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little by little  作者: ホタル
本編
19/42

18. ~reason~

遅くなりました!

これからももしかしたら更新がまちまちになることがあるかもしれませんが、見捨てないでくださいorz

 七月に入り、気温は徐々に上がっていく。まだプールには少し寒いかな?と思う日もたまにあるけれど、おおむね暑い。外で元気に遊ぶ子供たちに感心しつつ、熱中病などにならないように、水分補給や帽子の着用を促す。それだけでもTシャツが汗でぐっしょりになってしまう、そんな季節。

 ――私はとっても、憂鬱です。


「……はぁぁぁ」

 一日の仕事を終えて、机に戻る。手に持った封筒を見て、深くため息を落とす私を見て、書類作業をしていた玲子先生が首を傾げた。

「美哉先生。どうかされたんですか?」

「あー……うん。とりあえず、玲子先生、お疲れ様」

「お疲れ様です」

 彼女が笑う度、後ろで一つにまとめた髪が、ふわりと揺れる。きっと世の男性はこれに触りたくなるんだろうなぁ、なんて思いながら、エプロンを外した。そんな私を見て、玲子先生はあれ、と声をあげる。

「今日、中番でしたっけ?」

「うん。先に帰ります」

「あちゃあ。今日美哉先生も遅番だと思ってたから、終わった後にお店でも誘おうと思ってたんですよ」

「えー、嘘行きたい」

「また今度にしましょう。隣の駅に、結構いい雰囲気のところ見つけたんですよ」

 玲子先生からの折角のお誘い、待ってるよ、と言いたいところだけど、明日私は早番だ。しばらくお酒なんて飲んでないし、玲子先生が勧めるところは基本的にどこも良いところが多い。週末にでも行こうね、と言おうとした時。


「何て言っても、お給料出たんですからね!」

 輝く微笑みの玲子先生に、テンションがまた、がくりと落ちた。


「……そうだねー。あはは……」

「み、美哉先生?」

 手の中の封筒の重みが、今更圧し掛かって来る。暗い笑いを零す私に玲子先生は怯えているので、軽く苦笑して見せた。


 寛人が、この園にやって来た時のこと。

 私は不注意にも子供を門の外に出してしまった。その上、男性と職務中にいちゃついて――実際は違うとしても――、実際には何もなかったけれど、園としての信頼問題に関わることをしてしまったのだ。その時、園長先生にこっぴどく叱られ、減俸を言い渡された。それは当然だと思うし、納得もしている。けれど今月は他にも保護者の方に暴言を吐いてしまったり、荷物の発注ミスをしたり、ミスが続いている。後の二つについては何も言われていないけれど、ここまで来ると減らされても仕方ないんじゃないかな、と思ったり。

 元々、保育士としての給料はそんなに高いものではない。薄給と言っても良い位。もちろん、この仕事にはとてもやりがいを感じているし、後悔したことは一度もない。給料の安さも知っていてこの道に来た訳だし。ただそんな中で減俸になってしまうと、額によっては生活することも困難になってしまう。

(どうか、どうか!)

 自業自得だとは分かっています、反省もしています、もうしません、だからなにとぞ。そんなにお給料が減っておりませんように!

 給与明細を渡した時の園長先生の笑顔を思い浮かべながら、私は思いきって、封筒を開けた。

「……!」

 一瞬、怖くて目を閉じてしまう。最初に最悪な想像をしていけば大丈夫だ、と言うけれど、現実と言うのは想像以上に悲しい結果を連れて来ることもある。

 どうしよう。目を開けるべきか、否か。いやでも。ああ、このまま悩んでも埒があかない。諦めて。

 ば、と目を開く。

 名前の横に書かれている、今月の給与額。それは。

「……あれ?」

「美哉先生?」

 隣で玲子先生が、私の名前を呼んでいる。でも、答えられなかった。目を皿のようにして、薄い一枚の紙を隅々まで見るのに必死だったから。

 元々の給与額から、税などの天引き分を差し引き、残業や休日出勤の手当て分を追加したのが給与額。だけど何度見直しても、その数字は――。

「いつもと、変わらない。……よね」

 どれくらいカットされるのか悩んだ挙句見たけれど、いつもとほぼ変わらない。まぁ、いくらかは減っているけれど、あまり残業しなかった月と同じくらい。つまり、給与のベース額は変わっていない、ということか。

