④身体検査
考介がノエルの額にある逆三角形のプレートに軽く触れると、黄色いランプがつく。
「スリープモードへ移行します」
いつもとは違う抑揚のない声でノエルがつぶやくと目を閉じた。これから叶香の検査が始まる。
スリープモードとは聴覚と嗅覚、一部の触覚のみを残し、その他の感覚器官を停止する状態。その名の通り、ある種の睡眠状態のことである。人間とは違い、常に意識はあり自分の意志でこの状態を解除ができる。
また、アンドロイドにも痛覚があるため、頭部及び胸部の動力ユニットを除く基板を開けたり身体のパーツを取り外すときはスリープモードにして、むやみに痛みを与えないようにする。一部にはそれをわかって、アンドロイドたちに痛みを与えて喜ぶ人間がいるとは聞くが、ノエルを溺愛している考介にはそんなことは想像すらできない。たぶん、相手がノエルじゃなくてもしようとは思わないだろう。テレビのニュース番組でそのことが特集されていたとき、考介は思わず目をそらしてチャンネルを回したくらいだ。
叶香がノエルの舌に電極のようなものをあてて、コードの先にあるメーターを見た。
『考える人』ではないが、上唇に人差し指の第二関節をあてると、しばし考え込む。よく見ると親指の爪を噛んでいた。どうやら彼女の癖らしい。
次は、ノエルの左耳の下にある外部接続ポートを開けて、叶香の端末と接続した。キーボードをたたきながら画面の数値とにらめっこをする。
少したたいては考え、画面の数値を見ては考え、その度に爪を噛む。せっかくきれいな手をしているのに、右手の親指の爪だけが短く不揃いになっている。
そこに気が付いた考介は、才色兼備の叶香にもそういう所があるんだな、と微笑ましく思った。それと同時に、きっとクラスメイトでこのことを知っているのは自分だけかもしれない、とまんざらでもない気持ちにもなっていた。
そんな考介の視線もよそに、叶香は端末の画面と格闘中である。
「考介君。ノエルちゃんの頭部ユニットを確認したいから、電源を落としてほしいんだけど、いいかしら?」
叶香は画面から目を離さずに考介にそう伝えた。
「ノエル、聞こえてるか? そういうことらしいから、シャットダウンしてもいいか?」
考介が耳元でそう伝えると、額の黄色いランプが消えてノエルが目を開けた。
「えっと……どうしてもですか?」
かわいい手をきゅっと握りしめると、少し上目遣いで考介に聞く。ときたま、ノエルが考介に何かをお願いするときのポーズだ。考介はこれに弱かった。
誤解無きように言えば、ノエルにはこれといってあざとい気持ちは微塵もないのである。ときには謙虚さから、ときには苦手意識から、自然にとってしまう仕草だった。
今回は明らかに恐怖心からくるものだ。それもそのはず、今さっき出会ったばかりの叶香の前で意識を無くせと言っているのだから。
「味蕾センサーも故障してないし、ソフトの面でもエラーはないから、たぶん断線だと思うの。だから頭部を開けて確認したいんだけど、機密箇所だからシャットダウンしないと私もあなたも危ないの」
ショートによる故障や感電による事故にも繋がるので、頭部ユニットを開閉するときは電源を落とさなくてはならないのである。叶香はできるだけ優しい声で、そのことをノエルに伝えた。
それを理解したノエルは小さい身体をさらに小さくして考介を見る。頭で理解していてもやはり怖いものは怖い。
「考介さん。お願いしても良いですか?」
「なに?」
「手を……握ってて下さい」
そういうと、おずおずと右手を考介へと伸ばす。
「わかった」
「絶対にはなさないで下さいね。絶対ですよ? 私が目を覚ますまで、ずっとずっと握ってて下さいね?」
わかってるよ、と伝えながらノエルの手をとる。
「それじゃ、おやすみ。ノエル」
「……はい」
再び目を閉じたノエルの額にあるプレートに考介は触れた。今度は軽くではなくしばらく触れ続ける。軽く触れるとスリープ状態になるが、長く触れるとシャットダウンする仕組みだ。
プレートが赤く灯るとノエルの身体が弛緩して、まるで人形のようにうなだれた。考介もこんなノエルを見たくはない。それは、ノエルが人間ではないと思わされるからではなく、もっと別の思いに揺さぶられるからである。
身じろぎもせず、息もなく、意識もなく、元々とはいえ脈もないし肌はだんだんと冷たくなっていく。
こんな状態は、もしも人間に例えたら一つしかない。
このまま目を覚まさないのではないか? そんな考えが頭をよぎり、手がふるえた。握りしめたノエルの手がだんだんと冷たくなっていく。
孝介は2年前のことを思い出していた。
「……孝介さん。こわいです」
楕円形のカプセルに横たわったノエルが不安そうな顔で、孝介の手を握りしめた。
ここは株式会社AIロボテックの本社にあるサポートセンターである。いつも通っている支店のセンターとは違い、もの凄く大きくて立派な建物だった。
今日は『自走二足歩行型多機能介護機械類に関する法』に基づいた、5年に一度の総合検査の日。アンドロイドの人間ドックといったところだ。東京の本社か大阪・福岡・仙台の支店にて全身とソフトウェアの検査、及び改修を行うのである。今日はそのために上京したのだ。
