天に届く歌声
僕がそれを知ったのは、ニュースを見ていた時のことだった。
何気なく学校から帰ってきて、テレビの電源を入れれば、彼女のことで埋め尽くされていた。文字通り画面上に彼女の顔が映し出されていた。
『天草 翼さんは自宅で自殺を――』
夕方の報道番組が大々的に取り上げるほど、彼女は有名だった。
《天草 翼》
僕がその名前を知ったのは二年前ほど前だろうか。彼女がシンデレラのように一気に世に知らしめたのは、彼女の美声だった。
透き通るような声。
甘い声。
心に響く声。
それらが全て当てはまってしまうような歌声で世間を沸かせた。
僕はその一人だった。
たぶん、彼女がデビューする前から虜になった一人だ。
彼女は僕のことを知らないだろう。
偶然、本当にたまたまだった。彼女が公園で子供たちに歌っているところを耳にしただけだから。
だから彼女は僕のことを知らない。子供達と一緒に彼女をその時から応援するようになったことなど。
「がんばるね」
にっこりと微笑んだ顔を見て、どうしてか、僕は自分の頬が熱くなるのを感じた。
たぶん、まぁ、僕がこの時から彼女が好きになった、と思っていいのかもしれない。
自殺の原因はわかっていない。
ネットでも色んな説が言われていたけど、僕はそれらが本当に合ってるなんて思えなかった。
聞きたかった。
聞けないのに。
彼女はもうこの世にいないのだから。
一日が終わろうとするとき、僕の家にある電話がかかってきた。
『彼女のこと、どう思う?』
ただのいたずら電話だ。
特に気にせず受話器を置いてしまえば良かったものの、その電話は妙にタイミングが良すぎた。
僕には彼女と呼べる存在などいない。
いると考えるのなら――彼女しかいない。
「何の用です?」
『彼女に会いたくないか?』
「彼女とは?」
『君の頭の中に彼女と呼べる存在は一人だけだ』
どうしてそんなことがわかるのだろうか。
不思議な電話を僕は切ることはできなかった。
「僕が彼女と呼べるのは、今のところ一人ですけど、その人はもう過去の人になってしまいました。なので、彼女に会うことは不可能と思うんですが」
『無理ならこんな電話などしない』
「できるのなら、どうやるか教えてください」
聞くだけはタダだ。
現実的でなければ切ってやろうと心に決め、そう聞いた。
『原理など難しい話などする必要はない。君が会いたいか、会いたくないか。この二択で会わせるか、会わせないか、決める』
なら仕方ない。
僕は答える。
「会いたい」
『なら受話器を置く前に部屋全体を暗くしろ』
「なぜです?」
『それが会うための準備だ。指示通りにしなければ会うことはできない』
渋々部屋の蛍光灯をきる。
外はすでに暗いため、カーテンを閉めなくても十分に部屋全体は暗くなった。
『心の準備をしたら、受話器を下ろせ。あとは君次第だ』
「……」
そう告げたあと、受話器の向こうからは声が聞こえなくなる。
僕は少しの間を空けて、
受話器を下ろした。
そして、自分の部屋に戻ろうとするが。
違和感を感じた。
自分が歩いていこうとした方向にはドアがあるはずなのに、ない。
暗くて感覚でも狂ってしまったのだろうか。
先ほどのいた固定電話の場所まで戻り、スイッチを探す。
明かりをつけるためだ。
それは難なく行うことができ、部屋に明かりが灯る。
そして僕は見た。
彼女を。
「え……」
「……」
僕は固まる。
どうしたのだろうか。頭でもボケてしまったのだろうか。
目の前には彼女こと――天草 翼が僕を見つめていた。
僕は彼女を見つめる。
そして周りを見渡す。
知らない部屋だった。
比較的綺麗に整頓された本棚が目に入り、彼女の方を見直せば、小さなテーブルにはワインボトルとワイングラスが置かれていた。
「あら、こんな時に泥棒が入ってくるなんて」
彼女はそう素っ気なく言った。
どうやら不審者だとは思ってくれているようだけれど、特に気することなどしないらしい。
