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告げて、はじまり  作者: 冬野ふゆぎり
九月:
30/62

寿ぎ、満ちて・1

足立:

 制限のある環境に置かれれば置かれるほど新たな発想が沸く、などという向きもあると聞くが、実際そうなってみると、今やれることをひたすらに探して、その中で一番マシだ、と思える選択肢を採ってきただけのことで、いわゆる『夢』というものは、俺には何一つなかった。ただ、漠然としていた望みを現実にしたくて、気付けば今に至るわけだ。

 しかし、成り行きとはいえ全くの未知の世界に入って仕事の構造を学び、やれることを徐々に増やしていくことは割合楽しくて、それなりにやりがいらしきものも出てきて。

 いくつもの担当を渡り歩くうちに、ろくでもない奴以外にも、こうしていい上司にも、面白い後輩にも、ただの同僚に留まらない人間にも出会うことが出来て。

 「……なんか、結構、恵まれてんな」

 手元に用意された、標題は当たり前だがめでたいもののはずなのに、どうにも予算資料めいた体裁のレジュメ(おそらくわざとだ)をぺらぺらとめくりながら、俺はふと呟いた。

 時間はかかったが、どうにか建てた二人の家で、こんな風に式の打ち合わせなどをしていられる、そのことももちろんそうなのだが。

 と、それを聞きつけるなり、正面の椅子に掛けていた倉田は、シャーペンを動かす手を止めて、嬉しそうに笑みを向けてきた。

 「そうだよー。こんなに皆喜んで参加してくれるんだもん、少しは実感してくれた?」

 「さすがにな。欠席が日高(ひだか)さんだけ、ってのが、やっぱり残念なくらいだ」

 そう返しながら、リビングのテーブルにざっと広げた、A4の紙に見やすいレイアウトで印字されたリストのただ一行を、俺は指先で示してみせた。

 三枚ほどに渡る披露宴の出欠を一覧にしたそれは、主賓を筆頭に、所属、役職、氏名の五十音順で並べられたもので、末尾には出席または欠席が表示されている。

 その中で、唯一『欠席』となっているのが日高さんだ。倉田ともども世話になった俺の先輩で、今は二度目となる産休に入っているのだが、わざわざ俺と遥に電話までくれて、不義理をしきりと詫びてくれた。

 「まあ、当日がほぼ予定日じゃいくらなんでも無理だよねー。でも、『きっと号泣必至の電報送ってやるんだから!!』ってやたらと燃えてたよ?」

 「文字数足りねえだろ。あの人、無駄に装飾過多気味の癖治ってねえからな」

 昔、広聴広報にいた時は、市民の方向け文書について、当時の上司に『簡潔かつ全ての方に理解していただきやすく!』とよく注意されていたが、情報をあれもこれもと欲張り気味に詰め込んでは、切りどころが決め切れずに悩んでいたものだからだ。

 そんなことを思い返していると、倉田はいやいや、と軽く首を振って、

 「たっかい追加料金ものともせずやりかねないよー?とりあえず、主賓のスピーチより長かったらなかったことにしますよーとは釘刺しといたから、大丈夫だとは思うけど」

 「……お前、宣言したらマジでやるもんな」

 にこやかに言ってきた倉田の言葉に、俺は少しばかり眉を寄せていた。以前に聞いた、早瀬と内野の弁だが、タイプの違う二人が二人とも、

 『倉田さん、ためにならない人にも仕事にも、ほんとに容赦ないですよね』

 などと評しているように、笑いながら辛辣な台詞と指示を投げてくるところがあって、そんな時は素直に従っておいた方が、あらゆる意味で平和に事が終わる、そういう奴だ。

 その代わり、というのも妙だが、気働きは人一倍、懐に入れた人間に対しては何事も惜しむことはなくて、それだからこそ、面倒な幹事などというものを引き受けてくれたのだが、

