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little by little  作者: ホタル
本編
32/42

31. ~right~

「はぁ……」

 泣きながら出て行ったその後ろ姿を反芻しながら、ベッドに座りため息を吐く。決して振り返らないその背中は、あの時とよく似ていて。

 まだ熱の残る気がする唇を、軽くなぞった。


* * *


 昨日、同窓会に参加した。最初から行けば逃げられるかもしれない、川崎に警戒されるかもしれない、ということで途中からの参加。

 次々に話しかけてくる友達に答えながら室内を見渡して、すぐに見つけた。

(美哉)

 大きな瞳、小さな顔、華奢な肢体。

 顔にうっすらと化粧をしいるものの、特別変わってはいない。あの頃の可愛い美哉のままで、胸が熱くなる。だけど当然、俺に対する視線は変わっていた。驚愕に彩られ、その後ゆっくりと悲しそうになる。

 思わず声を掛けようとしたけれど、そんな俺を遮るかのように大塚が美哉に話しかけ、すぐに見えなくなってしまった。

 むっとしつつも、事前の大塚の言葉を思い出して大きくため息を吐く。

『とりあえず吉倉さんを酔わせてみるから、洒井が話しかけるのはその後。アルコールが入ってれば、多少ガードも緩むだろ』

『お前が、呑ませるのか?』

『ああ。……だから変な嫉妬するなって。酔わせて、お前が吉倉さんを送ってく方向に持ってくから、それから二人っきりでゆっくり話せ。みんなの前で話しかけるなよ?今は昔よりずっと、ゴシップついたらまずい立場だって分かってるだろ?』

 真剣な顔で言う大塚に、とりあえず頷いておく。

 確かに、俺が大勢の前で話しかければ美哉が困るだろうし、その後のいわゆる『お持ち帰り』がばれれば、彼女が軽い女に見られるかもしれない。仕方なく、大塚と美哉が和気あいあいと酒を呑むのを見ていた。

 ……しかし、なかなかに嫌な気分だ。俺だって美哉と酒を呑んだことがないのに、他の男が隣にいるのを見ているだけ。大塚にその気が全くないのは知っているが、杯を重ねる内に頬が赤くなり、ほにゃほにゃした笑顔の美哉は、とにかく可愛い。ものすごく可愛い。

 だから美哉が床に倒れ込みそうになった時は、思わず抱きとめていた。すでに周りも大分出来あがっていたからあまり問題にはならなかったけれど、大塚には非難するような眼差しで見られた。ここまで酔わせたのは計画外れだし、大塚の責任のはずなのに。それでも結局、今までの恩を忘れたのか、と言いくるめられて一旦引く。

 大塚が帰る奴用にタクシーを何台か用意すると聞いて、こっそり最後のタクシーに寝ている美哉を乗せ、俺の泊まっているホテルに連れ込むことに成功した。


 部屋に着いてすぐ、美哉をベッドに下ろすと彼女はそこで一旦目を覚まし、頬を緩ませた。

「ベッドだぁ」

 俺の存在に気付いていないのか無視しているのか、スプリングを軋ませながら飛び跳ねて、楽しそうに笑い声をあげる。美哉は酔ったら笑い上戸になるのかもしれない。

「……あ、でも、だめだぁ」

 だけど何回か跳ねたところで、とろんとした目を擦り、髪の毛を結んでいたヘアゴムを取って髪を掻き上げる。その後の行動に、俺は固まった。

「ふく、しわになるしー」

 ジ、と何かが外れる音がする。それは間違いなく、美哉がワンピースの背中のファスナーを下ろす音で。剥がれていく服から零れる白い肩と灰色の紐、そして――。

「……っ」

 慌てて背中を向けるものの、今度は音が気になってくる。

 ―カチャ

 ―パサリ

 ―シュル

 それらの音にいちいち反応している自分が、ものすごく阿呆らしい。けれど気にしないでいるなんて、そんなの無理だ。ずっと好きだった女がすぐ後ろで服を脱いでるのに何も感じないなんて、あり得ない。

 だけどしばらく我慢していると、ベッドの軋みと共に何の音もしなくなり。恐る恐る振り返れば、美哉が布団を被って寝ていた。細い肩は見えているものの、それ以外はきちんと隠れている。ほっとしつつ、布団を引き上げて、肩も隠しておいた。