「いいよ。盗みたいものがあればなんでも持ってって」
そう言って彼女は立ち上がり、僕を睨む。
「あ、そうか。お金ね、この家にある分だけでも十分だと思うけど」
そう言いながら、彼女は部屋から出ていってしまう」
本当にここは彼女の、天草 翼の家らしい。
僕はこの家について全く知らない。
だけど彼女は知っている。
この家が彼女の家なのだ。
「ほら、お金はこれだけね」
そうやって僕に札束を握らせようとする。
「あと、アクセサリーはそこら辺探せば見つかるわ」
すると、彼女は先ほど座っていた場所に胡座をかいて座る。
生きている。
たぶん幻想ではない。
ちゃんと生きている。
「死んでない……」
「うん? 私のこと? まぁまだ生きてるけど、もう少ししたら死ぬつもりだよ」
その言葉を聞いて僕は悟った。
彼女の生前に僕は今いるのだ。
「本当に自殺するんですか?」
「あれれ? 私誰かにそんなこと言ったっけ?」
「誰もというか、僕は多分、あなたが死んだあとの世界からやってきた者ですから、あなたが死ぬことは知ってます」
僕もこの事態を理解しているわけではないから、嘘偽りなく答える。
「タイムトラベル、でもしてきたの?」
「そうかもしれません」
「わからないんだ。でも小説とかで知らないうちに過去に戻ってるなんてことはよくあるよね。その類なのかな」
彼女の口からSFものの言葉が出てくるとは思っていなかったが、僕の見に起きたのはそれで間違いないと思った。
だから頷く。
「死ぬ前に未来人に会えてうれしい」
そういえば彼女からしたら、僕は未来人なのかもしれない。
「とでも言ってあげたいところだけど、今は一人にして欲しいわ。どうせ、私が自殺したというのが分かって、警察に荒らされることになるだろうから」
彼女は手を組んで身震いする。
「そうだ、下着とか処分しとかなきゃ。警察に見られたくないや」
そう言うとすぐさま自分の部屋へと駆け込んでいってしまう。
戻って来た時には、大量の色鮮やかなモノを手にし、どさっと彼女は床に置く。
「どう、あなた一枚でも持っていく? 天草 翼のパンツでオークションにでもかけてみたら?」
そうやって笑う彼女を見ていると、僕は悲しくなってくる。
「なんで死んだのか教えてください」
「まだ私は生きてるけど?」
「理由は?」
「自殺しようと思ったのかって?」
僕はそれに首を縦に振る。
「金でも下着でもなく、ただ私の自殺の理由を聞きたいの?」
「はい。僕はあなたがデビューする前から知ってますから。そんな人が死んだとニュースを聞いて、どうしてなのかな、なんて疑問に思ったんです」
「それは光栄なことで」
芝居がかかったように礼をする彼女。
「でも、あなたに教えるつもりはないわ」
「どうしてです?」
「特にそれといった理由がないから」
そう言って彼女はキッチンへと向かう。
「あなたもワイン飲む? 私初めてなんだけど、死ぬ前にしときたことでもしようかな、なんて思ったからさ」
グラスをもう一つ持ってきた彼女は、僕を座らせるように促す。
「僕は未成年ですから遠慮しますよ。というか、あなたも僕と同い年なんだからダメですよ」
「死ぬ前くらいいいじゃない」
そう言われてしまえば、僕からは何も言えない。
「さぁ、どうぞ」
「わかりましたよ」
そう言って僕は彼女の向かい側に座り込む。
僕は正座で。
「喉がやられたの」
「……?」
「手術すれば元に戻るかもしれないと言われたけど、成功する確率は半々らしいの。だからやめたの、手術受けるの」
僕が座れば話すつもりでいたようだ。
僕は口を挟まず、彼女の話に耳を傾けた。
「もう歌手として生きていけない、そう思ったから自殺しようとしたの」
それだけでは理由として不十分に思えた。
だから僕は他にあるんじゃないか、とそう聞こうとしたけど。
彼女は僕が不満な顔をしているのを見たのか、ちゃんと答えてくれる。
