①
嫌なことはすべて、暗闇に包まれた聖域に入れば忘れることができた。
湖の中深くに沈んだ洞窟は目が覚めるような美しさで、透明な水がどこまでも澄み渡っていた。
洞窟は人間にとって最も近づきがたい聖地として、遥か太古の時代から誰にも暴かれることなく、ひっそりと物言わずそこに君臨し続けていた。
水中洞窟内の奥深くは、太陽の光も届かずほぼ無酸素状態の環境下にある。そこに存在しているのは、透明な水と沈泥と、その聖域を侵略者から守るように迷路のごとく細かく入り組んだ石灰岩だけだ。
洞窟潜水をしているとき、閉鎖された空間で、まるで世界には自分一人しか存在していないかのような絶対的な孤独感を味わったり、暗闇の中で方向感覚を失くし、とてつもない恐怖に苛まれたりすることがある。
しかし、そんな苦い思いを幾度となく経験してもなお、洞窟潜水でしか体感しえない緊張感と極上の征服感があることを、彰吾は誰よりも知っていた。
周りからは、「そんな危険な場所にわざわざ自分から出向くなんてどうかしている」とよく変わり者扱いをされたし、「勉強のしすぎでとうとう頭がおかしくなったのか」と皮肉まじりに揶揄されることもしばしばあったが、彰吾自身はそのような他人の意見に耳を貸したことは一度もなく、特に気に留めることもしない。
自分が変わっていることは認めても、狂っているとは少しも思わなかった。
洞窟に入ることは、彼にとって決して死を連想させるものではない。そこにはまさしく、自分の命そのものが息づいていると肌で感じていた。洞窟こそが、「生きている」というたしかな実感を抱かせてくれる場所だった。
彰吾はとある湖に沈んだ水中洞窟を探検するために、遠路はるばる北海道の広大な大地を訪れていた。
自治体と環境庁にはあらかじめ入洞の許可は取っている。彼は一晩ホテルに泊まり、翌朝の早朝から車を数時間走らせて、やっと目的の湖へと到着した。
水面から覗き込むだけでも、水底まではっきりと見通すことができるほど水が透き通っていて、思わず感嘆の吐息をもらした。この湖の水温は年間を通して約八度と低いため、湖底の倒木が腐ることなく、まるで化石のように沈んでいるのが見えた。
さらに、湖畔に生い茂る青々とした草木が水面に逆さに映りこみ、なんとも幻想的で美しいコントラストを描き出していた。
彰吾は、この荘厳な景観を楽しむのもそこそこに、湖に着くなり、装備を整えて早々と潜水を開始した。
潜水コンピュータのモニタを見ながら、インフレータの排気ボタンを押して浮力調整胴衣の空気を排出していく。岩場から離れないようにゆっくりと沈んでいき、中世浮力がとれるように空気量を調節できたところで、目的の洞窟の入り口を探し始めた。
湖の奥深いところにある岩場に隠された穴は、想像以上にずっと小さく天井が迫りくるように低かったが、それでも当初予定していたよりもほとんど手間取らず簡単に見つけることができた。
そこがまぎれもない洞窟への入り口だった。彰吾はさっそく入洞を開始する。
洞窟潜水――ケイブダイビングは、一般にレジャーで行われているようなスキューバダイビングとは訳が違う。ケイブダイビングはいわゆるテクニカルダイビングの一種で、彰吾は何年も前にアメリカに渡り、テクニカルダイビングの特殊な訓練を受け、苦労の末にようやくライセンスを取得した。そうしなければ入ることのできない水中洞窟がいくつもあったのだ。
日本には、一般にも公開されている洞窟潜水のできる場所は非常に少なく限られている。潜水できたとしても、ガイドロープも不要なほど浅く短いものばかりで、本格的なケイブダイビングがしたければ、必然的に海外に赴くしかなかった。
しかし、田舎病院の一塊のしがない勤務医の立場では、長期休暇などは現実問題としてなかなか取りづらく、そう気軽に何度も海外に飛ぶことはできない。年に二回行くことができれば良い方だ。
それが七年ほど前に、北海道のとある湖で新たな水中洞窟が地元のダイバーによって発見された。そのニュースを知った彰吾は、自身の探検魂をくすぐられずにはいられなかった。わざわざ海外に出向かなくても洞窟潜水ができる場所は、本当に貴重だった。
洞窟が一般公開されるのをずっと待ち続け、近年やっと調査も一段落してついに解禁されたという情報を入手したので、なけなしの休暇を利用してはるばる北海道へとやってきたのだ。