 脱ぎ散らかされた服は、枕元でグチャグチャになっている。悩んだけれどきちんとハンガーに掛けておき、それ以外は畳んだ。皺になるのを気にして脱いだのに、結局皺になってしまったら、美哉が気にするだろうと思い。

「……話、するために連れて来たんだけどな」

 ベッドの上、頬を真っ赤にして、すーすーと寝息を立てて丸くなる美哉は、あまりに無邪気だ。ベッド横に椅子を置いてその寝顔を見つめるけれど、起きる様子は全くない。ここに美哉を狙う男がいるっていうのに、どうしてこんな風でいられるのだろう。

「だから、気を付けろって……」

 軽くその頬を突くと、一瞬眉を潜め、小さく声を上げる。その様子も、たまらなく可愛い。

 ――夢じゃないのか。

 本当は、俺はまだドイツにいて。美哉がここにいるのも、全部夢じゃないかと思う。だって、信じられない。その甘い香りも、柔らかな身体も、目の前にあるなんて。何年も、見ることすら叶わなかった宝物が、今ここに、在るなんて。

 胸を込み上げるのは、彼女を思う度に感じる、熱くて優しい気持ち。俺の幸せの象徴を、じっと眺めた。

 今度こそ心配ごとも何もなくなりぐっすりと眠る酔っ払いは、朝まで目覚めることはないはず。

 だが、ここで一つ問題を思い出す。

「……今日、どこで寝りゃいいんだよ」

 シングルベッドを占拠する彼女に、ぼやくように言った。


* * *


 その後椅子を並べて横になったものの、寝れるはずもない。何より、同じ室内に美哉がいるのだから。仕方なく早めに起きて軽く走り、帰ってきたらシャワーを浴びる。その内美哉が目覚めて、思い切り叫ばれた。

 話しかけても、美哉は昔のようにはにかみながら応えてくれることはない。それは当然だけど、少なからず傷付きもする。とりあえずまだ顔色が悪かったので、美哉の好物をルームサービスで頼み、もう一度寝るように促した。

 起きた美哉に、昨日のことを多少嘘も交えて話した。正直に「美哉と話がしたくて酔わせた」なんて言ったら逃げられそうなことくらい、俺でも分かる。


 だけど。あまりに警戒心のない美哉に軽く文句を言った結果。

「……大塚くんとかの方が、私は良かった」

 ぽつりと零れたその言葉に、思わず理性がぶち切れた。


(何だ、それ)

 俺より大塚が良かったのか。大塚になら、こんな風にホテル連れ込まれても、何も言わず許せるって言うのか。

 ――ふざけるな

 美哉に会えなかった間も募り続けた想いが、彼女の言葉一つで激情となる。多分それは、一種の八つ当たりだった。俺はずっと好きでいたのに、美哉はどうして、なんて、あまりに我儘な。だけど俺はそんな気持ちを止めることが出来ず、彼女を強引に押し倒してしまう。パニックになり、怯える彼女に気付いているのに。俺は、止めることが出来なくて。

 挙句の果てに、泣いている彼女に無理矢理口付けてしまった。

 最後に美哉とキスしたのは、もう、いつだったか覚えていない。だけど数年ぶりにしても、その甘さは変わらない。大塚が言うには彼氏はいなかったらしいけど、これを味わった人間が本当にいないのか、不安な気持ちも後押しして。ただひたすらに、その唇を求めた。

 だけどいい加減、美哉も切れたらしい。

 美哉が苦しそうだったので唇を離し、呼吸が落ち着いたらもう一度キスしよう、と顔を近付けた時。

 思い切り、脛を蹴られた。

 試合中など蹴られたことはあるが、いつでも脛当てをつけている。だからこそ、直撃がますます辛い。痛みで倒れ込む俺を避けて美哉は起き上がり、一目散に逃げてしまった。

 慌てて追いかけても、エレベーターに乗り込む姿しか捉えられず。裸足であることに気付き、とりあえず視界に入ったスリッパを履いてもう一度飛び出す。だけど美哉の姿はすでにフロントにもどこにもなく、俺はまんまと、美哉をもう一度逃がしてしまった。