支店での修理は孝介の付き添いでどうにかなるが、今日ばかりは法令に則り孝介の母親が一時帰国をして付き添っている。ノエルの所有者は孝介になっているが、18歳になるまでは保護者の同伴が必要なのである。
母親は別室で必要な申請等を行っていて、ここにはいない。
「だいじょうぶだよ。ずっと見てるからさ」
「……はい」
二人にとって総合検査は初めてのことだった。
泣きそうなノエルを孝介が励ます。
「それに、髪の毛も肌も今よりきれいになるからさ。一番いいやつに変えてもらうことにしたんだぜ?」
「……はい」
「それから、今度はロングヘアーだよ。ノエル、長い髪がいいって言ってたよね」
「……はい」
「これがおわったら、プレゼントがあるんだ。だからさ……」
その先の言葉が見つからない。
「はい。がんばります」
「うん」
必死に言葉を探して困っている孝介を見て、ノエルからそう答えた。
「プレゼントってなんですか?」
「ないしょ。おわってからのお楽しみだ」
孝介の顔にも、ノエル顔にも少し笑顔が戻る。
「そろそろはじまるみたい」
孝介がノエルのひたいの髪をかき上げる。
「孝介さん、やっぱりこわいです」
「だいじょうぶだよ。ちゃんとそばにいるからさ」
そういうと、孝介はノエルの手をぎゅっと握りしめた。
「それじゃ、おやすみ。ノエル」
「……はい」
コーヒーの香り。まずは嗅覚。
ぼやけた視界。次は視覚。まだはっきりとはしない。
キーンという耳鳴りとともに、遠くになにか音が聞こえる。誰かの名前を呼んでいるようだった。
握りしめる手のぬくもりに懐かしさを覚えて、無意識に握り返す。
「孝介……さん」
ノエルは、愛おしい人の名前を呼んだ。
「とりあえずはこれで大丈夫だと思うわ」
端末の電源を落としながら叶香がそう告げる。
「ノエル? わかるか? 俺だよ。孝介だよ」
朦朧としているノエルの手を強く握りしめて話しかけた。
ノエルの身体はまだ冷えきっているため、関節が固く感じる。感覚器の起動が不完全なので、天地も不明である。ただ、愛おしい人の声と手のぬくもりに自分が生きているということを自覚できた。ノエルは孝介の手をさらに強く握り返す。ろれつが回らない口の代わりに、ただいまの気持ちを込めて。
「よかった……おはよう、ノエル」
孝介にぎゅっと身体を抱きしめられた。叶香がいることを思い出していたので少し恥ずかしかったが、それ以上に孝介の腕の中は安心できる場所だ。
「ただいまです」
「おかえり、ノエル」
「あの。孝介さん……ちょっとだけ、恥ずかしいです。叶香さんがいらっしゃいますし」
そう言いながらも嬉しそうなノエルだった。
それからノエルは、孝介のコーヒーを少しだけ口にした。砂糖の入っていない、ミルクだけのカフェオレ。ちゃんと味がする。
「どう?」
「はい、わかります」
「そっか。よかったよ」
ノエルの味覚センサーは直っていた。
「ありがとう。叶香」
「ううん。断線じゃなくてコネクターが外れていただけだから、たいしたことないわ」
「叶香さん。ほんとうにありがとうございます」
ノエルはまだ少し重たい身体を起こして叶香に向き直ると、深々と頭を下げた。
「せっかくだから頭部のメインユニットと胸部の動力ユニットは停止中に確認したわ。あとはお腹から下ね。腹部と排泄機構、脚部の関節も見ておいたほうがいいと思うの」
胸部ユニットも電源を落としていないと危ないため、頭部と一緒に済ませていた。
「えっと……」
そう言いながら、目線で孝介に意見を求める。
「診てもらえよ。今はサポートがないから、他に不都合があったら困るし。ノエルがどうしても嫌だって言うなら別だけど」
「いえ、だいじょうぶです。叶香さん、お願いします」
「わかったわ。それじゃ孝介くん、ノエルちゃんのスリープをお願い」
ノエルに再びスリープをかける。
「それじゃ、頼むよ」
そう言うと、孝介は後ろを向いた。これからノエルの服を脱がすからだ。孝介の性格上、普通ならば別室へ行くが、ノエルはきっとここにいて欲しいだろうと察していたので部屋へと留まった。後ろを向いているのは孝介なりの配慮だ。
しゅるしゅると小気味よい布の擦れる音が聞こえる。きっと腰のリボンを外した音だ、と孝介は思った。次にするするという音とともに、ふわりとした風を背中に感じた。かすかにノエルが使っているシャンプーの匂いがする。ワンピースを脱がしたのだろう。
否が応でも五感が研ぎ澄まされていく。悲しい性というべきか、見えないほうがより官能的に感じ取ってしまうものだ。
なにせ、なぞめいた存在に興味を惹かれており誰が見てもきれいだと思うクラスメイトの女の子が、ロボットであるということはすでにどこかへ飛んでいってしまっている血の繋がっていないかわいい妹の服を背後で脱がしているのだ。想像と妄想だけが止めどなく膨らんでしまう。孝介は後に、この日のことを幾度となく夢に見てしまうのだが、それはまた別の機会に。
そんなイマジネーションに本能が悶々としつつも、こんなことを考えていては二人に失礼だと理性が静止をかける。孝介の中の天使と悪魔がおしくら饅頭をしていた。
このままではダメだ! 一旦、落ち着こう。そう思い、もうすでに冷えきっているコーヒーに口をつけた。先ほどノエルに飲ませていたのを思い出し、これって間接キスだよなと少し照れくさく思っていた時に、叶香がとんでもないことを呟いたのだった。
「あなた、処女なのね」