①「あなた、処女なのね」
「あなた、処女なのね」
ノエルの股ぐらをいじりながらつぶやいた叶香の言葉に、孝介は飲みかけのコーヒーを盛大に吹き出した。
「しょ、処女って、おい」
背中越しの突飛な発言と、同い年の女の子の口から処女という単語を聞いてうろたえる孝介。
「だって、ここに穴あけてないじゃない?」
そう言うと、ノエルの下腹部をぺちぺちと叩く。
「わ、私は、えっと……」
おろおろとうろたえるノエル。意味はわかっていると思う。きっと、いつものように小さな手を口元に当てて慌てふためいているのだろう。床のコーヒーを拭きながら孝介はまぶたに思い浮かべた。
「男ってみんな、この子たちをラブドールにしているものだと思っていたけど、君は違うのね。それとも、恥ずかしくてホール・オプションを買う勇気がなかったのかしら?」
「んなもんノエルに付けるわけねーだろ。ノエルは俺にとって家族。妹なんだよ」
「家族……か」
後ろを向いているので確認はできなかったが、叶香の手が一瞬止まったような気がした。
「そのわりには、この子の裸を見ようとはしないのね。兄妹なら気にしなくてもいいんじゃない?」
「いくら兄妹とはいえ、プライバシーというものがある」
「そう。良いお兄ちゃんだね、君は」
通称AIメイド。正確に言えば、AIR-MA1・自走二足歩行型多機能介護ロボット。それがノエルの本来の名前。
叶香が言うように、彼・彼女らをそういう用途に使う人もいる。ビデオもパソコンもDVDも、普及過程のごく初期の原動力はエロスの力が大きかったように、ロボットの普及にも一役買っているわけだ。そんな事情もあり、そういう偏見を持った人が少なくないのも事実である。
普及しているとは言っても、企業や公的機関を除けばAIメイドを持っている家庭は学年に一人いれば多い方で、おいそれと買えるほど安いものではない。いま現在でも家が一軒買えるほどだ。
なぜそんな高価なものが孝介の家にあるかといえば、息子を一人暮らしにしなければいけないという両親の事情があるからに他ならない。
孝介の両親は共に商社で働いているため、一年のほとんどを海外で過ごしている。お金はあるが時間がない。
そんな孝介の家にノエルがやってきたのは7年前のことだった。彼がまだ小学校4年生の頃。
その日からずっと、ノエルが孝介の身の回りの世話をしている。
「かなりお金をかけていじってあるのね。関節に髪の毛にセンサーに……いじっていないのは、アソコくらいなものかしら?」
「その話はもういいから」
「オプションプログラムもかなり書き込んであるけど、これは君が書いたの?」
「ああ、一応」
「いいプログラムね」
素人臭いコードだけど、と付け加えて。
「いいわ。直してあげる。この子、私も気に入ったし」
「いいのか?」
「家族なんでしょ? 7年も一緒にいる」
「ありがとう! 修理代は出来る限りの金額を出すから」
「実費だけでいいわ。同級生からお金なんてもらえないもの。そのかわりにお願いがあるんだけど聞いてくれる?」
「ああ、俺にできることなら」
今では安請け合いしたことが悔やまれる。ただより高いものはない、とはよく言ったものだ。彼女の口から信じられない『お願い』が飛び出してきたのだから。
「私もココに住むわ」
「え? ここ? なんで!?」
孝介が唖然としていると、服を着直したノエルの肩を後ろから抱いて、叶香は答えた。
「言ったでしょ? 私もこの子が気に入ったの」
孝介には意味がわからなかった。同級生の彼女がこの家に住むというのだから。
ただ一つだけわかったことは、ベットの下のエロ本をどこか安全なところに移し、押し入れの奥深くに隠してある1年前に出来心で買ってしまった未開封のホール・オプションを処分しないとまずい、ということだけだった。
◆ ◆ ◆
そうあれは、今朝のできごと。
「ふふふ~んふふ~んべーこんえっぐ~♪」
キッチンの横にある窓から差し込む朝の日に、きらきらと輝く青白く透き通った自慢の髪を、小ぶりでかわいいお尻の上で結んだエプロンのリボンに踊らせながら、ノエルが朝食のベーコンエッグを作っている。
普段は下ろしている髪を後ろに縛り、青いクジラのイラストが入ったエプロンと腰でしばったリボンを揺らしながら、今朝も気合十分だ。
使い慣れたフライ返しを軽く添えて手首を返すと、まんまるお月様が宙を舞った。ひっくり返った玉子を予熱で暖めて、ベーコンと一緒にお皿へ盛り付けると、いつも通りニコニコマークをケチャップで書く。