 素直に喜べればいいのだけれど、そこまで単純な脳味噌をしている訳じゃない。とりあえず、園長先生に聞きに行くことにした。

「じゃあ、また明日、玲子先生っ」

「え、あ、はい」

 びっくり顔の玲子先生を置いて、給与明細を片手に走っていく。目指すは隣の部屋、園長室。


 ―コンコン

 深呼吸と一緒に園長先生の部屋のドアをノックすると、一拍置いて「どうぞ」と柔らかな声が掛けられた。耳をすませても、部屋の中に他の人の声は聞こえなかったし、今は大丈夫だと思う。と言っても、園長先生は私と違って忙しい人だから、手短に話を済ませるつもりだ。

「失礼します」

「あら?美哉先生」

 入室すると、こじんまりとしたデスクに向かい、日誌をチェックしていた園長先生。私を見て、驚いたように目を丸くする。でもすぐににっこり微笑んで、眼鏡を外し、私に対面した。一礼して、園長先生に近付く。そしてそのデスクに、先程受け取った給与明細を乗せる。それを見て、園長先生は首を傾げる。

「これがどうかしたの?」

「あの、私今月、減俸処分になったんですよね」

「そうね。だから減ってるじゃない」

「でも、今月ミスが続いていましたし、もっと減るのが妥当なんじゃないでしょうか」

 真っ直ぐな目で、園長先生に尋ねる。

 減っていないことは嬉しいけれど、気を遣われたのなら、申し訳ないし、情けない。それでなくとも、園長先生はあんなミスをした私に、今月だけ、と条件をつけてくれたのだから。

 明細書と私を何往復か、ぽかんと見ていた園長先生は、しばらくして、苦笑した。

「……美哉先生って、本当に真っ直ぐな人、よねぇ」

「へ、え、あ、ありがとうございます……?」

「今まで、もっと給与を上げてくれ、と文句を言った人はいても、もっと減らすべきだ、と文句を言った人はいなかったわ」

 園長先生の言葉に、どう反応していいか分からず、とりあえずお礼を言ってみる。それに園長先生はくすりと笑い、立ち上がって自分の後ろにあった窓を大きく開いた。気付けば、太陽がもうオレンジに染まっている。この時間帯になると、大分風が涼しい。ふわりと髪を揺らす風が心地良くて、目を細めた。

「そういうあなただから、周りの人も優しくなるし、何より、……洒井さんは一生懸命だったんでしょうね」

「……え?」

 その瞬間。園長先生が漏らした言葉に、最初脳味噌が追いつかなかった。

 だけどじわりと広がる、その意味。どうして。どうして、今ここで、寛人の名前が……?

 呆然とする私を見て、園長先生は、その顔を深い笑みに変えた。

「三日にあげず、洒井さん、この園に来ていたのよ。最初は、あのことがあった翌日に。たくまくんと、その後両親に謝罪したいから、家の住所を教えてくれ、と言って」

 ――嘘。

 私は最初、それしか思わなかった。

「断ったけれどね。個人情報を勝手に開示する訳にはいかないし。そうしたら、丁度たくまくんのお迎えが来たから、お母さんとたくまくんの二人に謝って、出来ればお父さん側にも謝罪したい、って。深く頭を下げていた」

