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⑥ぬくもり




 第2校舎の裏、部室棟の中でも一番古いA棟。その1階の一番奥にある『未来科学研究部』の部室に人影があった。

「叶香さん遅いですね」

「もうすぐ来るんじゃないか?」

 考介とノエルが主のいない部室でくつろいでいた。正確には、ノエルはそわそわとしている。彼女はめったに学校に来ないので、見るもの見るもの目新しいのだろう。

 築100年を超えた木造校舎は、県の文化遺産にも登録されていた。考介の両親はおろか祖父母すら生まれていないであろう。製造7年のノエルにとってみれば未知の時代である。

 文化遺産とはいえ現役で使用されているため、この校舎も現在の建築基準に則り耐震工事や補修がされてはいるが、基本的に当時のままの姿を保っている。建物の中腹には耐震用の柱が外壁に沿ってXの文字を無骨に描いてはいるものの、校舎の端にあるこの部室にはかかっていない。窓からは中庭と向かいの第二校舎、そして抜けるような青空が見えるだけだった。

 ふと孝介は、いまがいつの時代なのか忘れてしまいそうになる。窓の外には陽炎だけが揺らいでいた。

「すげー、ノエルこれ見てみろよ」

「どれですか?」

 考介が指さしたのはいまでは珍しい燭台の、横にあるプレートだった。

『製造年月日:昭和24年』

 古めかしいフォントで製造日が刻印されている。

「昭和とか、じいちゃんが生まれた時代だ」

「考介さんのお爺さんですか?」

「うん。ノエルが家にくる何年も前に亡くなったんだ」

「そうだったんですか」

「ばあちゃんは俺が生まれた年に亡くなった。だから全然覚えてない。母さんの方もじいちゃんはもういない。ばあちゃんはまだ生きてるけど、海外にいるからもう何年も会っていないなぁ」

 孝介は目を細め、子供の頃のことを思い描いた。

「会いたいですか?」

「うん。高校卒業したら行ってみようと思ってるよ。ノエルもくる?」

「はい! ぜひお供させて下さい!」

 ノエルはまんまるの瞳を大きく輝かせて、前のめりになって答えた。彼女にとって、孝介と一緒にいることが何より嬉しく、孝介の好きなものが何よりも大切で、孝介に関することはなんでも知りたいのである。

 そんな他愛もない会話に花を咲かせていると、叶香が戻ってきた。

「あ、叶香さん。おじゃましています」

「よう、叶香。授業に参加したことで、なんか言われたか?」

 今日一日の惨状を思い浮かべ、孝介は苦笑いを浮かべた。

「違うわ。部活のことよ」

「ここ?」

「そう」

 そういうとA4の紙をテーブルの上に置いた。

『廃部勧告書』と書いてある。

「廃部勧告書?」

 孝介が聞くと、ふっ、と軽くため息混じりの息を吐いて叶香は少し目を伏せる。

「遅くても夏休み明けまでにあと2人、部員を見つけないと廃部になるの」

 そして、長いまつげが悲しげに重なった。

「5人じゃなくて3人なんだな」

「開部するときは5人だけど、継続は3人なのよ」

 叶果は軽く握った手の人差し指を上唇に当てて、親指の爪を甘く噛む。視線は左斜め下、虚空を見つめていた。これからどうするべきか考えているようだ。

 未来科学研究部。名称は二度ほど変わってはいるが、開校時から100年以上続いている部活である。それを自分の代で廃部にするのは忍びなく、先輩たちに申しわけないと叶香は思いやんでいた。

「それじゃ、俺が入るよ」

「え? いいの?」

 思わぬ言葉に叶果は呆気にとられたような顔で孝介を見た。いつもはキリッと閉じている唇から、無防備に白い歯を覗かせている。そんな叶果の無垢な視線に気恥ずかしさをおぼえながらも、孝介は彼女の期待に応えた。

「ノエルの診断とか、自分でできるようになりたいし。一応、俺たち友達なんだろ?」

「ありがとう!」

「き、気にすんなよ」

 思わず叶果は孝介の手を取った。昨日、咄嗟に握りしめてしまった細い指が、今度は孝介の手を包み込む。前回とは違い、彼女の手は少し高揚していた。手の甲に伝わる柔らかい感触とそのぬくもりに、孝介の心臓は聞こえんばかりに鼓動する。

「でも、一応は余計よ、一応は」

「そっか。そうだな」

 照れ隠しに孝介はその手で頭をかいた。必死に心臓の鼓動を収めようとする。

 それでも、とても嬉しそうな叶香の表情を見て、孝介自身も嬉しい気持ちになっていた。

「あのあのあの! 私も叶香さんのお友達になりたいです。だめですか?」

 両手を握りしめて胸元で上下に振りながらノエルが懇願する。基本的に孝介の大切な人はノエルにとっても大切な存在ではあったが、それを抜きにしても叶香は彼女にとっての恩人でもあった。