 「お前には、いつも世話になってんな。有難うな」

 何気なくそう言うと、え、と声を上げた倉田は、途端に上機嫌な様子になると、器用に親指の上でくるくるとシャーペンを回し始めた。何故か、こういう時に必ず出る手癖だ。

 「いやー、なんか照れちゃうなー。でも、そんなのお互い様でしょ」

 多分、中指と人差し指を駆使しているらしいこと以外は、やけに早くて見えないほどのスピードで続けながら、さらに続ける。

 「俺も慣れないとこに来て、同い年だけど先輩だし気安くしちゃってもいいのかなー、って距離的にどうしようかって思ってたのに、親切だし教え方分かりやすいしフォロー上手だし、異動で初めて当たりだ、って思ったもん。だから後輩にも好かれるんだよねー」

 「当たり前のことをしただけだ。いちいち褒められるようなことじゃねえよ」

 ストレート過ぎる言葉に、気恥ずかしさを覚えてそう言い返すものの、やはり悪い気はしない。こういうところも含めて、この先管理職になっても上手くやっていけるだろう、などとあらためて思っていると、

 「あの頃からだから、長かったねえ。ほんっと、良かったねえ」

 やっとシャーペンを回していた手を止めて、とんとん、と見終わったレジュメを両手で揃えながら、倉田が柔らかく労うような口調で、そう言ってきて。

 ああ、と短く応じながら、俺はかつて背中を押された、奴の言葉を思い返していた。

 


 遥とは、高校の卒業式以来の付き合いだが、その道行きは正直平坦ではなかった。

 理由は単純なことで、遥は大卒、そして俺は高卒だということが、あちらの親にとって何よりもネックになるというのだから、はなから付き合い自体を納得してもらうのが甚だ困難だったからだ。

 元より、まずは今必要なこと、を優先的に選んできたから、二部でも大学に行くつもりなどなかったし、余分な金など一銭もない状況だったから、とにかく仕事に注力をして、求められたことを過不足なく、出来得ることならそれ以上にこなせるように学ぶ毎日で。

 そんな日々にいささか疲弊していた時に、常連と化した居酒屋『粋』のカウンターで、猪口に熱燗を注いでくれながら、倉田は珍しく顔をしかめていた。

 「ふーん、それはまた面倒くさいご両親だねー。社会に出たら、大卒だろうがこりゃー無理だわ、って人なんか結構いるっていうのに」

 「ちゃんとした人の方が多いだろ。お前だって、明石さんだって平岩さんだってまともじゃねえか」

 「俺はともかくとして、二人に関してはまあ、その通りだけどー」

 俺の言葉に気を良くしたように、倉田はちらりと笑みを作ったが、じきに真顔に戻ると、片手にしていたグラスをぐい、と大きく呷り、見る間に空にしてしまった。

 それから、手元にあるそれと同じ匂いの酒気を小さく吐き出してしまうと、

 「とにかく、君の努力を見もしないで、ほんの入口でお断りの看板を掲げ続けるっていうのは、フェアじゃないよね。幾ら娘さんが可愛くてもさ」

 「元々、はっきり成果が目に見えるタイプの仕事じゃねえからな」

 仕方ない、という風を装いながらも、倉田の言葉は有難く、俺はそのまま口を噤んだ。

 公務員とはいえ、無論人事評価は行われるわけで、毎年そう悪い結果にはなっていない。だが、例え最高の評価を取り続けたとしても、昇級試験に通ったとしても、目もくれずに否定され続けるのは、やはりきつい時もあって。

 それに、何より責められるのは、俺のことだけではなくて。

 「……親父が早くに亡くなったのは、誰のせいでもないってのにな」

 そう小声で零してしまってから、倉田がすっと眉を上げたのに気付いて、しまった、と俺は内心で声を上げていた。悪気のないものを含めて、同情か憐憫しか呼ばないことを、愚痴っていい相手でもないのにうっかり漏らすとは。

