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②神納院叶香




 今朝のご飯は味がしなかった。

 7年間、毎日楽しみにしてきたノエルのご飯が、美味しいはずのノエル自慢のベーコンエッグが、塩と砂糖を入れ間違えたスープですら味がしなかった。


「ノエル……」


 先ほど、いつものように孝介(こうすけ)を送り出した笑顔を思い出す。孝介に心配をかけまいと、いつも通りの笑顔で見送ってはいたが、その顔は少し強張っていた。

 人一倍というと少しおかしいが、ロボットなのにもかかわらずノエルは誰よりも怖がりなのである。それと同時に、同じぐらい頑張り屋で健気な女の子でもあった。孝介はそのことを誰よりも知っているので、家を出てからの道すがらずっと後ろ髪を引かれる思いでいた。

「学校、休むべきだったかなぁ」

 ノエルを一人にしてはおけない。今すぐにでも踵を返してそばにいてやりたい。通い慣れた緩やかな坂道がまるで急勾配な山道のように思えてくる。

 とはいえ学校を休もうものなら、そんな孝介の思いを察してノエルが自分自身のことを責めてしまうこともよく知っていた。

 迷っていても仕方がない。今はこの、眼前に壁のようにそびえ立つ斜度4度の崖をただ一歩一歩と踏みしめて登り進めていくしか道はないのである。

 山道あらため緩やかな坂道の5合目辺りで、電動アシスト付き自転車に乗ったおばさんが追い抜きざまに孝介に気が付いて足をおろした。

「孝介ちゃん、今朝のニュースは見た? 大変なことになったわね。おばちゃん、こういうのには疎くてわからないんだけど、ノエルちゃんはだいじょうぶなの?」

 近所のおばさんだった。

 彼女だけではない。八百源のおじさん、魚八の大将、クリーニング佐藤のお兄さん、肉のマルマサのおかみさんに酒善のおばあさん。異口同音に今朝のニュースとノエルの心配をしてくれる。最初の頃は物珍しさもあったが、いまではみんな心底ノエルのファンなのである。

「なんかあったら、遠慮せずに相談してくれよ? ワシらじゃやれることも少ないだろうが、商店街のみんなもよぉ、ノエルちゃんのことが大好きなんだからさ。な?」

 今度は、商店会長でもある居酒屋次郎のおじいさんが声をかけてくれた。

「ありがとうございます。今のところだいじょうぶですよ」

 嘘も方便。心苦しくはあったが、みんなを心配させたくなくて孝介はそう返事をしてきた。そんな風に答えながら、自分自身にも言い聞かせていたのかもしれない。ノエルは絶対に大丈夫だ、と。

 坂道を登りきったところに孝介の通う学校がある。

 私立神尾(かみお)高等学校。今年で創立100年を迎えた私立の学校だ。

 同じ市内にある神尾市立第一高等学校と並んで人気のある学校で、県内でも上位に入る進学校である。

「今朝のニュースで見たんだけど、ノエルちゃんだいじょうぶなの?」

 朝の挨拶も早々にクラスの女子に声をかけられる。

「パパに聞いたんだけど、ユーザーサポート打ち切るって話よね」

「え? うそ? しらないしらない。それじゃノエルちゃんたいへんじゃない」

「ねぇ田中君。ノエルちゃんは元気にしてるの?」

 孝介が自分の席に座るなり、女子たちに囲まれた。これが普段のできごとだったらどれだけ嬉しかったか。いまはそう言う気が微塵もわかない。誰よりも一番、ノエルのことが心配なのである。

「ああ、うん。今のところ、だいじょうぶだよ」

 今朝だけで十数回。同じ答えを女子たちにも伝えると、そのタイミングで朝のチャイムが鳴り始めた。

「ホームルームをはじめるぞ」

 チャイムが鳴り終わると同時に教室へ入ってきた担任の合図に、起立・礼・着席の号令がかけられる。

 今朝は全員出席である。




『私はだいじょうぶです! 心配しないで、お勉強がんばってくださいね♪』


 4時限目が終わると同時に送ったメールの返信がノエルから届いた。控えめな顔文字に音符マーク、いつも通りのメールである。

「なんだ。今日はノエルちゃんのお弁当じゃないのか」

 購買部で買ってきたサンドイッチのビニールを剥がしていると、クラスメイトの井上が残念そうにうなだれた。彼はいつも孝介のおかずを盗み食いする常習犯である。そのことはノエルも知っているので、いつも少し多めにおかずを入れてくれる。井上もそれを承知で孝介の弁当にたかっているのだ。彼もまた、ある意味でノエルの大ファンなのである。

