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処刑回避を目指して未来の私と共に清楚系令嬢の仮面を剥ぎとります  作者: 宗像 凪


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第5話

【大陸暦一二二五年九月初旬】


 王都に秋の気配が忍び寄り、社交シーズンが幕を開けようとしていた。


 今日は我がエスターク公爵家で、ささやかな午後の茶会を催す日だ。集まるのは五名ほどの令嬢たち。大規模な夜会とは異なり、親しい間柄で最新の流行や刺繍の図案を語り合う、穏やかな集まりのはずだった。


「お嬢様、お客様方がお見えになりました」


 マリアが知らせに来る。私は鏡の前で表情を整え、居間へと向かった。


「皆様、本日はようこそいらっしゃいました」


 令嬢たちと優雅に挨拶を交わす。その中に、エリーゼ・フォン・ミューレンベルクの姿を見つけ、私の心に小さな警戒の灯がともった。彼女は最近、あのセシリアと頻繁に茶を共にしていると噂されていたからだ。


 和やかな談笑が続く中、エリーゼが何気ない風を装って口を開いた。


「そういえば、来週の王宮園遊会、楽しみですわね」

「ええ、陛下主催の園遊会ですもの。きっと素敵な催しになりますわ」


 他の令嬢たちも同意する。園遊会は、王室の威光を示す重要な公式行事だ。


「リリアナ様も、もちろんご出席されますわよね?」


 エリーゼの視線が私を射抜いた。


「当然ですわ。王太子殿下の婚約者として、欠席するわけにはまいりませんもの」


『待って。――その質問、罠よ』


 頭の中で、未来の私が鋭く響いた。


(え?)


『エリーゼはセシリアの手先。今、あなたが当日確実に現れるかを確認したのよ。……リリアナ、園遊会は欠席しなさい』


 未来の私の声が、命令に近い強さで響く。


『理由は何でもいい。体調不良でも、急な用事でも。とにかく、あの場所へは行かないで。はっきり覚えていないけど、嫌な記憶があるわ』


(でも……王太子の婚約者が、正当な理由もなく公式行事を欠席するなんて、それこそ格好の攻撃材料にされてしまうわ)


『罠に嵌まるよりはマシよ!』


(具体的に何をされるか分からないのでしょう? それに、あなたの警告が正しいという確証もまだないわ。出席して、自分の目で確かめた方がいいはずよ)


『何ですって!? 未来を知っているのは私なのよ!』


(でも、今回の罠について詳しいことは何も教えてくれていない。記憶が曖昧だと言ったのはあなたよ)


 内なる私が沈黙した。図星だったのだろう。


『……意識だけになってから、ところどころ細かい記憶が曖昧になっているのは認める。けれど、これは「危険」だという本能的な恐怖は残っているの。私の警告を聞き入れなさい!』


(いいえ。あなたの言葉をただ鵜呑みにするだけでは、私は一生あなたの操り人形だわ。今回は、私の判断で動かせてもらうわよ)


『あなた、私を信じない気!?』


(信じないわけではないわ。でも、私はあなたの人形じゃないの!)


『その浅慮な振る舞いが、私を……私たちを処刑台に送ったのよ!』


 その言葉に、私は一瞬息を呑んだ。胸の奥が、焼けるように痛む。


(それは……あなたの失敗でしょう。私は、今の私の力で運命を変えたいの!)


『――いいわ。勝手にしなさい』


 未来の私の声が、氷点下の冷たさに沈んだ。


『失敗して痛い目に遭っても、もう知らないから』


(結構よ!)


 私は心の中でそう叫び返し、一方的に対話を断ち切った。


    ◇


 数日後、王宮園遊会の日。


 私は淡い紫色の絹のドレスに身を包み、馬車で王宮へ向かった。

 心細さが、鉛のように胃を圧迫していた。数日間、未来の私は沈黙したままだ。自分から突き放しておきながら、彼女の冷徹な声さえ聞こえない静寂が、これほど恐ろしいとは思わなかった。


 王宮の庭園は、爛漫たる花々と着飾った貴族たちで埋め尽くされていた。


「まあ、リリアナ様!」


 白いドレスを纏い、無垢な妖精のように微笑むセシリアが近づいてきた。


「お会いできて嬉しいですわ。そのドレス、秋の午後にぴったりで、とてもお似合いです」

「ありがとうございます、セシリア様。あなたこそ、真珠のような輝きですわ」


 互いに称賛を交わしながら、セシリアは楽しげに提案した。


「ねえ、リリアナ様。あちらの薔薇園が今、最高に見頃なんですの。ご一緒にいかが?」


 私は頷き、彼女に従った。

 美しい薔薇が咲き誇る小道を歩いていた、その時だった。


「あら、リリアナ様、お足元に気をつけて。石が……」


 セシリアが地面を指差す。

 視線を落とした瞬間――「きゃっ!」という短い悲鳴と共に、セシリアの体が私の方へ倒れ込んできた。


 反射的に彼女を支えようと手を伸ばした、その時。セシリアの指先が、私のドレスの裾を「偶然」強く掴んだ。


 ――ビリッ。


 乾いた、絶望的な音が周囲に響き渡った。


「まあ!」


 淡い紫の布地が無残に裂け、地面に垂れ下がっている。


「申し訳ございません! ああ、どうしましょう……!」


 セシリアは地面に膝をつき、今にも泣き出しそうな顔で私を見上げた。

 周囲の令嬢たちが「大変!」「セシリア様、お怪我は?」と駆け寄る。


 涙を浮かべ、何度も謝罪する彼女の姿は、第三者の目には「不器用だが心優しい被害者」にしか映らない。一瞬で理解した。これは、どちらに転んでも彼女の好感度が上がるだけの舞台装置なのだ。


(ねえ、どうすればいいの……?)


