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little by little  作者: ホタル
本編
2/42

1. ~routine~

「おはようございまーすっ」

 翌日。朝六時半、職場に駆け込む。電車が遅延したので遅刻すると思ったから、駅からずっと走り続けた。すでに席についている先生方に挨拶し、タイムカードを押して椅子に座り、ほっと一息。……まだまだ息は荒いけれど。

「あらあら。大丈夫?美哉先生」

「す、すみません……」

 くすくすと笑い声が届き、慌てて立ち上がって頭を下げる。いいのよ、と穏やかな笑みを浮かべて、園長先生は笑った。

「それじゃあ、全員そろったところで今日の予定を確認します。もも組のたくまくんと、ばら組のななちゃんが誕生日です。担任の先生は、昼食前にこちらにカードを取りに来てちょうだいね。

 それと遊具のことなんだけど、ブランコがぎしぎし音がして不安だという意見を保護者の方から頂いたので、木曜日に一度業者の方に確認してもらうことにしました。それまで使用できないようにテープを張っておくけれど、万が一のことを考えて外に出るときは注意しておいてください」

 朝礼はまず、園長先生の連絡通達から始まる。中番や遅番の先生方には連絡ノートに話の内容を書いておくので、必死にメモを取る。代々、連絡ノートを書くのは基本的に早番の一番下っ端なのだ。一応四年目にさしかかる私だけど、まだまだひよっこ。職場にはベテランの先生ばかりで、頭が上がらない。いつか自分も、ベテランと呼ばれる立場になってやる!今日もそんな決意を固め、拳を握った。


 ――私、吉倉よしくら 美哉みやは今年二十四歳になる保育士だ。

 小さな頃、両親が共働きで忙しく保育園に預けられていた私にとって、昔から保育士は憧れの職業だった。短大を卒業し、在学中からアルバイトしていたこの『なのはな保育園』に就職を決めて既に四年。毎日新しい発見と驚くことばかりで、現場に出なくちゃ仕事は分からない、と先生達が言っていたことの意味がしみじみ分かる。

 このなのはな保育園は、今年創立五十周年を迎えた私立保育園だ。今の園長先生のお父さんが立ちあげたらしく、当時は園児数三十人にも満たなかった小規模な保育園だったけれど、今は百人を超える。ちなみにうちの園では年齢ごとにクラスが分かれていて、クラス名は花の名前。もも組は三歳、ばら組は五歳のクラスだ。

 園長先生である山下先生は、おっとりした話し方にふくふくした頬や手が、日本のおっかさんといった感じの素敵な女性だ。もう六十を超えているらしいんだけど、全然そんな感じがしない。若々しくて、生徒達にも慕われている。私自身、園長先生に話しかけられると何だかほわーんとなってしまう。……そのおっとりした口調のまま、厳しく怒られたりもするのだけど。

 もちろん、他の先生方も素敵な方ばかり。他園を訪問した時も思ったけど、保育士の先生方は全般的におっとりされた落ち着いた雰囲気の方が多い。もちろん、子供が良くないことをした時にはしっかり怒っている。私は結構落ち着きがなくて子供達にもからかわれてしまうので、早くみなさんみたいになりたいものだ。

 ため息を吐いて、朝礼の連絡内容をかりかりとノートに写していった。


* * *


 休憩時間。交代で取るのだけど、なかなか時間通りに行くことはない。今日は三時からの予定が大幅にずれて、四時半になってしまった。

「お、お腹空いた……!」

 ぐーぐーと主張するお腹を抱えて、職員室の扉を開ける。誰もいないかと思ったけれど、私の初めての後輩である一つ下の玲子先生が、ぺこりと頭を下げた。

「あれ、玲子先生も今休憩?」

「はい。道具の搬送を頼まれてて、さっきやっと終わったんです。お茶淹れるけど、飲みますか?」

「うん、飲むー。ありがとう」

 私の返事を聞いて、ふわりと浮かんだ玲子先生の笑顔に、同性ながらどきっとする。身長も高くモデル体型の玲子先生は高校時代に読者モデルもやっていたらしく、とても美人なのだ。優しい笑顔が特徴の癒し系美人で、中身は温和で落ち着いているし、気も利く。最初に教育係として私がついていたんだけど、今じゃ玲子先生の方がしっかりしてる、なんて言われたり。……負けません。

 鞄からお握りを取り出し、会議用のテーブル――職員室内に置いてある十人掛けくらいのテーブル――の椅子に深くもたれる。ため息を吐くと、玲子先生が目の前にお茶碗を置いてくれた。

