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告げて、はじまり  作者: 冬野ふゆぎり
九月:
33/62

寿ぎ、満ちて・4

宗秋:

 俺は元々、人の前で何かをする、ということが人一倍苦手どころか嫌いだし、いわゆる人付き合いですら極力最低限で済まそうと思ってきたせいで、今の仕事及び職場を選んだ、というところがある。まあ、内勤で篭っていれば済む、という部署では残念ながらないが、顧客対応の折には渉外役として営業担当が必ず付くことになっているし、とりあえずはクライアントの要求を満たすことに専念していれば、無遠慮に踏み込まれてくることなど滅多にない、そこが気に入っているのだが、

 「ねーむっちゃーん、メトロノームアプリってこの中じゃどれが一番いいかなー」

 「さっぱり使う機会がないから、分からん。とりあえず、まともなレビューが多ければそんなに外れはないだろ」

 それがきっかけで、よりによってこんな正反対な性格の、いわゆる『彼女』が変わらず傍にいることだけは、未だに首を傾げることがあって。

 「そりゃそうだよねー。じゃあ、評価トップのこれにしようかなー」

 休日の夜、毎度のことながら、俺の家の居間で。

 飯も風呂も済み、あとは本を読んで寝るばかり、という、至って呑気な時刻。

 こっちの無愛想な返事にもまるで気を悪くした様子もなく、簡単に返してきた優理が、隣で忙しくスマホの液晶に指を走らせているのを見ながら、俺は手にしていた本を閉じて脇に置くと、テーブルの上に置いていた自分の黒いそれを取り上げ、液晶に指を滑らせた。

 と、こちらの動きに気付いたのか、お、というように優理は目を見張ると、手を止めて期待を込めた視線をじっと向けてくる。いつもながら思うが、その様子はこの上もなく嬉しそうで、一瞬でも目を合わせたなら、間違いなく飛びついてくるだろうことが伺えて。

 「急いで返さなくていいのか。相手、切羽詰まってるんだろ」

 通話アプリを立ち上げ、職場のグループを呼び出して坂本にメッセージを送りながら、俺はそう尋ねた。

 同じアプリで優理がやりとりをしていたのは、内野さん、という市役所の先輩らしい。来月半ばに迫った別の先輩の披露宴で、余興で歌を歌うと聞いているからその絡みで、ということだそうだが、どうやら、相手はやけに慌てているようで。

 「だーいじょうぶ、向こうにも彼氏ついてるから。それにめっちゃラブラブだからー、ちょっとくらいほっといてもぜーんぜん平気だってー」

 そう軽口を叩きながらも、ついていないはずの尻尾をぶんぶんと振っていそうな表情は一向に変わらなくて、我慢できなくなったのか、俺の腕にぎゅっとしがみついてきた。

 「こら、纏わりつくな。操作しにくいだろうが」

 「とか言ってー、むっちゃんスマホ使う時左手使わないじゃん?」

 「落ち着かないんだ。後で相手してやるから、少しくらい待ってろ」

 とっさにそう口にして、またうっかり甘いことを言ってしまった、と気付いたものの、転がり出てしまったものはもう戻せない。

 しかも、言われた優理はといえば、見る間に相好を崩して、すぐに腕を解いてしまうと、妙にきちん、と正座をして、俺を見上げてきた。

 「うん。むっちゃん、大好きー」


 ……なんでこう、いついかなる時でも全開なんだ。


 溶けそうなくらいに甘い、好意むき出しの台詞をぶつけてくるのは昔からだが、それが年々グレードアップしてきている気がする。すぐにクレッシェンドがデクレッシェンドになるぞ、と、皮肉交じりに坂本に揶揄されていたものだが、段々強く、は今も継続中で。

 そもそも、こうして付き合うようになったきっかけも、信じられないようなものだった。当時、優理が通っていた大学のシステム更新の件で、現場に俺が出向いた時にたまたまそこに居合わせたのだが、何をどうしたものか一目惚れ(優理の自己申告だ)されて。

 そのまま、講義もほったらかしで学内中をぴったりとついて回られ、挙句は隣に同僚もいるというのに、


 『彼女いないんだったら、とりあえずお試しでー!クーリングオフ可能ですから!』


 と告白されて、連絡先を交換させられて、という急展開極まりないものだったのだが、たかだか八日や二十日で可否を判断できるはずもなく、結局、徐々にほだされてしまって。

 しかも、職場では坂本のせいで話が瞬時に広まり、そうこうしているうちに優理が家にやってくるようになって、気付けば一年も経たないうちに両家公認の付き合いになって、と、いつしか外堀は埋められ内堀は飛び越えられ、こうなっているわけだが。

