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little by little  作者: ホタル
本編
11/42

10. ~rival~

「美哉先生、これ、見てくださいっ」

「ん?何?」

 月曜日、休憩時間。今日はお握りを握る元気もなかったので、市販のサンドイッチをもしゃもしゃと食べていると、職員室に玲子先生が飛び込んできた。

 相変わらず綺麗な顔立ち、でも今日は興奮しているのか頬が上気している。可愛いなぁ、と思いながら玲子先生を見ていると、彼女は手に持った週刊誌を目の前に突きだした。

 視界一杯に広がる、白黒の写真。その真ん中に映ったスーツ姿の男性を見て、思わず頬がひくついた。

「この間、話したじゃないですか、洒井寛人選手っ。今ヨーロッパリーグがシーズンオフなので、帰国したらしいんです!」

「……」

 ――知ってます。ていうか、昨日一緒にいました。一晩過ごしました。とは、死んでも言えない。

 目をキラキラと輝かせる玲子先生に苦笑いで「そうなんだー」とだけ返して、食事に集中した。

 そうか、今シーズンオフなのか。Jリーグのシーズンオフと言えば一月~三月。なのでついつい同じ時期だと思ってしまうけれど、国が違えばもちろんそれもずれこむはずだ。玲子先生によると、ヨーロッパサッカーのシーズンオフは六月~八月中旬まで。シーズン前にはまた練習があるけれど、それまでは各自トレーニングなんだとか。


 ……そのまま、あっちにいれば良かったのに。なんて、ひどいことをちらりと思ってしまった。


 卵サンドを食べ終わり、次のハムサンドに手を伸ばしながら、昨日のことを思い出す。

 ホテルを飛び出して、受付のお姉さん達の「またお越しください」という綺麗な声を無視して、タクシーに乗り込んだ。発車してすぐ、ホテルの入り口から飛び出してくる長身の人影。

 ――寛人。

 一目見て、すぐ分かる。靴はかろうじて履いているのかと思ったら、何とスリッパ。タクシー乗り場を見渡して、顔を顰めている。だけど私は、戻らなかった。もう一度彼の顔を見たら、また、傷付けあうだけだと思ったから。

 ホテルから実家までのタクシー代は目が出そうになるほど高くて、ほとんど泣きながら払った。足りなくて、たまたま帰省していたお兄ちゃんに代払いしてもらった。

 お兄ちゃんにやたらと心配されたので鏡を覗けば、アイラインが目の下に落ちてひどい隈のようになり、泣き腫らして真っ赤な目元と鼻。何でもないから、と宥めすかして部屋で夕方まで眠り、久々に家族四人で夕飯を囲み、夜に一人暮らしの家へと戻って来た。それからまた泥のように眠る。

 別に大きく動いた訳じゃないのに、ものすごく疲れてしまった。精神的な疲れと言うのは、身体に大きく影響するというのを痛感した一日。

 思いだしても痛いタクシー代に、頭が痛くなった。お兄ちゃんはいつ返してもいいと言ってくれたけれど、あまり長い間借りたくはない。今月来月は、食事や買い物には行けなさそうだ、と思ってため息を吐いた。


* * *


 そうして、夕方。今日は中番だから、あと三十分程で退社だ。今日はお迎えもスムーズに来てるし、残業なく帰れるだろう。まだ疲れているから、正直ほっとした。

「みやせんせい、ばいばーいっ!」

「うん、ばいばーい。また明日ね」

 一昨年から、ばら組の副担任を務める私。子供達のお迎えが来た時には、保護者の方達に今日の子供たちの様子を教えて、お見送りをする。小さい顔一杯笑顔にして、手を振る子供の姿。見送る時は、ほっとしたような、少し寂しいような。見えなくなるまで手を振った。小さく伸びをしていると、さくら組のたくまくんが、とことこ走って来た。

「みやー!」

「ん?どうしたの?」

 門が閉まっているので、ちょっともどかしそうな顔。ここら辺は車も走っていて危ないので、門は子供が開けられないように高い位置に鍵が設置されている。膨れてガシャガシャ門を揺らすたくまくんに笑い、後ろを確認する。どうやら、お母さんがお迎えに来たんだけど、二人で話し始めて暇みたい。まぁ、少しくらいならいいかなぁ、と門をちょっと開けてしゃがみ込む。近くなった距離に、たくまくんはぱぁっと顔を明るくした。

