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告げて、はじまり  作者: 冬野ふゆぎり
九月:
32/62

寿ぎ、満ちて・3

内野:

 社会人になってから、細かなイベント事に関わる機会というのは、学生時代よりぐんと増えた。担当や課単位での諸々の宴会はもちろん、ユース絡みや有志での企画旅行など、若いうちに色々やっとく方がいい、という足立さんや倉田さんのアドバイスもあって、これまでにその手の企画運営サイドには、裏方として割と積極的に参加してきたつもりだ。

 だから、それなりの手腕は磨かれてきたと思うし、何よりずっとお世話になってきた先輩のおめでたいイベントだから、もちろん骨惜しみをするつもりはこれっぽっちもない、そういうつもりでは、あったんだけれど。

 よりによって、最大のコンプレックスを表にさらけだすようなことを、求められるとは。

 「……あー、やっぱり無理!ほんっとごめん!」

 今の状況にどうしても耐え切れなくなった私は、悲鳴のようにそう叫ぶと、手にしていたワイヤレスマイクを、掛けている長いソファの座面に放り出してしまった。

 途端に、天井から吊り下げるように設置されているスピーカーから、ごん、と鈍い音が部屋中に響き渡って、あー、もう、最悪じゃない、と膝に顔を埋めていると、

 「諒子ちゃん、落ち着いて。いいよ、無理そうならしばらくゆっくりしてて」

 優しく宥めるような声がすぐ傍でしたかと思うと、かなりの音量で鳴り響いていた曲がぴたりと止まる。力なく突っ伏した姿勢から、ちらりと目だけを上げてみると、選曲用のリモコンの操作を終えた森一くんが、目の前にあるテーブルにそれを置いたところで。

 「……ごめんね、馬鹿みたいに騒いじゃって」

 わざわざ休日を一日潰してまで、こっちのどうしようもない事情に付き合ってくれているというのに、ほんとに何やってんだか、と沈んでいると、彼は柔らかく笑って、

 「気にしなくていいよ、今日もまだまだ時間はあるし、君の気が済むまで付き合うから、安心して」

 そう言いながら、よしよし、といった感じで頭を撫でてきた。どうも私の髪に触れるのが好きらしくて、ことあるごとにこんな風にされるのだけれど、なんというか。

 「もう、そうやってあんまり甘やかしちゃだめだって。イントロでつまづいてる時点で色々と終わってるし、もっと厳しいツッコミ入れてくれてもいいくらいなのに」

 「そっちは、頼まなくても他の人がいくらでもやってくれるでしょ?だから、僕は僕の役目を果たさせてもらってるだけ」

 ゆっくりと、感触を楽しんででもいるかのように(実際、最近は今まで以上に手入れはしているけど)手を動かしながら、さらに森一くんは続けた。

 「それに、こうやって触れられるのも、僕だけの特権だしね」


 ……なんか、ひとこと言葉をくれるたびに、甘さ倍増って感じなんですけど。


 カラオケ店ゆえに防音であることも含めて、本当に個室で良かったー、と思いつつも、拒む気などはさらさら起こらなくて、私はしばらくされるままになっていたけれど、

 「なんだったら、一緒に歌う?マイクなしなら、僕の声でそんなに聞こえなくなるし」

 「……口パクじゃだめ?」

 ようやく手を止めた森一くんに、そんなことを提案されて、思わず気弱なことを返してしまったけれど、彼はさすがにちょっと眉を上げて、たしなめるような笑みを向けてきた。

 「それは、だめです。川名さんの言うこと、真に受けたわけじゃないでしょ?」

 「はーい……なんとか、頑張る……」

 甘やかすな、と自分で言っておいて、いつまでもぐずぐずしているわけにはいかない。

 のろのろと身を起こすと、既にリモコンを取り上げている森一くんが、さっきと同じ曲を手慣れた様子で入れているのを眺めながら、私は抑えきれないため息を零していた。



 森一くんも私も、お互いに実家住みだけれど、藤宮の市内にそれぞれの住まいがある、という状況だから、彼と付き合い出してからの行動パターンはといえば、終電に間に合う程度に仕事帰りにどこかに寄って、ついでにあらかじめ休日の予定を決めておき、週末は車で一緒に出かける、という感じに段々と落ち着いてきた。