「……やらかした」

 ぐしゃぐしゃと自分の髪をかき混ぜながら、ベッドに転がる。そこには、微かに甘い香りが残っているような気がして。ゆっくりとうつ伏せになり、シーツに顔を埋める。

 ――泣いていた。

 このベッドの上で、エレベーターの中で。美哉は涙を零していた。その瞳に映ったのは、明らかな怒りで。俺はその時、初めて気が付いたのだ。

 俺は、美哉が怒るところも、泣いているところも、見たことがなかったのだと。

 正確に言えば、告白の時に美哉が泣くのを見た。だけどあれはいわゆる嬉し涙であって、大抵の人が流す、悲しさからくる涙ではない。

 そして俺は、過去を反芻した。

 美哉はいつだって俺の前で、照れているか笑っているか困っているか。そんな表情ばかりで、俺に怒ることも、悲しさをぶつけることも無かった。

 半年も付き合って、喧嘩一つない。当時はそれに何も感じなかったけれど、今思うと、不思議に感じる。もちろん、喧嘩がないカップルなんて普通かもしれない。だけど、俺の下で「振り回すな」と怒っていた美哉は。泣いていた美哉は。初めて見たものなのに、違和感がなくて。

「……今頃、気付くか」

 ――どうしようもないほど、甘やかされていたのだ。六年前の自分は、美哉に。

 多分、美哉はずっと俺に遠慮してくれた。俺に対する怒りも悲しみも隠して、俺の側にいてくれた。そして最後まで、俺にそんな顔一つ見せることなく。

 そして多分、俺は美哉に十分に愛されて、甘やかされていたけれど。美哉が感情を見せるに値するほどには、心を開いてもらえなかった。

 そんなことに今まで気付かなかった俺は、どうしようもない、馬鹿だ。美哉に捨てられても、何も言えない。


 ――それでも俺は。美哉から手を引くなんて選択肢は、浮かばない。

 俺はどうしようもないエゴイストで、我儘で、駄目人間で。全部自覚している。分かっている。だからこそ、美哉の横に並ぶ資格がないと言われても、諦めたりはしない。


 ただ、今の状態で話をしても多分意味はない。

 美哉が俺に対しての恋心を取り戻しても、今の、心を開いていない状態で「あれは誤解だった」と言っても受け入れてもらえない。美哉はその場では頷いても、同じことが起きればまた逃げていくだろう。

 俺は、美哉の全部が欲しい。それは心や身体だけじゃなく、丸ごと全部。未来まで、含んで。

 だけど今のままやり直しても、例えば結婚しても。美哉にとっては、ひどくつらい状態になる。甘えられない相手を側に感情を露わにすることも出来ず、じっと耐える日々が続く。

 美哉の気持ちを、取り戻すだけじゃない。俺は同時に、美哉が俺に対して素直に感情を出せるように持って行かなければならない。美哉本人が、俺に対して、不満や文句、疑問、何でも言えるように。

 だからあのストーカー女の件に関しても、いずれ美哉本人の口から、俺に問い詰めるようになるまで、言わない。


 そのために、まずは。

「……怒らせてみる、とか?」

 寝ている間にこっそり財布を調べて分かった、美哉の勤務先。とりあえずそこに押しかけてみることにする。

 そして今後逃げられても大丈夫なように、美哉の家の住所と、出来れば合鍵あたりも取っていこう。携帯番号とアドレスも知りたいけれど、それはいつでも替えてしまえるから。


* * *


 きっと、一目見た時には落ちた恋だけど、その揺るぎない強さに、惹かれたのだけれど。

 今は、違う。

 弱くて頼りない姿でも、ずるくても、例えば八つ当たりしてきても。美哉ならば、どんな美哉でも構わない。知れば知るほど、どんな美哉でも、愛おしく感じるから。

 欲しいのは、笑って、怒って、泣いて、ありのままを曝け出す美哉。

 だから美哉が全てを曝け出せるように、俺も変わっていこう。甘やかされるだけじゃなくて、甘やかせる人間に。


 隣に並んで、意味のない話をして、時々喧嘩して。

 ――俺は、そんな風に美哉と歩いていきたい。そんな風に、一生過ごしていきたい。

今回で寛人視点終了です。

次回で美哉視点に戻り、最終回となります。

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