 五歳ながら整った顔立ちで、組の女の子からモテモテなたくまくん。だけど本人は全然興味なしで、男の子と泥だらけで遊んでいる。ガキ大将と言うか、わんぱく小僧というか、元気すぎて担任の先生の手を煩わせることもしばしば。ちなみに私はたくまくんに先生を付けて呼ばれていない。最初は注意したのだけれど、直らないから諦めた。他の先生はちゃんと呼ばれているみたいだし。

「あのな、みや、あのな」

「うん、なぁに?」

 珍しく、ちょっと頬を赤く染めて俯くたくまくんを、微笑んで見守る。いつもは手を焼いてる分、こういう姿はより可愛く映る。結婚する予定も相手もないけれど、子供は欲しいな、と思う。だけどその場合職場を休むかしなくちゃいけなくて、それも寂しい。なかなか人生、思い通りにはいかないものだ。

 しばらくもじもじしていたたくまくんは、ぎっと私と目を合わせると、顔を真っ赤にして、大きな声で叫んだ。

「お、おれ、みやのことすきなんだっ!」

「……へ」

 想像していなかったたくまくんの言葉に、目を丸くした。周りの先生やお母さんも、こっちを見ている。今まで私にばっかりやたらつっかかってくるな、と思っていたけれど。いわゆる「好きな子はいじめたい」という奴だったのか。

 ちなみに。玲子先生はかなり美人なので、こういう園児からの告白というものを度々受けているらしい。だけど私、実はこの状況、初めてなのだ。ていうか異性から面と向かって好きって言われたのも初めてだ。何だかんだ、寛人から好きだと言われた記憶はないし。だから子供の言葉だと分かりつつ、ちょっと嬉しい。そして照れる。

「だからおれ、おっきくなったらみやとけっこんするんだ」

「け、結婚?」

「きのう、テレビでおっきくなったらすきなひととけっこんするってゆってたぞ!」

 ……まぁ、間違いじゃないけど。ただ、それには同意が必要不可欠だ。と言ったところで、幼い彼に理解出来るとは思えない。

 真剣な顔で、たくまくんは押し花を差し出して来る。今日さくら組で、お昼の後に作ったらしい。ツユクサの青が目に鮮やかだ。結構綺麗に出来てるし、これは、もらっていいものなかな?と悩んでいると、目の前のたくまくんの目がちょっぴりウルウルしている。慌ててにっこり笑った。

「あ、ありがとうたくまくん!先生嬉しいよっ」

「ほんと?」

「もちろん。もらっていいの?」

「うん。けっこんのとき、はなやるんだって」

 それはいわゆる、ブーケかな?男性側があげるものじゃないんだけど、まぁいいか。折角の力作、有り難く受け取りましょう。

「ありがとう、じゃあもらうね――」

 そう言って、たくまくんの小さな手に、手を伸ばした時。

(……え)

 その腕が、後ろから掴まれた。そのまま引っ張られて、無理矢理立たされる。唖然としたたくまくん、私も振り返ると、逆光に照らされて、相手の顔は見えない。

 でも。

 大柄な身体、太い腕、熱い、手。

 目を見開く私の前でその人は少し屈んで、私の膝を抱き上げる。急な浮遊感にバランスが悪くて、慌てて目の前の人の首にしがみついた。がっしりした太い首、洗剤の匂いに少しだけ混ざる、汗。やがて子供抱っこの体勢で、その人の腕に座るような形。軽々と抱かれたので、自分がまるで小さな子供みたいに思える。

 片手で私を支えると、その人は、付けていたサングラスを、乱暴に外した。私の視線の、少しだけ下にある顔。そこに現れたのは、想像通りの鋭い瞳。それは、不機嫌そうな色を乗せている。だけどもう、そんなことは気にとめてられない。訳が分からない。


「……何で、ここにいるのよ……」

 頭痛がする。

 私を抱き上げて、この蒸し暑い六月に黒いシャツに黒いズボンという出で立ちの怪しい男は、ここにいるはずのない、――寛人だったから。

 

 私の呟きを無視して、寛人は腕に力を込める。自然と密着度が上がって、慌てて首に回していた腕を離した。そして彼は視線をたくまくんに落とす。百八十を軽々越えている寛人は、たくまくんには怖く見えるはず。だけど彼は、寛人をじっと睨んだ挙句、こちらへ走って来て、ぽかぽか寛人の足を殴った。