 そういえば、ここまで甚だ全開になったのは、いつだったか。

 記憶にあるはずの引っ掛かりを探りながら、とりあえず、伸ばした左手は優理の髪に、右手はスマホにと使い分けながら、暇なのかすぐさま返ってきた坂本からのメッセージに、俺はざっと目を走らせていた。



 およそ、四年前。

 優理の怒涛の押しに流されるままに、いわゆる交際を始めることになったものの、俺はとにかく、自分を保つためにもこれだけは勘弁してくれ、という条件を伝えた。


 一、遊園地・テーマパークには行かない

 二、本の購入額には文句を付けない

 三、仕事中は連絡しない


 一は何よりも俺が苦手にしているものだから、二は唯一に近い趣味だから、三は集中が切れるからやめてくれ、というわけだったのだが、あっさりと頷かれて、拍子抜けして。

 延々と続く書店巡りにも、次々届く通販の箱数にもめげることなく、週末になれば俺の家で寝転がって一緒に本を読んでいる、そんな日々が常態化してきた、夏の日。

 「優理、お前、不満はないのか」

 「へ?なんで?」

 夏だから、とわざわざ持って来た、い草のカバーを掛けた座椅子に深々と背を預けていた優理は、俺の唐突な問いに、実に不思議そうにそう返してきた。

 勧めた文庫本を手に、小首を傾げて真っ直ぐに見返してくるその視線に、どことなく後ろめたさを感じつつも、俺はこの際だからと続けた。

 「なんでって、付き合い出してから俺の希望の場所以外、どこにも出かけてないだろ。お前も、特に何も言わないから、それでいいのか、と思って」

 自慢にもならないが、女性との付き合いなど長く続いた試しがない。俺が好きなように過ごしていると、ついていけない、と放り出されてしまうことばかりで、それくらいなら付き合え、などと言い出してくるべきじゃなかっただろう、とすぐに切り捨ててしまって。

 それにこれまで見ている限りでは、彼女はただ唯々諾々と誰かに従うばかりの性格ではないだろう、と感じていることもあって、ますます疑問が膨らむばかりだったのだが、

 「いいよ。っていうか、不満があったらとっくに口に出してるしー、こうしてるのってしみじみ幸せなんだもん」

 「幸せって、俺は特に何もしてないだろ」

 言葉通りに笑いながら、こともなげに言い切ってきたのに心底からの問いを投げると、優理はひょい、と器用に片眉を上げて、空いた左手で指折り数え始めた。

 「えー、幸せポイントいっぱいあるよー。本はハズレないしー、傍にいたい、って要望叶えてくれてるしー、なんだかんだ言いつつ一緒に買い物行ってくれるしー、リクエスト通りにご飯作ったらもくもく食べて美味かったって言ってくれるしー、帰る時とか駅まで絶対に送ってくれるしー、あとー……」

 「分かったから、もういい!頼むから止めてくれ!」

 次々と口に出しながら、次第ににやにやとからかうような表情を向けてくるのに、俺は耐え切れずに声を上げてしまった。

 しかも、挙げられたどれをとっても、大したことをしているわけでもない。飯は優理が作り置きをまとめてする方だから荷物は多いし、帰りは暗いので一人で帰せるはずもなく、何より、こうして二人でいることは、既に当たり前のことになってきていて。

 そのこと自体に言い知れない気恥ずかしさを覚えて、憮然として顔をそらしてしまうと、視界の端で、優理がテーブルにそっと本を置くのが見えた。

 それから、静かに座椅子から身を起こして、俺の傍まで寄ってくると、何故かきちんと膝を揃えて、やけに綺麗な姿勢で、座って。

 「……そういうとこ、全部、好き」

 

