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告げて、はじまり  作者: 冬野ふゆぎり
五月:
19/62

指を、繋いで

 あまりにも自分の恋を内に長く抱えて来ていたせいで、色々と鈍っていたな、と思う。

 触れそうで触れない距離感を楽しんでいた部分も本音を言えばあったし、まだ早い、などと足を止める言い訳はいくらでも思いつけていたから、他の男の影が見えなければとりあえずはそれでいい、そんな程度に思っていた。

 だけど、戸川が早瀬さんを連れ出した時の、森谷くんのあの表情を見て、心が変わって。

 「もう十分前かー……どうしよう、一度メールした方がいいかなあ」

 ふいに心配そうな声が飛んできたのに、ぼんやりと巡らせていた思考が断ち切られる。

 隣の助手席に座っている内野さんが、手元のスマホを落ち着かなげに操作しているのに、僕はフロントガラス越しに、施設入口の方を見やった。

 ほんの少し前までは幾らか人も出て来ていたが、今は薔薇の絡んだゲートをくぐる人の姿も見えず、辺りを見渡せば、車もほんの数台しか残っていない。左右の窓を半分ほども開け放しているせいか、夕刻に似合うゆったりとした音楽に合わせて、閉園時間が近いことを知らせるアナウンスが聞こえてきて。

 「そっとしておいた方がいいんじゃないかな。さすがに、あれが聞こえない、っていうことにはなってないだろうし」

 宥めるように掛けた言葉に、うん、と小さく頷きながらも、心配そうな様子でこちらを見てきた彼女に、僕は思わず笑みを誘われてしまった。

 珍しく自信なさげなその様子が、どうにも可愛くて。それに、告白した時の、どうしていいか分からないようにうろたえていた表情を、ちょっと思い出したりもして。

 「それに、首尾が上々であればあるほど、森谷くんが暴走してそうだと思わない?」

 「……すっごい納得した。里帆ちゃん、色んな意味で泣かされてないといいんだけど」

 軽く眉を寄せつつ、スマホを膝に置いていた鞄にしまった内野さんは、シートに深々と背を預けてしまうと、小さく息をついて、

 「井沢さん、今日、ほんとにありがと」

 「え、何が?ぬいぐるみのお礼なら、もうたくさんしてもらったよ?」

 そう返しながら、僕は首を巡らせて、後部座席の方に視線を向けた。あのぬいぐるみはラゲッジスペースのトノカバーの上に、ちょこんと置いてある。少しばかり不安定だとは思うけれど、振り返ればすぐに見れるから、という彼女の希望もあってのことだ。

 すると、内野さんはかぶりを振ってから、軽く眉を寄せると、

 「違うって。車のこととかもそうだけど、さりげなく里帆ちゃん誘導してくれたりとか、私のミスに付き合わせたりとかさ、もろもろ込みでのお礼っていうか」

 「ああ、そんなの気にしなくていいのに」

 早瀬さんを森谷くんと二人で行動させるように仕向けたのは、ここのところどうにも彼が煮詰まっているようだったからだし、忘れ物の件については放っておける訳もないし、むしろそれに便乗したような形だ。だから、早瀬さんの思惑を打ち明けてくれた時には、やっとか、とこちらも嬉しくて。

 どれも当然のことだし、簡単にそう返してみると、内野さんは口元を緩めて、柔らかく笑みを向けてきた。

 「井沢さんって、何気に人の扱いが上手いと思うんだよね。こないだ足立さんが言ってたけど、『戸川は自爆型で、井沢は懐柔型だな』って」

 「相変わらず容赦ない言い方だなあ……どっちも否定はしないけど」

 それに、戸川のそれは、『恋愛』という非常に限定された条件の元でのことだ。むしろ、あいつの年齢層問わない愛想の良さとコミュニケーション能力は、羨ましいくらいで。

 「僕はどっちかというと、相手も自分もなるべく不快にならないように、って考えて、あんまり深く踏み込めない方だから。昔から、地味にコンプレックスなんだよね」

 業務での対応にはそれなりに役立つけれど、プライベートでは必ずしもそうではない。

 事実、後になって自分だけが蚊帳の外に置かれていたことが分かって、人付き合いに自信が無くなったこともあるくらいだから。幸い、それはもうずっと以前の話だけれど。

 そんなことを零すと、内野さんは意外そうに眉を上げてから、僕の顔をしばらくじっと見つめてきた。心の内を覗こうとでもしているかのような、どこか鋭さも含んだそれに少し戸惑っていると、彼女はふいに目を伏せて、んー、と短く唸って。