「……」

「たくまくんには、随分嫌がられていたけれどね。ライバルに家なんか来てほしくない!って」

 そんなの、知らない。笑いながら話す園長先生の言葉に、私はただただ呆然としていた。

「それでも結局、洒井さん、とても美形でしょう?お母さんOKしちゃって、家に連れて行ったのよ。お父さんが帰って来られてからは、何でもサッカーが大好きな人らしくて、とても話が盛り上がったそうよ。お父さんは洒井さんの大ファンだそうで、男性二人、楽しくお酒を呑んだんですって」

「そん、な」

「それから、美哉先生が早番の日には、六時過ぎくらいにふらっと来て、時間外の子の面倒見てたわ。男の子にはサッカーを教えてあげたり、女の子のおままごとに付き合ってあげたり。倉庫の整理とかも積極的にやってくれたのよ。助かるけれど申し訳ないから、謝礼金を出す、って言うのにずっと突っぱねられてしまって」

 そこまで話すと、園長先生は大きく息を吐いた。そして、悪戯っ子みたいな目で、こちらを見る。

「洒井さん、言ってたわ。『大したことじゃないんですけど、出来ることなら、俺じゃなくて美哉の給与につけてあげてください』って」

「っ」

「そう言って、何でも積極的にやってくれた。ただ、美哉先生には言わないで欲しい、って。言えば気にするだろうから、って」

 驚いた表情のまま、頬の筋肉が固まってしまっている気がする。

 想像出来ない。寛人が、おままごととか、謝罪とか。またあの無表情で、面白くもなさそうな顔で、やっていたんだろうか。私が、この家に来ない間、どうせ他の女の人のところにでも行っているんだろうか、って思っている間。

 ずっとあの人は、ここで、私のために?

「だから、あなたのその給与は正当なものよ」

「っでも、だったらこれは寛人のものでっ」

 興奮して、気付いたら寛人のことを名前で呼んでいた。慌てて口を塞ぐも、園長先生は気付いていたようで、笑みを深くする。「そうね」と頷き、窓の外へと視線を向ける。

「もちろん、洒井さんへの謝礼をあなたへの給与に含んだ訳じゃないわ。ただ、あんな一生懸命に美哉先生のために頑張る人の言葉、無碍には出来ないもの」

「……ですが、」

「――洒井さん、美哉先生の話をする時だけは、すごく表情が柔らかくなるのよね」

 反論しようと口を開いた瞬間、園長先生がそっと話し始めた。慌てて口を噤むと、園長先生は椅子に座り、再び私に向き直る。慌てて身体を真っ直ぐに正し、ぴしりと気をつけの姿勢になると、園長先生は苦笑を零した。

「……迎えに来た保護者の方達も、園児も、他の職員の方も、美哉先生の話をしながら、とても楽しそうに笑ってた。あなたは、本当に色々な人に、想われている。いなくても、あなたの話をするだけで笑顔になる人がいる。それは、あなたが色んな人を大切にして来た結果だと思うの。私自身、そんなあなただから、減俸額を最小限にした。あなたなら、そんなことをしなくても、絶対にきちんと反省出来ると思ったから。

 そう思うきっかけを作ったのは洒井さんだけれど、決めたのは、美哉先生がここで働いてきた四年間――短大のころを含めたら、五年になるのね――という時間よ。その間、あなたが積み重ねてきたものよ。だから美哉先生は、胸を張って、それを受け取っていいの」


 その、瞬間。

 ぽろりと涙が、零れそうになった。

 

 だけどぐっと堪えて、ただ頭を下げる。

 私は、何を言っていたのだろう。どうして園長先生が私を理解してくれないなんて、そんなことを言えたのだろう。まるで子供の疳癪だった。気に入らないことに腹を立てるばかりで、何も見ようもしていなかった。そんな私に、優しさを与えてもらう資格はない。

 けれどそう言って相手の好意を突っぱねることに、どんな意味があるのだろう。

 相手の心に自分が足る者でないと言うならば、足るだけの人間になればいい。これから、そうなっていけばいい。

 だけど、今はただ。

「ありがとうございます……っ」


* * *


 園を出てすぐに、駅まで走った。とにかく、走らなくちゃ、と、それだけを思った。電車に乗っている間も落ち着けなくて、苛々と貧乏揺すりをして。駅に着いた途端、また走り出した。

