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little by little  作者: ホタル
本編
14/42

13. ~change~

 元々、園から近いから決めた今の家は、電車に乗る時間や徒歩の時間も含め、三十分前後。小倉塚駅に着いて、寛人を置いて走ろかと思ったけれど、現役サッカー選手と勝負して勝てるはずがない。無駄な努力はやめて、手首を握られたままで歩いた。これだけは何と言っても離してくれなかったから。

「どうするの、話って。喫茶店でも行くの?」

「……」

 地理を知らないはずなのに、ずんずん歩く寛人に少しため息を吐いて、問いかける。私の言葉に信号のところで足を止めた寛人は、少し宙を見上げると、振り返った。

「……美哉の家が良い」

 ――相変わらずの爆弾を携えて。ぽかんと口を開ける私を見つめて、寛人は首を傾げる。……何で不思議そうな顔してるの!

「何で、寛人をうちにあげなくちゃいけないのっ」

 恋人時代ならいざ知らず、今はただの同級生でしかない。何より、ホテルでの無理矢理のキス、忘れてなんかいない。そんな相手を家にあげる程、私は危機管理能力が鈍ってはいない。

 だけど寛人は動じず、サングラス越しの目を細めた。

「外だと、外野がうるさい」

「……」

 ここら辺は、いわゆるベッドタウンだ。だからこそ、住民の数は多い。今は駅前も買い物帰りの主婦くらいしかいないけれど、夕刻を過ぎればサラリーマンや学生も増えるだろうし、みんなが寛人に気付かないなんてありえない。もし誰かが私と寛人の写真を撮ってスクープとして何処かに持ち込めば、終わりだ。一般人の私の目元にはモザイクがかかるだろうけど、見る人が見れば分かるだろうし、記者なんかも押しかけて来るだろう。それが元で、職場にも近所にも迷惑を掛けたりしたくない。特に今日失敗していた分、真面目に挽回しなくちゃいけない。もしそんな厄介事に巻き込まれて解雇されでもしたら、一貫の終わりだ。

 一瞬にして、そんな悪い妄想がモクモクと浮かび、私は口を閉じた。

 そして数秒後、眉間にしわを寄せて、寛人の顔を見ずに左の道を指差した。

「……私の家、こっちだから」

「ああ」

「言っとくけど、この間みたく勝手に触ったりしたら、怒るからね」

「ああ」

 仏頂面の私を気にせず、寛人は無表情で頷く。彼に手首を握られたまま、今度は私が先導して。出来るだけ人通りの少ない道を選びながら、家へ向かった。


* * *


 私の家を見て、寛人は暫し言葉を失っていた。はっきり分からないけれど、呆然、と言った感じ。予想はついていたけれど、ため息を吐いてしまう。私のため息を耳にして、寛人はこっちへ振り返った。

「……美哉、本気でこんなところに住んでるのか」

「こんなところ、って何。人の家に文句付けないで」

 つん、と顔を逸らしてバッグから鍵を取り出そうとする。片手が封じられたままだからやり辛いので、いい加減離してもらった。かなり不満げだけど、もう今更逃げる気力はない。

 取りだした鍵で扉を開き、寛人を中へ促す。さっきまで呆けていた彼は、今は少し不機嫌そうに、唇をヘの字に曲げていた。周りを見渡し、誰もいないことを確認。それが済んだら中に入り、寛人より先に階段を昇った。

 蒸し暑い部屋の風の通りを良くしようと、窓を開け放す。冷房は電気代がもったいないので、八月になるまで掛けない。遅れて部屋に入った寛人に、一応座布団を用意して座らせた。

 ようやくサングラスを外した寛人は、小さくため息を吐いて窓の外を見る。そしてまた、顔を不機嫌そうに歪めた。それを完全無視して、麦茶を取りに冷蔵庫に向かう。グラスに氷を落として、冷えた麦茶を注ぐと、ぴきき、と小さな音がして、一層涼しくなった気がした。お盆にそれらを乗せて、リビングのテーブルの上に置く。寛人の前にも置くと、何も言わず一気に飲み干した。そして、グラスをテーブルに置く。置くと言うより、まるで叩き付けるような仕草だった。

「美哉」

「何」

 どうしてちゃんと迎えたのに、私が怒られなくちゃいけないのか。本来なら、不機嫌になるのは私の方のはずだ。だけどそれを口には出さず、寛人の言葉を待つ。私の返事に、寛人はぐ、と詰まりながらも口を開いた。

「……どうして、こんなところに住んでるんだ」

「だから、こんなところ、って失礼じゃない?これでもちゃんと自分で選んで借りたのに、」

「だったらもっとセキュリティがちゃんとしているところにしろ!」

 私の返事が気に食わなかったのか、吠えるように言う寛人。珍しい怒鳴り声に、身を竦めてしまう。本気で怒っているところなんて見たことなかったから、ちょっと、ううん、かなり怖い。

