邪悪なるモノ
魔王城から徒歩数時間。そこに、その村は存在していた。
鼻をくすぐるのは、畑の土と焼きたてのパンの香り。整備された石畳に、傷一つない家々の壁。耳を澄ませば、子供たちの無邪気な笑い声さえ聞こえてくる。
「……子供は呑気なもんだな。邪悪なる魔王がすぐ近くにいるってのに」
呆れたように戦士のバルドが呟く。
対して、村の入り口に佇む男は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「ようこそ。ここは『最後の村』です」
「最後の村……ね」
賢者のミリアが、手元の地図に視線を落としながら頷く。
思えば、よくここまで来たものだ。
勇者のアレンは感慨深げに村を見渡した。
ここで装備を整え、明日には魔王討伐へ向かう。数年に及ぶ旅路が、いよいよ終わろうとしているのだ。
村に着けば、まずは宿の確保。次いで道具や武具の点検。
これまで幾度となく繰り返してきた、旅のルーティンワークである。
「この村に宿はあるか?」
勇者は入り口の男に問いかけた。
「目の前の赤い屋根の建物がそうです。その向かいにある青い建物が、道具屋と武具店になっております」
何とも都合がいい立地だ。
おかげで、小一時間もあれば準備は整ってしまった。
あとは各々の自由時間となる。最終決戦を目前に控えていても、やることはいつもと変わらない。
戦士は、宿の裏に杭を立てて剣の稽古。
賢者は、教会へ祈りを捧げに向かった。僧侶から賢者へ転職したとはいえ、その篤い信仰心は変わらないらしい。
俺はと言えば、武闘家のリンと共に村の散策に出た。
実に長閑な村だ。魔王を討ち果たした暁には、こういう場所で静かに暮らすのも悪くない。
「リン。この戦いが終わったら──」
「その先は、勝ってから」
俺の言葉を遮るように、武闘家が唇に指を当てる。
「……でも。私も、アレンと同じ気持ちだと思うよ」
そう言って、彼女は悪戯っぽく微笑んだ。
武闘家は、大煌国皇帝の第三皇女だ。
本来であれば継承権など無いに等しいが魔王討伐の英雄となれば、政治的な道具として利用される可能性が高い。だから、全てが終われば二人で駆け落ちでもするつもりでいる。
きっと彼女なら、笑ってついてきてくれるだろう。
必ず魔王を倒そう。
誓いを込めて、俺は武闘家の唇に口付けした。
──
案内された教会に足を踏み入れた瞬間、賢者は強烈な違和感を覚えた。
いや、違和感というよりは嫌悪感と呼ぶべきか。
その正体はすぐに判明した。
教会の建築様式が、聖ルフィア教団の正式な作法に則っていないこと自体は目を瞑ろう。ここは辺境の地だ。僻地に正しい教義や建築法が伝わっていないことは往々にしてある。
だが、これだけは看過できない。
中央の祭壇に祀られているのが、女神ルフィアだけではないのだ。
島国ジャポニス、大煌国、砂漠の国サンドラ。
本来相容れないはずの辺境の土着神たちが、女神と並べて雑多に祀られていたのである。
「……随分と、ユニークな教会ですね」
神父らしき出で立ちの男に対し、賢者は抗議の意を込めて、少し語気を強めて言い放った。
男は穏やかに微笑むだけで、動じる様子はない。
「もしかして、以前は聖職に就かれていましたかな? お怒りはごもっともです。しかし──外をご覧ください」
促されるまま、賢者は窓の外へと視線を向けた。
そこには、墓地が広がっていた。
一本や二本ではない。
畑の畦道から森の境界線に至るまで、数え切れないほどの墓標が整然と並んでいる。
そこに刻まれているのは、名と称号。
勇者、剣聖、聖女、大魔導師──。どれも、歴史に名を残すような手練れたちの称号ばかりだった。
「彼らは皆、魔王に挑み、散っていった方々です」
神父は静かな声で続ける。
「ここは『最後の村』です。明日をも知れぬ身で祈りに来られた際、ご自身が信奉する神がいなかったら……どう思われるでしょう?」
賢者は言葉を失い、墓標の群れから目を離せなくなった。そして怒りを覚えた自分を恥じた。
ここに眠る先達たちは、信じる神こそ違えど、志は私と何も変わらないではないか。皆、魔王を倒すためにその命を懸けたのだ。
私は墓標に向かい、静かに誓った。
必ず、貴方たちの無念を晴らします、と。
一通りの祈りを終え、教会を後にしようと踵を返した時だった。
出入り口の頭上、その鴨居の部分に、等身大の聖像が祀られていることに気がついた。
「こちらの方は?」
「ああ、そのお方ですか」
神父は聖像を見上げ、柔和な笑みを浮かべた。
「この村の初代村長、フェイ様です。百年ほど昔、フェイ様が強力な『結界』を張ってくださいましてな」