「他にも理由はあるよ。私だってたった一つの命を手放すなんてことはしたくない」
「なら、どうして?」
「私はある人に自分の歌を聴かすためにデビューしたの」
「ある人……母親のこと?」
「あら、それぐらいの勘は働くのね」
彼女は近くの本棚から雑誌を取り出し、あるページを開く。
「私の母親、それが大友小夜子」
あまり僕は音楽を聴かない。
それでもその人物の名は知っていた。
彼女に関係しているからではない。普通にテレビにも出演する音楽家だからだ。
「母親だけど、私はあの人に育てられなかった。あの人は私を育てられないから児童施設に預けたの」
大友小夜子は十年前までは全くの無名の音楽家だった。
ここ最近世間に知れ渡り、テレビにも映ることは度々あった。
「別に恨んでなんかない。最初はようやく会えるんだとそう思って、自分の歌声で振り向いてもらおう、なんて考えたのよ」
それがデビューする理由だったんだ。
そのことに一々相槌を打たない。
「いつだったか、音楽番組共演したことがあって、ようやくチャンスが回ってきたんだと思ったんだけど、生憎あの人には私の声は届かなかったみたい。それ以来チャンスが回ってくる前に、いっぱい練習したけど、それでも全く効果なし。私なんて全く見向きもせずにスタジオから出ていくことが恒例になっていた。所詮私の声はプロには意味なんてなかったようね」
「そんな! そんなはずはありません。あなたは何人もの人の心を動かしたんです。その中に僕はいるんですから」
「だから、私はファンのことを言っているんじゃなくて、プロ、それも、大友小夜子が私を見なきゃ意味がないの」
「あなたの声がそんなはず――」
「一々うるさい。素人のあなたに言われたくないわ」
そう言って彼女は自分の喉を摩る。
「でも、もうこの声も使えないし、だから私は死ぬの」
僕はそれを聞いて、立ち上がる。
「手術は受けてないんですよね?」
「まぁ、そうだけど?」
「受けてください」
彼女はなんで、という顔をするが、僕はそれを無視して話す。
「僕はあなたの歌声を聞いてここまで来てしまったんです。だからその責任を取ってもらわなくちゃなりません」
「別にあんたのためになんか――」
「僕だけじゃありません。他にもあなたを待っている人たちはたくさんいます。たとえあなたのお母さんが振り返ってくれなくても、あなたの歌声を聞きたい人は大勢いるんですから。だから――」
「お母さんはいない」
「え……?」
僕はそれに対して耳を疑った。
母親がいない?
「お母さんはもうこの世にいないんだって」
「だって、大友小夜子が母親だって」
「戸籍上はそうなっているけど、あの人は私の本当の母親じゃないんだって」
彼女は遠い目をしてそう呟く。
「もう歌声だけじゃ無理だと思って、彼女が出て行く前に引き止めたの。そしたらなんて言ったと思う? 『私は義理の母で、本当の母親は私の妹で、あなたが生まれてからそう時間が経たないうちに亡くなったのよ』だってさ」
「……」
「私は最初からお母さんに聞かすことはできなかったわけ。だからもう私はこの世に生きている意味なんてないの」
僕はなにか声をかけようとしたが、言葉が出てくることはなかった。
「じゃあ、私の最後の晩餐会、ということで」
コルクを抜いて、グラスに注がれていく。
「考えを改めることはしないんですね」
「……乾杯」
「……乾杯」
僕はもう彼女には何も言うつもりはなかった。
彼女の最期の時を見守る。
それだけができればいんだ、とそう思いなした。
「天国でお母さんに聞かせられるといいですね」
「えぇ、聞かせられたらうれしいわ」
そう言ってから、ワインを口にした。
読んでいただきありがとうございました。
どうだったでしょうか。
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