 どう繕ったものか、と迷っている間に、しかし、倉田はそっか、と深々と頷いて、

 「そういうことなら、もう遠慮なんかいらないんじゃない?」


 ……こいつ、マジで頭に来てやがる。


 繁忙期に加え、突発の選挙事務までもが重なって、半眼で難件相手に対応していた時の、一種異様な瞳の光と同じものを目にして、うそ寒いものを感じてわずかに身を竦める。

 と、いきなり奴は俺に向き直ってくると、大きくにこやかな笑みを浮かべて、

 「真面目にやってきてるんだから、有無を言わせなくするしかないよねえ。ハードルは別に越えなくても倒してもいいわけだし、まあ、押し切っちゃえばいいんじゃないかなー」


 君だったらやっちゃうでしょ、と言われてしまえば、全くその通りで。

 それに何より、遥も、俺の手を離すことはないと分かっているから。


 「……そうだな」

 いずれにせよ、そこだけはどうあがいても、他の誰も動かせないのなら、道はひとつだ。

 言葉でもリアルでも背を叩く手にあらためて意を強くしながら、俺はただ頷きを返すと、徳利に手を伸ばして、空になったグラスを、溢れる寸前にまで満たしてやった。



 あの時、膝を折るつもりは欠片もなかったとはいえ、なお奮い立たせてもらったのは、味方だから、と、言葉でも態度でも、ことごとく示してくれたからで。

 「……有難うな」

 思わず、もう一度感謝を込めてそう告げると、分かってるよー、とあっさり応じて、倉田はいつものように、笑って。

 それでも照れがあるのか、またシャーペンを高速で回しながら、レジュメをめくると、

 「ところでさ、余興の企画、メインが戸川くんってほんと色々と大丈夫?初島さんっていう抑えがついてるとはいえ、微妙に不安なんだけど」

 「ああ。あいつ、変な企画は蹴ってでも止めますよ!とは言ってたんだけどな」

 そう言いながら、俺ももう一度レジュメを手にして、余興に参加するというメンバー、その一覧に目をやった。戸川を筆頭に、井沢、森谷、内野、早瀬、川名、初島に加えて、平岩課長までもが引っ張り込まれたと聞いて、いささかならず驚いたのだが、

 「まあ、早瀬さんの件は森谷くんがいるし、内野さんも彼には割と厳しめだから、盤石かな?」

 「それもあるだろうけど、何より遥がいるからな。俺はともかく、あいつの前で下手なことはしねえだろ」

 これだけの年数が経っても、遥の戸川に対する影響力は、絶大だ。俺とのことを認めてくれて、それでもなお、どこかしら憧憬めいたものは残り続けているようで。

 俺の言葉を受けて、倉田はちょっと苦笑を浮かべると、椅子の背に深くもたれかかって、考え込むように腕を組んだ。

 「余計なお世話かもしれないんだけど、彼もそろそろ、周りに目を向けるといいんじゃないかって思うんだよね。仕事出来るし人当たりいいし、女子に割と人気あるんだよ」

 でもストライクゾーン狭そうだよねー、と続けるのに、確かに、と思いながらも、俺は持っている答えを口に出していた。

 「……多分、近々、変わるだろ」


 式も披露宴も終わって、籍も入れて。

 遥が俺の名字になってくれたら、おそらく、あいつの中で一区切りがつくはずで。


 予想ではなく、ほぼ確信に近いそれを感じ取ったのか、倉田はわずかに目を見張ると、うーん、と腕を組み直して、

 「けど、彼、諦め悪そうだしね。もしかしたら今度は、早瀬さんが森谷さんになるまであのまま変わらなかったりしてー」

 「シャレにならねえからやめてくれ。お前の予言、マジで当たる確率高いだろうが」

 「予言じゃないよー、強いて言えば観察の賜物、ってとこー」


 ……だから、それがさりげなく怖いんだろ、お前の場合。


 至ってにこやかなまま、さらりと人を見ている発言を、相変わらず快調に飛ばしている同僚の姿を見ながら、こいつだけは絶対に敵に回せねえな、と俺はあらためて考えていた。

 ……まあ、俺の上に就かれる分には、むしろ、一向に構わないが。

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