「なんだおまえっ、あくのそしきかーっ!みやを離せよっ」

 黒というのは、未だに悪い奴というイメージが深いらしい。まぁ、寛人って善人面ではないしね。悪の幹部と言われてもそりゃ納得出来ちゃうな。なんて、一人で頷いていると。

「……うるさい、ガキ」

 寛人の口から、超低音が零れる。びくっと身を竦めて、涙目でこちらを見上げるたくまくん。寛人は冷たい視線で、彼を見ていた。

「俺だってまだなのに、プロポーズだ?ふざけるな」

「っなんだよっ、おまえがふざけるなっ」

「お前の出番はない、美哉は渡さない、ガキはガキと楽しんでろ」

 たくまくんに寛人は淡々と話した挙句、ふっと口角だけ吊り上げた笑みを見せた。本当に見事な悪人面。……てそうじゃなくて!

「なにが渡さないなのよ、ガキと楽しんでろ、よっ!たくまくんを苛めないで!それに私は寛人のものじゃない!」

 寛人の言葉に、思わずかっとなってしまう。今は園児の前だと分かっているのに、思わず怒ってしまった。昨日蹴ったのに、この男はまだこんなことを言う。職場にまでやって来て、私の心をかき乱す。

 やめてよ。私のことからかいたいだけなら、昔の彼女に冷たくされて気にしてるだけなら、本当にやめて。

 私は元々、色んなものに心揺らされてしまう。怒るのも泣くのも、小さい頃から人一倍。だけど寛人と付き合っていた時、少しくらい格好つけたかった。あんなに泣いて始まったお付き合いだから、ちゃんと理性的な部分を見せたかった。

 なのに、再会してから。私は、彼の前で色んな感情をむき出しにさせられている。

 悔しい。この行動全てが、今でも寛人を意識しているのだと、自分でも分かってしまうから、尚更。

 ぐっと唇を噛んで、寛人を睨みつける。彼はしばらく私の目を見た後、ゆっくり下におろした。突然のことでまた驚くけれど、地面に足がついてすぐ、たくまくんの元へ駆けだす。興奮して走り出すかもしれないと思ったから、慌てて彼を捕まえに行った。でも、その前にたくまくんが私の足にしがみつく。

「みや、みやっ、こいつなんだよっ」

「え、え……と」

「みやはおれとけっこんするんでしょ?」

 口をへの字にして、私を睨むように見つめるたくまくん。何だかその姿は母親にしがみつく子供のようで、胸がきゅんとしてしまう。思わず、たくまくんの言葉に頷きそうになる。

「それは違う」

 けれど首が動いた瞬間、後ろから私の顎を掴む手。がっしりと捉われ、動かせない。固まる私に反し、無遠慮に触れるその手は、そのままゆっくりと私の腰に回り、後ろから抱き締められた。頭に乗っかる顎、……て。

「ちょ、寛人離してっ」

「嫌だ。これ以上、美哉が他の男に口説かれてるのなんて見たくない」

「何を五歳児と張り合ってるのよ!いいから離して!」

「そうだ、はなせーあくのそしきーっ」

「お前こそ離せ」

 足元には美少年、後ろには図体のでかい男。図らずもそれは、人目を集める構図な訳で。


「――美哉先生」


 静かな、いつも通り、優しい声。でもそこには、少し冷たい響きも含まれているのに気がついてしまった。

 寛人に抱き締められ、たくまくんにしがみつかれたまま、首だけ動かす私。門のところにいたのは。

「え、園長先生……」

「ちょっといいかしら。これ以上ここでやるのは、どうかと思うの。そちらの方も良ければ一緒に、職員室の方へどうぞ」

 にこにこしているけれど、これは、絶対に怒ってる。でもそれは仕方ない。仕事中に、男とイチャイチャして、園児と遊んで。もちろん園児と過ごすのは大事な仕事だけれど、遊ぶのと監督するのは違うのだ。

 後ろにいる保護者の方や他の先生も、私達を見ていたらしい。非常な気まずさと羞恥心を堪えて、私は「はい……」と小さく返事をした。

 ついでに、未だに後ろから抱き付いている男に、ひじ打ちを入れておいた。

※ヨーロッパサッカーのシーズンオフの時期について。

正しいのは「五月中旬~八月まで」で、当初は作中でもそのように記載していたのですが、事情があり(詳しくは最終話まで読んだ後、活動報告の「懺悔」を覗いていただければ……)意図的に時期を変更させていただきました。

作中のシーズンオフ期間は、間違っております。

今回のミス、大変申し訳ありませんでした。

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