僕だけがこの世界の狂気に気付いてる
Twitter上にてお見掛けしたお題をそっと勝手にお借りしました。
サイコホラーとは? それはペンですか? いいえジョンです。
――とりあえずのお試し版を、どうにかこうにか都合してお手元に寄せ、筐体梱包からそっと取り出し、圧迫透過包装をぷちぷちした、その瞬間にいきなり呟かれる、聞き取り難いぼそぼそとした鼻声を耳にした時、まともな神経を有している筈の多くの方々に於かれましては、さぞや当惑し、至極不快な思いをされただろう事を、まずはお悔やみ申し上げたい。
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
今一度繰り返したとて、何と気の滅入る、腹立たしい、我慢のならない文句か――まともな神経を有している筈の多くの方々に於かれましては全く以て申し訳ないが、この感情を広く、深く共有する為に、もう一度ここに繰り返させて頂こう――サン、ハイ、
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
嗚呼、最早聞くに耐えないっ。
一体全体〈僕〉とは何者なのだろうか――地球上の人類種という分類だけに限っても、七十億人は現存している多くの方々を、六十九億九千九百九十九万九千九百九十九人を差し置いて――等と言っている間にもその数はいや増して――他ならぬ己一人だけが、とは傲慢の罪に問われて然るべき、悍ましい発言である。果たして〈僕〉は自分の事を、主か神とでも思っているのだろうか? その上、性質の悪い事に、この言葉の後には何も続きはしないのだ。気付いてる、狂気に、狂気に気付いてる――ならば、やるべき事があるだろう。間違いを指摘するだけして、それで、さぁお終い、とは余りにも無体では無いか。分かっているのなら何故それを正そうとしないのか? 正す力が無い、独りではどうしようも無いと言うならば、諦めるなり、助力を願い出れば良いだけの話――嗚呼そうだった、と、言う訳で始まる、前提からして積んでいるその繰り返しに、まともな神経を有している筈の多くの方々に於かれましては、嫌悪も顕に眉根を潜め、〈僕〉の口を閉ざそうとするだろうけれど、彼は巧みに逃げ果せ、そしてアレがまたしても吐き出される。
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
大概にしとけよお坊ちゃま。
それは在りし日の、〈僕〉が未だ現存していた頃と何も変わらない鸚鵡返しであり――かつての多くの方々も、実にうんざりしたものであるが、お黙り、と親切に告げてやる以外、特に何もしなかった――正確には、する必要が無かったのだ。狂気に浸り続ければ、やがて自らが狂気に陥る。彼だけが気付き――と、言う事は、彼だけが感じている何かに、何か良からぬものに充てられた結果、〈僕〉は精神の居城に入れられ、程なくして狂死したと記録されている――より正確には頭蓋骨の陥没骨折。やる気と根気さえあれば、多少床や壁が柔らかろうと、どうにかこうにかなってしまう――った、と、言う訳だ。
因みに、遺された最期の言葉は――お察し通りの奴だったという。
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
自らを殺した瞬間にまでとは、お気の毒様としか言い様が無い。
お気の毒様っ。
ともあれこれにて一件落着、世は並べて事も無く、まともな神経を有している筈の多くの方々の安泰と安眠は、見事守られたのだ――めでたしめでたし。
そう言えれば、どれだけ良かった事か。
出来ればお聞かせしたくない悪い話題を――つい最近の研究は、〈僕〉の言葉が真実であったという、動かし難い事実を示してしまった。そんな、何かの間違いでは? 当然出て来る反論も、しかし結局は論破され、認めざるを得なくなる――勿論、感じられるのは彼だけ(だった)ならば、狂気そのものを証明する事は誰にも出来ない(かった)けれど、それが自然に、環境に、巷間に与える影響ならば、観測出来ない事も無い――決して気持ちの良いものでも無かったが、それは誰かがやるべき仕事であると共に、更に研鑽し、推し進め、事態の解決へ、正気へと導かねばならない事柄でもある――指摘するだけして、それで、さぁお終い、とは行かないのだ。それが、まともな神経を有している筈の多くの方々の義務であり、ともすれば権利であり、つまりは、当然の帰結に他ならない。
かくして長く、険しい歳月を経て――
見事に開発された商品こそが、即ちこちらの[僕]――と、言う訳だ。
使用方法は至って簡単――筐体梱包からそっと取り出し、圧迫透過包装をぷちぷちする――今、お試し版がお手元にあれば、どうぞご一緒に――そうして取り出した彼を適当に置いて耳を傾け――聞こえて来るのは勝手知ったるあの言葉、あの台詞だが、そこに真実が含まれていると分かれば、感慨も変わるもので――そっと様子を見守ろう。
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
等などと――頭蓋骨が陥没骨折する勢いの首振り毎、命果てるまで観察する。
それで、さぁお終いだ。
それだけで、たったそれだけで、高い効能が保証される。
つい最近の研究に曰く――その詳細は元凶がそうである様に、一般人には不明、不能と、省くとして――正気を保ち、健全に生きる秘訣は、狂気を認め、受け入れる事にあるという。充てられず、飲み込まれず――冷静に、そう、冷静に観察し、他人事と思い巡らせ、考え付いた答えを――間違っていても試験では無い――銘々で分かち合う。
その為の小道具として、[僕]は正に打って付けだ――知られざるを唯一感じ、その指針となってくれる。声音と首振りが増しますならば、この世界の狂気の度合いが強い事を露わにし、我々はその様を傍から見ているだけで、相対的な正気を己が眼より摂取出来る。
何より良いのは、その大きさだ。嵩張らず、持ち運びも容易。鞄の、ズボンのポケットの中に、然りげ無く収めて於けば、何時でも何処でも簡単に取り出せる。
例えばそれは、通勤通学の電車の中で、
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
大勢の人々が行き交う往来の中で、
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
診断を、検査を待つ病院病棟の中で、
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
同意反意を問わず訪れた休憩施設の中で、
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
四季折々の冠婚葬祭の中で、
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
山や海、コンビニ一つ無い大自然の中で、
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
或いはそう、コンビニの中で、
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
自動車に船舶、飛行機等を運転する中で、
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
風吹き荒ぶ自転車操業の中で、
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
何かと圧迫が多い学校や会社の中で、
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
買物遠征や井戸端会議等の御茶会の中で、
『僕だけがこの世界の狂気に気付いてる』
その他諸々――[僕]はありとあらゆる状況に対応し、まともな神経を有している筈の多くの方々の心身を、その健康を、見えざる脅威から保護するのだ。
有難う[僕]よ、そして〈僕〉よ――唯一の難点、不愉快極まる煩わしさも過去の事、良薬は口に苦く、口は眼に通ずると思えば、どうにかこうにか都合も付く。
そんな商品が、御愛顧御礼にて半額特売と来たならば――
これはもう、買うしか無いじゃないの。