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little by little  作者: ホタル
本編
9/42

8. ~morning~

 ―チュンチュン

「……んん゛……」

 外で聞こえる鳥の声。普段と同じだけど、今日は何だか、やたら頭に響く気がする。どうしてだろう、こめかみ辺りがひどく痛む。そこからまるで殴りつけられているかのように感じて、頭を抱えて唸った。

(いま、何時?)

 布団の中で頭痛に耐えながら動き回り、何とか顔を出した。カーテンは全開で、そこから差し込む日射しは眩しい。八時くらい、かな。太陽の位置を確認して、目測でそう判断する。多分そう間違ってはいないだろう、と判断し、痛む頭を枕に沈めた。

 もう一時間くらいなら、寝ててもいいだろう。今日は休日な訳だし。一応目覚ましをセットしておこうかな、とヘッドボードに置かれた目覚まし時計に手を伸ばす。

 ―スカッ

 が、空振り。

「……」

 ぶんぶん手を振りまわすものの、何にもぶつからない。おかしい。

 おかしいと言えば、このツルツルしたシーツや上掛け布団の感触も、おかしい。我が家のシーツは夏はパイル地で、上掛け布団はタオルケット。一人暮らしの部屋も、実家も、それは変わらない。なのに、このシーツ、何。まるで保健室かホテルみたいな――。

「……!」

 声にならない悲鳴と共に、身体を起こす。……けれど、頭痛と気持ち悪さでそのまま前のめりに倒れ込んだ。

「……うぅぅぅ」

 呻きながら、周りをゆっくりと見渡した。

 まず、私がいるベッド。やたら広いし、真っ白。ベッドサイドには落ち着いた茶色のテーブルと照明がある。左にはブラウンのカーテンと大きな窓、目の前には横長の鏡に真っ青な私の顔が映っていて、その下にはキャラメルブラウンの細長い机。机の上にも照明が置いてあり、他に見覚えのない黒い旅行用バッグや、充電コンセントと繋がった黒い携帯、あとは、私の髪に結ばれていたはずのシュシュ。机右にあるクローゼットは開かれており、中に、私のワンピースが、ハンガーに掛けられて揺れていた。

「……」

 恐る恐る、自分の姿を見下ろす。

 何だかすうすうするな、とは思っていたけれど、掛け布団が割と厚手だし、寒くはなかったから。気付かなかった、けれど。

 ――今の私は、上下揃いの下着と、灰色のレースキャミソールしか身につけていない。

「……っぃやああああ!」

 理解した瞬間、甲高い悲鳴が喉から迸った。その途端。

 ―ガチャッ、バンッ

「美哉っ!?」

 ドアの開閉音と共に、慌てた低い声。覗いた見覚えのありすぎる顔に、私は目を丸くする。

 端整な顔立ち、焼けた肌、少し茶色い髪は後ろに撫でつけられていたけれど、幾筋か垂れて頬に張り付いている。ぽたぽたとその頬を落ちて行く雫に、お風呂に入っていたんだ、と理解する。

「美哉、どうしたっ?」

 真剣な顔でこちらに歩いて来る、彼。筋肉質な身体に、これがいわゆるイイ身体か、と間抜けにも納得してしまった。

 そう。引き締まった首筋、筋肉のついた腕、広い胸、六つに割れたお腹。おな、か

「……美哉?」

 気付けば、目の前まで近付いていた、彼。その身体は今、何の衣服も身にまとっていなくて――。


 私は、その日二回目の悲鳴をあげた。


* * *


「美哉、飯何がいい?」

「……」

 彼――寛人は言葉と一緒に、ルームサービスのメニュー表を渡される。私はそれを受け取らず、無言でそっぽを向いた。しばらく待っていた寛人だけど、何も言わない私にため息を吐いて、内線用の電話機を取る。

「……すみません、ルームサービスをお願いしたいんですが。はい、六○五号室です。サンドイッチとアイスコーヒー、ブラックで」

 低い声で話す彼を、そっと見遣る。

 先程、悲鳴をあげた私に彼は自分の状態に気づいたらしく、気まずげな顔をしながらシャワールームへ戻っていった。五分ほどして現れた時には、Vネックの黒Tシャツにベージュのカーゴパンツを身につけていた。