口ずさんでいる鼻歌は『おいしいおいしいベーコンエング☆』というオリジナルソングだと、本人は言っていた。
「はぁ」
そんなノエルの後ろ姿を見つめながら、孝介はため息を吐く。
時計代わりにつけている、朝のニュース番組の声も耳には届いていない。
先ほどまで見ていた情景が脳裏に再生されては、首を振って追い払う。孝介にとって見たくはない、というか見てはいけないと強く思っている情景。それが今朝の夢だった。
それは今年に入って16回目の夢。
ノエルの見た目は幼い。
なにせ、小学校4年生の子供のために買ってこられたロボットだからである。
幼いと言っても、人間で言えば13、4歳くらいには見える。
孝介の元へノエルが来た当初は、ノエルお姉ちゃんと呼んでいた孝介であったが、中学へ上がる頃にはいまの呼び捨てに落ち着いた。
お姉さんから同い年へ、それから高校へ進学する頃には妹へと変わっていく。
そんな彼女は、孝介本人は認めたくないとは思うが初恋の相手だった。そして、故意ではないとはいえファーストキスの相手でもあり、中学一年の春に初めて見たエッチな夢の相手でもあった。
そう、今年に入って16回目とは、ノエルが相手のエッチな夢である。
「ノエルはまずい。色んな意味でまずい。絶対にダメだ」
家族であり、妹であり、しかも見た目が幼い。ロボットであるという大前提はすっかり抜け落ちているが、孝介は色んな意味でまずいと思っていた。
でも見てしまう。見ちゃダメだと意識すればするほど見てしまう。思春期の少年には避けがたいものである。
「私のご飯……美味しくないですか? 色んな意味でまずいのでしょうか」
お盆にベーコンエングとポテトサラダを乗せたまま、ノエルが孝介の向かいに立っていた。
孝介の独り言が聞こえてしまったのだ。
「うわぁあああっ! ち、違う、そういうんじゃないんだ。ノエルのご飯は美味しいよ。ほんとに!」
「良かった。なにか味付けを間違えていたのかと心配しました」
「ほら、このミネストローネスープなんて、隠し味のお砂糖が効いてて、あまぁあああああああああああああああい!! 甘い!?」
スープがものすごく甘かった。
ノエルはロボットのくせにそそっかしく、時々なにかを間違えたりする。
珍しくはあるが、砂糖と塩を間違えたことは過去にも何度かあった。
「これ、塩と砂糖を間違えたんじゃない?」
「えっと、いただきます」
そう言ってノエルは両手を合わせてから、可愛らしい舌を出してペロっとスープを舐める。
「な? 甘いだろ?」
ノエルはまんまるな瞳をさらに丸くして、スープを見つめながら固まっていた。
「ノエル? どうした?」
「……孝介さん」
「ん?」
「味がしません。さっきまでは大丈夫だったのに……」
涙目になって、そう孝介に訴える。
その言葉に、孝介は少し慌てた。
「他には? 他には具合の悪いところはないか?」
潤んだ瞳のまま首を横に振るノエル。
良かった、と孝介は胸をなでおろした。
「土曜日にでも、修理に連れてってやるよ」
「はい。お手数をお掛けします」
「いいよ。味覚センサーだけだったら、サポートへ行けばすぐ治るからさ」
そう言ってフォークを握った孝介の手が止まった。
「日本AIロボテック株式会社は業績不振により民事再生法の適用が決定しました。介護ロボット部門はライバル会社の株式会社AIジャパン社に売却されることが決定。これにより人型介護ロボットの分野は、AIジャパンによる事実上の独占状態となります。なお、AIジャパンは日本AIロボテックの既存製品のユーザーサポートは行わない方針であると発表。ユーザーを始め、早くもネット上で不満の声が露わとなっています。続いては今日のお天気です……」
青天の霹靂、という言葉を知ったのはいつのことだろうか。それは教科書の記述だったのか、偶然めくった辞書の単語だったのか、漫画やアニメのセリフだったのかは思い出せない。
しかし、それがはじめて己の身に降り掛かったのがいつかは判る。それは高校二年の春。妹のようなメイドロボットと、まさに朝食を食べようとしたその時。今である。
日本AIロボテックとは、AIR-MA1(通称AIメイド)の販売元。身売り先のAIジャパンがユーザーサポートをしないと言う既存の製品に、ノエルは含まれていた。
ユーザーサポートをしないということは修理をしないということだけではなく、リペア用のパーツも製造・販売しないということ。ノエルの修理がこの先一切できなくなるということだ。
直せば半永久的に生きるはずのロボットにとって、それは緩やかだが、確実に迎える『死』を意味していた。
「……うそだろ」