 心の中で呼びかけても、冷たい沈黙が返ってくるだけ。

 セシリアは震える声で追い打ちをかけた。


「リリアナ様のドレス、とても高価そうですわね……。私、精一杯の弁償をさせていただきますわ。ですから、どうか……」


 もし私がここでセシリアを責めれば、「優しいセシリアを苛める高慢な公爵令嬢」と見られる。


 もし許せば、セシリアは高価なドレスを弁償することで「責任感のある令嬢」という評判を得る。そして私への「恩義」を演じ続けることで、さらに好感度を上げられる。


 では許した上で、弁償しなくてもいいと付け加えたら? いや、駄目だ。既にセシリアは大仰な謝罪と共に「弁償する」と口に出している。これを普通に断るのは、ローゼンタール伯爵家の面目を潰したと言われかねない。


 どちらに転んでも、セシリアの勝ちなのだ。


 私は震える指先を隠すように握りしめ、深く、深く呼吸した。


(落ち着いて。私は、エスターク公爵令嬢よ。自分の誇りは、自分で守るの)


 私はそっとセシリアの手を取り、彼女を立たせた。


「セシリア様、お怪我はありませんか?」


 意表を突かれたように、セシリアが顔を上げる。


「え……でも、リリアナ様のドレスが……」


 私は裾の破れた部分をそっと撫で、柔らかく微笑んでみせた。


「お気になさらないで。実はこのドレス、亡き母の形見から仕立て直したものなんです」


 その言葉に、周囲がしんと静まり返った。亡き公爵夫人クラリッサ。社交界の花と謳われた女性の名に、令嬢たちが息を呑む。


「母も若い頃、園遊会で同じようにドレスを破いてしまったことがあったそうです。けれど母は『破れたドレスも、その日を彩る思い出の一部よ』と笑っておられました」


 私はセシリアの手を、今度は力強く、優しく包み込んだ。


「ですから私も、この破れを大切な思い出にいたします。セシリア様と、こうしてお近づきになれた午後の『証』として」


 沈黙を破ったのは、周囲の貴婦人たちの感動の溜息だった。


「なんて気高く、素敵なお話……」


 セシリアの顔から、一瞬だけ、仮面が剥がれるような屈辱の表情が浮かんだ。それを見逃さず、私はさらに優雅に一礼する。


「あいにく陽も傾いてまいりましたし、私はこれにて失礼いたしますわ」


 私はマリアを呼び寄せ、ショールを肩にかけさせると、誰よりも堂々と薔薇園を後にした。


    ◇


 帰りの馬車の中、私は破れた裾をじっと見つめていた。

 母の形見――というのは、咄嗟についた嘘だ。けれど、未来の私が見つけてくれた「母の日記」に書かれていたエピソードを、私は覚えていたのだ。


「……ねえ。見ていたんでしょ?」


 小さく、空中に向けて呼びかけた。


「あなたの言う通り、彼女は仕掛けてきた。でも私、自分で切り抜けたわ」


 緊張の糸が切れ、目の端に涙が溜まる。


「あなたの言う通りに動くだけじゃなくて、私は、私自身の足で立ちたいの。……ごめんなさい。身勝手なことを言って」


 長い沈黙の後。

 脳裏に、掠れたような、けれど確かな声が響いた。


『……よくやったわね』


 私は驚いて顔を上げた。


『お母様のエピソードを持ち出すなんて。……私でも思いつかなかったわ』

「それは、あなたが日記を見せてくれたから。だから、私だけの力じゃないわ」


『……私こそ、ごめんなさい』

 未来の私の声が、これまでで一番優しく震えていた。

『あなたの可能性を信じていなかった。全部私が決めなきゃいけないと、傲慢になっていたわ。あなたは、もう私を超えようとしているのね』


 涙が、頬を伝って落ちた。


「でも、まだあなたの助けが必要なの。一人じゃ……まだ、怖いのよ」


『分かっているわ』

 未来の私が、慈しむように笑った。

『これからも、私はあなたに厳しく警告し続ける。けれど、最後に選ぶのはあなたよ。私たちは――二人で一つの、パートナーなんだから』


 馬車が屋敷に到着した。私は涙を拭い、真っ直ぐに背を伸ばして地面に降り立つ。

 

 処刑台の未来を回避するための、これはリリアナ自身が掴み取った、最初の一歩だった。

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