ある雨の朝にバスを待つ話。
冷たくてそれでいてどこかぼんやりとした雨が降り始めたのは、春のような温かい日差しと優しい風の日が三日ほど続いた後だった。
その日の朝、僕は静かにバスを待っていた。
バスが到着していなければいけない時間はとっくの昔に過ぎていたけれど、僕は辛抱強くじっとバスを待っていた。
雨をしのぐことのできるその小さなバス停には僕ともう一人の女性がいるだけだった。
大学生ぐらいに見えるその女性は熱心にケータイ電話の画面を見ながら、とても細かに親指を動かしてボタンを打ち続けていた。
その指の動きは何か完成されたスポーツのように優雅で美しく、僕は彼女に金メダルを贈りたいと思ったほどだ。
僕も退屈しのぎにケータイ電話を取り出してみたが、それはボタンのついたただの長細い箱でしかなかった。
特にメールを打つ相手も電話をかける人もいなかったからだ。
僕はまた静かにポケットにケータイ電話をしまって、彼女がボタンを押す姿をぼんやりと眺めることにした。
最後に大きく送信--だろうと思われる--ボタンが押下され、彼女の指が一通りの演技を終えてみてもやっぱりバスは着ていなかった。
結局のところ、二人くらいしか利用しないバスの停留所になど、バスが遅れたところで大したことは何もないのだ。
きっとここは、バスという世界の中においてプライオリティの低い場所に違いない。
もちろんバス会社の人間がそんなことを考えて運行しているとは思えないけれど、そう思えるくらいにバスはやってこなかった。
電車のように運行状況も把握できず、いつ頃くるかもわからないバスを待つということは、別れた恋人を想うのと同じではないだろうか、と僕は考えてみた。
戻ってくることを期待しつつも、ある種の諦めがないと耐え切れない。
そして、それでもバスはいつかやってくるのだからそれよりは幾分マシなのだろう。
「あのーすみません・・・・・・みぞうってどういう意味ですか?」と彼女は言った。
隣でやはり僕と同じようにバスを待っていた彼女だ。
バスを待っているのは僕と彼女だけで、それは間違いなく僕にむけて発せられた言葉だった。
「みぞう、ですか?」と僕は聞き返した。
「未熟の『み』に、漢字の八って言う文字の下に情けない顔みたいなのがくっ付いたのが『ぞ』、『う』は鮪って言う漢字の右側です。」と彼女は答えた。
僕はしばらく考えて頭の中で文字を整理した。
そして「この『未曾有』ですか?」と手の平にゆっくりと指で文字を書いて見せた。
「そうですそれです、その『みぞう』です。」と彼女はうまく伝わったことに安心したのか、少しうれしそうに答えた。
「未だかつて経験したことのないっていう意味ですよ」と僕が答えると、彼女はなんだか納得したようなしていないような表情でもう一度ケータイを眺めた。
「それにしても面白い説明の仕方ですね、未曾有っていう漢字。」と僕は言った。
「真ん中の『曾』って字、他に表現の仕方が見付からなかったんです。」と彼女は答えた。
僕は『有』という文字を鮪の右側というふうに表現することが実に不思議で面白かったが、それについては黙っていることにした。
「でもなんで意味もわからない文字がちゃんと読めたんですか?」と僕はもう一度訊ねてみた。
「メールで送られてきたんですけど、親切に仮名がふってありました、でも意味が理解できないとは思わなかったみたいです。」と彼女は少し照れくさそうに答え、それからまた美しい指の動きでメールを打ち始めた。
今時の若い子のメールでやりとりされる『未曾有』な出来事というのは一体どんなものなのだろう、と僕は思った。
僕は『良い意味』で使われる『未曾有』という言葉に出会ったことがなかったからだ。
未曾有という言葉を目にするとき、それは大抵悲しかったり辛かったりする出来事のときである。
きっと人生の中の素晴らしく良い出来事というものは、そのほとんどを小さいうちに経験してしまうからだろう。
歳を重ねていく上で出会う喜びが未曾有(未だかつて経験したことのない)のものであるということ自体が珍しいことなのだ。
一方悲しみは。
悲しみは、積み重ねた年月の長さに比例するようにその重みを増していく。
二十歳の時に出会った悲しみより、三十を超えて出会った悲しみは--大小の差はあれ--どれも未曾有の悲しみだったと断言できる。
それがどんなことであれ、僕にやってくる悲しみはいつだって未曾有なのだ。
事実、メールを打つ彼女は実に悲しそうだった。
雨粒とも涙ともわからない一筋の水滴が、彼女の頬の辺りを濡らしていた。
僕に見せた笑みは、それを悟られたくないと思う彼女の精一杯の努力の結果だったのだろう。
彼氏と喧嘩したのかあるいは別れたのか、おそらくはその辺りだろうと想像してみる。
僕にしてみればきっとそれは些細なことだとしても、彼女の中では未曾有の悲しみに違いない。
そう思うとなぜか僕も悲しい気持ちになった。
僕にとってどうでもいいことなのに、と僕は思った。
そして、未曾有という言葉に仮名を振りながらもメールで送ってくるような男など、ろくなものではないな、とも思った。
ふと視線を落とすと、いつの間にか彼女の足元には一匹の黄色い猫が寄り添っていて、それはまるで悲しみを分かち合っているか、雨宿りをしているか、そうでなければ僕らと同じように--いつかくるであろう--バスを待っているようにみえた。
バスは、まだみえてこない。
それでもきっと、いつかはやってくるのだ。
雨はゆっくりと降り続いていて、二人と一匹は小さな一つ屋根の下で悲しみを共有するようにして静かにバスを待っている。