 だから、その日も軽く飲みに行くついでに、どうにか纏まったらしい披露宴の余興について教えてもらえるのも、分かってはいたんだけど。

 「……歌?しかも、アカペラって、これ、本気で?」

 扱うテーマがテーマだからか、綺麗なブーケの写真を中心にレイアウトされた、やけに装飾の凝った一枚の企画書を手にして、私は顔を強張らせていた。

 露骨に表情が変わったのに驚いたのか、カウンター席に並んで座っていた森一くんは、少し慌てたように持っていたカクテルグラスを傍に置いてしまうと、

 「え、だめだった?でも、選んだのは足立さんと遥さんの思い出の曲だし、アカペラに関しては平岩課長が指導してくれるっていうから……諒子ちゃん、大丈夫?」

 「……ごめん、あんまり大丈夫じゃない」

 一生懸命にそう決めた理由を話してくれる彼の声を聞きながら、私は情けないけれど、その場にすっかりうなだれてしまっていた。

 つい昨日の余興の内容決めの打ち合わせの時には、間が悪いことに担当者会議が入ってしまったため、私一人だけが参加できなかったのだ。まあ、欠席裁判みたいなことになる件じゃないし、皆に白紙委任しとくからねー、などと里帆ちゃんにも伝えたのだけれど。

 「まさか、蓋を開けたらこんなんだとかー……余興としては凄く定番だけどさー……」

 「……もしかして、諒子ちゃん、歌、苦手なの?」

 深々と突っ伏したまま、愚痴めいて零し続ける異様な様子に、察するものがあったのか、小声で森一くんがそう尋ねてきたのに、私はそろそろと顔を上げた。

 「苦手ー。すっごい苦手で独唱のテストなんか仮病で避けまくってきたくらいで高校で芸術科目が選択制になって安堵のあまりに虚脱状態になったくらい苦手ー、あと……」

 「もう苦手エピソードはいいから!分かったから落ち着いて!」

 とめどなく続く勢いで流れる私の台詞を、彼は焦りつつも遮ってくれると、二人並んだ間に置かれた白の小皿から、何故か小さなチョコレートをつまみ上げた。と、

 「はい、ちょっとだけ、口開けて」

 お願いだから、という色を含んだ言葉に押され、まるで親鳥と忙しなく鳴く雛めいて、反射的に開けてしまった口の中に、それをぽん、と放り込んでくる。

 触れそうで触れないその仕草に似て、かなり甘い一粒をすっかり溶かしてしまうと、私はちょっと照れながら、小さく尋ねてみた。

 「美味しいけど、なんで今チョコなの?」

 「人を落ち着かせるには、甘いものがいい、って聞くから。それに諒子ちゃん、チョコ好きだしね」

 しかもホワイトチョコ、と笑い掛けてきた森一くんは、ふと何かに思い当たったように瞬きを繰り返すと、考え込むように頬に手をやった。

 「よくよく考えたら、諒子ちゃん、ユースのイベントにはほとんど欠かさず来てるのに、歌うのは聞いたことなかったなあ……あ、でも、確か五月の飲み会で、女の子四人全員で一緒に歌ってた、よね?」

 「……あれは、隠れ蓑です」

 思い出しちゃったか、と内心でため息を吐きながら、私はなんとかそれだけを返した。

 これまでに、二次会で誰かがカラオケ行こっかー、と言うたびに避けれるものは避け、どうしてもノリと雰囲気で行かざるを得ない時は注文を取ったりタンバリン振ったり、最終手段として酔って寝たふりなどをしてはいたものの、バレるところにはバレていて。

 足立さんや倉田さんには早々に見抜かれて、さりげなく上司の責めを避けてくれたし、皆で遊びに行くうちに里帆ちゃんに優理ちゃん、最近では清佳ちゃんにもバレてしまって、それなら他の三人で誤魔化しますよ!と言ってもらって、ああいうことになったわけで。

