20. ~warmth~
今日は、二話アップしています。
先に19話を読んでください。
* * *
「ちょ、今のもう一回やって!飛んでぴゅーって奴!」
「……なんだそれ」
一緒に走り回った小学生達に、汗だくでしがみつかれながら寛人は応えた。要領を全く得ない発言に、彼の眉間の皺は深くなる。何とか説明しようとするものの、はっきり言葉が出てこない小学生の額を弾いて、寛人は顔を上げた。
そして、いつも公園に来ていた頃、彼女――美哉が座っていた辺りを、見る。体育座りの美哉が、こちらを見ているのが分かった。その姿に、心が綻ぶのが分かる。けれど美哉は突然こちらから視線を外し、走り出してしまった。
目を丸くして辺りを見回すと、そこから数メートル離れた場所で、小さな子供が転んでしまったのか、地べたに転がり、泣き声をあげていた。美哉は走り寄り、子供に視線を合わせるために、しゃがみ込む。着ているチュニックの裾は地面に着いてしまっていて、汚れてしまうはず。けれど彼女は気にする様子も無く、微笑んでいた。
泣き声をあげ続ける子供の頭を撫でて、何事か言い聞かせている。それでも泣きじゃくる子供に根気よく話しかけ、ポケットから何かを取りだした。それが目に入った途端、子供は泣くのを止める。そして美哉に話しかけた。美哉は笑顔で応じ、その何かを子供の掌に乗せてやる。そしてもう一度頭を撫でてやると、子供は嬉しそうに笑って、美哉に抱き付いた。
そのまま子供を抱き上げ、美哉は歩き出す。その先には、若い女性がいた。子供を渡してやり、女性と話す美哉。
やがて女性が歩き出し、子供が大きく手を振ると、美哉は笑顔でそれに答える。
――その、微笑みは。
遠目でも分かるほど、ひどく穏やかで、優しくて。
「……」
寛人は、静かに頬を緩めた。
* * *
しばらく待っていると、小学生達が寛人に手を振って、遊具の方へ走って行った。それに手を振り返し、寛人は真っ直ぐこちらへ歩いて来る。そしてシートに腰を下ろした途端、思い切り後ろへ身を投げ出した。
「え、ひ、寛人?」
「……疲れた」
ぼそりと呟いた寛人の額からは汗が噴き出している。もちろん、本番の試合ならもっと長時間、もっと悪いコンディションでやるのだろう。でも、相手が違う。元気一杯の小学生達に囲まれていたら、自分の元気が吸い取られたのかもしれない。小さく笑いながら、バッグの中から取り出したタオルを、その頭に掛けて、ついでに冷えた麦茶を手渡す。小さく頭を下げてそれを受け取った寛人は、一気に麦茶を飲んで、タオルで顔や首の汗を拭っていた。
それからしばらく、また、会話がなくなる。だけどそれは気まずい沈黙じゃなくて。
「……悪かったな」
ぽつり、と落ちた寛人の言葉に、その顔を見る。彼もまた、こちらを見つめていた。その真っ直ぐな視線に、私は笑って、首を振る。
「ううん、別に。見てるだけでも楽しかったから、良いよ」
「……でも、腹減っただろ。今もう二時だし」
寛人の言葉に、腕時計を覗くと、確かにもうお昼時は過ぎていた。言われれば、お腹が減って来た気がする。大きく息を吐いた寛人は、立ち上がり、私を振り返る。
「どっか、食いに行くか。駅の方まで行けば、ファミレスでもあるだろ」
「え、あ、待って」
その言葉に、慌ててバッグの中に手を入れる。そして、大きな包みを取り出し、寛人に見せた。蓋を開けてみせると。
「……弁当?」
「うん。私の料理なんて食べ飽きてるかもしれないけれど、良ければ」
中身を見て、寛人は目を丸くした。そして私の言葉に大きく首を振り、シートに座りこむ。素早いその動きにびっくりしつつ、二段重ねのお弁当を広げた。
サンドイッチの具は、ハムに卵、昨日の残りのカツとかぼちゃサラダ。ママレードジャムとイチゴジャムなど、甘いものはロールサンドイッチにした。ベーグルサンドイッチは、ちょっと奮発して、スモークサーモンと玉ねぎにきゅうり、それからクリームチーズ。あとは寛人がくれたソーセージをたこさんにしてみた。デザートは、オレンジゼリー。保冷剤を一緒にいれておいたから、そんなに温くなっていないはず。
と、説明しながら、寛人の顔を覗き込んで、苦笑した。
「……ていうか、ごめんね。重かったよね」
「……いや、大丈夫だ」
「でもこれ、かなりあるよ?やっぱりコンビニとかで買えば良かったね」
持ってきたウェットティッシュを寛人に渡し、手を拭いてもらう。
出掛ける時に何が必要か分からなくて、ついつい荷物が増えてしまうのは、私の悪い癖だ。自分が重いなら仕方ないけれど、寛人に持たせてしまうことは予想がついたんだから、やめておけばよかった。ちょっと後悔しながらサンドイッチに手を伸ばすと。