「結界、ですか」
「ええ。おかげで、魔王城の目と鼻の先でありながら、我々はこうして繁栄を享受できているのです。我々にとっては、実質的な守り神のような存在ですな」
だとしても、たかが人間である村長を、女神ルフィアよりも上座──物理的に高い位置に祀るとは。
喉まで出かかった抗議の言葉を、賢者は寸前で飲み込んだ。
今のこの村において、その理屈を説くのは野暮というものだろう。
「……ごきげんよう」
短く挨拶をして、背を向ける。
「ええ。また、お会いしましょう」
神父の穏やかな声に見送られ、賢者は教会を後にした。
外の空気は冷たく、少しだけ頭が冴える。
結論はシンプルだ。要は、魔王さえ倒せばいい。元凶が消え去れば、異教の神を祀る必要も、初代村長という名の守り神も必要なくなるのだから。
魔王を倒したら、この村の教会をただそう。
──
夕刻。パーティの全員が、宿の食堂に顔を揃えた。
普段であれば、大酒を食らう戦士を嫌厭して賢者が席を外し、結果として俺と武闘家は二人きりで食事を摂ることが常態化していた。
しかし、今夜ばかりは勝手が違う。
あるいはこれが、俺たちにとって最後の晩餐になるかもしれないのだ。
「今日は酒はナシだ。全員で食おう」
戦士が珍しく殊勝なことを口にする。
すると、むしろ賢者の方が「一杯だけなら」とワインを勧め、自らのグラスにも少量の赤酒を注いだ。
今日くらいは、という無言の許容だろう。
四つのグラスを掲げ、乾杯する。
並んだ料理は質素なものだったが、今の俺たちにはそれくらいが丁度いい。
そこに、一人の老人が挨拶に現れた。
白髪混じりの髪に、目元へ深く刻まれた皺。
彼がこの村の村長らしい。
「遠路はるばる、よくぞお越しくださいました。皆さんが来てくださると、村も活気づきます」
その言い方に、勇者は引っかかりを覚えた。
「活気、ですか?」
「ええ。挑む者がいるというのは、希望ですからな」
「希望……」
「えぇ、希望です──。世界は今、混沌としています。その闇に光を灯し、希望を届ける者こそが勇者なのです」
村長の言葉を、俺たちは静かに噛み締める。
ありふれた激励だが、今の俺たちにはその重みが心地よかった。
「ところで。そちらのお嬢様は、大煌国の出身ですかな?」
ふと、村長が武闘家に視線を向け、探るように問いかけた。
「ええ、そうですけど」
「やはり。いや、この村の初代村長であるフェイ様も、大煌国の出でございましたので」
「へえ、そうだったんですね」
奇妙な縁だ。
「皆様の旅の成就を、心よりお祈りしております」
深々と頭を下げ、村長は部屋を後にした。
扉が閉まると、場の空気は少しだけ緩んだものになる。
「そういえば……教会の造りも、どこか大煌国の建築様式に似てたかも」
武闘家の何気ない呟きに、賢者が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「あんなの、教会としては滅茶苦茶よ。……全て終わったら、私が基礎から建て直してあげるわ」
「手厳しいな」
「しかし、魔王城が近いってのに呑気な村だな」
「さっき言ってた初代村長って人が、この村に結界を張ったんだってさ。きっと魔物は入れないって安心しきってるんでしょ」
そんな軽口を叩き合いながら、俺たちの『最後の晩餐』は幕を閉じた。
──
翌朝。朝の鐘を合図に、俺たちは最後の旅路についた。
数刻ほどの行軍の末、見上げれば、そこには魔王城が聳え立っていた。
城門は、無防備に開け放たれている。
歓迎されているのか、あるいは逃げ道を断つための罠か。
一歩、足を踏み入れた瞬間──強烈な腐臭が鼻をついた。血と臓腑、そして長く放置された死の匂いだ。
「邪悪そのものね」
賢者が吐き捨てる。
襲い来る魔物を斬り伏せ、奥へと進むにつれて死の気配は濃密になっていく。
傷を負い、疲労困憊になりながらも、なんとか玉座の間へと辿り着いた。
その瞬間、闇が動く。
形は定まらず、黒い肉塊がずるりと床を這う。
無数の窪みが瞼のように開閉を繰り返し、こちらを見ているのかさえ判然としない。
死臭を纏った邪悪なるプレッシャー。間違いない。こいつが、魔王だ。
「行くぞ!」
俺は剣を構え、叫んだ。
最初に崩れ落ちたのは、賢者だった。
詠唱が、唐突に途切れる。
黒い肉塊から伸びた腕とも触手ともつかない何かが、彼女の胸を無造作に貫いていた。
「賢者!」
戦士が駆け寄ろうとした瞬間、足元の床が腐り、崩れた。
バランスを崩した戦士に、魔王の影が覆いかぶさる。
金属音。
剣が弾かれ、次の瞬間、首が飛び血が舞った。
勇者は斬りかかった。
刃は肉に沈んだ。だが、手応えがない。
