆の声が飛んできた。

 『明史くん?何かあったんなら、今日はいいよ』

 「いいのか?多分、めちゃくちゃ急ぎってわけじゃなさそうだけど」

 『うん、また、会った時に話すから。それじゃ、おやすみなさい』

 「分かった。おやすみ」

 急いたように、早口で届いた言葉につられるように返事を返すと、一拍を置いて通話が切れて、『通話が終了しました』という文言がしばらく表示されて、消えて。

 何か判然としない気持ちを抱えながら、代わりのように浮かび上がった戸川さんからのメッセージを開いてみたものの、



 とがわくん

  なー、志帆ちゃんから連絡来たー?

  会うんだったら、俺にも紹介してよー。

  あ、森谷くんにはもちろん秘密でねー。


 

 余計に複雑な気分にさせられる内容に、俺は短く『だめです』とだけ返しておいた。



 それから、金曜日の夜に飲み会を開催してもらって、翌土曜日、つまり今日の昼過ぎに志帆がやってきて。

 早瀬さんに断りを入れて、出来るだけ話しやすいように、とこうして連れ出してみると、聞かれたことは『技術職を目指すに当たっての動機』という、甚だ生真面目なもので。

 いささか拍子抜けしながらも、一応のプロセスを話してやってはみたものの、こういう反応を返されては、気にするな、という方が無理な話で。

 とはいえ、せっついたところでいい方には転ばない気がして、黙ったまま待っていると、

 「……あのね、夢が、あってね」

 ぽつり、と小さな声でそう零した志帆は、俺の方には目をくれないまま続けた。

 「薬学を学んで、資格も取って、出来たら新薬の開発とかそういうことに携わりたいな、とか思ってるんだけど……この間、クラスの子になんでだよ、って聞かれたから、正直に話したの」

 「俺が、聞いてもいいのか?」

 確かめるようにそう尋ねると、志帆は、うん、と頷いて、何故か頬を薄く染めて。

 気恥ずかしそうに俯いてしまいながら、また口を開いた。

 「小さい頃、あたし喉が弱くて、よく熱出しちゃってたんだけど、いつもお姉ちゃんが看病してくれてて」

 志帆の両親、つまり、早瀬さんの親でもある二人は共働きだったため、年の離れた姉に任せなければならない部分があったらしい。元々年が六歳も離れていることと、姉が妹を可愛がっているのもあって、ごく自然にそうなっていったようなのだが、

 「頭が痛くなったりすると、もうめちゃくちゃぐずっちゃって、薬も苦いから飲まない、って、凄い困らせたの。それでそういう時、甘酸っぱいリンゴのゼリー、作ってくれて」

 飲みやすいように、柔らかめに作ったそれと薬を目の前で混ぜてみせると、志帆の頭を撫でながら、いつも彼女が言う言葉があったそうで。

 「これは、魔法のお薬なんだよ、って。志帆のためのものだから、痛いのも苦しいのも、ぜーんぶお空の向こうに飛ばしちゃうんだから、って……それで、安心して眠っちゃうと、ほんとに治っちゃってて」

 幼い頃ゆえの素直さと、姉の優しさがあってのことか、そのことが酷く心に刻まれて、魔法ではないと理解してからも、薬とは、という純粋な興味に繋がり、知ってゆくにつれ、次第に明確な目標へと変化していって。

 「それでね、この話、したら……なんか、笑われちゃって」

 「別に、笑うような話じゃないだろ。なんでだ」

 志帆のように何やら可愛らしいことではないが、実際俺もそうだし、最も身近な存在として、身内に影響されることなどよくあることだ。

 そんなことを言ってやると、志帆はぴくり、と身を震わせて、顔を上げて。

 おそるおそる俺の方を見てくると、思い詰めた表情で、きゅっと唇を結んで。

 「……シスコンだろお前、って、すっごくからかわれて。普段から、お姉ちゃんの話、たまにしてたのもあって、大好きなことも結構言っちゃってたし、だから」


 ひとつ触れてしまえば、泣き出しそうな、細い声で。

 いつか見たように、必死でこらえているさまが、どうにもいじらしくて。


 「好きなら、好きでいいだろ。それに、お前がシスコンなら俺もファザコンかブラコン、ってことになるのかもしれないし、気にすんな」

 とにかく気を抜いてやりたくて、思いついたままをそう言うと、志帆はきょとん、と大きく目を見開いて、しばらく、俺をじっと見つめて。

 「……明史くんとあの人とは、全然違う気がするけど」

 「お前と同じようにしたら、ある意味ホラーだろ」

 勢いで口に出してから、ありえない光景をうっかり想像してしまって、勘弁してくれ、と軽く息を吐いていると、なにそれ、と明るい声が耳に届いて。

 顔を向けると、吹っ切れたようにふわっとした、笑みをひらめかせてきて。


 「ありがとう。明史くんも、なんか、お薬みたい」


 憂いの晴れたその表情と、くれた言葉に頷かされながら、不思議とこちらの気も凪に戻るのを感じていると、あ、と志帆が声を上げて、

 「どうした?」

 「……喋ってるうちに、アイス、再起不能になっちゃった」

 情けない声でそう言うのに、手元のコーンを見てみると、白と緑がマーブル状になった上に、わずかに小さな塊が、島のようにぷかりと浮かんでいるような状態になっていて。

 「溶けたら、もう食えないのか?」

 「ううん、大丈夫。ただ、凄く甘くなっちゃってるけど」

 でも、どうやって食べようかな、と、中身を零さないようにしながら回しているそれに、俺はふっと手を伸ばして、

 「一口、くれ」

 コーンを持つつもりが、細い指も腕も纏めて掴んでしまいながら、引き寄せて。

 舌に触れた途端に、予想していなかったほどの甘みと、ほんの微かな酸味が広がるのに、意外な思いを覚えていると、

 「……まだ、いいよって、言ってないのに」

 すぐ間近で、志帆の怒ったような声が聞こえて、目を上げる。

 と、ほんのりを通り越して、見るからに真っ赤に頬を染め上げて、目尻の上がった瞳をきゅっと細めて、俺を睨み付けていて。

 視線に押されるように、身を離した俺に向かって、ずい、とコーンを突き付けてくると、

 「あと、全部、食べて!」

 「……分かった。悪い、なんか、お前が食ってると、気になって」

 「もういいから!責任持って完食するの!」

 すっかり機嫌を損ねた様子で、俺に背を向けてしまった志帆の揺れる髪と、手元の甘いそれを交互に見やりながら、当たり前のことに今更思い当たる。


 ……そういや、女の子だった。


 妹ともなんとも言えない扱いを、これからどうしたもんか、などと考えつつ、ますます溶け行くアイスだったものを、コーンごと齧り取って。

 別に、嫌いじゃないな、と思いながら、どれもこれもが甘い味を、俺はぼんやりと噛み砕いていた。

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