「……俺は、嬉しいから」
そっと、小声で寛人が零す。それに顔を上げると、寛人は、微笑んでいた。言葉の通り、とても嬉しそうな顔で。
「……」
思わず言葉を失う私から視線を外し、寛人はサンドイッチに手を伸ばした。見ている内に、どんどん寛人の口の中に消えていく。でも私は、なかなか動くことが出来なかった。
「……っ」
――あんな顔、反則でしょう。
どんな言葉よりも雄弁に感情を語った、あの笑顔。何度も何度も目の前にリフレインしては、私の思考を止めてしまう。思い出せば顔が熱くなり、心臓が跳ねて。それは何とも、甘い感覚だった。
ご飯を食べた後、しばらくまったりして、腹ごなしに公園を一周した。そんなに大きいものじゃないから、三十分もすれば終わってしまう。だからそのまま駅に向かい、電車を待っている間に、ソフトクリームを食べた。私はストロベリー、寛人はバニラ。お金はちゃんと自分で払うと言ったのに、寛人は昼の礼だから、と言って譲らず、奢ってもらうことになる。
その冷たさに、少々頭がキーンとしたけれど、とても美味しかった。寛人は食べ慣れていないからか、手に色々零していて、苦笑してしまった。
電車に乗り込んでからは、何だかんだ歩き疲れていたのか、ずっとうとうとしていた。それでも何とか眠らないように堪えて、小倉塚に戻って来た時には、夕陽が半分を過ぎていた。
「あの子たち、やっぱり将来サッカー選手目指してるのかな?」
「そう言ってた」
「そっかぁ。未来のスターだね」
家への道を一緒に歩きながら、今日のことを話す。
本当に夢を叶えることを出来る子は一握りかもしれないけれど、本気でサッカー選手になりたいなら、その夢を持ち続けることが出来るなら、きっと可能性は出てくるはず。きらきら目を輝かせていた彼らを思い出しながら、私は、ひどく穏やかな気持ちになっていた。
どこかで流れる、午後六時を知らせる歌。横を走り抜ける子供達に、夕飯の匂い。そして長く伸びる二つの影、時折腕を掠める温もり。
――今側にいる人は、寛人なのに。寛人だから。私はこんな風に、色んなものを、優しく感じるのかもしれない。
家に着いて、寛人からバッグを渡された。お弁当を食べたから、もう大分軽い。お礼を言って受け取り、鍵を開けながら、寛人を振り返った。
「今日、ご飯何食べたい?鮭あるから、ちゃんちゃん焼きにしようか」
「……いや」
「別のにする?お肉の方が良い?」
「いや」
寛人の好物をあげるも、何故か断られる。気分じゃないのかもしれない。確か豚肉が冷凍してあったから、そっちでも良いな、と思っていると、今度はさっきよりはっきりした否定が届いた。
振り返ると、寛人が真剣な顔で私を見ていた。何が言いたいのか分からず、首を傾げると、寛人はしばらく黙った後苦笑した。
(え、な、何?)
突然笑われる理由が分からず、ますます混乱する。そんな私を見て、寛人は一層、笑みを深くして。
「……今日上がったら、……我慢出来なくなりそうだから」
――囁かれた言葉は、私の耳に届く前に、風に舞って、消えてしまった。
そして伸びてくる、彼の大きな手が、私の前髪を掻き上げる。突然触れた温もりに、思わず身を竦める私の耳に、小さな笑い声が届いて。
(……もしや、からかわれてる?)
ちょっとむっとした私が、寛人を睨もうと顔を上げた瞬間。目の前に彼の顔があることに、死ぬほど驚いた。その広い背を屈めて、私を見つめる。その瞳には、小さな炎がちらつく。久々に見たような、初めて見たような。分からないけれど、私はその炎が醸し出す不思議な引力に、引き寄せられるように、動けなくなってしまって。
―チュ
……額に触れる柔らかい感触と、小さく響いた音に、私の脳味噌は、完全に動きを止めてしまったらしい。
「……じゃあ、帰るな。ちゃんと戸締りしろよ」
優しく額を撫でられて、ゆっくりと、彼の指は離れる。その間も、彼の瞳は私を捉えて離さない。強く強く、まるで絡め取るように。その声も、とびきり優しくて。まるで私の耳までも、支配するみたい。
やがて。その温もりも、気配も。私の目の前から、ゆっくりと消える。最後に、今にも溶けそうなくらい、甘ったるい微笑みを残して。
「……え……」
少しだけ、動くようになった身体。そっと、額を撫でてみる。そこにはありえないのに、温もりが残っているような気がして。
「……え?」
彼は今、……何をした?
触れた指先、
熱い瞳、
響いた音。
寛人が、顔を近付けた理由は。
「っええええええ!?」
――気付いた瞬間、自分の口から、勝手に絶叫が飛びだしていた。