 私も彼が消えてすぐ、慌ててワンピースとレギンスをクローゼットから奪い、着込んでベッドに座った。戻って来た寛人は私を見て頷き、さっきの質問をして来た。

 ピッタリしたTシャツだから、背中のラインがよく分かる。がっちりした背中に、ふと先程の光景を思い出して顔が熱くなった。

「それと、フレンチトーストとホットティーを一つずつ。そちらはミルクお願いします」

 だけどその言葉に、耳を疑った。

 電話を切り、首を回しながらこちらに来る寛人。私の真横に座る。ギシ、とベッドのスプリングが軋んで、揺れた。触れる、肩と肩。その距離感に、思わず。

 ――横に、ずれた。

「……」

「……」

 人一人分空いた空間に、気まずい沈黙。だけど寛人は、また距離を縮めてきた。それにまた横にずれる私。無言の攻防も、やがて私がヘッドボードに辿りついてしまったことで決着がついた。

「……」

「……」

 ていうか、何でこんな近いの?

 考えてみれば、訳が分からない。ここは何処なのか、何で寛人がいるのか、ぴったりくっついて来るのか。

 だけど話もしたくない、という気持ちもあって、顔を背けたままでいた。

「美哉」

「、」

 ――なのに寛人は、私の名前を呼ぶ。私の大好きな、低くて掠れた、どこか甘い声。その声で呼ばれると、反射的に振り返ってしまいそうになって。ぐ、と膝の上に置いた拳を握りしめ、自分を戒めた。

 目の前には、真っ白に見えて実は細かく模様が書いてある壁。反応しない私に寛人はもう一度ため息を吐いて、次の瞬間。 

「や、っ」

 腰を抱かれ、ベッドに倒される。振り上げた両腕を掴まれ、シーツに押し付けられて。間近に迫る瞳に、目を瞠る。頬を擽る少し濡れた髪に、身体が震えた。

 何、何で?付き合った頃だって、押し倒されたことなんて無かった。どうして今更、こんなことするの?

 ぐ、と腕に力を込めて、逃げようとする。でもそれをいとも簡単に封じて、彼は私の上に四つん這いになった。無表情のまま、じっと私を見つめる。

 こんなの、嫌。

 私の意思を無視して、勝手に触れるなんて。

 かつての恋人に、意に沿わないことをされようとしている。その事実が苦しくて、目を瞑る。じわじわと瞼が熱くなって、涙が零れた。

「、」

 その、涙が。痛いほどの力で、ぐっと拭われた。

 驚いて目を開けると、寛人が眉間に皺を寄せて私を見ている。いつの間にか腕は開放されていて、私の顔の横で肘をついた寛人。ため息と共に、両頬が包まれる。

「……顔、真っ青。気持ち悪いなら、無理してないで横になってろ」

「……え?」

 相変わらず、熱い手の平。それに何となくほっとしていたら、彼は私の上から退いて、立ちあがった。ベッドからはみ出した足を中に仕舞われ、布団を掛けられ、何だか子供になった気分。

 ぽかんと寛人を見上げる私の頭を撫でて、寛人は笑った。――私の、大好きだったあの笑みで。

「ルームサービスも、もう少し時間掛かるらしいし、寝ててもいい」

 来たらちゃんと起こすから、そう言って寛人はもう一度私の目元に触れて、ベッドから離れた。


 ……どうして?

 彼の態度は、まるであの頃と同じ。

 私の名前を呼ぶ声も、触れる手の優しさも、その笑顔も、何もかも。

 まるで全てが夢だったかのようなその態度に、訳が分からなくなる。

 それに。


「……」

 ぎゅ、と胸が苦しくなった気がして、布団を被って深く潜り込んだ。


『私、フレンチトースト大好きなの。紅茶はホットで、ミルクたっぷり』

 付き合っていた頃、ふと食べ物の話になった時、一度だけ言ったことがある。でもそんなの、忘れているはずなのに。

 ――どうせ、偶然に決まってる。そう思うのに、心臓が痛くて、また一粒、涙が零れた。

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