「あ~……俺の憩いのひとときが。俺の唯一のオアシスが。俺のノエルちゃんが~!」

「おかずはわけても、ノエルはやらん」

「そこをなんとか、お兄さん! 妹さんを僕にください!」

「だめだ」

 ノエルは絶対にやらない。我ながらシスコンなのかもしれないな、と思いつつも心の中でもう一回否定しておく。

「それにしても神納院(じんのういん)のやつは今日もいないのな」

「いつも通り、今朝のホームルームにはいたぜ」

 井上が定位置とばかりに座っている孝介の隣の席。その席の持ち主は今日も授業には出ていない。

「そうそう神納院で思い出した。あいつ今月の月刊AIに載ってたぜ。さすがは単位も免除されてる天才は違うよな」

 月刊AIとはAIロボット・アンドロイドの専門誌だ。井上はいわゆるアンドロイドオタクで、歴代のAIロボットやアンドロイドの型番から初出荷日、スペック、ロットによる個体差まで把握している熱の入れようである。ただ残念なことに、彼のもとにAIロボットはいない。もっとも身近なそれはノエルだけなのである。

 だからノエルに会うたびに触らせてくれだの、匂いをかがせてくれだの、お腹の中を見せてくれだのと迫っていた。ノエルがAIロボットだということを知らない人が見たら、ただの変質者でしかない。本当に通報されたこともあった。

 それとは別に、一度、額のメイン電源に触れようとしてノエルを泣かせている。生体認証式の電源スイッチなので孝介以外が触れても何も起こらないが、心底から気を許している相手以外に触られたくないのは本能に近いものなのかもしれない。人間に例えれば睡眠薬を飲むようなものなので、意識がない間に何をされるかわからないという恐怖があるからだろう。

「いてっ!? なんでぶつんだよ。俺、なにかしたか?」

 半年前にノエルを泣かせたことを思い出して、少しばかりイラッとしたので孝介は井上の頭を軽くはたいた。無言で。




 ――――――キーンコーンカーンコーン。


 午後の授業が終わった。

 すぐさま、本日3通目のメールをノエルに送る。普段は1通も送らない事のほうが多いのだが、今日ばかりは心配でいてもたってもらいれなかった。

 メールの返信を今か今かと待ちわびていると、椅子を引く音が横から聞こえてくる。隣の席、神納院が帰りのホームルームへ出席するためにどこからか戻ってきたところだった。

 相変わらずきれいな髪と真っ白な肌に見入ってしまっていると、彼女と目があった。


挿絵(By みてみん)


 思わず目を逸らしてしまう。我ながら情けないと自分を責めるが、他のどんな女の子にも無い不思議な雰囲気に興味を惹かれつつも、それを意識しすぎて彼女の目を見て話せないでいた。

 そんなこんなで、やきもきとした一日が日直の号令とともに終わる。一刻も早くノエルの元へ戻ってやりたいと、帰り支度をしているところに井上が再びやってきた。

「なぁ、孝介」

「なんだよ。今日はちょっと急いでるんだ」

「今朝のニュースだろ? ノエルちゃん、AIロボテック製だしな」

 そう言いながら井上は定位置に座る。気がつけば神納院の姿はなかった。

「今日、弁当がなかったのは、やっぱりノエルちゃんに何かあったのか?」

 カバンに押し込もうと現国の教科書をつかんだ手が止まる。

「やっぱりか。毎日欠かさず弁当だけは持ってきてたから、おかしいと思ったんだ。ノエルちゃんに何かあったのか?」

 観念して、ノエルの味覚センサーが働いていないことを井上に伝えた。

「そうか」

「とりあえず、帰ってネットの情報を漁ってみようと思う」

「俺のほうでも、参加してるAIロボットファンのコミュニティに質問を投げてみるよ」

「ありがとう。助かるよ」

 いつもおちゃらけている井上も、この時ばかりは真剣な顔をしていた。

「そうだ!!」

 突然上げた井上の声に、一瞬、クラス全員の動きが止まった。

「神納院だよ。神納院! あいつの親ってAIジャパンで働いてるらしいし、あいつ自身も将来はAIロボットの有能な技術者になるだろうって書いてあった!」

 そう言いながら、今月号の月刊AIのインタビューページを開いてみせる。

『期待の星、100年の天才現る! AIロボット界の未来は彼女の小さな肩にかかっている!』

 大仰なキャッチフレーズとともに、少女の写真が載っていた。紛れもない、神納院叶香(じんのういんかのか)だ。彼女に相談すれば、なにか良い情報が得られるかもしれない。

 孝介はクラスの女子に叶香の居場所を聞き出した。放課後は部活動に参加しているという。授業には出ないのに部活動はやっているのか、そう思いながら部活棟へと急いだ。


















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