「っは、あ……はぁっ」

 携帯は、さっきちゃんと確認した。いつも通りの、素っ気ないメール。きっとまた、家に着いたら、無表情で私を、出迎えるんだろうか。

 汗が噴き出す。息が荒くなり、足がもつれる。それでも何とか転ばないように気をつけた。どうしても足は止めたくなくて。こんな時、ズボンにTシャツという簡易な格好で本当に良かったと思う。だって、走ることが出来るから。スカートにヒールじゃ、絶対に出来ないことだもの。

 祈るように回したドアノブは、素直に回り、ドアは開いた。靴を脱ぐのすら惜しかったけれど、踏みつぶすように、脱ぎ捨てた。並べている暇なんてない。階段を駆け上がり、リビングに続くドアを開けた。

「ひろ……っ」

 荒い息で、彼の名前を呼ぶ。だけど予想に反して、そこに寛人はいなくて。勢いで身体が前に大きく、つんのめった。

「え、っ、……」

 転びそうになるのを、慌てて腕を踏ん張って留まる。そして、辺りをぐるりと見回すと、寛人はちゃんといた。ソファの上に。すやすやと、寝息を立てて。

「……うそぉ」

 ――どうしてこう、タイミングが合わないのか。がっくり、その場に膝をついてしまった。

 それでも何となく諦めがたくて、四つん這いで、寛人の方に近付いてみる。二人掛けのソファなんだけど、寛人が横になるには、狭すぎたみたい。膝から下がソファの外へはみ出ている。頭を腕置き部分に乗せて、お腹の上には本が乗っかっている。それに手が添えられているから、多分、本を読んでいた途中だったんだろう。何かと思って見てみれば、寛人の好きな作家の新作だった。変わらないその趣味に、小さく苦笑を零す。

 眠るその額には、うっすらと汗を掻いている。クーラーを使って良いと言ったのに、妙なところで頑固な人だ。でも、窓から吹き込む風はクーラーでは感じられない気持ちよさがあるから、気持ちは分からなくないけれど。

「……」

 そっと、手を伸ばして、その前髪を掻きわけてみる。額に少し指が触れて、慌てて離れたけれど、起きる様子はない。そこでもう一度、近付いてみることにした。

 穏やかな寝顔。起きている時は、美形だけど硬質な雰囲気が漂う。でも今は、何処かあどけなくて、無防備で。なんとなく、その頬を抓ってみたけれど、別に柔らかくはなかった。引き締まった、男性の頬。

「……なーんだ」

 小声で呟き、すぐに指を離した。そしてそのまま、もう一度。その寝顔を、見つめる。


 園長先生の話を聞いて。寛人に会いたいな、って。それだけを思って、ここまで走って来た。どうして会いたいのかすら、考えなかった。ただ考えるだけで胸が一杯になって、苦しくて。

 何も言わなかった。私に対しての謝罪も、今まで何をしていたのかも、何を、思っているのかも。だから私は寛人は私のこと、何も気に掛けてない、って。そう思っていたのに。

 ――言わないだけで、ずっと、考えていてくれた。私のこと。

 そしてまた、何気ない顔で、彼は私に与える。私でも気付かなかったことですら、掬いあげて、大事にしてくれる。

 二人で傷付いた過去を引きずる私を知っているはずなのに、それを塗り替えるように、優しさで、居心地の良さで、私の日々を囲んでいく。

 その先に待ちうけるものを、あなただって知らないはずは、無いのに。


「……やっぱり、ずるいよ。寛人は」


 ぽつりと、一つ、呟いて。ぽろりと、一粒、涙を零して。

 私は寛人の寝顔を、見つめていた。夕焼けが落ちるまで、ずっと。ずっと。

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