「……どうしてここなんだ。オートロックでもないし、鍵は簡単にピッキングされそうな物だし、……おまけに裏が墓地。女の一人暮らしにはどう考えたって向かないだろ」

 ……その言葉にはあまり反論できないのも悔しい。

 私が住む築四十年の木造アパートは、ぱっと見ものすごくぼろいし、壁もちょっと剥がれている。中はちゃんとリフォームされているのでそんなに気にならないんだけど。ただ、セキュリティは全然なってない。おまけに裏が墓地という物件なので、このアパートに住んでいる女性は、私を除くと八十過ぎのおばあちゃんだけ。後は全員男性らしい。未だ隣の家のバツ一子持ちサラリーマンにしか会ったことないので、真偽の程は微妙なんだけど。

 ただ、そういう訳あり物件だから、家賃はすごく安い。ここら辺は1Kでも八万以上するところも多いのに、この家は1LDKで五万を切る。あまり給料も高くない私には、この家は諸々に目を瞑れば最高の物件だった。

 ちらりと、寛人の表情を窺う。寄せられた眉、いつもより吊りあがった目。怒ってる、ってすぐに分かる。それを見ると、どんな反応をすればいいのか分からなくなった。だけど、口から勝手に言葉が零れた。

「……ありがとう」

 私の言葉に、寛人が少し、目元を緩めた。


 ――寛人の言葉で、彼が私を心配してくれているのが、分かった。

 特に、四年前にこの家を決めた時に、お父さんが言った台詞とほぼ同じだったから。もちろん、どうして寛人にこんなこと言われなくちゃいけないの、という反発心も無くはない。でも本気で私のために怒ってくれる人に、それは言っちゃいけない。

 私は同窓会の翌日も、同じような失敗をした。心配してくれた人の行為を跳ねのけた。今回は結構落ち着いているから、素直に寛人の言葉を受けとめたいと思って、多分、この言葉を選んだ。


 言ってみたらむず痒さを感じて、目を逸らす。寛人は黙ったままで、何だか気恥かしい。大体、この部屋に異性がいるという状況も、何だか変な状況過ぎて。しばらく押し黙った後、私は空気を取りなすように立ちあがった。

「っ、て、ていうか、話、ご飯の後でもいいっ?用意しちゃうから」

「……え?」

「その、長くなるんでしょ?だったらもう六時過ぎてるし、ご飯の後の方がゆっくり話せるかな、って」

 中腰の私を、目を丸くして見つめる寛人。不覚にも、可愛いな、なんて思ってしまった。本当に、不覚なんだけど。

 目を逸らさない彼に何だか顔が熱くなって、とりあえず口だけ動かした。そんな見ないで、なんて自意識過剰みたいで言えはしなくて。背筋にぶわっと汗を掻くのを感じながら、寛人を見返した。

 しばらくして、寛人は小首を傾げる。

「……作って、くれるのか」

「え、うん」

 お金がない今、外食なんて出来ない。寛人もいるんだし、家でご飯の方がゆっくり出来るはず。そう思って提案したんだけど、何かまずいかな。まさか私の料理なんて食べれない、とは言わないはず。六年前には普通に食べてたし。

 やっぱりしばらく黙った寛人は、やがて、ゆっくり口角を吊り上げて。

「嬉しい」

 窓からいつの間にか差し込んでいた夕陽を浴びながら、心底嬉しそうな笑顔で、そう言った。

「……っ」

 その笑顔に、さっきまでなんて比にならない位、顔が熱くなる。慌てて離れて、キッチンに足早に向かった。食材を探るふりをしながら、顔の熱を冷ますために、冷蔵庫を開ける。

 そんな私を、寛人の声が追いかける。いつもと同じ低い声なのに、どこか甘い。そう、六年前みたいに。

「今日は、何だ?」

「……時間ないから、焼きうどんにしようかな、って」

「そうか」

 キャベツを手に取りながら、心に深く刻む。

 ――絶対に、今振り返っちゃいけない

 もし今振り返ったら、間違いなく持って行かれる。何が、じゃない。私の全てが、だ。そう確信していた。

 ざく切りにしようと、包丁の刃をキャベツに当てる。その瞬間。

「美哉の料理なら、何だって良いけど」

 聞こえた言葉を、断ち切るように、一気にキャベツを真っ二つにした。


 寛人と一緒にいるのは疲れるって言葉、嘘じゃない。

 泣いて、怒って、嫉妬して、また腹が立って、訳が分からなくて、――馬鹿みたいに鼓動が高鳴る自分を、自嘲して。

 本当に、感情の変化がめまぐるしくて、自分でも、理解が及ばない。どうしようもなく、疲れる。

 彼じゃなければ、こんなこと、絶対に無いのに。

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