 でも、さすがに八人でアカペラじゃ、いきなり一人辞退するわけにもいかないだろうし。

 「普通にね、音楽聞くのは好きだし、その歌もフルで知ってるんだけど、それだけじゃどうにもならないっていうか……」

 「……その、どのくらいのレベルなの?音程が取れない、とか?」

 「倉田さんに『うーん、テンポがことごとくずれてるね!』って、すっごくにこやかに言われた」

 おそるおそる尋ねてきた森一くんに、色々と諦めながら真実を伝えてみると、彼は目を見張ったけれど、すぐに口元を緩めて、

 「だったら、音程はちゃんと合ってるんだね。だったら、しっかり練習すれば治るかもしれないから、二人で一緒にやろうか?」

 柔らかく気遣うような声で、そう言われたものの、私は頷くことをためらってしまった。

 出来れば、せっかくの足立さんのお祝いだから頑張りたいし、いわゆる音痴も治せればそれにこしたことはないし、必死で歌うことから逃げなくても良くなるかもしれない。

 けれど、その前段階として、どうしても避けられないことがあるわけで。

 「……森一くんに、聞かれるのが、一番やなんだけど」


 多分、耳を覆うくらいに、下手だったとしても。

 優しく笑いながら、頑張ろうね、って言ってくれるだろうとは、思うけれど。


 今までの経験で、呆れられるくらいだっていうのが身に沁みているだけに、好きな人にだけはそんな風に思われたくない、とか考えてしまって。

 幼い理屈を捏ねながら、拗ねたように視線を逸らして、カウンターの表面に走る木目を意味もなく追っていると、ふいに目の前に手が伸びてきた。

 頬に添えられたそれに、すっと横を向かされたかと思うと、彼の顔がすぐ傍にあって。

 今までになく、怒ったように眉をきつく寄せて、真っ直ぐに目を据えてくると、

 「ただでさえ、他の人に先を越されてるっていうのに……何よりも、君のことなのに、僕だけが知らないでいる、なんて耐えられると思うの?」


 ひときわ低められた声音が、微かな震えとともに、耳に届いて。

 むきだしの感情を、触れられた手の熱が、あからさまなほどに伝えてきて。


 向けられた想いを、いささか複雑な気持ちで受け取りながら、私は彼を見返すと、

 「……でも、本当に下手だよ?」

 「そんなの、構わないから」

 「あの足立さんが思いっきり口元押さえて、里帆ちゃんはともかく、優理ちゃんでさえ難しい顔した後に顔そらして、『必殺技として口パクってものがありますから……』って、すっごく気を遣ってくれたくらいなんだよ?」

 さらに追い打ちをかけるように情報を追加していくと、ひるむ様子もなく、森一くんは私の頬をするりとくるみ込んでしまうと、やっと少し表情を緩めて、


 「いいよ、君の声なら、どんなものでも聞きたいから」


 酷く嬉しそうに、さらりとそんなことを言われてしまって、もう赤くなるしかなくて。

 それ以上、何をどう言い募ったところで、すっかり機嫌を直したらしい彼には、絶対に太刀打ちできそうにもなくて、私は結局、頷かざるを得なくなってしまった。



 あの時は、ここまで言ってもらってるんだから、って、自分でも覚悟を決めたつもりだったんだけれど、いざ歌うとなってみれば、この有様で。

 そう思い返して沈み込んでいる間にも、幾度となく聞き覚えのある前奏が流れてきて、思わず身を固くしていると、

 「きつそうなら、とりあえず僕だけで歌っておこうか?メロディラインを追うだけでもいい予習になるだろうし」

 「……お願い、していい?」

 心底だめだなあ、と思いながらも不安が拭えなくてそう言うと、森一くんは分かった、と安心させるように笑って、マイクを構えると、迷うことなく歌い出した。

 彼が歌うのは、これまでに何度も聞いたことがあるけれど、滑らかで耳触りの良い声で、するりと気持ち良く聞けてしまう、そんな感じだ。

 だから、正直なところ、羨ましいな、などと思ったこともあったのだけれど。

 「……こうやって、ひとりじめ出来るのって、結構贅沢かも」

 そう呟いた時、隣で歌っていた森一くんが、すぐさま声を止めて、私の方を向いてきた。

 「ごめん、何か言った?はっきり聞き取れなくて……」

 「え、あ、気にしないで、ただの独り言。相変わらず凄く上手だし良い声だなあ、って思ってただけだから」

 思っていたままのことをそう口に出すと、彼は驚いたように、大きく目を見開いて。

 それから何故か、さあっ、と顔を赤くして、空いた手で口元を押さえてしまって。

 「え、ど、どうしたの!?なんかそんなに変なこと言った!?」

 そのまま俯いてしまったのに、焦りながら聞いてみると、彼は小さくかぶりを振って、顔に置いていた手をゆっくりと外すと、

 「……ちゃんと、聞いてくれてたのだけでも嬉しいのに、そんなに褒めてもらえたから」

 頬の赤みは取れないまま、酷く照れた様子で、さらに続けてきた。

 「白状すると、君がいる時は、かなり頑張ってたんだ。いつも、誰が歌ってもノリ良く盛り上げてくれるし、ちゃんと真剣に聞いてくれてるから、だから、その……」

 どこかうろたえたように言葉を切ると、しばし視線をさまよわせていたけれど、やがて何か、思い切るように勢いよく顔を上げてきて、


 「……ラブソングとか、君に伝わるといいなって思って、選んでた」


 一途、という言葉を体現したようなストレートな台詞は、見事に胸の中心を直撃して。

 いつしか伸ばされてきた両の腕の中に、気付けばすんなりと抱き込まれてしまっていて。

 私の肩に、半ば顔を埋めるようにしてきた彼の耳に、お返しのようにそっと囁く。


 「じゃあ、お願い。今度は、私にだけ、歌って」


 間を置いて、短い肯定の言葉が返された後は、離れようにも離すことが出来なくて。

 結局、終了十分前のコールが掛かってくるまで、ずっとそのままだった。

 ……当然、延長はしたけど。こんなんじゃ、真面目に練習、出来るかなあ。

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