斬ったはずの部分は、すぐに形を取り戻す。
触手が腹を突き破る、最後に残ったのは武闘家だけになる。
「……くそ、逃げてくれ」
勇者は、理解した。
我々は、負けたのだ。
急速に体温が失われていく。痛みすらも、次第に遠のいていく。
その瞬間だった。暖かな光が、玉座の間を包み込んだ。
最後の村の"初代村長"の結界魔法だ。
──
次に勇者が目を覚ましたのは、"最後の村"の教会だった。
目の前には、村長と、神父らしき男が立っている。
何か言おうとして、アレンは愕然とした。
声が出ない。
喉が凍りついたように動かず、呼吸をしている感覚すらない。
「宿の台帳によると……勇者アレン、戦士バルド、武闘家リン、賢者ミリア。以上四名でお間違いないですね」
神父は事務的に確認すると、祭壇の奥を指し示した。
「それでは、各々名前の書かれた棺にお入りください」
ふざけるな。そう叫ぼうとした意志とは裏腹に、身体が勝手に動き出す。
俺たちは操られるように歩き出し、自らの名が刻まれた棺へと足を踏み入れた。
その時、村に早鐘が鳴り響いた。
「村長、また魔物の大発生です」
「やれやれ、またか」
村長は面倒くさそうに顔を覆うと、教会が震えガタガタ、と激しい音が響く。
裏手に広がる墓地から、無数の棺が開き、中から大勢の死体が飛び出してきたのだ。
勇者、剣聖、聖女、大魔導師──。
かつて歴史に名を残した英雄たちが、生気のない瞳で整列する。
初代村長フェイ道士が、魔王城に施した『死者を殭屍として蘇らせ、使役する結界』のおかげだ。
整列した数百のアンデッドの軍団を見渡し、村長が満足げに頷く。
「……でも、魔王自体もとっくに死んでいるんでしょう?」
神父が呆れたように問う。
「ああ。百年前にフェイ道士たちの勇者パーティが討ち取ったからな」
そう。約百年前、フェイ道士を含む当時の勇者パーティは、確かに魔王を打倒したのだ。
しかし、それで世界が平和になったわけではなかった。
魔物を生み出す魔力。それを活動エネルギーとして、日常的に大量に使っていたのは魔王と魔王軍の幹部たちだった。
行き場を失った膨大な魔力は、このように定期的な魔物の大量発生を引き起こすようになってしまったのだ。
当時の為政者たちは、その全ての責任を当時の勇者パーティ──つまり、フェイたちに押し付けた。
世界を救った英雄への報酬としては、あまりに酷な仕打ちだろう。
しかし、世界を愛する彼らは、フェイ道士の道の秘術を使い、魔王の死体を蘇らせた。
単なる『魔力消費装置』として。……しかし、所詮は死体だ。生前ほどの効率で魔力を使い切ることは叶わず、魔物の大量発生を完全に止めるには至らなかった。
よってフェイ達はこの村を作り、死してなお世界を守るためのシステムを構築した。
自らの肉体を、殭屍へと変えてまで──。
つまり、こういうことだ。
勇者が魔王城へ向かい、そこで命を落とす。すると、フェイの魔王城に施した結界の作用により、魂と肉体は“最後の村”へと回収される。
そして自我なき屍の兵士となり、終わることのない魔物の大量発生と戦い続けるのだ。世界を守るために。
「すみませんが、これを使ってください」
神父がアレンの手から『聖剣』と『伝説の盾』を没収し、代わりに渡したのは──削り出しの『ひのきの棒』だった。
戦士の『魔剛剣』も、賢者の『神代の杖』も、武闘家の『黄金の鉤爪』も、同様に回収されていく。
各地から勇者たちが持ち寄る、強力で希少な装備品。これを外部に横流しすることで、“最後の村”は莫大な富と繁栄を享受しているのだ。
死体は労働力に、装備は資金源に。無駄のないリサイクルである。
「私たちがしていることは、果たして邪悪なことなのでしょうか?」
神父が自嘲気味に呟く。
「いや。それを問うなら、この役目を我々に押し付けた王侯貴族たちこそが断罪されるべきだろう」
村長は鼻で笑い、すぐに「いや、違うか」と首を横に振った。
「もし魔王という『共通の敵』がいなくなれば、人間同士で領土を求めて殺し合うのがオチだ」
「……世界は常にこうして誰かの犠牲の上で成り立っているというのに」
「それを認識さえもせず、自分たちは無関係だという顔をしている民衆こそが──真の邪悪なのかもしれんな」
村を囲う柵の外では、勇者軍団が魔物の群れを一方的に蹂躙していた。
最前列では、粗末な棒を振り回す新入りの四人が活躍している。
村長は、初代村長フェイの聖像に静かに手を合わせた。これからも、この村は世界を救い続け、長閑に繁栄していくだろう。
遠くから、子供たちの無邪気な笑い声が聞こえてきた。
〈 邪悪なるモノ -完- 〉