「ありがとー」

「いいえ。美哉先輩、今日もですか?」

「うん。そろそろやめた方がいいんだろうけど、お腹は減るんだもーん」

 アルミホイルを剥がしてお握りにかぶりつく私を見て、玲子先生はおかしそうに笑う。

 うちの保育園は調理師さんがいて、昼食におかずを出してくれるので、園児達にはご飯だけを持ってきてもらっている。ちなみに先生達も、そのご相伴にあずかっている。

 ただ、私は身長が百五十ちょっとしかないのに、胃袋はかなりでかい。身体を使っているのもあるんだろうけど、お腹がすぐに空いてしまう。だからいつも休憩中にお握りを食べている。運が良い時は、お昼の残りをもらえたり。ご飯がおいしい園で良かったなぁ、と思いながら食事を続ける私を見て玲子先生はまた笑った。そして、鞄から雑誌を取りだす。その表紙に、首を傾げる。

「あれ、それ男性紙じゃないの?」

「そうですよ」

 あっさり頷き返されて、ますます訝しげな顔になる私に玲子先生は笑い、ページをパラパラと捲ると、私に雑誌を突きだした。

 ――そこに、あったのは。

「私、この人のファンなんですよ!特集組まれるって聞いて、今朝慌てて買って来たんですっ」

 無邪気に語る玲子先生に何の反応も出来ず、ただただ目の前の写真を見つめる。

 鋭い眼、端整な横顔、焼けて引き締まった身体、少し茶色い髪。

 休日のワンシーン、というテーマで撮られた写真なんだろうか。真っ白いシャツにチノパンを合わせて、ベンチに座っている。ただそれだけなのに、テレビによく出ている俳優やモデル並みか、それ以上に格好良くて。

 元からの整った顔立ちや大柄な体格は、職業柄磨き抜かれてますます人目を引くものになる。

「……美哉、先生?」

 は、と玲子先生に視線を移す。不安そうに私を見つめる彼女の瞳に、慌てて笑顔を浮かべた。

「あ、ごめん、何?」

「美哉先生こそ、どうしたんですか?写真を見て固まっちゃったから……」

「あー、えっと、……こういう人が男性紙に載ってるなんて珍しいな、って思って、さ」

 あはは、と白々しい自分の空笑いに、我ながら呆れた。でも玲子先生は大きく頷く。

「そうなんですよー。だからなおさら、嬉しくって。もう本当に格好いいなぁ」

 うっとりと雑誌の写真を見つめる玲子先生に、苦笑する。美人で落ち着いた彼女だけど、プライベートではかなりミーハーな一面を持つ。あまり知られていないし、仕事中には全く話もしないのでそうとは分からない。ただ、ジャンル・年齢問わずイケ面が好きなようで、ロッカーの内側にはべたべたと色んな男性の写真が貼られている。そんな彼女が彼に興味を持つことは、当然かもしれない。

 なのに、どうして。少しだけ、胸が痛むんだろう。

「あ、ていうか美哉先輩、同じ高校だったんですよね?この間ホームページ見ててそれに気付いて、絶対聞こうと思ってたんですよー」

 ――玲子先生の言葉に、一瞬思考が固まる。

 黙りこむ私に気付かず、玲子先生は瞳を輝かせた。

「確か、芹川高校ですよね?タメだし、何か接点とかなかったんですか?当時からやっぱり格好良かったですか!?」

 身を乗り出さんばかりに質問を重ねる玲子先生に、心が固まっていく。今すぐ逃げ出したい気持ちを、必死に堪えて、笑顔を、浮かべた。

 大丈夫。

 こんなこと、何度も、繰り返してきた。

 彼が有名になってから、それこそ、何度でも。

 だから、きっと、平気。

「……そう、だね。格好良かったと思うよ。でも、クラスは一年の時しか一緒じゃなかったし、ほとんど話したことないの。だから、知らない人に近いかな」

 言っていることは半分本当で、半分は、嘘。それでも、本当のことなんて言えなかった。言っても、どうしようもないから。

「そうなんですか?残念……。良ければ今度、卒業写真とか見せてくださいね?美哉先生の高校時代も見てみたいですっ」

「あはは、了解。でも、実家に置いてあるからしばらく無理だよ?」

「全然、いつでも大丈夫です。思いだした時にでも、是非」

 玲子先生の言葉に頷いて、お握りを齧る。朝に作った奴だから、海苔がべたついて、ご飯も冷たい。それでも夢中でほおばった。

「ほんっとうに格好良いですよねー。こんな人の彼女になったら、毎日幸せだろうなぁ」

 夢見る瞳で呟く玲子先生に笑いながら、泣きたかった。


 本当に、ね。

 幸せだった。彼の仕草にドキドキして、振り返ってくれたら心臓が跳ねて、笑顔を見せてくれたら、涙が零れそうになった。

 あなたを思っていた時間は、何にも替え難いほど、幸せで、そして。

 ――今ではもう、哀しみしか残らない。

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