 普段の、どこかふざけたところなど掻き消えた、真摯な声で。

 そのくせ、妙に甘く色を含んで、身体の芯を揺すぶられるようで。


 今までにない衝動が、ぞろりと首をもたげてくるのを感じて、俺はとっさに大きく身を引いた。途端に、優理は大きく目を見開いて、

 「……ごめん、やだったら、控え目にする」

 酷くしおれた様子で、小さくそう言うと、すっかりうなだれてしまった。

 その姿が、どうにも叱られて耳を下げた犬めいていて、俺は気を抜くように息を吐くと、ゆっくりと右の腕を伸ばして、癖のあるふわふわとした髪に触れた。

 見た目通りの柔らかさを指先で確かめつつ、くるりと巻いている毛先を弄んで、しばし意味もなくそうしていたが、

 「さほど、扱いに、慣れてないんだ」

 そろそろと、窺うように見上げてきた優理に、俺は短くそう零した。

 「えっと、それって、あたしの、ってこと?」

 「いや、お前だけじゃなく、そっちの性別、全般的に」

 自分でも何を言ってるのか、と呆れながらも、珍しく戸惑った様子の彼女を見据えて、言葉を続ける。

 「けど、お前といるのは苦にならないし、最近は、心地いいとも思うくらいだし」

 正直な気持ちを吐き出しながら、貰った言葉に対しての答えを必死で探していたが、結局のところ、本音を告げるより他はなくて。


 「……その、この先、お前を粗末に扱ったりは、しないから」


 口にしてから、我ながらもう少し言いようがなかったのか、と思うものの、彼女には酷く効果があったようで。

 驚いたように息を呑んで、ひたすらにこちらをじっと見つめていたかと思うと、突然、膝立ちになったその姿勢から、優理は飛びつくように俺にしがみついてきた。

 「こら、危ないだろうが!」

 掛けていた座椅子ごと倒されそうなほどの勢いを、どうにか受け止めながらそう叱ると、優理はくぐもった声で、ごめん、と返して来たものの、離れるつもりは欠片もなさそうで。

 

 「……ほんとに、すごく、すき」


 照れたようにはにかみながら、それだけを告げて、俺の胸にじっと、顔を埋めて。

 完全に落とされた、と、奇妙な感慨めいたものをため息とともに吐き出しながら、俺はその細い背中に腕を回すと、支えるようにそっと抱き直してやった。



 あれから、優理は俺に対する微妙な遠慮が無くなって、スキンシップも言葉での好意も、すっかり箍を外してしまって、ためらいなく表すようになってきた。そして俺の方も、素直に受け取ることにも、次第に慣れてきて。

 「優理、坂本から返事来た。『一位から四位までは大した差がないから、見た目で選べ』らしいぞ」

 「そうなんだーありがとー。じゃあ、内野さんについでに激励の言葉でも送っとこー」

 「で、何のために必要なんだ、それ」

 俺の答えを聞くなり、やはり急ぎなのか、かなりの速さで入力を始めた優理に尋ねると、んー、と考え込むような声を上げて、

 「船底の穴をなんとか塞ぐためっていうかー……とにかく一縷の望み、ってとこー」

 「……なんか、切実そうだな」

 「いっつも飄々ってしてる平岩課長がばっちり眉寄せた、って。だからー、井沢さんのソロパートもっと長くしようかって考えてるっぽいよー」

 あの人めっちゃ歌上手だからねー、と、手放しで褒めながら、メッセージを送り終える。

 と、手にしていた艶のないピンクのスマホをすぐさまテーブルの上に戻してしまうなり、優理はくるりと、こちらに向き直ってきて。

 「……分かったから、こっち来い」

 軽く息を吐くと、俺も腕を伸ばして、黒のそれを派手な色合いの横に置いて。

 読みかけの本も、少しの間そのままにしておくつもりで、奥へと押しやって。

 そのために空けた腕の中に、嬉々として滑り込んできた優理は、俺の胸に甘えるように頭をもたせかけると、満足そうに瞼を伏せた。

 まるで誂えたかのように、ぴたりと俺に添わせてくる身体を静かに撫でながら、ずっと考えていたことを尋ねてみる。


 「優理、そろそろ、籍入れる時期、考えてもいいか?」

 

 彼女が就職して、今がやっと、二年目の秋だ。

 そのつもりで数年来準備はしてきているが、優理が長く勤めるつもりで入った職場との兼ね合いは大事だし、何より彼女自身が、俺ばかりに負担にならないようにと、もう少し準備をしたい、と言っているのも、承知はしていて。

 だが、もう、傍にこうしていないことなど、とても考えられなくて。

 答えを促すように、身じろぎもしないままの優理の背中を、あやすように叩いてみると、ようやく、ぴくりとその身が震えて。

 いつになく、おずおずと上げられてきた視線を捉えてみせると、何かを確かめるように、しばらく俺の顔を見つめていたが、

 「……うん」

 あの時と同じに、頬を染めて、柔らかくはにかみながら、望んだものをくれて。

 さらに何か続けようと開きかけた唇を、身を屈めて塞いでしまいながら、俺だけにしか引き出せないと知っているものを、俺は思うままに求めていった。

 ……どちらのスマホにも何か通知が来ていたような気もするが、まあ、気のせいだろう。

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