もしも自分が妻帯者であれば、フットワークもこう軽くはなかったろうと、三十代半ばにして気ままな独身生活を謳歌できる状況に満悦していた。
洞窟が発見されてからもう何年も経っているということもあり、入り口から洞窟内部の五十メートルほどまでは、専門家を含めたプロのダイバーたちの手により、すでに調査はされつくしていた。
洞窟内部の構造は、基本的に大人が両手を広げたほどの幅しかない狭い横穴の一本道が続いており、その途中に開けた場所が二か所存在している。その開けた場所にはそれぞれ第一ホール、第二ホールと名付けられ、ダイバーたちの進行の目印とされていた。
しかし、現在調査されて明らかになっているのはその第二ホールまでで、入り口からそこまでの距離が約五十メートルというわけだ。第二ホールからその先はいくつも狭い道が枝分かれしているらしく、公にはまだ解明されてはいない。つまり、第二ホールから先は前人未到の世界だということだ。
調査がそこまでで打ち切られたのには、理由が二つある。一つは、第二ホールからその先の道がどれも狭くわかりづらい構造になっていること。そしてもう一つは、ここが現代の日本だということにあった。
洞窟潜水は非常に危険であり、無理に調査を推し進めると死人が出ることもある。それを、調査を指示する立場にある上役たちは何より嫌がった。
当然と言えば当然のことだが、それでも、未知のものを探求することよりも、ただ責任を取らされたくない一心で保身ばかりにしがみつき、結局いつも事なかれ主義を決め込むというのも、なんとも寂しい話ではあった。
いくら学術的に価値のありそうなものが奥に眠っていると予測できても、少しでも危険が伴えば、猫も杓子もみんな次々と規制にかけられていく。人命が何より尊いのは最もなことだが、その行き過ぎた保守体制のせいで、様々なものが外国に遅れをとっていることもまた事実だった。
洞窟には、宇宙や深海と同じくらいまだ解明されていない謎が多く残されており、ケイブダイビングは、そんな地球の深淵における科学調査及び発見の最先端の手段でもあった。
まさしく、地球に巡る細い血管を縫うようにして泳いでいく感覚なのだ。そこでは地球の血液の流れのままに進み、周りを取り囲む岩々が地球の内臓として静かに息づいていることを実感する。
デリケートな機器に自らの呼吸と視界を委ねながら、細く暗い通路を泳いでいくうちに、探検家たちは、その未知なる空間にいつの間にか魅了されてしまうのだ。そこでは、恐怖と好奇心の絶妙なバランス感覚に命を預けることになる。熟練のダイバーであってもその見極めが難しく、洞窟潜水中に命を落とすことは決して珍しいことではなかった。
減圧事故、麻酔状態、空気供給事故、命綱の切断による迷子、狭窄部でのブロック、有毒ガスなど、考えうるトラブルをあげればキリがない。
予測できない突発的な事故は仕方がないとしても、可能な限り万全な状態で臨むには、潜水前に体調と装備を入念に整えておく必要があった。
彰吾が今回用いた装備としては、寒さから身を守るのに適した厚みのあるネオプレーンスーツに浮力調整胴衣を着込み、フルフェイスマスクにレギュレータ、背にはリブリーザー、頭部にはヘルメットと複数の照明用の防水ライトとビデオカメラを装着した。腕には潜水用コンピュータにコンパスと深度計、手にはグローブ、そして腰には道に迷わないように命綱の役目を果たすガイドロープのリールをセットし、足には狭い洞窟潜水向きの幅が広く短いフィンを履いた。
もちろん、緊急時に備えて照明、ボンベ、リブリーザーはそれぞれ予備を持参していたので、見た目はすこぶる重装備である。ケイブダイビングの装備は、一般のスキューバダイビングの装備に比べてより専門的であり、どうしても物が多くなってしまいがちである。それでも可能な限り軽量となるよう工夫はされていた。
わずかな照明の光だけを頼りに、文字通りの一寸先は完全な闇の世界を、手探りで進んでいく。水底から舞い上がる沈泥で、行きはクリアだった視界も帰りはほとんど見えないという状況も珍しくはなく、そうなると途端に前後不覚に陥ってしまう。潜水中道に迷って酸素の残量が尽きて溺死してしまうことは、人間にとってどれだけの恐怖として襲いかかってくるものなのか、想像に難くない。