 「やっぱさ、今まで培ってきちゃった性格ってそうそう変わらないんだよね。私も割と鈍いし、基本的に受け身なとことか、嫌になるくらい思い知ってきたし」


 ……それはまあ、確かに。

 僕が告白するまで、察してた様子も見えなかったし。


 内心でそう苦笑するものの、振り返ってみれば、人のことは言えないな、と気付いた。

 多分、あいつは言わなきゃ分かんねえぞ、と足立さんにさんざん忠告されながらも、なかなか攻め込んでいけなかったのは、自分自身だし。

 前の彼氏と別れる前からも、飲み会では出来得る限りさりげなく近付くとか、ユースの役員に同じタイミングで名乗りを上げるとか、彼女が出る職場のイベントには欠かさず参加するだとか、これまでに示してきた自分の好意が、言ってしまえば遠回り過ぎて。

 それでも、楽しく話せただけでも幸せで、舞い上がって、でもずっとそこまで、で。

 うっかり過去の行動(概ねひとり相撲)を思い出してしまって、なんか凄く馬鹿だったなあ、と頭を掻きむしりたい気持ちになっていると、

 「だけど、井沢さん、めちゃくちゃがっつり踏み込んできてくれたじゃない?おかげで、ちゃんと向き合わなきゃな、って思ったんだよ」

 そう続けられて、驚いて彼女の顔を見ると、何故か避けるように目をそらされて。

 「例に出すのも変だけど、里帆ちゃんに対する戸川さん、みたいな態度取られてたら、ためらいなくはねつけてると思う。なんか、微妙に逃げ道作ってる、って感じがして」

 その感覚が、見事なまでに図星を指していることに頷かされながら、続く言葉を待っていると、内野さんはわずかにためらいを見せながらも、また口を開いた。

 「けど、井沢さんだと、こっちが逃げられないな、って思わされて……よくよく考えて言ってくれたって分かってるし、森谷くんみたいに意地の悪いからかいとかもしないし、付き合い始めたら、こっちのことを大事に思ってくれてるの、態度に出まくりだし」

 こちらまで赤くなってしまうような指摘をくれてから、彼女はぴたりと唇を動かすのを止めてしまって。

 僕の方に、気恥ずかしげな上目遣いを向けてくると、そっと手を伸ばしてきて。


 「それがナチュラル過ぎてうわあ、ってなっちゃう時もあるんだけど、そういうところ……なんか、好きですよ」


 膝に置いていた僕の手の甲に、彼女の細い指が戸惑いながらも触れてきて。

 どうしたものか、というように、探り探り動かされるそれを、捕まえてしまって。


 照れて身を引こうと動く彼女を逃がさないように、自分のそれをしっかりと絡めながら、僕は自然と笑みを零していた。

 「その言い方、可愛いな。久し振りに聞いた」

 彼女が新採でやってきて、足立さんに紹介されて、しばらくは生真面目に敬語で。

 職歴ではもちろん先輩だけど、年は一つしか違わないからかしこまらなくていいよ、と止めてもらって、後はずっとタメ口で来てたから、好きになっていった頃を思い出して。

 そう言うなり、内野さんはさっと頬を染めて、それを隠すかのように、膝に置いた鞄に顔を埋めてしまった。

 「あー、もうなんでそんなこと言うのー!恥ずかしさを緩和しようと思ったのにむしろ逆効果とかー!」

 「ごめんってば。でも、これからも、たまに言ってくれる?」

 「……それ、敬語で、ってこと?」

 「どちらでもいいよ。その中身が重要なんだし」

 特別な言葉を、君からくれるのなら、それだけで望外の喜びで。

 そんなことを考えていると、絡めた指をくい、と引かれて。


 「……だったら、私だって、欲しいんだけど」


 うつぶせたままの、囁きほどの声に、誘われるように身を屈めて。

 左右にさらりと流れた、黒い艶やかな髪を掻き上げてしまうと、薄く色づいた耳朶に、僕は望まれた通りの言葉を、そっと落としてみせた。



 それから、二人がやっと車に戻ってくるまで、幸い十分に落ち着くだけの時間はあって。

 連休が明けて、ふと気になって、足立さんに『森谷くんは何型でしょうか?』と尋ねてみたら、即座に『猛進型』と返ってきたのだが、


 「早瀬は、パニくると『猪突型』だから、ある意味バランスとれてんじゃねえか?」


 と、流れるように続けられて、あっさりと腑に落ちてしまった。

 ……付き合い始めたら、少しは攻め方が穏やかになるのかな、森谷くん。

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