「もちろんよ。よろしくね、ノエルちゃん」

 それを聞いて、ぺこぺこと頭を下げるノエル。とても嬉しそうだ。

「あと一人は井上に頼んでみるよ。どうせあいつ帰宅部だし、名前だけなら貸してくれるだろ」

「うん。ありがとう」

「まぁ、どのみち応急処置だけどな」

「わかってる。来年の新歓、がんばってみるわ!」

 生き生きとした目で言い放つと、唇を結んで強気の笑顔をみせた。

「その前に秋の文化祭があるだろ? そこでもしかしたら一年生が入部してくれるかもしれないしな。部長」

「うん、そうね!」

「わわわ私も、お手伝いします!」

「そのときはよろしくね。ノエルちゃん」

「それじゃ、ノエルは名誉部員だな」

「はい! がんばります!」

 取り留めもない話に花を咲かせる。

 そして間もなく夕方の予鈴が校舎に響くと、3人は帰路についた。


「あっ」

 通学路。ノエルが歩道の段差につまづいてよろける。

「おっと」

 差し出された孝介の腕にしがみつき、間一髪で転倒をまぬがれた。

「わわっ、すみません」

「ノエル。ほんとうに大丈夫?」

「はい。だいじょうぶです」

 これで3度目だ。1度目は運良く孝介にしがみつく形で転ばずに済んだ。2度目は今回と同じく、ノエルの挙動に注意していた孝介に助けられていた。

「ノエルちゃん、腕の傷はいつ付けたの?」

 ふと、右腕の傷に気が付いた叶香が尋ねると、ノエルは足を止めた。無意識に左手で二の腕の擦り傷を隠す。それを見た孝介はノエルの異変に気がついた。

「やっぱり。なにかあったんだろ?」

 いたずらが見つかってしまった子供みたいにノエルの表情が曇る。右腕を抱いた左手が強く握られ、恐る恐る孝介の顔を見上げた。

 そして、その潤んだ瞳がすべてを物語っていた。

「なんとなくって言ってたけど、なにかあったから学校に来たんだろう?」

 孝介はノエルが学校へ来た時のことを思い出していた。学校に来たいだなんてめずらしいなと聞く孝介に、なんとなく行ってみたくてとノエルは答えていたのだ。

「ノエル?」

 孝介は両手を膝に当て、腰をかがめてノエルと目線を合わせる。彼の優しい声に、溜まっていた不安が涙として流れた。頬をつたい、一文字に結んだ唇に染み入って、直したばかりの味蕾センサーに触れる。人のそれと同じ味がした。

「ごめんな。早く気がついてやれなくて」

 孝介はノエルの涙を指で拭うと、頭を撫でた。ノエルは顔をくしゃくしゃにして、拭ったばかりの頬を再び濡らし、孝介の胸に飛び込む。まわした手の強さに、孝介はノエルの不安の大きさを感じ取っていた。


「マズイわね」

 あれから自宅へ帰り、ノエルの身体を検査していた叶香が爪を噛んで考え込む。

「もしかして治せないのか?」

 孝介は彼女の表情から、その重大さを察した。

「率直に言えば、そうね。パーツがないと直せないわ」

 直せない。その言葉に、みぞおちの奥からもやもやとしたものが駆け上がり首元まで満たすと、孝介の心臓を強く絞め付けた。

「もし治さなかった場合はどうなる?」

「そうね。たとえば味覚や嗅覚だったら放っておいても、直接的な害はないわ。聴覚もまぁ、不便だろうけど同じね。視覚だとしたら、ほとんどの行動を制限されてしまう代わりに、身体に害はないわ」

「ということは、この場合は治さないとマズイってことか?」

 孝介の質問に、叶香は間を取るようにコーヒーを一口飲んだ。それから、ふっ、と短いため息混じりの息を吐く。

 そして、宣告。

「触覚の不全は直接的な障害を起こしかねない。このままにしておけば、身体の異変や損傷に気がつかないどころか、自ら破壊しかねないわ」

「自ら、破壊?」

 孝介にはその意味が解らなかった。

「人間だって自ら破壊することはできるわ。ただそれは、よっぽどのバカか、差し迫った理由と決意がなければ無理ね」

 そう言うと、叶香は人差し指を目の前に立てた。そして、もう片方の手でその指を握りしめる。

「私の力でも、このまま手をひねれば自分の指を折ることはできる。だけど、痛いからやれないし、そもそもその先の惨状を想像してやろうとも思わないわ。わかる?」

「ああ」

「それじゃ、今度は……そうね。孝介くん、スクワットして」

「スクワット?」

「いいから、ほら、はじめ!」

 言われるがままに、スクワットをはじめた。帰宅部とはいえ孝介の運動神経は悪くないが、さすがに数十回を超えると疲労が溜まってくる。

「どう? だんだんと辛くなってきたでしょ?」

「ああ、膝が、やばい、かも、しれない」

「もういいわ。触覚……いわゆる痛覚があるから負荷の限界がわかるの。もしそれがなければいつまでも、とはいかなくても膝を痛めるまで続けられる。そうやって、日常生活で身体中に負荷を与え続けて、壊してしまうのよ」

「そういうことか」

「でも一番辛いことは、触れないってことかな」

「触れない?」

「そう。触覚がなければ、触れてもなにも感じないわ」

「なにも、感じない」

「大好きな人に触れてもわからない。頭を撫でられても、強く抱きしめても、なにも感じられない。温もりも伝わらない。それは凄く辛いことよ。想像を絶するわ」

「だからノエルは、あのとき、あんなに強く……」

 孝介は、通学路でノエルに抱きしめられた時のことを思い出していた。どんなに強く抱きしめても、なにも感じない。それがどれだけ辛いことか。孝介はノエルのことを思うと奥歯を強く噛みしめた。今にも心臓が握りつぶされそうなほどに、苦しい。

 検査のためにスリープモードでソファーに座っているノエルを、孝介は強く抱きしめる。

「聞こえてるだろ? ノエル、絶対に治してやるからな」

 ノエルの頬を涙がつたい、こぼれた。


















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